昔の交誼も今はどうか。そして戦いの行方は・・・
いつの時代でも、子供は自分や自分の友人とは違うタイプの人間を見つけるのがうまいものだ。
そして、自分のグループの方が多数派だった時、多数派グループ全体で少数派を無邪気に弾圧するのだ。
ちょっとした違いで良い。自分たちより少し勉強ができないだとか、少し考え方が違うだとか。ひどいのになると、体が不自由だという点まで対象になる。
多くの場合、そうした連中は単に相手側を卑下して自己陶酔をするだけで満足する。だが、中には過剰に身体的あるいは精神的に相手を攻撃する場合もある。俗に言う「イジメ」というやつだ。
内容は様々だが、時としてそれは、対象となった人物が自らの命を絶つほどに凄絶なこともあるという。俺の周囲でそういった話は聞いたことが無いが、テレビのニュースなんかでしばしばそういったケースを目にしたりすることはあった。
俺はと言えば、どう考えてもイジメに遭う方の人間だった。孤児院から通っている。両親がいない。『普通の』家庭にいる年の近い子供たちからすれば、明らかに自分たちとは異質な存在で、かつ自分たちの方が優位な立場にあると考えられる状況だった。
大人にしてもそうだと思うが、例えば1対1の場合はそれほど大きな問題にはならない。良くても取っ組み合いの喧嘩で済む。だが、イジメる人間が複数いると、その状況は一変するのだ。
一言で言えばタチが悪くなる。相手が泣いていようがどうしていようがお構い無しだ。気に入らなければ寄ってたかって暴力を奮う。持ち物を隠したり壊したりするなど、陰に陽にイジメを繰り返す。
回数が増す度にその内容はエスカレートしていく。こうなってくると、周囲の大人の制御などまったく受け付けなくなる。むしろ、大人からの圧力があると、それをイジメの対象者の責任と決めつけて、より非道な行いをするようになる。
俺はそれほど腕っ節に自信のある方ではない。体こそ同世代のわりには大きかったし、それなりに体力はあったのだが、喧嘩という行為にはそれ以外の要素も必要だ。
例えば、相手を痛めつけるための技術なり、相手に負けない精神力だったり。俺について言えば、今でこそそうでも無いのだが、学校に入った当初は今では笑ってしまうほどに気が小さい人間だった。
孤児院の子供の多くはそうだった。むしろ、親と呼べる人間のいない不安感と劣等感が、常に心の底に泥濘のように滞留している。ターゲットを探している連中からすれば恰好の的だった。
はっきり言えば悲惨だった。年齢が上がり、体力と知力がついてくるとその行為は際限がなくなる。具体的な手段など、やられた方である俺としては思い出したくもない。
度し難いのは、普通は年齢を重ねるごとにある程度の自制心も培われるものなのだが、この方面についてはどいつもこいつもまったく進歩しないどころか、どんどん低下しているのではないかと思えるほどにひどいものだった。
目についた時は、シゲルが介入することでその場は収まることもあった。シゲルが腕っ節が強いというわけではないのだが、あいつは女子にも大人にも人気があったから、そうしたバックを持った奴を敵に回すのは、連中にとっては非常にまずいことだ。
自制心はなくてもそれなりに知力はあるから、連中もそれくらいの知恵は持っている。だから、その手法はより巧妙かつ陰湿になっていくのだ。
それでも、俺をはじめとする年の近い連中はまだマシだったと言える。というのも、当時の俺たちにはそういった連中を力ずくで排除することのできる人が近くにいたからだ。それがヒデトにいさんだったのだ。
ヒデトにいさんは、それほど体の大きな人ではなかった。むしろ、俺や例えばサトシやシゲルと比較しても大きいというほどではなかった。肉付きは俺の方が良かったし、身長もサトシとシゲルの中間くらいだ。
当時から既に無駄にでかかった俺と並んで歩いていると、俺の方が年長に見えるほどだった。俺より2歳上にも関わらずだ。
だが、ヒデトにいさんには、俺や他のイジメられっ子には無いものがあった。圧倒的な負けん気と戦う勇気、そして、相手に対する残忍なまでの攻撃性だ。
普段のヒデトにいさんは、それほど苛烈な性格をしているというわけでは無かった。おとなしいという方では無かったが、周囲に対して自分から攻撃をしかけるタイプでは無い。
しかし、外部から攻撃された時にはその様子は一変した。敵と見做した相手には徹底的に対抗し、必ず屈服させたのだ。
一度など、ヒデトにいさんの喧嘩相手の親が孤児院に怒鳴り込んできたことがあった。その時の様子は今でも忘れない。
そいつは、いつも俺たちをイジメるやつだったのだが、見て率直に気の毒だというほどに痛めつけられていた。
顔は中心部分に幾重にも包帯が巻かれていた。正直、漫画以外でそんなことになっている人物は見たことが無かったし、今にいたるも見たことが無い。
なんでも、喧嘩の際にヒデトにいさんに組み敷かれ、石で徹底的に鼻を殴り潰されたらしい。使った石が大きかったのか、前歯も4枚折れた上に上顎も骨折したのだそうだ。
さらに、動けなくなったそいつに、ヒデトにいさんは執拗にプロレス技をかけ続けたのだそうだ。そのせいで、左の肘は反対方向に曲がり、右足首も重度の捻挫を負ったという。
その捻挫など、診察した医者が
「これは・・・骨折していた方が治りが早かったですね」
と言ったほどにひどいものだったらしい。
驚いたのはその後で、謝れと呼び出されたヒデト兄さんは、
「なんだ。まだ殴られ足りないのか!」
と言うや、ひらりと相手に飛びかかって殴りつけたのだ。
こうしたことから、ヒデトにいさんは孤児院の職員も含め、すべての大人から問題児として扱われていた。
しかし俺たち子供はもちろん違った。ヒデトにいさんが相手に暴力をふるうのは、俺たち年下の子供がイジメられたときだけだ。
自分に暴力をふるわれた際には、自分の身を守るための最低限度の反撃しかしなかった。
俺たちは、ヒデトにいさんが相手をぶちのめすのは俺たちのためだということを知っていた。だから、ヒデトにいさんが怒られる時は、必ずそれを弁明するために必死だった。
一度など、ヒデトにいさんが夕食のおかずをつまみ食いして怒られていた時すらかばったほどだ(笑)
当然ながら、ヒデトにいさんは俺たち孤児院の子供たちの中ではヒーローだった。年下の連中だけじゃない。3つくらい年上の連中でも、ヒデトにいさんを慕っている先輩がいたほどだ。
これは驚異的とも言えるのではないだろうか。俺たちの年齢だと、学年が1つ違うだけでも結構な体力差があっても不思議じゃない。
にもかかわらず、ヒデトにいさんは少々の年齢差など屁でも無いと言わんばかりに、俺たちのために日々怒り、戦い続けてくれたのだ。
ただ、そういった噂は良くも悪くも広がるもので、ヒデトにいさんが孤児院を出る少し前くらいから、彼のまわりにはあまりタチの良くない連中が取り巻きのように群れるようになった。
院を出るとき、俺が聞いたのはヤマブキシティのリニアの職員として就職したという話を聞いた。出て行く前には院でもお祝いをしたものだ。
というのも、ヤマブキシティのリニアの職員というのは、なるための倍率がとても高い人気の仕事であり、そこに中学校に行っていない孤児院の出身者が就職するのは異例のことだったからだ。
俺は、その時はじめてヒデトにいさんが、腕っ節だけでなく学業でも優秀だったということを知ったのだった。
そのヒデトにいさんが、シオンタワーの頂上で俺の目の前にいる。しかも、ロケット団のユニフォームを着て。
ただ、そのデザインはダサさ全開のしたっぱのものとは違っている。清潔感を感じさせる白を基調としたその服は、どこかの公的機関の制服のような印象を受ける。
それでいて、そうした組織とは異質な、どこか怖さを感じさせるものをもった服装だ。隣に立っているしたっぱ・・・イワオと言うのだそうだが、彼の着ているそれとはまったく違っている。
「そいつから報告は聞いていたが、まさかお前とはな。リョウジ」
「ヒデトにいさん・・・なんでロケット団に・・・」
「お前には分からないことさ。とにかく、今の俺はロケット団の幹部だ。大人の団員ですら俺には従うしか無い。俺の上にいるのはサカキさまだけだ」
俺には、にわかには信じられなかった。確かに院を出る直前にはやや悪そうな連中が取り巻きになってはいたが、先の通り院出身者としてはめずらしくまともな就職先に行ったはずのヒデトにいさん。
なのに、なぜロケット団なんかに・・・
「それで、本来なら我々に楯突いた者は即座に処断するのだが・・・知らない間柄でも無い。訳だけは聞いてやろう」
訳も何も無い。俺は別にロケット団を一概に『悪い』と断じるつもりなど無かった。
俺のように孤児院で育ち、世間から薄冷たい視線にさらされて来た連中は、大小の差こそあれ世の中をいささか斜めに見るようになる。
そんな俺から見れば、ロケット団は今の社会構造の歪みの象徴であり、彼らに罪が無いとまでは言わないにしても、その存在の責任は世間にこそあると思っている。
また、今回のイワオのように(大人を呼び捨てにするのは恐縮だが)トレーナーとして挫折し、社会からも受け入れられることのなかった人の受け皿にもなっているという側面もある。
彼らの存在を『悪』と見做すのであれば、その存在を許さない社会体制があってしかるべきだし、そうした所に人間が流れないような世間が必要だ。
それができないのであれば、一概に彼らを排斥するような動きはすべきでは無い。
さらに言えば、俺はくだらない大人たちが、自分たちの立場をより良くするためにロケット団すらも利用しているということも知っている。
つまり、間違っていると知ってはいても、彼らはロケット団の力を必要としているのだ。ロケット団を悪と見做すのであれば、彼らを利用しようとするクズどもも排除しなければならないのではないか。むしろ、そちらのが先だろうと俺は思う。
だが、おつきみやまでは図らずも彼らと接触し、結果的には彼らを妨害するような行為に出た俺を、今やロケット団の枢要にあるヒデトにいさんが敵視するのは仕方の無いことかもしれなかった。
とはいえ、俺には俺で理由があったのは間違い無い。
「邪魔をするつもりは無かったし、これからも無いよ。ただし、俺の目的をそっちが邪魔しないのであればね」
「ほう・・・その目的とは何だ?」
「俺は、院には内緒でオーキド博士の研究の手伝いをしている。目的はカントー地方のポケモンを集めること。おつきみやまでは、ピッピのゲットを邪魔したやつを排除した。それがたまたまロケット団だっただけだよ」
先に言ったけど、俺はロケット団を単純に悪の組織とは見做してはいない。彼らにだって生きていく権利はあるし、そのために必要な手段を講じているだけだ。
その手段が合法か違法かなど、俺には関係無いし興味も無い。ただ、俺の邪魔はされたくはない。
「言うようになったな。イジメられっ子だったころのリョウジとは違うようだ」
「かかる火の粉は振り払う。そう教えてくれたのはヒデトにいさんだよ」
俺がそう言うと、ヒデトにいさんはぞっとするような恐ろしい声で笑い出した。聞く者すべてが戦慄するような声だった。これが、俺と2つしか歳の違わない人間の笑い声なのだろうか。
「そうか。確かにそうだな。なら、お前がこの先もかかる火の粉を振り払う力があるかどうか、今ここで俺に見せてみろ!」
ヒデトにいさんはそう言うと、腰にセットしていたモンスターボールを投げてきた。つまり、ポケモンバトルでこの場を乗り切って見せろということらしい。
ヒデトにいさんのボールから飛び出したポケモンはサイホーン。俺も動いているやつを見るのは初めてだった。
正直、俺はどうしようか迷った。戦うことにではない。どのポケモンで戦うかだった。
さっき俺とイワオを助けてくれたフシギバナがその場に出ている。相手のサイホーンはじめん・いわタイプだ。言うまでもなくくさタイプであるフシギバナとは相性が悪い。
しかし、ヒデトにいさんは場にフシギバナが出ていることを知っていてサイホーンを出してきた。俺にはこれが引っかかるのだ。
多くの場合、ロケット団はズバットを使う。これは、これまでニュースになったロケット団絡みの事件において、ズバットを犯行に使うことが多いからだ。
ヒデト兄さんは幹部であり、そのズバットの進化系であるゴルバットもきっと持っているはずだ。
俺のフシギバナが場に出ているにも関わらず、明らかに不利なサイホーンをわざわざ出してきたヒデト兄さんの真意が俺にはわからない。
「どうした? 来ないのならこちらから行くぞ! サイホーン! フシギバナにとっしん!!」
虚をつかれる格好になった俺は、急いでフシギバナに攻撃を躱すように指示を出そうとした。だが
「バナーーーー?!」
俺がサイホーンが動き出したことを認識したのと、フシギバナが悲鳴を上げたのがほぼ同時だった。ヒデトにいさんのサイホーンは、視認することもできないほどに素早く攻撃を繰り出したのだ」
脅威としか言いようがなかった。元々サイホーンはさほど素早さの高いポケモンではない。どちらかと言えば、体の頑丈さとパワーで押してくるタイプのポケモンだ。
それが、俺のフシギバナが反応できないほどの速さで攻撃を仕掛けてくるなんて、考えてもみなかった。
「どうした? お前の力はそんなものか!」
ヒデトにいさんの声で、俺は逆に冷静になった。今目の前にいるのはロケット団だ。しかも、周囲は囲まれて俺は逃げることもできない。
ここを乗り切るには戦うしかない。突然の攻撃に驚いたフシギバナが起き上がってこちらを見たとき、俺は懸念を捨てた。
「フシギバナ!上空に向かってはっぱカッター!」
「バナーーーー!!」
俺の指示に従い、フシギバナは上空に向かって大量のはっぱカッターを放った。
「どこを目掛けて攻撃している!サイホーン!もう一度とっしんだ!!」
ヒデトにいさんがサイホーンに指示を出すのとほぼ同時に俺もフシギバナに指示を出す。
「真上におもいっきりジャンプしろ!」
二体のポケモンが同時に動く。サイホーンの突進は相変わらず凄まじい速度だが、ほぼ同時に指示を出したのが幸いして、フシギバナは間一髪のところでサイホーンの攻撃を躱した。
「バカめ! 自分の放ったはっぱカッターに切り裂かれるぞ!」
ヒデトにいさんに言われるまでもない。むしろ、これは俺が狙っていた形だ。
「つるのムチで打ち返せ!」
俺の意図を理解しているフシギバナは、そのまま自分の周りに降り注ぐはっぱカッターをサイホーンに向けて打ち返す。
「味な真似を!躱せ!」
驚いたことに、サイホーンはフシギバナが打ち返すはっぱカッターを全て躱してしまった。通常に放ったものと違って、どう飛んでくるかわからないはずの攻撃を全て躱されるとは思ってもみなかった。
「なかなかやるが、どうやら俺の敵では無いようだなリョウジ」
これにはさすがに瞠目せざるを得ない。空中から降ってきたはっぱカッターを、フシギバナはランダムに打ち返した。それもサイホーンを狙って。
狙ってと言っても、その場にいるサイホーンを狙っていたのではない。サイホーンのいるあたりから周囲1mくらいの範囲をほぼ全て同時に狙ってだ。
『点』で狙うのではなく『面』で狙って。これは普段からフシギバナにずっと練習させてきたことだった。
にも関わらずそれを全て躱されてしまった。これは、俺が予想しているよりもサイホーンの動きがとても素早いということだ。素早い敵を想定しての攻撃法だったが、それを素早さで躱されたというのは何という皮肉だろうか。
俺がフシギバナの成長を急ぎ過ぎたというのもあるかもしれなかった。フシギダネからフシギソウ、そしてフシギバナと進化する中で体は大きくなり、当然動きは遅くなってくる。最初の頃の素早さが失われるのは無理からぬことかもしれない。
それでも俺は、チームの中心選手となってもらうことを期待して比較的短期間でフシギバナまで進化させた。その甲斐あって今や最も信頼できるポケモンに成長したのは確かだが、素早い敵についてはどうしても後手に回ってしまうのは否めない。
図らずもここでその弱点があらわになってしまったのだ。しかも、一般には素早いとは言いがたい相手であるサイホーン戦においてである。
とはいえ、俺自身にそれほどの落胆はなかった。確かに俺の育て方に問題があったことが露呈したのはそれなりにショックだったが、素早さ自慢のポケモンに早さで負けたわけではない。これはつまり、やりようによってはフシギバナもサイホーンの早さを身につけるチャンスがあるということだ。
それに、フシギダネを見ればその目にまだ光が宿っているのが分かる。ピンチであるとは感じてはいるものの、望みを失ってなどいないということだ。勝機はまだある。とはいえ、それが大きなものでは無いことも十分に承知はしているが。
「なかなか面白い戦いだったが、そろそろお開きだ。サイホーン! みだれづきだ!!」
ヒデトにいさんの指示に、サイホーンはこれまで以上の速度でフシギバナに突進していった。しかし、これまでと違い、先程のフシギバナの攻撃を避けるために互いの距離が離れてしまっている。
俺とフシギバナにとって、相手の攻撃に備えつつ反撃をするためには十分な距離であり時間であると言えた。
「フシギバナ! ハードプラントだ!!」
「!?」
この指示に、ヒデトにいさんは少なからず驚いたようだ。無理も無い。この技はカントー地方では知られていない技なのだから。
旅立ちの際に、俺がフシギダネを選ぶことは、オーキド博士には察しがついていたらしい。そこで、あの日の旅立ちのメンバーの中で一番面倒な旅になることが予想された俺のために、博士があらかじめフシギダネにこの技を覚えさせてくれていたのだ。
技を発動させるためには、フシギダネやフシギソウでは難しかった。そのため、どうしてもフシギバナに進化させる必要があった。実戦でこの技を使うのはもちろん初めてだ。
「くっ!躱せ!!」
足元から突然突き現れて頭上に殺到するハードプラントを、サイホーンは見事に躱している。だが、ハードプラントの出現のせいで、行動できる範囲は狭められている。
いかに素早さが高くとも移動範囲が絞られれば、攻撃を当てることは難しいことではない。加えて、一度放つと反動で動けなくなるハードプラントだが、それを敵が躱している間に再び体が動くようになる。
「フシギバナ!前方全方位に向かって全力ではっぱカッター!!」
「バナーーーーーーー!!!」
突き出したハードプラントを全て破壊するかの如く、フシギバナが全霊を込めてはっぱカッターを放つ。その様はまさにはっぱカッターの壁だ。
元々ハードプラントによって逃げ場が限られているサイホーンが、この攻撃を躱しきることができようはずもない。はっぱカッターと、はっぱカッターによって破壊されたハードプラントを巻き込みながら、サイホーンは文字通り葉の嵐の中に吸い込まれていった。
もしかしたら、噂に聞いたことのあるリーフストームという技を使うとこのような感じになるのかもしれない。
とにかく勝負は決した。見事な素早さでこちらを翻弄していたサイホーンだが、こちらの攻撃に当たってしまってはどうしようもない。
葉の嵐が収まるころには、サイホーンに立ち上がる力が残っていようはずもなかった。
「・・・なるほどな」
傷ついたサイホーンをモンスターボールに収めながら、ヒデトにいさんはうめくようにそう呟いた。
「言うだけのことはあるようだなリョウジ。今日のところはこれで見逃してやろう」
ありがたい言葉ではあるが、俺は色々な思いが交錯していてそれどころではなかった。
まずは、単純にその言葉を信じて良いかどうか分からないということだ。ヒデトにいさんではあるが、相手はロケット団だ。言っていることを鵜呑みにできる相手ではない。
他にもある。こうして戦いが終わった今、どうして明らかに相性が不利なサイホーンをこの場に出したのかが改めて気になった。もし、むしタイプなどのポケモンで同じような戦法に出られたら、俺には1mmも勝ち目などなかったのだ。
それに、最初に思った疑問もある。どうしてエリートコースに乗ることができたはずのヒデト兄さんがロケット団に入っているのかということだ。学歴が無ければなることのできないコトブキシティのリニアの職員になりながら、なぜ・・・
ヒデト兄さんが腕っぷしだけでなく頭がキレるということは、既にロケット団の幹部にまで上り詰めているあたりで察しがつく。それも、ヒデトにいさんの口ぶりからすれば並ぶ者とてない立場にまで登っているということになる。
こうした、様々な思いが去来するなかで言葉もなくヒデトにいさんを睨むような形で見ている俺の前から、ロケット団が撤収をはじめた。どうやら見逃すという言葉は本当らしい。
「なるほど。言うだけのことはあるようだが、今後もし我々の邪魔をするようであれば、お前であっても容赦はせんぞリョウジ」
ヒデトにいさんはそれだけ言うと、俺に背を向けた。
「ヒデトにいさん!」
しかし、ヒデトにいさんが足を止めたのは俺の呼びかけに応えたものではなかった。
「それからイ-65号。お前はクビだ」
どうやら、その記号のようなものがイワオの組織内での名称らしい。
「えぇ!?」
大の大人が、子どもにクビを言い渡されて動揺している。傍目から見れば滑稽な様子だが、俺には笑うことができなかった。それほどにイワオの表情は真剣そのものだからだ。
「貴様のような役に立たない人間を置いておく道理など無い。どこへでも行くがいい」
吐き捨てるかのようにそういうと、ヒデトにいさんはその場を去って行った。後には俺と、たった今ロケット団をクビになったイワオだけが取り残されたのだった。
すっかり意気消沈してしまったイワオを連れてポケモンセンターに戻る頃には、既に朝日が上りはじめていた。この道のりが大変だったことは言うまでもない。
何せ、完全に気力を失ってしまった大人一人を抱え、タワーに住み着いたポケモンと戦いつつ降りてこなければならなかったのだ。
上りの3倍は体力と時間を使ったのではないだろうか。手持ちのポケモンたちもすっかり疲れ果ててしまっている。
戻って来ながら俺は、ある2つのことをずっと考えていた。1つはイワオの身の振り方だった。ここまでの縁というほどのものでもないが、どうにも俺はこのおっさんと呼ぶには少々若い男のことを見捨てることができなくなってしまっているのだ。
もう1つはトキワジムのことだった。それまで聞いたこともなかったが、どうもトキワジムはロケット団の勢力下にあるとしか思えない。でなければ、俺がトキワジムを訪れた時にヒデトにいさんの姿を見かけるはずが無いのだ。
ひょっとするとロケット団の本拠地かもしれない場所が、自分の住み暮らしていた街の眼と鼻の先にあるというのは、あまりぞっとしないものだ。
「・・・ところで、あんたこれからどうするんだ?」
俺としては聞かずにはいられなかった。このまま放っておいたら、イワオは自殺しかねない顔をしていたからだ。だが、イワオは答えずに下を向いたままだった。
俺はそんなイワオを強引に風呂に引っ張って行った。熱い湯を浴びれば少しは気持ちもさっぱりするし、ポケモンセンターとしてもロケット団のユニフォームを着た人間がいつまでもロビーに居られたのでは困ってしまうだろうからだ。
一緒に入ったのは、何もそうしたいと思ったからではなかった。目を離すと何をするかわからないと感じたからだ。それに、少し話もある。
無理やり服を脱がせ、湯船に放り込んでも、イワオは抵抗らしい抵抗を見せなかった。それだけ意気消沈してしまっているのだ。
それも仕方の無いことだろう。望んでロケット団に入ったわけではなかったとはいえ、イワオにとっては世間に見捨てられてしまった自分にとって、最後の居場所だと思っていたに違い無い。
風呂から上がった俺は、イワオをロビーのソファに座らせておき、ジョーイさんにそれとなく見張っておいてくれるようにお願いした。
すっかり気力を失ってしまっているように見えるイワオだが、いつ妙な気を起こすかわかったものではないからだ。
「面倒なことをお願いして申し訳ないですが・・・」
そう言う俺に、ジョーイさんは優しい笑顔でほほえみかけてくれた。
なんか照れるなと思いつつ、俺はこれまでの経緯とトキワジムのことについて、オーキド博士に連絡をした。ただ、ヒデトにいさんがロケット団の幹部になっていることは伏せておいた。
「なるほどな・・・まさかそんなに近くにロケット団の拠点の1つかもしれない場所があろうとは・・・」
「確証は無いんですが、おそらく・・・」
「あそこは、閉鎖して以降人の出入りがほとんど絶えておる。そうした場所にああした連中が集まるのも不思議では無いが・・・」
差し当たりはトキワシティのジュンサーさんに連絡して警戒してもらうより他は無いだろうということになった。
「ところで、その男のことじゃが、本当に大丈夫なのか?」
「ロケット団の元団員という以外には問題は無いと思います。本人も組織のポケモンを世話していた頃が一番良かったと言ってましたし」
「ふ〜む・・・ま、お前がそう言うのであれば問題なかろう。とりあえず、本人を出してくれんかの」
そう言われて、俺はイワオを電話の所にこれまた無理やり引っ張っていった。
「どれどれ・・・ふむ。確かに悪いことができなさそうな顔じゃな。よしよし」
初対面のオーキド博士にそう言われ、イワオはきょとんとしている。どうやら少しは気持ちが落ち着いてきたらしい。
「どうじゃなイワオとやら。お前さんにその気があるなら、セキチクシティのサファリゾーンの職員に推薦したいのじゃが」
これには、それまでうなだれていたイワオが驚いて顔を上げた。その表情には驚きと喜びと疑いが入り交じっている。
「元ロケット団員ということじゃが、そのことは別に伏せておけば良いじゃろう。わしからの推薦状なら、おそらく大丈夫じゃ」
「ほ、本当に!?」
「ああ。正直わしもリョウジから話を聞いた時はどうかと思ったが、お前さんの顔を見たらそれも良かろうと思ってな。しっかり働くんじゃぞ」
「はい・・・はいいいぃぃぃ!」
それだけ言うと、イワオは場所もはばからずに声を出して泣きだした。正直かなり迷惑だったが、それもイワオのこれまでの経歴を考えると仕方の無いことだった。
数日後にはオーキド博士の推薦状がここに届くから、それまでの間イワオは、ここでジョーイさんのサポートをすることになった。
ジョーイさんはイワオが、元はロケット団員であることを知っていたが、その上で承知してくれた。
「よろしくお願いしますね。イワオさん」
子どもかと思うほどに屈託の無い笑顔を向けて、ジョーイさんはイワオに言った。
「いえ、あの・・・こちらこそ・・・」
笑える程にイワオが照れている。俺としてはからかわずにはいられなかった。
色々なことがこの街であった。だが、俺は旅を続けなければならない。次の目的地はタマムシシティだ。
ここは最初から行く予定だった街だが、これまでのこともあって予定より到着が遅れてしまった。
タマムシシティにあるジムは、くさタイプのポケモントレーナーの憧れの場所だ。俺にしても、エースとしてフシギバナを使っているトレーナーなので、ここに行くのは最初から決めていた。
もっとも、目的は挑戦ではなく、くさタイプのポケモンについて色々と学ぶためだ。
ここに残るイワオに別れを告げて、俺は勇躍タマムシシティを目指してシオンタウンを後にするのだった。