護衛艦でいず! 作:角煮か?
混濁した意識がゆっくりと浮き上がる。太陽の光が目に染みた。
「……う」
目覚めと同時に喉の渇きを自覚する。目やにが張り付いた瞼をこすり、何度か目をしばたたかせた。
どうやら医務室か何かのようだ。ツンと鼻を衝く薬品の匂い。磨かれたリノリウムの床。他にもベッドはいくつか並んでいるが、使ってるのは自分だけのようだ。
「……どこだここ」
記憶は未だ蘇る兆しもない。俺はベッドから降りて裸足でペタペタと歩く。部屋の隅に備え付けられた鏡が視界の端に入り、立ち止まってそちらに向き直る。
「………」
そこに映るのはなにも着てない少女の姿だった。染み一つない肌と、燃えるような真紅の髪の毛。目は血のように鮮やかだが、抜け切らない眠気のせいでトロンとしている。
「……やはり性別が」
自分が男だったという確信だけは何故かあった。そんなものあっても何の意味もないけど。
そのまま何をするわけでもなく、バカみたいに突っ立ってボーっとしていたら、扉の外で人の気配を感じた。
「あ」
ノックもないまま開け放たれ、入ってきたのは白い軍服を着た男。何も身に着けてない俺を見るなり、目を見開く。
「失礼した」
それからテープを逆再生するように、素早く扉を閉めて出ていった。
「……さっきは悪かった」
場所は変わらず医務室。俺は枕元に置かれていたセーラー服を着込み、ベッドに座って頭を下げた男を見上げた。
年は若い。20代くらい? 黒の短髪に黒い瞳。かなり日本人離れした俺とは異なり、典型的な日本人の容姿だった。
「別に気にしてないよ」
隣にはどこか俺と似た姿の少女が立っている。他人の空似、というよりは姉妹的な血の繋がりを感じずにはいられなかった。
「俺の名前は岩崎タイチ。ここ、江ノ島基地の責任者だ。みんなからは提督や司令官って呼ばれてる。好きなように呼んでくれ」
江ノ島、基地? 江ノ島と言う地名は記憶の片隅にあったが、基地って何だろう。
「私は菊月だ。睦月型駆逐艦の九番艦になる」
そして隣の女の子が名乗る。菊月……これもどこかで聞いたような名前だ。
「―――」
こっちも名前を告げようとして、自分の名前すら忘れている事実に気づく。どう説明すべきかと迷っていると、ある単語が思い浮かんだ。
「俺は、ゆきづき……」
ゆきづき。それが名前なのかどうかは分からない。ただ自然と口をついて出てきた。
「ゆきづき……貴艦はイージス艦で宜しいのか?」
「イージス艦? ――いや、何の事なのかサッパリ」
聞いたことはある。でもそれは船を指す言葉のハズ、だ。俺を示してイージス艦ってどういうことか。
「……よもや、記憶喪失ではあるまいな?」
慎重に訪ねてくる岩崎に俺は無言で首肯した。
「建造システムエラーの弊害か? だがこのような事例は――」
「司令官。元々、私たち第一世代の艦娘は前世の記憶を明確には持たない。時間を置けば――」
何やら話し込み始めた二人をぼんやりと眺め、それから興味は窓の外に向く。青い空と光を反射してキラキラ光る海が見える。江ノ島基地の名の通り、海岸に極めて近い場所にあるようだ。
もっとよく見たいんだけど……ここからじゃ見えないか……
「ん?」
と思った瞬間だった。音もなく光が瞬き、左目を何かが覆う。更に前頭部の周りにもよく分からないが、奇妙なものが出現したようだ。耳に触れば先程までなかったハズのヘッドフォンらしきものまで装着される。
「何これ」
頭の周りを触ってみる。冷たい、金属のような触感。そして左目のゴーグルか何かに文字が流れてくる。
「イージスシステムベースライン、きゅうしー……起動。エスピーワイ、ワンディ、正常稼働?」
魔法の呪文のような文字の羅列。だがその効果なのか、急激に視界が拡大した。360度、人間の目の位置や視力的に絶対に見えない範囲まで、ハッキリと見えてくる。
波立つ海面、空を舞うカモメ、基地内で動き回る人の影……望遠鏡なんて比べものにならない。
「う、気持ちわる……」
ただ飛び込んでくる情報量が多すぎる。テレビの全チャンネルを同時に見るような、左右の手で別々の絵を描くような、とにかく精神的な不快感に煽られ、たまらず頭を抱える。
途端に現れていた物体は消滅し、視界の範囲も元に戻った。
「何なんだ、今の」
頭を軽く振り、視力の変化に追いつけずピントがぼやけた目をさする。
「イージスシステム、SPY-1D……間違いない、イージス艦だ」
「え?」
岩崎の震える声に俺は顔を上げる。
「やれやれ……だな」
彼は困ったように頭を掻いていた。