紅糸清澄   作:茶蕎麦

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 今回は龍門渕です。
 紅糸清澄で描く長野編ではこれで大凡登場人物が全員出揃った感じですね。


第十話 月が綺麗です

 

「あ、そうそう。京太郎、明日遊びに来るんだって」

「なんだ、急な話だな国広くん。もう夜になるぞ? 少し早く教えてくれたら、歓迎の準備でもしてやれただろうに」

「……確かに、ちょっと遅いタイミング」

「はぁ……純くんも、ともきーも分かって言ってるでしょう。透華がギリギリまで渋っていたから、話が決まるのが今まで遅れたんだよ。本当だったら衣の一声を嫌がるなんてあり得ないんだけれど……」

 

 龍門渕、それは長野県内どころか全国的に広く知られた名家の一つ。その本家の広き邸宅の一角、大きめに取られた女性更衣室にて、三人の少女が話をしていた。

 話を振った、メイド服から着替えてなにやら露出過多な私服に身を包もうとしている、小さめで頬の星型タトゥーシールが似合う女子は国広一。彼女はその口から出た、龍門渕家の一人娘、龍門渕透華その人専属のメイドである。

 そして、応えた二人、順番に背高で銀髪ショートカットでマニッシュな服装の井上純と、対照的に艶やかな黒い長髪を流し眼鏡が似合う見た目の沢村智紀もまた、龍門渕のメイドだった。そして、この三人は年同じくして龍門渕高校麻雀部の一員。

 親しいのは自然なことで、そして元々三人はとある少女の友達となるために集められたが故に、それは必然でもあった。

 

 一が言葉を濁したその時、カチャリとドアが開く音が響く。ドアノブを握って開けきらずに、気になる話を盗み聴いていた少女は、金髪にウサギの意匠をしたカチューシャを乗せていてまた小柄でもあったが、しかしただの可愛らしい子供の様子ではない。

 見るものによれば、どこか威風すら漂わせているように映る彼女は天江衣。牌に愛された子とすら語られる、とびきりな雀士の一人であった。彼女は、一達が集められた件の目的でもある。

 

「とーかは衣には日取りが中々決まらないのだと口にしていたけれど……やはりきょーたろーを嫌忌しているのは変わらないのか。きょーたろーは煙でも蛇蝎でもないのに」

「衣。いや、あれは嫌っていると言うよりも拗ねているだけ……それを本人が嫌っていると思いこんでいるからややこしいんだよね」

「自虐を随分と荒誕に拗らせたものだ。……でも、それが衣のためというのには、やはり呵責を感じる」

 

 衣は、ついつい表情を歪めてしまう。透華は彼女の両親亡き後引き取ってくれた龍門渕家の娘で、元々従姉妹という関係性あるがそれだけでなく、異常と排斥されがちな衣をおそらくこの世界で一番気にかけてくれた人である。

 そんな数少ない理解者である透華が、恩人である須賀京太郎のことを疎んでいるというのは衣にとって心苦しいところだ。それが、自身を巡ってのことであるならば、尚更のこと。

 救いがあるとするならば、むしろ京太郎は透華を人間的に好んでいる様子であることだろう。嫌い合っているわけではない。そのため、衣も幾ばくかの希望を持っており、明日の遊興にて二人仲良くなる、というのが彼女の理想だった。

 

「まあ、確かに衣も人が悪いよね。ずっと近くにいたボク達より先に、京太郎の手を取っちゃうんだから」

「それに関しては、衣が悪かった……特別な自分は皆と違うのだと捻くれて、頓馬な勘違いをしていた衣が」

「でも実際、オレらみたいに見守っているだけ、ってよりも京太郎みたいに積極的に手を伸ばした方が分かりやすくて良かったのかもしれないな」

「そうだね。私達も間違っていたから、お互い様。……ただ、彼に手を繋がれて、真っ赤になった衣の姿は見ものだった」

 

 智紀は反省の連なりを断ち切り、揶揄して微笑む。それは一の言葉を受けて落ち込む衣の気持ちを変えるためであり、案の定表情を変えて乗ってきた彼女を見つめて、薄い笑みは深まった。

 

「むっ。ともき、そんなことを言うお前がきょーたろーを一番に懸想しているだろうに」

「衣には分かるんだね。……でも、それは違う。衣の好きも、純の好きも、私の好きも、変わらないよ」

「そう、なのか?」

「重くても恋。軽くても恋。大小あったとしても、この想いが生み出す苦楽は一緒だから」

「なるほど……恋は闇と聞くが、そうでもないようだ。想い募らせていながらもともきは周囲に明るい。しかし、鴨く蝉よりも鳴かぬ蛍が身をこがすともいう。或いは、ともきは訥言敏行な君子ではないのか?」

「そんなことはないと思うけれど……でも、明日は頑張るつもり」

 

 ぐっと拳に力を込めてガッツポーズを取る智紀。珍しい彼女の動的な姿に、ユーモラスさを感じ取った衣はくすりと笑う。

 しかし、楽しげな二人に対して、内容が符丁合わせのような会話を横で聞いていた純は、一と共に取り残されていた。

 

「なんか、あいつら難しい話をしてるな……」

「言い回しだったり言葉が難解だったりするから、恋バナしているだけってちょっと分かり難いよね。後さ、京太郎を好きな人に、純くんも地味に入れられているんだけど」

「まあ、それは本当だから別にいい」

「京太郎、モテるなぁ……透華も良くも悪くも意識しているし。ホント、あの日から皆変わったよね」

「そういう国広くんは他人事みたいに構えているけれど、どうなんだ?」

「いや、どうも、ボクには色恋はまだ早いみたいだ。京太郎のことは好きだけれど、きっと皆とは違う種類のものだろうね」

「そうか。しかし、オレは誰の想いを尊重したらいいのかねぇ?」

「自分の気持ち、と言ってあげたいけど、最低限透華に恨まれないようにはしないとね」

「確かに、あいつを敵に回したくはないな」

 

 恋思う相手のことを語るにしては、純は気を引かせている様子。想いに急くような風ではない。それもその筈、瞳に映る恋敵達も、彼女にとっては彼と同等以上に大切なのだから。

 ぴったり一つのように、透華によって集められた龍門渕麻雀部の面々は仲が良く、だから一人を奪い合うようなことにはならないだろう。

 しかし、だからこそあの日出会った彼は、誰の運命だったのか。それが、未だに彼女達には判らない。

 

 

 

 

 天江衣は孤独だった。それは、両親の早世により一人親戚の家に引き取られた中で、その能力のために僅かな者以外家中の皆に疎まれたという経験、それだけによるものではない。

 確かに、衣は驚く程に禁忌されている。牌に愛された子、その言葉は彼女の持つ天才性を超越した異常性の一部を指す言葉でしかない。

 持ち前の豪運は元より、衣の感情に共鳴して、例えば勝手に動かぬ筈の機械が反応を起こすことすらままあって。やがて彼女の持つ超常性は次第に恐れられて、閉じこめられる。

 そして、家とは名ばかりの豪勢な箱の中、衣は遊興に耽るようになる。自分の天賦を存分に暴れさせられる遊び、麻雀。感覚が導くに任せて打牌することに彼女は親しむ。相手させられている者達を自分の麻雀で恐れさせていることを知りながら。

 まともに打つことを選ばず、力に振り回され続けて。暴れる力が彼女ではないのに、それを誇示し続け過ぎ。だから、衣は孤独になったのだった。

 

「衣様は学校でお友達が出来ないみたいで……」

「問題ナッシング! 友達の百人や千人、私が集めてみせますわ!」

 

 故に、友達、つまりは魔物天江衣ごと受け入れてくれる人間探しに奔走していた透華は、少し間違えていたのだろう。

 

「県予選、全国……そして世界! 貴女と楽しく遊べる相手が――――必ず何処かに居るはずですわ!」

 

 透華は、衣をただの独り法師の少女と見なかった。彼女は全てを呑み込み愛していたのだから、当然のことであるかもしれないのだが。

 しかし、その実衣は得意(特異)を活かすことの出来る麻雀をやらない自分など誰も必要としないのだと勘違いしていたために、事態はややこしくて。

 

 だから、孤独を許せない京太郎が、ただ一人寂しさに震える衣を見つけられたのは、僥倖だったのだろう。

 

 

 

 

「こんにちは。今日は失礼します、龍門渕さん」

「……ようこそいらっしゃいました。一日よろしくお願いします。皆はこちらですわ」

 

 それは暦の上での春が過ぎ去り一月以上経ち、寒さも穏やかになってきた頃。優希らと出会う前の、春休みを控えたとある休日。京太郎は龍門渕家に訪れていた。

 京太郎は手土産やらと請われたペットのカピバラ、カピーの写真が沢山入った紙袋を持つ手を思わず、強く握ってしまう。それは、緊張からであった。前回来たのは、夜中。そして、主に靖子の背中を追っていたために周囲をそれほど望んでもいなかった。

 そのために、これほど広大でありつつ精緻さを受け取れるお屋敷に美しい庭木、歪みない真珠、上等な西洋絵画のようなそんな風景の中に自分がこれから入っていくのであると思うと、少し広いばかりの実家を持つ京太郎が気後れしてしまうのも無理はない。

 

「どうかしましたの?」

「あ、すみません……今行きます」

「……そうですか」

 

 しかし、そんな小心を知らず、よそ見をしながら遅れた京太郎に、透華は注意を促した。その際に、手を引いてあげましょうか、等という冗談が思わず出そうになったが、別段相手の心和ませる必要はない筈だと意地張って半端に開いたその口は閉ざされる。

 そして、そのまま黙して先導する透華の後に京太郎が続くという構図がしばらく続いた。広大な敷地内、長い道中にて彼が沈黙に苛まれなかったのは、景観の素晴らしさに拠る。

 詰め込まれ、しかし華飾でない造形自然の全ては、多面から見てこそ真価を発揮するもの。ダイナミックな美しさの連続で京太郎の開いた口が乾いて来た頃に、ようやく二人は行き止まった。

 

「あれは離れ、ですか?」

「……これが衣のお家ですわ」

「なるほど……」

 

 敷地の先、京太郎の言の通りにどの建物からも離されるように造られた一軒。これまでの威風すら感じる建築からするとどこか小ぢんまりとすら感じるその家は、衣の住居。

 衣の孤独の一端。それがよくよく感じ取れる、閉じ込めるために特注された閂のように厳重な鍵を開けてから、二人はその中へと入る。

 

「どうぞ」

「失礼します……うわっ」

「きょーたろー。よく来てくれた。感無量だ!」

「衣さん、お久しぶりですね。今日はご招待、どうもありがとうございます。あれ、前回入れてもらった場所と違ってここには雀卓……ないですね?」

「前回は麻雀で遊んだが、衣とてそればかりしか遊興を知らないという訳でもない。今日はきょーたろーに万夫不当なだけでない衣を見せたいと思う」

「そうですか……それは嬉しいですね。麻雀をやっている時の迫力ある衣さんも好きですけど、普段の衣さんも気になりますし」

「にゅ。好き、気になる、か……ふふ。きょーたろーは時に乙女心をくすぐるのが上手い」

「そんなつもりはないんですけれどね……」

「むぅ」

 

 入るなり京太郎の胸に飛び込んできた少女は、家主たる天江衣。赤いリボンのカチューシャが、京太郎の目の下で大いに揺れた。子供のように想い人に甘える彼女の天真爛漫な様子を、一らは遠くから黙って見守っている。

 しかし、我が子のように想っている衣が、今ひとつ気にくわない相手と親しくしている様を見せつけられるのは、透華にとって嬉しいことではない。また恋する瞳で流しみる少女を男が全く意識していない様子なんて、彼女には特に気に食わないものだった。

 何しろ、龍門渕透華は、目立つこと、ひいては見つけられることが大好きなのだから。男の不明で鈍感な様なんて、見ていられなかった。

 

「こほん……衣、貴女だけでなく一達も再会を楽しみにしていたみたようですから、そのくらいで……」

「そうだな! きょーたろー、今日は歩が少し用事で遅れているけれど、ここには純に一に智紀、ハギヨシも居るよ!」

「皆さん、衣さんにも言いましたが、ご招待、どうもありがとうございます」

「おう。久しぶりだな」

「来てくれて嬉しいよ、京太郎。でも、そんなに畏まらなくてもいいよ。もっとフレンドリーに行こう」

「そう、もっと仲良く……」

「分かりました……あ、智紀さん。ちょっと渡したいものがあります」

「何?」

 

 紙袋の中を少し漁った京太郎は、そこから購入してそのままの様子である透明プラスティックでパッケージされた機器を取り出す。角がなく、手に収まりやすく造られているそれを、間近の衣は何だか分からず。

 しかし、近寄ってきた一に純、そして差し出された智紀は判ったようで、大勢が納得の表情をしたのを確認してから、京太郎は口を開いた。

 

「遅くなりましたし、誕生日プレゼントにしてはどうかと思ったのですけれど……前に持っていないとチャットで仰っていたので……これです。トラックボール、っていうんでしたっけ。そのタイプのマウスです」

「おー、何だかちょっと未来的だね」

「そういえば、京太郎もネット麻雀やってるって言ってたな。機械越しだと流れが見えないからイマイチ肌に合わなかったんだが……これは、オレもやっていた方が良かったか?」

「一も純もどいて。……ありがとう。でも、そんなに安いものではないでしょう? 大丈夫?」

「友達と電器店を見に行ったら安売りしていて……まあ、後にネットで確認したらそんなに割引されてもいなかったですけど……その時に智紀さんの顔がふと思い浮かんだんで、即決しちゃいました。誕生日、おめでとうございます」

「そう……」

 

 何時も感情を薄く表現する、そんな智紀が明確に笑んだ、そのことに周囲が驚きを見せる中、彼女はずいと京太郎の方へと近寄る。それは顔が彼の胸に打つかりそうな程の近距離。

 一気に恥ずかしくなった京太郎を気にせず、更に寄った智紀は、彼の背中に手を回す。そして、彼女は身体が密着するくらいに強く抱きしめたのだった。

 

「えっと、智紀、さん?」

「嬉しかった。これは、お礼」

 

 突然の抱擁を受けて戸惑う京太郎に、追い打ちとばかりに豊満なその身を智紀は押し付ける。衆人環視の状況下のやや冷たい視線、それ以上に覚える柔らかな感触。

 あまりに嬉しい触れ合いに、思わず抱きしめ返しそうになってしまったが、しかしその手が下心に動かされる前に、京太郎の耳に衣の寂しそうな声が届いた。

 

「むぅ……きょーたろー、衣の時とは随分と違う反応だな。やはり、衣では不足だったか?」

「い、いや。そんなことはありませんよ。今回は意外で驚いたというか何というか……智紀さん、どうもありがとうございました」

「……喜んでもらえたようで何より」

 

 気落ちした衣の前で、特別な応答をすることなど出来ない。ぎこちなく離された両腕を、名残惜しげにじっと見つめる智紀を知りながら、ゆっくりと退いて感謝を述べてから京太郎は人心地つく。

 その間に、再び衣は京太郎のパーソナルスペースに割り込んでいく。そして、今度は右手に抱きつき身を擦り寄せた。

 

「衣もお礼だ!」

「ええと……何の、ですか?」

「決まっている。衣と友誼を結んでくれた、そのことに、だ」

「ああ、そのことなら、俺の方からも、お礼したいくらいですよ」

「ふふ、そうか!」

「ええ」

 

 向けられた、太陽のように陰りない笑顔に、京太郎は思わず似通った笑みを返す。大小似合いの金色番。そんな二人には、智紀との抱擁の邪魔をしようとしていた透華ですら割って入れる気がしない。

 

「でも、どうして急に?」

「急じゃない。衣は何時だってお礼を考えていた。それくらい、きょーたろーが友達になってくれたことは嬉しかったんだ!」

 

 自然離れた大勢に認められながら、笑顔で衣は言い切った。

 衣は恋する瞳のままに、互いに結ばれた縁の形が友情となっていることに喜びを見せている。心の内ではその先を求めておきながら、臆病にも彼女は現状に満足したがっていた。

 それは、幸せは頂上でいとも容易く壊れるものだという過去のトラウマからの間違った確信に依っている。だからこそ、先んじようとする智紀の邪魔をしたのだろう。明らかに衣は、中途半端な今を守ろうとしていた。思慮浅くはない智紀はそれを解す。

 横入りに対する怒りを危惧したのか、気遣わしげな一の視線を、首を振って拒否してから智紀は金髪おそろいの兄妹のような二人を目映げに見つめる。愛すべき衣のちょっとした勝手。それくらい飲み込めずに、友達なんてやれはしない。

 

「昨日はああ言っていたのに……衣はずるいね」

 

 しかし、奪われたものが胸中を占めるその割合の大きさから、呟きが口から零れるのを止めることまでは出来なかったが。

 

 

 

 

「やっぱり、結局はコレに落ち着くんだな」

「そうですね……身体動かすのも好きですし、他のテーブルゲームも嫌いじゃないですけれど、やっぱり麻雀をやりたくなってしまいますね」

「……ハギヨシと貴方以外は全員麻雀部ですし、それも当然といえばそうですわ」

 

 京太郎が訪れたのは空が白む頃、という程でもないが朝方ではあった。暖房なしでは少し肌寒く輝く日差しがありがたい、そんな時間帯。

 昼時までたっぷり三時間はある、その自由時間を龍門渕メンバーと京太郎は外で遊ぶことに使った。

 やはり衣が端を発し、そして優秀な執事であるハギヨシが準備を済ませていたグラブとボールを使って始まったのは、キャッチボールに軽い野球の練習。

 最近、皆がはまっているのだという運動に参加した京太郎は八面六臂の大活躍をした。その肩の良さは運動神経に自信のある男勝りの純をすら驚かせ、ノックではファインプレーを連続する。

 年下が目立つことを嫌った透華が大人気なくノッカーにハギヨシという規格外を起用しても、京太郎は食らいついてきた。むしろ、男二人熱い会話を交わしながら、用意されていた運動着を泥んこにしてまで苦戦を楽しむ始末。

 汗に汚れた京太郎は彼女らにとって眼福でもあったようだが、交じることの出来ない女性陣からブーイングが出て運動は中止。着替えてから後は純が用意したのだという見事な弁当を皆で食べてから、衣が飼っているカエルに京太郎が餌をあげたりなどして。

 

 そうして午後から歩と合流し、皆は様々なボードゲームに手を出して遊んでみたが、今度は大概衣が圧倒してしまう。運が影響大きいものだけでなく、将棋やチェスにおいても彼女は強者であり、まずルールすら覚束ない京太郎ではまるで歯が立たず。

 あまりの一方的展開に京太郎から実力順に次々と脱落していったが、次点の強さを持つ透華が音を上げてしまっては衣の相手もいなくなり。彼女はつまらなそうにし始める。

 ならばせめて麻雀なら、と皆が思ったその時、ハギヨシが何時からか用意が済んでいた自動雀卓を指し示した。そして、誘蛾灯に惹かれる虫のように、麻雀好きな彼女らはそこに集い、自然と麻雀を始めたのである。

 

 お客さんの京太郎以外は半荘終了毎になるべく入れ替わるということで始まった対局。

 一半荘目は彼女のオカルトを高める満月の月が出ていなくとも、豪運任せの高い打点を持ってして衣が一位を掻っ攫っていった。二位は透華で三位のハギヨシを捲くりきれずに、京太郎は四位。

 さて今度こそはと現在京太郎が挑んでいる相手は一に純に智紀。彼女らは明確なオカルトを持った手合いではないがそれぞれ素晴らしき打ち手であり、三人と競合しあえることに喜び集中し始めた彼は背中に感じていた二対の視線をすら忘れた。

 京太郎は確かに能力と呼べるものを持っている。絆を糸として縁者から影響を受ける、そんな力。繋がった相手を孤独にはしない、そんな彼の想いが形になったようなものであるが、しかしそれ自体は決して強い武器ではない。

 天江衣や宮永咲等魔物に好まれているからこそ京太郎は麻雀において、ツモの改善、流れの把握までが可能となっているが、そこまで止まり。地力が足りなければ、平凡にすら負けうる。

 

「ツモ。タンヤオ、ドラドラ。二千オールだ」

「……はい」

「どうぞ」

「嵌張の三萬引いちゃったかー。それにしても、後ろに居た歩の様子がちょっとおかしかったし……これは純くん、やっぱりただ鳴いて和了りを速めただけじゃないね?」

「国広くんは目ざといなあ。ちょっと、随分と京太郎に流れが行っていたからな。少し無理に鳴かせて貰ったんだよ」

「……四萬、五萬、六萬の一面子が既に揃っているのに、七萬に無理に飛びつくとは思いませんでした。そしてシャンテン数を減らすどころか、鳴いて受け入れ牌を減らしていましたし……やはり純さんの麻雀は私には理解し難いです」

「あはは。真面目な歩にとってはそうだろうね」

 

 その証拠に、幾らツモが良くて、相手に向かう流れが読めたところで、同じく流れを読める上に試合巧者でもある純には中々敵わない。

 ツモる筈だった有効牌を鳴きでズラされ、手の中の牌が相手の和了牌であると解して離さず持っていたところで純のそもそもの運の強さからツモ和了りされる。

 そも、技術知識経験不足の京太郎は手の内での最速を上手く選択できず、運で勝ろうとも一や智紀に速度で負けることすらあった。そして、流れを気にし過ぎて鳴くべき場面で手を伸ばせない。堅実、というよりもどこか臆病なところすら垣間見えてしまう。

 後ろで見つめていた衣と透華には、その辺りの弱点がよくよく把握出来ていた。

 

「うむ。きょーたろーの麻雀は金城鉄壁な様子だが、どうも一擲乾坤を賭すようなことがないから、猛者相手には稼ぎ負ける傾向にあるようだな」

「リバーサルクイーンと呼ばれる藤田靖子の愛弟子ですから、そちらの技術にも期待していたのですが……初心者然とした部分の方が目立ちますわね。あの夜の和了りはどうしたのでしょう?」

 

 思わず辛口に語ってしまう二人の言葉を受けて、京太郎は苦笑するしかない。降って湧いた能力を誇示する気は彼にはなく、だから己の力は低いものと彼は元々規定している。未だ牌に親しみ始めた程度。勝とうと思うが、勝てるとまでは考えられない。

 しかし、京太郎の弱い気概を、対面の純はよしとしなかった。

 

「おい、京太郎。観客に好き放題言われているぞ?」

「いや、でも俺がまだまだ駄目なのは自覚していますし……打ち方を変えて直ぐに上手くなるってこともないでしょうし、どうしようもないですよ」

「いや、そんなことはない」

「え?」

「オレみたいに、一度流れに逆らって鳴いてみろ。そうしたら分かるはずだ」

 

 そして、この一言が、京太郎の麻雀を劇的に変えることとなる。果たして、純のその言葉は薬か毒だったのか。変化の階は、智紀が一索を捨てた、その時。

 

「ポン」

 

 辺りに響いたよく通るその声に、京太郎以外の誰もが身動きを止める。たった二言。それだけで、周囲の温度が上がったような錯覚を皆に覚えさせた。彼から発される気配が鋭く変わり、魔物のそれへと近づいていく。

 真剣味を増した京太郎の目の奥にて、ちろりと炎が燃える。向かいの純は、体震わせながらそれを歓迎した。

 

「チー」

 

 やがて、鳴き、副露を恐れなくなった彼の打牌に迷いは消える。非効率すら、オカルト的なヒキによって最善手に変わっていった。

 段々と燃え盛る瞳の炎が熱を増していく。そして、それが更に周囲の流れを乱して変えていくのだ。純にはもう、目を瞑っていても、結果は分かる。この局は、京太郎が和了ることで終わるのだ。

 

「ふっ」

 

 京太郎が纏う流れは最早、自分が鳴きズラしたところで大差ないくらいの激流。予想通りに化けた相手が想い人でもあるという幸運を純は喜び。敗色濃厚の中でも良いところを見せようと、笑顔で打牌する。

 

 

 

 

「ツモ。タンヤオ、三色同順、ドラ一。二千、千です……」

 

 東三局、その時点で一万点以上凹んでいながらも、純の言った通りに一鳴きしてからまるで別人のように落ち着いた京太郎は、最終的に龍門渕のメイド三人全員を捲くりきった。終局、その後しばし辺りには沈黙が降りる。

 皆を黙させた、件の京太郎は右手を確認するように開閉し、一言も口にしない。場に落ちた、何かが燃え尽きた後のような空白を嫌って、まずは衣から口を開いた。

 

「……正に驚天動地だ。純の言った通りに、鳴いてからきょーたろーの麻雀は別物に変わった。何故だ?」

「素地は元々整っていたのでしょうが、まるで足りないピースが嵌ったかのように、鳴きを中心とした戦術を得た彼は、別格でしたわね。同じく流れが読める、というのは知っていますが……純、どうして貴女は彼に足りないものを見抜けたのです?」

「ん? そうか……真似られている衣に基本デジタルの透華には、分からないか。京太郎が流れを読めるっていうのはオマケだ。本質は別にあるんだよ」

「あれがオマケ……それに別、ですか?」

「何だろ。本人も判ってないみたいだけれど、純くんと一緒に卓に着いていたボクも分からないな。どういうことだい?」

 

 一は京太郎を見てから、純へと視線を移す。そして、二人が見つめ合っていることを確認した。

 助けを求めるように視線を向ける京太郎を、純は椅子の上にあぐらをかいて座りながら見定める。その瞳に嘘がないことを解し、溜息と一緒に彼女は答えを吐き出す。

 

「はぁ……本当に、自分で判らないとはな。なあ京太郎、お前の力って要は他人の真似だろ?」

「そう、みたいですけれど……」

「オレが見るに、衣の強いオカルトにお前の麻雀は強く引っ張られている。そして衣のオカルトは場の強い支配だ。なら、同等でなかろうが、切っ掛けさえあれば、場は無理でも流れくらいは支配出来るだろうと踏んだ。そこで目を付けたのが、鳴きだった」

 

 鳴き。その行動にはリスクとリターンがそれぞれ多くある。その全てを都度量れる程に京太郎は達者ではない。しかし、そもそも相手の河から捨て牌を奪うという行為が、流れに触れることと同じであるとしたら。

 

「支配力は、近づけばより増す。それは当たり前だよな」

「つまり……京太郎は、鳴けばそれだけ強くなる、っていうこと?」

「その鳴きに理がなきゃ流れはそうそう来ないだろうが、まあ間違ってはいないな」

「はあ。俺にそんな力が……」

 

 鳴けば、得点が落ちることもある。流れが気になってしまうこともあったが、主にその経験からくる悪印象から京太郎はあえて多くは手を出さなかった、鳴き。それに要所で触れてから、自身に集まっていく流れを感じて。

 京太郎は終局前にはある種の万能感すら抱いていた。それが、嘘でないと純の説明で知り、思わず高鳴る胸元に掌が向かった。次に思うは、芽生え始めた自信を確かにしたいと思う欲求。

 次の対局を始めたい、そう思った時に、直ぐ後ろから色の違う二つの声がかかる。

 

「京太郎は見事、龍門の滝上りを成したんだな! 衣の物真似とはいうが、魚目燕石というわけではないだろう。いざ力比べだ!」

「私も――――お願いしますわ」

「分かりました、衣さんと……龍門渕さん……ですよね?」

 

 しかし、力を確信したいと思った時に、差されるのは、極めて冷たい水。やる気を帯びた本気の衣に、そして強い氷の如き気配を漂わせる透華の二人が、京太郎に対する。

 何時も通りに覇気を発している衣は兎も角、普段の活発な印象から比べて何も伺えないようにすら思えるほどの明度の透華を前にして、京太郎は困惑を覚えた。

 そしてそれは、周囲の皆も同じことである。いや、むしろその実が判っているだけ、戸惑いは大きく広がった。

 

「あ、京太郎の目覚めに触発されて、透華が冷えちゃってる……純くん、どうしよう?」

「あちゃあ……これが、国広くんが言っていた冷たい透華、か。ゾクゾクするな。出来るなら京太郎がどれだけ衣に食らいつけるか見てみたかったんだが……今の透華は衣すら喰いかねないぞ?」

「そういえば……卓に着いていないのは歩だけだったね、頑張って」

「ええ! 私、あの三人の中に放り込まれるんですか? 絶対に直ぐ飛んでしまいますよ……あ、今回は箱下なしでしたっけ。でも、そうしたら際限なく狙われちゃいます!」

「嫌なら、私が代わりましょうか?」

「……ハギヨシさん。あの、私の居ない午前中に、女性陣を差し置いて京太郎君と二人の世界を作っていたって聞いたのですが……今も喜々として彼の隣に入ろうとしていましたね。ひょっとして、あの噂は本当だったでしょうか……」

「ただの野球練習が、随分と語弊のある伝わり方をしていますね……分かりました。何も含む所はありませんので、どうぞ存分に衣様、透華お嬢様、京太郎君と存分に卓を囲んで下さい。噂とやらは、聞かなかったということにしておきます」

「うむむ、君付け、ですか……これは智紀さんの説が真実味を……」

「――歩、席に着くなら、早く着きなさい」

「っ、はい、分かりました!」

 

 混乱し熱を帯びた場を、冷たい言葉の刃が一刀両断する。普段のお嬢様をしている透華ではなく、龍門渕の一人娘としての彼女の声は下々に有無を言わせることはない。

 目立つ目立たない、どころではない圧倒的な存在感。場決めによって透華が近く下家に座ることになったのに、京太郎は身震いすら覚えた。

 

「ははっ、よろしく、お願いしますっ!」

 

 しかし、その程度で気持ちを萎えさせてしまうほどに、京太郎の内に篭った熱の温度は低くない。自分の弱さを笑い飛ばし、負けるものかと、声を出す。

 だが、その気合の篭った一礼を、透華は一瞥もしなかった。それも当然である。彼女は冷え切っているのだ。一度凍えてしまったその内を溶かすことの出来るものなど、今のところは時間以外にない。

 京太郎でもそれは変わらないということを確認した一は安堵を覚えながら、そのほの暗い内心を隠すために純へと話しかける。

 

「……そういえば、純くん。自分との対局中にコツを教えなくても良かったんじゃない? 対戦が不利になっちゃうだけだったじゃないか」

「いや、正直、あれほどまで京太郎が手強くなるとは思わなかったし……まあ、それに、だな」

「それに?」

「出遅れたのが大きかったな。あれで、オレだって京太郎のことが好きでちゃんと見てるんだって、早く伝えたくなっちまったんだ」

「そう、なんだ」

 

 だが軽く現状から離れた話題を投じてから、直ぐに返って来たのはとても明るい恋心だった。その眩さに自身の独占欲が醜く照らされたような気がしてしまい、一は何時もみたいに器用に笑うことが出来ずに。

 ただ、冷気と熱気が入り交じる中で、手枷を弄くりながら黙していた。

 

 

 

 

「よく覚えていない、ですか……」

「ええ。私としては、少しの間眠っていた、それだけのつもりでしたが……どうにも、違うようですわね」

 

 美は多く影に隠れても損なわれる様子もなく、龍門渕の誇る建物に木々、オブジェは威容も変わらず屹立し、影を長く伸ばす。しかし、月光によってそれらもいささか角が取れているように、京太郎の目には映った。

 満ちる月の下、朝の時とは違って並んで距離近く、京太郎と透華は話している。彼と彼女は異能によってチグハグになっていた互いの認識を正し合っているところだった。

 

「何というか、急に冷たくなったというか……気配だけでなく、闘牌もどこか静かになって。そして対戦した俺らは、河が凍ってしまったかのような鳴く隙間もない麻雀を強いられました。結果は、龍門渕さんの圧倒的勝利でしたね」

「そうですか。確かに、目覚めた時に一が目の前で眦に涙を浮かべていて……私は貴方がたと戦って勝ったのが夢オチかと思ってしまい、失意から強引に皆を離し、片付けを任せて置いてきてしまいましたが、悪いことをしてしまいましたわね」

「少しの間でしたが、龍門渕さんは気を失うように椅子に倒れ込んでいたので皆さん随分と心配していた様子でしたよ。戻ったら元気なところを見せてあげて下さい。その後で説明を……その、変化の件に心当たりはありますか?」

「血、ですかね……何時か貴方にも教えることがあるかもしれませんわ。それと……」

「それと?」

 

 少しの間隙。勿体振った様子の透華を気にして、京太郎は僅かに寄った。果たして、その接近は過ぎたものであったのかもしれない。彼は眼前にて僅かに綻んだ、月下美人に惑わされる。

 

「私のことは、透華、と呼んで宜しいですわ。京太郎」

 

 小さな頷きは返事となったかどうか。しかし、身じろぎにも見えたそれに透華は満足し、笑みを深めた。そして、思いついた言葉をとつとつと続けて語る。

 

「あの冬の日。確かに貴方は言っていましたわ。歩み寄りが足りていない、と。実際に、その後衣に触れた貴方が彼女の心を溶かす様を見て、私は思いましたわ。……悔しいと」

「それは……」

「分かっています。底冷えるほど冷静になってから、ようやく分かりましたわ。私が間違っていたのだと。私は怖がって歩み寄ることをしなかった。それは今も、同じことです」

「今も、ですか?」

「正直なところ、私には京太郎、貴方という人が判らない。おそらくそれは、浅はかにも距離を広げすぎたためでしょうね。それなら、私も一歩を踏み出しますわ」

 

 その、ただの一歩は、揺れる京太郎の心の余裕を失わす。息のかかる程度の距離を近寄ることで更になくして。そうしてそっと、透華は彼の頬に触れた。

 青白い月光の下に、二つの金色が揺れ、輝く。やがて、間近で京太郎の頬に赤みが差すのを確認してから、透華は一言。

 

「あら、意外と可愛らしいのですわね」

 

 殿方はもう少し厳しいものかと思っていました、と続ける透華の言葉に、呆けた京太郎はハギヨシさんだって厳しくないのではないかと、間抜けに考えるばかり。

 だから、透華が相手は年下だからと羞恥心と心の枷を無理に振りほどいて、生まれて初めて気になる男子に触れてみたのだと、そんなことは想像もつかなかった。

 

「ふふ。なんだか、今日は月が綺麗ですわ」

 

 周囲に溢れ、目の前で際立って咲く高貴な絢爛を前に、京太郎は沈黙する。彼は夜空を仰ぎ見る彼女に何と返事をしていいか、思いつかずに。

 月より美しい花をただ、見つめて愛でる他には何も出来なかった。

 

 

 




 遅く、そして長い内容になってすみませんでした。

 今回で第二章が終わりですね。そして、次は清澄のヒロインが主体で他の人物が交じる形の、三章に移ります。

 今回のダイス、予定していた話の都合で咲さんのように特殊に判定を二回したキャラクターが居ます。そうしたら、当然のように予想が外れた数字になって、大変苦労しました。

 ダイスの結果……龍門渕透華 05~97

 この極端、うまく表現出来たか自信はまるでありません。最後の下りを書き始めるギリギリまで、79だったことにしてしまおうと、耳元で悪魔が囁いていました。

 他の方々は、こういう風になっております。

 天江衣 77
 井上純 76
 国広一 39
 沢村智紀 83
 ハギヨシ 76
 杉乃歩 54

 龍門渕は全般的に数字が高く、大変でした。

 今回スペースが足りず、京太郎が衣の心を解きほぐした出会いは、番外編になると思います。

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