「お前…いくらなんでも、だらけすぎだろ」
「あん?」
俺の言葉に天井を向いていた頭をさらに傾け、顔を逆さまにしながらこちらを見る加奈子。
そして警戒の視線を俺に向けて、加奈子にすがりつくブリジットちゃん。
「お、お兄さん、誰ですか?」
「えっとね。俺は…」
「関係者以外立ち入り禁止だぞー、ここは。きもオター」
ブリジットちゃんに説明しようとした俺の言葉をぶった切る加奈子。
だれがきもオタだっ!
「き、きもオタっ!?」
加奈子の言葉で警戒から怯えに視線を変化させたブリジットちゃんが加奈子の後ろに姿を隠してしまう。
この野郎、なんて呼びかけをしやがんだ。いたいけな少女を怯えさせるんじゃねえよ! しかもブリジットちゃんがきもオタなんて言葉を覚えちまったじゃねえか。こいつは…なんて情操教育に悪い奴なんだ。
俺は加奈子を睨みつけながら怯える少女に必死で説明を開始する。
「ち、違うからね。俺はそこのお姉さんの知り合いだからね。きもオタなんかじゃないよ」
「ほ、ほんとうですか? かなかなちゃんのお知り合いの人なんですか?」
俺の言葉に恐る恐る顔を出して、加奈子に確認を求めるブリジットちゃん。そんな彼女を尻目にお腹を押さえてケラケラと笑い始める加奈子。
「くはっ、京介、ちょー焦ってやがる。くそダセえー。あっはっはっは」
俺が少女相手に必死になって誤解を解こうとする様子が面白かったのか、そのまま笑い続ける加奈子。椅子にもたれかかるバランスの悪い体勢でよくもまあ転ばないものである。
こ、このクソガキッ、そのままバランス崩してずっこけやがれ!!
しかし俺の願いも虚しく、絶妙なバランス感覚を維持して笑い続ける加奈子。せめてもの救いは、加奈子の笑ってる姿を見たブリジットちゃんが俺への警戒を解いてくれたことである。…まあその警戒の原因を作ったのは
とりあえずブリジットちゃんの警戒も解けたようだし、加奈子へ祝福の言葉を送るか。
「はぁーー、まあとりあえず優勝おめでと」
俺は溜息を吐きながら加奈子にお祝いの言葉を告げる。本当ならもっと感嘆の思いをもって言葉を伝えたかったんだが、なんで呆れ交じりの言葉になっちまってるんだろうな?
「んっだよっ! 京介、優勝者への敬意がたんなくねーか?」
俺の態度にやはりというか加奈子が不満を洩らしてきた。椅子の背もたれに負担をかけていた体勢を直し、机の上に乗せていた足を振り上げた反動で器用にくるっと椅子を180度回転させ俺に向き合った加奈子が頬を膨らませている。
「仕方ねえだろ。俺だってもっと素直に祝福したかったよ。だけど、だらけきった姿で小さい娘泣かせてるの見たら素直に称賛なんて出来ねーよ」
これもギャップというものだろう。こちらの方が普段の加奈子らしいのだが、ついついステージの凄さを見せつけられた後だと、素行の悪さが際立って見えてしまったのだ。それにこいつ、人をきもオタ扱いしやがったしな。
しかしそんな俺の態度が気に入らないのか、加奈子は不満をぶつけてくる。
「けっ、そんなの、しるかよっ! こっちはあんなたりーステージ出て、疲れてんだぜ。だらけようがどうしようが、あたしの勝手だろーがよっ!! …つぅーかよ、あやせがいねーのはどうしてだよ?」
「っあ」
加奈子の言葉に俺は言葉を詰まらせた。しまった!? あやせが来れねー理由考えてなかった。と、とりあえずなんとか場を繋げねーと。
「あーーー、あやせはいまちょっと…手が離せなくて、来れねーというか……」
「はぁ? なんだそれ。ふざけてんの!? どういうことだよっ!?」
加奈子がより不機嫌そうに怒鳴ってくる。
あやせが来れないのには事情があるが、加奈子からしたらそんな事は関係ない。友人に頼まれて見事に優勝してきたにも関わらず、頼んだ友人は来ず、知り合いに文句を言われる、こんな状況では考えてみたら気分を害しても仕方ねえよな。
それに考えてみたら神経の太そうな奴ではあるが、あやせと同じまだ中学二年生の女の子だ。それが突然のステージデビューである。ストレスが溜まっていて当然なのだ。そのことに思い至った俺は自然と頭を下げた。
「いや、その、すまない、加奈子」
「ちっ」
俺の謝罪に舌打ちをする加奈子。やっぱりあやせがいないのが気にいらないのだろう。このままだとこいつとあやせの仲に亀裂ができちまう。でもほんとの事を言うわけにもいかねーし。
…ここはあやせの為にも兄貴の俺が頑張るところだよな。
しっかしどうするか? そう言えば…こいつ俺の事をオタクと思ってるんだよな。……なら。
俺はその場で床に正座して深々と加奈子に向かい頭と両手を下げていく。要は土下座である。
「ほんとにすまない、加奈子。あやせはいま俺の代わりにここでしか売ってない限定品を買いに行ってもらってんだ。それがすげぇー行列でこっちにこれなかったんだ」
「おぃ、京介何してん…はぁ? なに? マジ言っててんの? そんなのの為に来れねーってマジかよっ!?」
俺の土下座に一瞬ひるんだものの、俺の説明を聞き、よりいっそう怒る加奈子。
だがこの反応は予想通りだ。だから俺は続けて言葉を重ねる。
「怒るなら俺に怒ってくれ。どうしても手に入れたくて、あやせに無理矢理頼み込んで、代わりに並んでもらってるんだ」
「だから、ふざけんなっ!! つまりそれはあやせが、あたしよりてぇめーの下らねー要件を優先したってことだろっ! マジ、ざっけんなっ! つぅーか、そんなに欲しいもんならてぇめーが並べばいいじゃねーかっ!!」
椅子から立ち上がり、顔を赤くしてより一層憤りをみせる加奈子。
ここだ! ここで起死回生の一発を見せるんだ!! 感情を高ぶらせた加奈子に対して、俺は下げていた顔を上げ、気持ちが声に乗るように大きく叫ぶ。
「俺が並ぶんじゃあ、ダメなんだっ!! あやせに頼みこんだ理由は俺が加奈子にどうしても会いたかったからなんだよぉぉっ!!」
「うぇ!? …はぁ? どゆこと?」
俺の剣幕に怒っていた加奈子も毒気を抜かれたのか? きょとんとした表情になる。ちなみにその傍にいるブリジットちゃんは先ほどから俺たちのやり取りで泣きそうな顔をしていたのだが、いまはびっくりした顔で固まっている。目の前で年上の人達が喧嘩の様な雰囲気になったら小学生からしたら恐怖だよな。しかし彼女には悪いけど、もう少し我慢してもらおう。くそっ、俺もたいがい情操教育に悪いよな。
「よーーーく聞けよっ! 加奈子のメルル姿が凄すぎたっ!! 出番前に控室で見た時もすげぇと思ったけど、ステージ上でのお前のパフォーマンスはもう別次元だった。ちょぉぉぉぉぉぉぉーーーーー萌えたっ!! 俺の大好きなメルルがまさにここに降臨したと思ったね。その姿を見たら居ても立っても居られなくなって、お前が着替えちまう前にどうしても会わねえと気がすまなくなっちまったんだ! だけどだ、ここでしか手に入らない限定品も逃す訳にはいかなくて、泣いてあやせにすがりついたんだよっ!!! もう一度言うぞ、俺はどうしてもメルル姿のお前、そう、かなかなちゃんに会いたかったんだぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーっ!!!!」
俺の魂の叫びに室内に沈黙が訪れる。目の前の加奈子は…ああ、ドン引きしてるな。ブリジットちゃんはポカーンとした顔をしているな。
「きもっ」
長い沈黙を破ったのは、そんな加奈子の一言。
ううぅ、すでに俺の心が折れそうだ。しかしそんな俺の事情をこいつが汲んでくれるわけがない。
「うげぇー、マジでキモい。信じらんねーマジできもオタだし、こいつ。普通そんなことぶっちゃけねぇだろ? うわぁー兄貴がこんなのって、あやせ可哀想すぎだろ。つぅーか、加奈子様の3メーター以内に近寄んなよ。きもオタがうつるだろ」
しっしと手を振りながら俺を罵倒する加奈子。こいつマジで容赦がねーー。だけどあやせへの怒りはなくなったみたいだな。むしろ俺のような兄貴をもつなんてと同情的だ。
…これでいいんだ…心に傷を負いながらも俺は自分自身を納得させる。しかし悲劇はまだまだ終わらない。
「お兄さんて、ほんとにきもオタさんなんですね?」
俺に止めを刺してきたのは加奈子でなくきょとんとした表情の純真な少女であった。やめてくれ、ブリジットちゃん、俺のライフはすでに零なんだよ。
「くはっ、そうだぞ。近づくなよ、こんな変態に近づくと何をさっれっかわかんねーぞ。ぷっぷっぷっ」
少女の一言にがっくりと項垂れた俺の姿を見て、笑いをこらえながらブリジットちゃんに注意を促す加奈子。
「? 何かされちゃうんですか?」
「そうだなー、エロい事じゃね? だって、ぷはっ、そいつ変態だしな、ひひっ」
「え、えっちな事ですか!?」
勝手なことを言ってんじゃねーーー!! 俺が落ち込んでいる横で何を吹き込んでやがんだ、こいつは!? ブリジットちゃんが赤い顔で目を丸くしてんじゃねーかっ!
「しねえよっ!! お前は俺をどんな目で見てやがんだっ!」
「どんな目って、そりゃ? 加奈子様のコスプレ姿を見たいために、妹にパシリをさせる…あーーー変態のろくでなし?」
「ぐはぁっっ」
あらためて言葉にされると、何も反論が出来ねーダメ人間だった。加奈子にきもオタ呼ばわりされても仕方ない所業を俺は告白していた。
「ほれほれ、どした。反論してみーろよ。ぷぷぷっ」
再び膝をついた俺の姿に、ここぞとばかりに追撃をしてくる加奈子。俺の前でしゃがみ込み、指先でつむじを突っついてくる。おそらくその表情はにやにやとほくそ笑んでるに違いねえ。
頭をつつくんじゃねーよ、このクソガキっ! パンツ覗いてやろうか、こいつ!!
がっくりと項垂れている俺には加奈子のつま先しか見えないが、メルルのあんな短いスカート姿で座り込んでいれば、俺が顔を上げた瞬間にパンチラどころかパンモロな状況になるのは簡単に想像が出来てしまう。
…まあ紳士な俺はそんな事しねえけどな。それに加奈子のようなちんちくりんのパンツみてもだしな。
「んん? どしたよ京介。なんも言えねえのか? けけっ」
「……そんな恰好でしゃがんでるとパンツ見えるぞ」
俺は項垂れた体勢を維持したまま加奈子に忠告をしてやる。
「ぅなっっっっ!?」
慌てた様子で立ち上がる加奈子。やれやれようやく頭を上げられ………
「っごばぁっ!?」
顔を上げようとした俺は後頭部からの衝撃により、床にキスをする羽目になった。加奈子が俺の頭を踏みつけたのだ。
鼻ぁっ、鼻がぁぁぁあぁぁーー!? 俺は床の上をゴロゴロとのたうち回る。
「てっ、てめぇーーーっ!! なにしやがんだぁぁぁ!」
「うっせぇーーっ! 死ねっ、この盗撮魔、変態、死ねっ!!」
「誰が盗撮魔だっ!! ふざけんなっ、見ねえように注意してやったじゃねーか!」
「加奈子様のコスプレ姿を見たいために暴走するような奴の言葉を信じれるか! 死ね、死ね!」
「痛っ、マジで覗いてねーつうの。いいからやめろ!」
俺は左手で鼻を押さえながら、ローキックをかましてくる加奈子の肩を右手で押しやった。幸いな事に鼻血はでていないようだ。
「うーーーーーー、マジだろうな? 嘘だったらあやせに言いつけっからな」
顔を赤くして俺を威嚇してくる加奈子。こいつでも乙女の恥じらいってあったんだな。そしてあやせに言いつけるのはやめてくれ、殺されちまう。
「本当に見てねー。あやせに誓ってもいい」
「…まあ信じてやんよ。しっかしそこで神じゃなくて妹に誓うって、てめぇほんとにシスコンだよな」
「っぐ」
加奈子の台詞に思わず言葉に詰まってしまう。
「にっひひっ、オタクの上にシスコンこじらせるって、京介マジヤバだよなー」
「ぐぅぅぅ」
せせら笑う加奈子に俺は悔し気に唸る。実際に口を滑らせちまった以上、反論ができねー。
俺が顔を顰めていると。
「かなかなちゃんとお兄さんって、ほんとに仲良しなんですね」
俺たちの行動を見ていたブリジットちゃんがにっこりと微笑みながらそんなことを言ってくる。
「はい?」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁー? なに言ってやがんだよ。こんなきもオタと加奈子様が仲良い訳ねーだろっ!」
そんなに目一杯否定されるとムカつくが、そうだぜブリジットちゃん、人をきもオタ扱いするクソガキなんかと仲良い筈が無いだろう。
俺が内心で加奈子の言葉に同意を示していると、彼女がそれを否定する言葉を投げかける。
「そうですか? お兄さんと話してる時のかなかなちゃん、とっても楽しそうですよぉ?」
「うなっ!?」
「はじめはかなかなちゃんが怒鳴ったり、お兄さんが叫んだりで怖かったんですけど、二人の話してる姿がお父さんとお母さんみたいだなって…」
「……」
えへへ〜、と屈託の無い笑顔で告げてくるブリジットちゃん。
やべぇ、天使だ。こんなところに天使がいるよ。こんな可愛い妹が欲しい。いや、あやせも可愛いマイエンジェルだよっ? だけど別種の可愛いさというか、あやせが美しさをそなえた凛とした可愛いさとしたら、ブリジットちゃんは癒し100%の可愛いさというか…
いや、ごめんなさい、俺の妹はあやせ一人だよ。だからあやせ、脳内で膨れっ面で睨まないでくれ。それとなんで桐乃と黒猫お前らまで参加してるんだ? お前らは俺の妹じゃないだろっ!?
俺が脳内で葛藤していると、ブリジットちゃんの台詞で硬直していた加奈子が復活を果たして、無邪気に微笑んでいる小学生につかつかと近づき柔らかそうな頬っぺたをつねりあげた。
「っな、な、なんでこんな奴と夫婦扱いされなきゃなんねーんだ。てめぇ、年下の癖に生意気だぞ。このっ、このっ」
「いふぁ、いふぁいよ。ふぁなふぁなひゃん」
「うるせー、悪い子にはお仕置きが必要なんだよ」
「わひゃし、にゃにもわりゅいこちょひてにゃいよー」
いかん、加奈子の魔の手から
「やめい、可哀想だろ」
「ふぎゃっ、痛ってーーな、何しやがる!!」
悲鳴? を上げ頭を両手で押さえた加奈子が振り返って文句を言ってくる。そんな加奈子へ俺は呆れたように告げる。
「こんな小さい娘をいじめてんじゃねーよ」
「へん、ばっか、おめぇ、いじめじゃねーよ。これは社会の厳しさを教えてんだよ!」
「はぁ? なにが社会の厳しさだよ。ただの憂さ晴らしだろ?」
「違ぇーし、これは躾けだっつうの! だいたいこれは、あたしがなんかしたらあやせがしてくるのを真似ただけだぞ!」
あーー、たしかに前にあやせに抓られたな、こいつ。
「…いや、あやせにやられてるのはお前の行動が悪いだけだろ?」
「んっだとぉ!?」
俺たちが言い合いをしている隙に加奈子の魔手から逃れたブリジットちゃんが俺の背中に逃げ込んでくる。抓られた両頬を押さえ目尻に少し涙を溜めて「うーーー」と唸っている姿はとても庇護欲をそそられる。まかせろお兄さんが君の事は必ず守ってやる!!
しかしそんな俺の決意に半眼になった加奈子が水を差してくる。
「……てめぇ、きもオタ、シスコンだけじゃなくて、ロリコンもなんて…マジ救えねえな」
「人聞きの悪いこと言ってんじゃねぇぇぇぇぇぇぇっ!? だいたいなんでそんなのが出てくんだよっ!!」
このご時世それはシャレにならねーーからなっ!?
「ブリジットを見つめるてめぇの目が気色わりぃーー」
「マジでドン引きしてんじゃねーーーよっ!? それは完璧に誤解だ! 冤罪だからなっ!」
後ずさりをする加奈子へ俺は必死に呼びかける。
だいたい気色悪いって、俺はただ兄的視点でブリジットちゃんを見ただけ……って、さっきから彼女を妹扱いしようとすると謎の悪寒が走るんだがっ!?!?
まあそれはともかく、誤解を晴らす為に加奈子の目を真剣に見つめる。
「……」
「……」
「…マジで違えのか?」
「ああ、あやせに誓う」
「そこで妹に誓うってマジシスコン…あれ? さっきもこのやり取りしてね?」
「おう、したな。だからもうそこはスルーしてくれ」
誤解は解けたようなので、俺は深々と嘆息を吐いた。なんとかひと段落ついたので、俺は先ほど伝えそこなった素直な称賛を加奈子に送る。
「あらためてだけど、優勝おめでとう、加奈子。正直、マジで凄かった。鳥肌もんだったよ」
「ふぇ? …べ、別に、加奈子様からしたら、当たり前の結果だし。にっひひっ」
俺の言葉に対してちょっと驚いた顔をした後、嬉しそうに笑う加奈子。やれやれ最初からこのやり取りをすれば良かったのに、ずいぶん遠回りをしちまったな。
「ほんとスゲーよお前。振り付けとかどうやって考えついたんだよ。あれやばかったぞ」
「振り付け? 別に特に考えてねーよ。あんなんテキトーに曲のリズムに合わせりゃできんだろ?」
「マジかよっ!?」
普通は出来ねーよそんなこと!? さっきも思ったけど俺の周りは才能がある奴が多すぎねーか?
「お前ってアイドルとか向いてるのかもな? ステージ上でいい顔してたぜ。観客の声援とか気持ち良かったんじゃねーか?」
「ああ、あれは確かに……いや、ねーしっ! きもオタ共の声援なんかで気持ちよくなるわけねーだろ! ま、まあ、加奈子様がアイドルっていうのはわかっけどよ」
口では否定しながらも先ほどの事を思い出しているのだろう。加奈子が口元を緩めて顔を上気させている。…素直じゃない奴だ。こういうのをツンデレというのだろうか?
「アイドル? かなかなちゃん、アイドルになるんですか?」
俺たちがたわいのないやり取りをしていると、俺の背後に避難していたブリジットちゃんが目をキラキラさせて加奈子に近寄っていく。
「んだ? お前まで、なんねーよ。オタク共に媚びるなんて真っ平ごめんだね。ただ加奈子様がアイドルの様に可愛いって話だけだし、きししっ」
いや、嬉しそうに笑ってるところ申し訳ないが、アイドルとか向いてんじゃねーのか? って話を振っただけで、お前がアイドル並みに可愛いなんて話はしてねーぞ。
俺が呆れた目で見つめていると、加奈子の返答を聞いたブリジットちゃんが不満の声を上げる。
「えーーー、ならないんですか。ステージのかなかなちゃんとってもすごくて、とってもカッコ良かったのにーー」
「にっひっひ、なんだおめぇーわかってんじゃん。でも加奈子様はお安くねーんだよ」
ブリジットちゃんの言葉を聞き、テンションが上がったのか? 加奈子が笑いながら彼女の頭を撫で繰り回している。褒められて嬉しいのはわかるがやめてやれ。彼女、頭をぐらぐらさせて「あう、あう」言ってんじゃねーか。
「そこらへんでやめとけよ。目を回してるじゃねーか」
「んっだよ。せっかく加奈子様がサービスしてやってんのに情けねぇ」
言葉は相変わらず粗野な物言いだが、ふらふらしてるブリジットちゃんを見てばつの悪い顔をするあたり加奈子もなんだかんだでこの娘を気に入ってるのかもしれない。
「うぅー、世界がぐるぐるしますぅー」
加奈子から解放されたブリジットちゃんが頭を左右にゆらゆら振りながら弱音を呟く。その様子は彼女には悪いのだが、とても可愛らしい。やっぱり俺の妹に……妹? そういえば、あれから結構時間たっているが、うちの妹様はどうしたのだろうか? いまだにこちらに現れないあやせの事を思い出して俺は顔を顰めた。
あいつ…完全にこっちの事を忘れてやがるな。桐乃を連れて行ったあやせの姿を思い出して俺は考える。あやせが説教モードになると長いからな。…前に二時間正座させられた事もあるし。そうなるとこの控室にもずっといるわけにもいかねーし……
「加奈子…」
「おう、どしたよ?」
俺の呼びかけに上機嫌で応える加奈子。これからこいつの顔をまた曇らせると思う心苦しいが、あやせが来れるかどうか分からない現状を放っておく訳にもいかない。
「すまない。俺の我儘のせいで、あやせが間に合わないかもしれない。いつまでもここにいたらマズいんだろ?」
「あーー、ちっ、そうだよな。もう着替えねえとヤベーよな。やい、こら、どーしてくれる責任とれよ」
「……ほんとに申し訳ない」
加奈子の言葉に頭を下げ続けるしかできない。そんな俺の態度に業を煮やしたのか加奈子が叫ぶ。
「あーーーーーーーーー、もう、くそっ!! いいから頭上げろよっ! 仕方ねえ、特別に許してやんよ。加奈子様はファンに優しいかんな。くそキモいシスコンだけど、ファン1号だしな。マジ特別だかんな。感謝しろよ!」
まさかあの加奈子がこんな簡単に許してくれるなんて。俺は目を丸くして彼女を見つめる。
「あんだよ。なんか文句あんのか?」
じろっと俺を睨む加奈子に、俺は慌てて頭を振る。
「ないない。文句なんてねぇーよ。サンキューな加奈子」
「ふんっ、ならさっさと出てけよな。覗こうなんて考えんなよ、変態兄貴」
俺の感謝の言葉に憎まれ口で返してくる加奈子。上げた好感度をすぐに落としてくる…まあこいつらしいっちゃらしいか。
「へいへい、了解、了解。覗いたりなんかしねーよ」
そう言いながら俺は彼女たちに背を向けて控室のドアへと足を進めた。
「あっ!? そうだ。ちょっと待った、京介」
ドアノブに手を掛けたところで加奈子からストップを掛けられた。いったいなんだ? 覗かれねえか心配だから出てく前に目隠しに手錠をしろなんて言わねえよな?
「手錠は嫌だからな。目隠しまでなら、まあいいけどよ」
俺の譲歩に呆れた声を出す加奈子。
「はあ? なに言ってんだ、お前?」
「いや、すまん。何でもない忘れてくれ。んで、どうしたんだ?」
どうやら先走っちまったみてえだ。というかなんで俺も手錠目隠しなんて出てきだんだ? …まあいいか。深く考えたらいけねえ気がする。
「こ、これはあやせへの仕返しだかんな。クソ兄貴の頼み事優先させて、あたしを蔑ろにしたあやせへの復讐だかんな。勘違いすんなよ」
何かよく分からない事を言いながらつかつかと俺に近寄ってくる加奈子。
「あやせへの復讐? どういう事だ?」
なんか俺にしてくるのか? それがあやせへの仕返しになる? 俺が混乱しているといつの間にか目の前に加奈子が来て、俺の胸に何かを押し当てた。
「来ないあいつが悪いんだからな。まあ、それにサプライズしねえって言ってたしよ。ほれ、てぇめえが欲しがっていたもんだよ。こんなもん欲しがるなんて、マジできめぇーよな」
「あーーーーー、それってEXメルル・スペシャルフィギュアだぁー! かなかなちゃん、お兄さんにあげちゃうんですか!?」
ブリジットちゃんの驚いた声を聞きながら、俺は軽い衝撃を感じた胸元を見ると、そこには大会の優勝商品であるEXメルル・スペシャルフィギュアが押し付けられていた。
あっけに取られている俺に加奈子が早口でまくしたてる。
「加奈子様からじゃねーからな。あくまであやせに頼まれたもんを渡しただかだかんな。そこんとこを勘違いすんなよ。まあもちろんあたしの力がなければ到底手に入らないもんだからよ。そこんとこはすげぇー感謝してもいいんだぜ。具体的に言うとなんかおごれ! あと、ほんとはあやせが手渡すのが筋ってもんだけどよ。それを加奈子様が渡しちまうってのが、けけっ、仕返しって奴だ! んん、ま、まあてぇめーにも、世話になってねえこともねえしな……やっぱ、無しだ。無し。とっとと受け取れよっ!!」
「…おう、ありがと」
俺は力なく感謝の言葉をのべ、フィギアを受け取った。
今更ながらだが、罪悪感が湧いてくる。これはあやせに頼まれたとはいえ加奈子が俺にくれたものだ。しかしそれを俺が受け取るわけではないのだ……正直なところ、このプレゼントが俺への物というのは加奈子の勘違いから始まったものではあるが、俺たちはその勘違いを利用して彼女を騙してしまったのだ。遅まきながらそのことに気が付いた俺はひねくれながら恥ずかしそうにする彼女の顔を見つめることができない。
そんな俺の態度に加奈子が表情を曇らせる。
「んっだよ。やっぱし、あやせからじゃねーと嫌だったのかよ…」
馬鹿野郎か、俺はっ!! てぇめーの都合で俺たちの為に頑張ってくれたこいつを悲しませてるんじゃねーよ! 騙すなら最後まで騙しきれ。嘘を吐くなら、最後まで嘘がばれない様にしろ。しっかりしろよ、俺!
「なに言ってんだよ。超ーー嬉しいに決まってんじゃねーか! ただ、まさかお前が俺の為にここまでしてくれるなんて予想外過ぎただけだっつーの。くぅぅーー、EXメルル・スペシャルフィギュアをまさかこの手に収めることができるなんてほんと最高だよ。マジサンキューな加奈子」
俺は笑顔を浮かべ加奈子の頭をガシガシと撫でながら感謝する。笑顔がちゃんと出来ているか不安におもいながら。
「だから、おめえの為じゃねーつったろ! 勘違いしてんじゃねーー! あやせの為…じゃなくてケーキを奢ってくれるつーから仕方なくだってーの」
こいつはほんとに素直じゃない奴だ。俺の為は違っても、あやせの為にはほんとなんだから認めればいいのに。
「素直に感謝を受け取れよ。……いやほんとに感謝してんだぜ」
加奈子の様子に俺は先程とは違う心からの笑みが溢れる。
「あーーー、もう、いい加減っ、手を離しやがれ!」
「あぅ、せっかくいい雰囲気だったのにー」
加奈子が頭に乗せられていた俺の手を払いのけ、顔を赤くして怒っている。やべえ、また調子に乗っちまったか?
なにやら後ろで残念そうに呟いているブリジットちゃんも気になるが、これ以上加奈子の機嫌を損ねる訳にはいかない。
「もう用事は終わったんだから、さっさと出て行け」
「あ、あぁ、じゃあ、また後でな」
下手な言葉だと余計に不機嫌にしちまうかもなんで、俺は無難な返事をする。
「ふんっ、もう戻って来なくていーぜ。あたしもこのまま帰んしな」
「えっ、はぁー? 帰るって、あやせ待たねえのか!?」
やばい、本気で怒らしちまったか。俺は顔を青くする。
「あやせによろしくなーー、って、おいおい、なんて顔してんだよ。情けねーツラすんなよ」
「いや、だってよ。やっぱ、あやせじゃなくて、俺が来た事に怒ってるんだろ?」
「しつけーよ! それはさっき許したじゃねーか! 別にキレて先帰るって訳じゃねーよ。このままあやせ待つのもだりーし……おっ? まてよ、怒って帰った事にすれば、ケーキ奢る回数増やせんじゃね? 京介、やっぱキレて帰ったって、あやせに言っといて、にひひっ」
名案を思いついたと言うように悪い顔で笑う加奈子。
ああ、うん、これもう気を使う必要はねえな。彼女の様子に肩透かしをくらい脱力する。
「はぁーー、わかったよ。待つのが面倒になったから帰るって伝えておくよ」
「あーーーー、てめぇ、賞品やった恩忘れやがって!? 仇で返すなんて、ふざけんなっ!」
「うちの妹にたかるのを俺が見過ごす筈ねえだろ?」
「うーーー、このシスコン! 変態っ!」
「なんとでも言え。あーーーー、ただなんだ……あやせにたかるのは許せんが、ケーキか? それなら俺が奢ってやるよ。これ貰ったしな」
この辺りが落とし所だろう。実際に加奈子にはもの凄い感謝してるしな。それにこいつとはこの位の軽口を叩きあえる関係が一番いいしな。俺はEXメルル・スペシャルフィギュアを掲げながら彼女に告げる。
俺の言葉に顔を顰めていた加奈子が一瞬驚いた顔を見せた後、破顔する。
「オッケー、交渉成立だぜ。にひっ、ちゃんと奢れよ。嘘は許さねーからな! あーー、なに食うかなぁー」
「了解、了解。あんま高えのは勘弁だからな。それじゃあ、今度こそ行くからよ。加奈子、今日はマジでサンキューな。ブリジットちゃんもそれじゃあね」
俺は楽しそうにケーキを夢想している加奈子へもう一度感謝の言葉を述べ、ブリジットちゃんへ挨拶をして控え室を後にする。
「おうよ。じゃあ、またな、京介」
「あっ、お兄さん、さようならです」
彼女たちのそんな言葉を背に俺はパタンとドアを閉じた。
また期間があいてしまいすみません。
加奈子から説教中のあやせの代わりにフィギアを受け取るだけが、なんでこんなに長くなってしまったのだろうか?