01:Travel――Trouble
魔術師とは、魔術を以って根源を追い求める者の総称である。
根源への挑戦者が魔術師であり、ありえないということに挑むのが魔術という学問の本質である。
それは時として、一般社会の倫理を無視するのも厭わないものである。
目的のために手段を選ばない。
例え。一般人の命を犠牲にしてでも、それが根源に繋がるための要素となるなら。或いは実験に必要ならば、魔術師は何の躊躇いもなく人間を実験動物にする。
(…………まただ)
そして。男が一人薄暗い部屋の中で、手術台を思わせるような長机の上に載せられた魔術の実験器具を前にして、顎に指を当て思案する。
(まただ。まだ何かが足りない)
男は根源を求めていた。
それは魔術師であるが故に当然のことだ。
男は名門の魔術師の家系に生まれたものだ。
男でその家の代は九代目になり。また、男は一族の歴史の中でも飛びぬけて優秀であり、根源へ至れるのも夢ではないのかもしれないといわれた。
無論、それはただの軽い冗談のようなものだったが。男にとってはそうではなかった。
自分が出来る。自分だけが出来る。誰も為し得ない、為し得なかったことを自分なら出来る。
周りの期待は男にそんな妄念を抱かせ、妄念はやがて信念となり、信念が当然となった。
だが当然。根源というのは容易く辿り着けるものではない。
それでも男は迷わず進んだ。
例え自分以外の血族を葬ったとしても。男は何も思わない。
精々、至るための幾つかの可能性を試し、それらがダメだった程度にしか。
それからも男は。己の知る限り全ての方法を試した。
だがそれら全ては無駄に終わった。
(何だ。何が足りない……?)
魔術回路は誰が見ても優秀といわれるほどの本数を有している。
儀式も、何一つ間違ってはいない。
男はそれを「至るためには足らなかったモノ」と認識し、誰に当り散らすでもなく粛々と受け止めていた。
「…………ふむ」
男はそういって、近くの薬品棚を開ける。
その中の一つの小瓶を取り出し、後ろを振り返る。
「……アプローチの仕方を変えてみる、か」
そこには、虚ろな眼をした数人の男女が虚空を見つめていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
カタンカタン、とリズミカルな枕木の音が木霊する。
列車の一等客室のソファに座りながら、読書をしているのは白髪の少女。オルガマリー・アニムスフィア。
その表情は、いつもの険のあるようなものではなく。歳相応の少女の顔つきだった。
本を読む。この時間が何よりも好きな彼女だが、今日はそれだけが上機嫌の理由ではない。
先日。同期のキリエより送られた列車のチケット。行き先は、風光明媚な街ウェールズ。
オルガマリーが一度は行ってみたいとキリエに話していた。
おそらくキリエの性格からして、その話を覚えていたのだろう。ご丁寧に往復でのチケットを用意してあった。
その日の夜。父であるマリスビリーも帰ってきた。
どうやら現在かかっている仕事が一段落したようで、また時計塔の講師の仕事に戻るそうだ。
マリスビリーが講師としている間は、オルガマリーも一生徒。
そして。娘の偶の羽目外しを容認しないほど、マリスビリーは親の情を捨ててはいなかった。
二泊三日ではあるが。偶の休みを大いに活用しない手はない。
一人で観光を楽しむか。或いは出先で、掘り出し物を見つけてみるのも面白そうだ。
現在時刻は午後四時を少し回ったところ。
少しだけ出るのが遅くなってしまったのは、講師としての引継ぎと、父が研究で使っていた道具の中で、使わないものを選別し仕舞う手伝いをしていたため。
あと二時間もすればウェールズには到着する。
オルガマリーは読み終えた本をテーブルに置き、思い切り伸びをする。
「ん~っ! やっぱりずっと中に篭もってると体が鈍るわね」
魔術師は基本的に俗世間との関わりは断っている。
それは自分の魔道の研究に余念がないから、外との関わりを持つ暇があるなら研究に専念したいというものだ。
とはいえ。時代と共にその体系は少しずつ変わっていくもので、今では表舞台で名を上げつつ、裏では実は魔術師だった。ということも少なくない。
有名な所で言えばテオフラストゥス・フォン・ホーエンハイムが挙がるだろう。
彼の遺した理論は、今日まで魔術・医学両方の分野に影響を与えている。
閑話休題。
そのため。魔術師は自身の研究室、工房に篭もって只管根源への道を模索し続ける。
早い話が引き篭もりで、外に出ることは滅多にない。大体が自分の工房内で全てを済ましてしまう。
彼女のように気分転換というのも。工房内での暇つぶしをするようなものになるのが普通だ。
オルガマリーは、窓の外を見る。
時速数十キロの速度で流れる景色は、長閑な自然の風景を流していた。
その風景を眺めるだけで、オルガマリーの心は癒されていった。
……平和ね。
彼女は心の中でそう思う。
と、個室のドアをノックする音が聞こえる。
開けると、そこには車掌が立っていた。
「失礼。チケットの拝見をよろしいですか?」
「ええ。どうぞ」
そういって、チケットを車掌に見せる。
少しの間それを見たあとチケットを切り、良い旅をと言い残して車掌は去っていった。
オルガマリーはそのままソファに戻り、外の景色を眺めた。
普段はこうした、ゆっくりとゆとりを持てる時間が無かっただけにこの旅行はとても有難かった。
……キリエに何かお土産買って帰りましょうか。
魔術の基本は等価交換。ならば。この旅行に対する対価として、何かを贈ろう。
心のどこかで残っていたもやもやが消えた気がして、晴れやかな気分になった。
残り二時間。穏やかな枕木の音が、子守唄のように聞こえてくる。
オルガマリーはその音に身を委ねて、次第にまどろみの中に落ちていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『――――――の先、――――申し――――せんが』
ふと。そんなアナウンスが聞こえ、オルガマリーは目を覚ます。
腕時計を見ると、現在時刻は午後5時を少し回ったところだ。
季節が冬のため、日が暮れるのも早く。辺りは既に真っ暗。
アナウンスを聞くと、どうやらこの先の線路で事故があったらしくしばらく停止するとのこと。
時間に煩い彼女だが流石にこればかりはどうしようもないだろうと思い、少し早いが夕食にしようと思い立ち、適度に身嗜みを整えると部屋から出る。
オルガマリーのいる客室は先頭から二両目。一両につき二部屋分の個室がある。
部屋にはベッドに洗面所。浴室やトイレも完備している最新のものだ。
食堂車は更に隣。三両目に存在する。
事前の調べでは、この列車の食事は一流のシェフを雇っているよう。
何よりこの列車のチケット自体が高価なので乗っている人間全員が多少なり普段の生活に余裕がある人間たちなのだろう。
と、ポケットに入れていた携帯が鳴る。
本来魔術師は、こういった機器類を使わない。
そも魔術とは太古よりも昔。神と人間が共にいた時期――神代からある技術である。
それらを、家によっては千年単位で研究し続けているのだ。今更高々百年程度のぽっと出の技術に乗り換えられるわけがない。
尤も。最近の若手の魔術師たちは、コストパフォーマンスにも着目し。ある程度の機器は普通に使えたりもする。
時計塔でも
オルガマリーもそんな魔術師たちの一人で、有用なものは使うタイプだ。
着信を見ると、キリエからだった。
「もしもしキリエ? どうしたの?」
『いやー。そっちはどうかなーって思ってね』
「それがどうもこの先の線路で事故があったらしいのよ。それで足止め」
大変だねー、といつもの調子で返してくるキリエ。
そっちはと聞くと、時計塔は大して変わりがないようだった。
それからしばらく。オルガマリーはキリエと世間話をしていた。
『そっかー。じゃあ電車動いたら夜遅くなっちゃうね』
「そうよ。まあ事故じゃあしょうがないけどね。着いてからホテル探すのは面倒ね」
そういうとキリエはしばらく黙り込んだ。
『――――マリー。気をつけなきゃ駄目だよ? 美人なんだから変なところに泊まっちゃ駄目だよ? あと知らない男の人にホイホイついていっちゃ駄目だからね!』
「私は子供かッ!」
『マリーの初めては私が貰う!』
「私にそんな特殊性癖は存在しない!!」
一度本気で付き合いを見直すべきなのだろうかと真剣に悩む。
向こうはいつもの口調で冗談だよとか言っているが、普段が普段なので実はソッチの趣味があるのではと考えてしまう。
別にそういう趣味でも一向に構わないがこちらを巻き込むのは勘弁して欲しい。
「ハァ……もう。そろそろ夕食にしたいから切るわよ」
『ハーイ。あ、でもマリー気をつけてね。最近そこら辺で行方不明事件が何件かあるから』
「行方不明……?」
初耳だった。
キリエが言うにはこの近辺で数件、家人が行方不明になる事件が発生していると言う。
それも個人の場合だったり。規模が大きいと一家丸ごとという場合がある。
発生時期は大体半月ほど前。
オルガマリーは少し考え、辺りに誰もいないことを確認する。
「……魔術師、の仕業?」
『可能性はある、かな。だから気をつけてね』
「あら。私にそれを言うの?」
オルガマリーは少しむっとした口調で告げる。
魔術師の力量と言うものは持って生まれた才能もあるが。その家系がどれだけ歴史を積み重ねたかによっても決まる。
オルガマリーは八代目。ともすれば。並大抵の魔術師では抵抗も難しいだろう。
無論。それだけが全てではないが。
それでも今まで努力を怠ったことは無く、自分の家系にも自信と誇りを持っている彼女からすれば。騒ぎを起こしてしまう程度の魔術師の力量に負けるわけがないと、そう思っている。
そんなオルガマリーを心配してか、キリエは話す。
『……あんまり油断しちゃ駄目だからね。油断・慢心は死に直結するんだから』
「分かってるわ。魔術習いたての新米じゃないんだから」
『やー。だって今日のマリーの運勢最悪だって』
「ちょっと待ちなさいよ。なんでテレビの占いなんか当てにしてるのよ」
『割と当たるよ?』
「
オルガマリーの家は天体科のロード。
その名の示す通り。天体系の魔術を得意としており、占星術は十八番である。
運勢など、テレビの紛い者たちがやるよりずっと高精度なものが出来るし。天気予報についてもずっと正確だ。
「ま、知らせてくれてありがと。こっちでも気にはしてみる」
『うん。じゃ。そっちで旅行を楽しんでね』
ええ、と返すと通話を切る。
腕時計を見ると、もう午後六時になろうとしていた。
丁度いい時間だと、オルガマリーは食堂車に向かう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その者は駅にいた。
その者は魔術師で、男性だった。
彼は一仕事終えて、これから来る列車を待っていた。
周囲には、これから来る電車を待っているのか。数人の男女が存在している。
程なくして駅に列車が到着。周りの者たちは次々に乗り込むが、最後。その男性だけは乗り込まずに列車を見ていた。
(……ほんの僅かだが、魔術の気配)
今自分が乗り込もうとしている客車から、僅かに魔術の残滓を感じ取った。
魔術師は、何に於いても守らなければならない
それは、「神秘の秘匿」
魔術師は、何よりも
何故なら魔術師にとって魔術とは、根源に至るための最も近い方法であると信じているからだ。
故に。
魔術師は他の何を差し置いても、「神秘の秘匿」を守らなければならない。
だからこうして、僅かでも痕跡が残っているような状態はあってはならないし。本来なら痕跡が残るようなことはしないはずなのだ。
にも関わらずこうして僅かながらに残っている。
幸い一般人が気づくようなことはないが、念には念を入れて
と。そうこうしている内に、列車が発車するようだ。
その男性も、そのまま列車に乗車する。
(この中に魔術師がいるのか……)
男性はやや嘆息しながら、着ている服のフードを目深に被り客車を歩いていった。
列車が止まる20分前の出来事である。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
列車が停止し、約一時間ほど経過した。
オルガマリーは食堂車から出て、自室に戻ろうとしていた。
食事の出来はそこそこ満足している。問題は……
「もう! 何時になったら動くのかしら、この列車は……」
流石に一時間もすれば動くのではないかと思ったが。その気配が未だに見られない。
自室に着くと、鍵を閉めて机に向かう。
足元に置いてある鞄から中身を取り出す。
それは、天体系の魔術を使用する時に使われる魔術器具。
オルガマリーはそれらを綺麗に配置すると、椅子に座る。
「――――
魔術回路が励起する。
直後、鈍い痛みが走る。
その魔力は全身を駆け巡り、やがて魔導器へと伝わる。
本来ならこうした人目につくような場所では魔術の起動はしない。
が、オルガマリーは日々の積み重ねによって今の力を得ている。一分一秒を惜しむのが彼女のやり方でもある。
無論、人が来ないように軽い結界を敷いてはあるが。
神秘は秘匿されなければならない。逆に言えば。秘匿さえされているならば何処で何を行おうと黙認されるのが魔術師だ。
魔導器はカチカチといった小気味良い音を立てながら動いていく。
「――
口ずさむは詠唱。
一言一言を発するたびに、魔導器はその様子を確たるものへと変化させていく。
オルガマリーがやっていることは、何のことは無い。占星術による運命予測だ。
天体科時期当主である彼女にとって、この程度の占星術は得意中の得意。占いで生計を立てられるといっても過言ではないほどに。
原因は、先ほどのキリエとの会話。
流石に根拠も無いような巷の噂話と同レベルの占いの話題を持ち出されたのが彼女のプライドを刺激したのか。それならばより精度の高いものを自分でやってやろうじゃないかと躍起になった彼女。
(フフフ。見てなさいよキリエ。テレビのインチキ共がやってるような似非じゃない、本物の占星術による結果の方が信じられるに決まってるじゃない)
オルガマリーは内心帰ってからのことを考えている。
きっとこの後。何事も無くウェールズに到着し――既に列車が停止という事実からは眼を背け――ゆったりと観光を楽しむ。土産を片手にキリエに出会い「テレビの占いより私が占った結果の通りになったわ。今度からは私の占いを聞くことね」と自信満々に言えるだろう。キリエもきっと今後は私の占いを頼るようになるだろうフフフ。
そんな都合のいいことを考えているとふと我に返り、誰にするでもなく咳払いを一つ。
そして魔導器が示した結果を見る。
示すは土星――――凶事を表す星だった。
「――――ってなんでよ!?」
思わずそう叫んでしまった。
それと同時に、列車が揺れた。
どうやらようやく動き始めたようで、窓の外の景色が流れ始めた。
それに安堵し彼女は、同時に魔導器を見る。
「……ま、まあね。たまにはこういう風に外れるわよ。ていうかむしろ外れてくれてラッキー? みたいな」
あれ。それはそれで私の占いの精度が低いってことなんじゃあ……
知らなくてもいい事実を知って若干落ち込む。
気分を変えてシャワーでも浴びようかと席を立った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
列車の先頭車両。
その一番先には、運転席が存在する。
その席に座る男性。老いが始まったことを伺わせる皺が、所々顔に浮かんでいた。
「――お客様には大変ご迷惑をおかけしております。当列車は――――」
アナウンスでそう話す男性。
だが、その眼には一切の感情が無く。まるで与えられた仕事を淡々とこなす機械のようであった。
すぐ傍には車掌の姿もあった。
本来ならここには立ち寄らないはずの者だが。そこにいることが当然のように棒立ちしていた。
そして。それを本来なら咎めるはずの運転手も、アナウンスを終えるとそのまま運転に集中してしまった。
誰が見ても異様な光景。いっそここにあるのは飾りの人形と言われた方がまだ信じられるほどに。
そして。そんな異様な光景を背後から一人の男が見ていた。
男はそのまま。扉を閉めていった。
暗示の魔術。
男が使ったのは特に強力で。加減を誤れば抵抗力の無い一般人の人格を容易く壊してしまうほど。
男は、着ているコートを翻しその場を離れる。
何故こんなことをするのか。目的は何か。
決まっている。全ては己が研究の完成。そのためである。
「…………?」
ふと。男が足を止める。
それは最初の車両の次。二両目の個室だった。
男は一瞬思案し、そして決断する。
「……ふむ。丁度いい」
そして。その扉を開けた。
どうもKoyです。
意外に長くかかってしまった……お待たせして申し訳ないです。
あと自分。ミステリーにそこまで造詣深くないので。素人ですが皆様にご満足いただければ幸いです。
これを読んでくれている方たちに無上の感謝を。
それでは。