満身創痍の英雄伝   作:Masty_Zaki

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お久しぶりです。
気が付けば何故かいつの間にか忙しくなっているって、たまにありますよね。


葵=アオイ

 長く複雑な裏路地を抜け、直前で遭遇したジェームスをエトに擦り付けて、真っ直ぐに一直線。遂にクーと葵は目的地へと辿り着いた。

 葵が霧の禁呪を発動させるために用いた場所が丁度ここの公園だったらしい。彼女の表情からしてもここに来て緊張の色が強まっているのがよく分かる。全身が強張って固くなっているのがクーには理解できた。

 後方で爆発音や剣戟の音が聞こえる。どうやら戦闘は今しがた始まったようだ。

 そもそもの実力の差、そして実戦経験の差、心構えの差など、人に剣を向け始めて日の浅いエトと、元『八本槍』の差という要素はこれでもかという程散りばめられている。

 とは言え仮にもここまで武術紛いの指導をしてきたのは同じ『八本槍』であり、自称地上最強のクー・フーリンだ。それくらいの埋められない差など予測の範囲内で、あの発言――彼を倒すと言ったのだろう。今更気にかける必要もあるまい。

 そして――

 

「――せっかく来てやったのに迎えの一つも寄越せねぇのかよご主人様」

 

 低い声音で挑発気味にそう声を飛ばすクー。

 クーが微笑を浮かべ睨みつける先。葵も追って公園の奥へと視線を向ける。公園の中央の広場で、白い霧が徐々に集まり、黒く変色しつつ物体を形成しつつある。

 やがてそれは密度を増し、丸い輪郭を浮かべ、その曲線を一つの形へと確定させる。

 続いて輪郭の中で凹凸が生み出され、その部位の機能を与えられる。漆黒だったそれらは次第に様々な色へと変色し、見る者にとって不自然でない形と色合いを再現してみせた。

 そう、再現したのだ――陽ノ本葵という人間の姿を。

 片方だけリボンでサイドアップした栗色のショートヘア、小柄ながらも起伏に富んだ女性らしい体つき、幼げな顔つきと大きな瞳、そしてその服装までもが完全に一致している。

 

「遅れてすいません。霧になって周囲を監視していたものですから」

 

 陽ノ本葵となった霧の結晶は、恐らく地上に蔓延する霧と同化して、あるいは尖兵となっている元『八本槍』の連中の意識とリンクさせて、情報を収集していたようだ。

 彼女がここで実体化したのも、二人が正式な方法で霧の禁呪の解除を目論んでその目的地――彼女からすれば守るべき本陣に踏み込んだからだろう。

 故に、彼女がこれから取るべきは、力づくでの驚異の排除、つまり戦闘である。

 

「――にしても、本当にそっくりだよな、っていうか、あれ本人だろ」

 

 困惑しつつも笑みを浮かべるクーは傍にいる葵に視線を向ける。

 その意図に気付いた葵はそっと瞳を伏せた。

 

「間違いありません。この霧を生み出したのが私で、その根源が私の、死にたくない、という思いだとしたら、それが具現化したのがあそこにいる私なんです」

 

 この地上に展開されている霧の魔法は陽ノ本葵のマイナスの感情がきっかけとなって発動したものだ。そのマイナスの感情が擬人化したとするならば、それは陽ノ本葵の姿をしていて当然だろう。

 そしてその存在は、紛れもなく、死に恐怖していた以前の葵本人そのものである。

 見た目も同じ、持ちうる人格も同じ、経験も同じ、当然同じ状況下での挙動や言動も同じ。視野の外でシャッフルされてしまえば見分ける術は一切ない。

 

「――聞いてください、私。私には、私自身のことを信じてほしいんです」

 

 紛れもなく本物のアオイ、ただし霧の禁呪により生成された負のアオイが憐れんだ瞳でクーの隣の葵に語りかける。

 もう一人の自分、いや正しく自分自身の言葉を聞いた葵は戦慄し一歩後ずさる。

 

「私は我が儘になってもいいんです。世界が私を阻む壁になるのなら、ワタシがそれを退けてみせます。私が恐怖するのなら、ワタシがその恐怖を遠ざけます。私たちは間違ってないんです」

 

 泣きそうな顔でアオイは葵に問いかける。

 誰が悪いのか――誰も悪くないと。

 この世界は平等か――ワタシが平等にしてみせると。

 崩壊する秩序は――彼らの深層心理がそうさせる、彼ら自身が本当に望んだ結果だと。

 

「――そんなの、間違ってます」

 

 擦れるような声で、葵がアオイに向かい反論する。

 

「間違ってないんです。確かに霧の禁呪の性質上、彼らはより本能的になり、攻撃的になり、狂暴化するでしょう。でも、闘争が起きても、略奪が起きても、大量殺戮が起きても、ワタシが全て元に戻してみせます。今まで通り、なかったことにすればいい。そうすれば再び彼らは同じ夢を見ていられるんです」

 

 長い話に眠くなりそうなクーは、暇潰しに考えてみる。

 確かにアオイの話は事実だ。人間の本能というものは極めれば攻撃的なものである。飢餓に陥れば他者から強奪し、安全な住居を確保するためには身近な敵を潰して最適な場所を選び、愛欲に飢えれば力でねじ伏せ強引に犯す。

 そう言った、人の持ちうる闘争本能は社会秩序や法律・ルールという概念に固く閉ざされ、人々は理知的で倫理的な社会動物を演じることを強制されている。

 社会という神が、そして他人が人を監視し、枠からはみ出た者を罰し矯正する現状、それが正しく機能している現代を、誰もが口を揃えて『平和』と謳う。

 しかし、欲望というものが封印された人々は、理性という檻で本能を固く閉ざしている。言い換えるならば、魂のレベルでしたいと思っていることを行動に移せない状態である。

 その制限は、模範的でいることを強制される社会では、絶えず人々の心を摩耗させる。幸福そうに見えて、誰もが苦しんでいるのかもしれない。

 そして、葵が生み出し、アオイが構築したこのループ世界は、まさしくその檻を徐々に破壊し本能的な行動を許容するものだ。

 どれだけ他人を陥れようと、他人の生命を脅かそうと、半年というタイムリミットが訪れれば再びリセットされる。その時点であらゆる損失はゼロとなる。

 したいと思うことを本能の赴くままに実行に移し、かつそれが世界に許容され、そして一定時間後にはその罪悪感すらも失われ、その全てがリセットされる。これのどこが不自由な世界だというのだろうか。

 考えたことがある人も多いだろう。例えば、夢だと分かっていたならば、登場していた可愛い女の子を無理矢理犯しただろうにと。登場していた憎き奴を残酷な方法で惨殺しただろうにと。

 それが実現してしまうのが、この歪な世界なのだ。

 

「――もっとも俺様自身はここに来るまでそんなしがらみに囚われてすらなかったけどな、っつかこれも作り物の記憶か」

 

 元々クーの記憶では、風見鶏に来るまでは社会というものに囚われずあらゆる地で放浪してやりたい放題に生きてきたわけである。

 しかし一人呟くクーの言葉は二人の葵には届いていない。

 

 ――既にクーの中には一つの結論があった。

 

 たとえすべてが偽物だったとしても、この記憶にある、自分の生涯を支えてきたものは挑戦と闘争だった。

 たとえそれらが作り物の贋作だったとしても、この時点で存在している、自我を持ったクー・フーリンという自分ならば、この記憶と同じことをしただろう。

 挑んで、立ち向かって、死ぬほど苦しい思いを何度も繰り返して、それでも最後に勝利をもぎ取る、それがクー・フーリンという男だ。

 僅かでも未来を望む少女がいて、目の前に立ちはだかるもう一人の自分がいて、自己嫌悪と絶望に押し潰されそうで、たとえ抜け出したとしてもその先に望まぬ死が待ち構えていて、それでも――それでもなお一歩を踏み出したいというのなら。

 騎士として、いやそのような立派な身分でなくとも、一人の男として、槍に全てを捧げてきた挑戦者として、その道を切り開いてやるのも吝かではない。

 そして、結論はこうだ。

 

 ――アオイを黙らせ、葵を未来に連れていく。

 

 それは酷く傲慢な話だと自身でも気が付いていた。

 言うなればそれは、『自分でもできたのだからお前にもできるはずだ』というスタンスに他ならない。

 クー・フーリンという男はいつだって挑戦者で、数多の絶望的状況を乗り越えてきた。同じように葵にも、今目の前にある絶望的状況を乗り越えてもらいたいと。

 それは期待であり、信頼である。

 この世界において最高峰とされた集団『八本槍』の一人、クー・フーリンの期待、信頼はあまりにも重過ぎる。

 一方で、過度な期待をかけたクーもまた思い出していたのだ。

 かつてその期待に頷いた葵の瞳は、数えきれないほど叩きのめされても立ち上がりクーに追い縋ろうとしたたった一人の弟子の、意地と狂気を孕んだ瞳と似通ったものであったということを。

 故に――

 

「――行けるな」

 

 その小さな肩に、ごつごつとした掌が乗せられる。

 アオイの弁舌に反論する言葉を失っていた葵は、その感触にハッと顔を上げ、切れるような鋭い真紅の視線にぶつかる。

 

「――はい」

 

 そして、息を呑んで大きく頷いた。

 右手に握る真紅の槍を今一度握り直して確認する。それだけで、今の自分がものすごく調子がいいことが実感できる。

 本当に気分がいい。強敵を前にした時の昂揚感、それだけではない。

 戦う理由がある。

 負けられない。負けたら全てが終わる。そしてまた、何も知らないまま繰り返しの世界に戻る。

 それになにより、この勇姿を語り継ぐであろう存在がこの背中を見てくれている。一介の戦士にしてみれば、それだけで格好つけられる理由になる。

 そんなやる気に満ち溢れたクーを憐れむような視線を向けて、アオイは静かに呟く。

 

「どうにもならないと、分かっているはずなのに」

 

「どうにもならねぇならどうしたって勝手だろうがよ」

 

「まさかそんな子供の我が儘みたいなことを言う方だとは思いませんでした」

 

「こんな狂った性格にした創造主様を恨むんだな」

 

 アオイの周辺の霧が――魔力が変動するのを僅かに感じた。

 それを確認するまでもなく、クーは一瞬のうちに身を屈め地を蹴り、弾丸のように一直線に飛び出す。

 先手必勝、いつも変わらないクーのスタイルである。

 僅かばかりの距離はただの一歩で、そして一秒を数える間もなく潰された。

 真紅の槍の穂先がアオイの喉元まで走る。

 微動だにしないアオイ。無防備に晒された細い首筋は凶刃によって鮮血を散らす――

 

「――おっと」

 

 真紅の槍が何か固いものに遮られ、一撃必殺は失敗に終わる。

 相手の出方が予測できない以上、深追いは危険である。迷うことなく離脱して距離をとるその瞬間に事態を把握する。

 黒い靄が霧散していくのが見えた。それは彼女に集まっていた霧の一部だったようだ。

 そしてその僅かなやり取りだけで相手のステータスを読み取る。

 

「へぇ」

 

 嘆息。こいつは今までに相手してきた奴を遥かに上回る面倒臭さに違いない。

 アオイはたった今、周囲に存在していた霧を操作していた。今回はそれを用いて即席の障壁をつくりクーの槍を遮ったようだ。あの僅かな時間だけで、十分な破壊力のクーの膂力と槍の鋭さを凌ぐ堅牢さを発揮している。

 一瞬という時間があれば多少相手が人の域を超えていようとその一撃を軽々といなすことができる防御力と、当てることができれば瞬殺できる攻撃力を生み出すことができると考えた方がいいだろう。

 そして問題は、それらの脅威に対して何の代償も支払う必要がないということだ。

 ただ彼女は周囲の霧を操るだけ。そしてその霧はこの地上で無限に存在している。

 最悪、このロンドンの街の中に充満している霧を総動員させれば、この街諸共クーを始末することも簡単だろう。

 それをしないのは、他でもなく術者である葵がこの街の中にいるからだ。

 しないのではない、したくないのだ。

 

「あなたさえいなくなれば、ワタシは私と一緒にいられるんです。だったら、ワタシもその絶望とやらに抗ってみましょう」

 

 アオイは再び周囲の霧を操作する。

 霧と共に魔力を掻き集め、その効果によって僅かに体を宙に浮かせる。

 そして彼女はその左手に、一振りの剣を創り出した。

 それはどういう訳か、かの騎士王が愛用していた伝説の聖剣、エクスカリバーそのものだった。

 本来のそれが放つ太陽フレアのような一撃は、出力の程にも左右されるが、ある程度の威力を叩き出したい場合にはそれなりのチャージの時間を要する。

 しかし、それを彼女が霧を操ることで発動する場合にはその時間すらも不要、ほんの軽い一振りで死の濁流が襲い掛かってくる。

 

「≪約束された勝利の剣(エクスカリバー)≫」

 

 両手で剣を握り直しながら、その名を高らかに宣言――そして本当に軽く斜めに剣を振り下ろした。

 全身に電撃が走るような死の予感。本来のそれとは違う、黒い暴力が地面を抉り一直線に伸びてくる。

 以前霧の傀儡にされたアルトリアの一撃と比べて明らかに桁違いなその威力を前に、なす術はない。

 とにかく、全力で回避し逃げ切る。

 大袈裟に斜め後ろへと跳躍し、更に距離を置きながら回避に専念する。

 アオイから視線を逸らさないでいると、まるで子供が棒切れで遊ぶかのように、こちらへと向けて剣を幾重にも振りかぶる。

 その度に発生する漆黒の太陽フレア。ほんの数発撃っただけで既に公園の中はその地形を変えてしまっていた。

 その一撃一撃は重いどころの話ではない。僅かに指先が触れただけでも片腕が吹き飛び、頭部のどこかに掠りでもすれば首から上は胴体と離ればなれになるだろう。まして、無防備に全身で受けてしまえばこの身は塵も残らない。

 だが、それでもクーは、この状況を鼻で笑うことができた。

 即死級の一撃が次々と襲い掛かる。とても恐ろしく気の抜けない状況だ。しかしそれがどうした。

 

 ――いつもと同じことではないか。

 

 むしろ、これだけ大袈裟に強力な一撃であるとサイズ・迫力共に教えてくれるのなら、とりあえず回避することなど造作もない。

 更に付け加えるなら、この一撃も所詮は直線攻撃だ。振り下ろす動作さえ視認できていれば、飛んでくる方向だけは分かっているため、斬り込みの角度に注意しておけばいいだけの話になる。

 そして、戦士としての長年の経験は、この状況を一刻も早く体に慣れさせる。

 

「んじゃ、反撃開始」

 

 今まで横か後方に逃げて回るばかりだったクーは、攻撃と攻撃の合間を掻い潜って真っ直ぐにアオイの方へと飛び込む。

 それでも聖剣の黒い奔流は襲い掛かってくる。

 その直線攻撃の連続に慣れ切ったクーは、既に五手先の攻撃まで読み切った上で最小限の動作で回避しながら接近を開始している。

 真横を死が走り抜ける感覚に対し、既に恐怖はない。

 そして、たかが百数メートルを潰すだけなら、黒い奔流を避けながらでも十秒とかからない。

 真正面へと踏み込んだクーは、その胸元へと槍を叩き込むその前に、一度地を蹴って垂直に飛び上がる。

 霧を操り攻撃する以上、例えば死角となるアオイの背後からの一撃にも対応できるよう、全方向からの襲撃に備えての空中への移動である。

 そしてアオイへとその槍を叩き込む。それに合わせ、アオイは防御行動として剣を正面で構えた。

 力強い一撃が、アオイの剣を粉々に破壊する。続く第二撃で、アオイの脳天を、地面と共に串刺しにするように突き出した。

 突き出そうとした――

 

「――っ!?」

 

 今攻撃を加えようとした相手の少女から、引き攣ったような、声にならない悲鳴が聞こえた。

 その刹那の時の中で、クーはその瞳に驚愕と恐怖を見た。

 そう、まるで時間がすり替えられたような、そんな違和感を孕む少女の表情。

 例えば、気が付けば今まで味方してくれていた存在に(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)いきなり槍を向けられ(・・・・・・・・・・)殺されそうになっている(・・・・・・・・・・・)、そんな状況に直面しているかのような。

 胸糞悪さを覚え、危機感が瞬時に働いて、空中で突きだそうとした槍を、自分の腕の力だけで穂先を強引に地面へと突き立て、急な制動を加えられたことによる慣性の力で方向を転換。

 無理矢理な体勢の変更が祟って着地の姿勢は十分に隙を生むものだった。

 そして、顔を上げた時、クーは最悪の可能性を想定することとなった。

 アオイの声が聞こえてくる。

 

「あなたが槍を向けている相手は、本当に倒すべきアオイですか?」

 

 嘲笑うような科白が聞こえてきた一方で、二人の陽ノ本葵は、どちらも不可解だと言わんばかりの、驚愕の色で顔を染め上げて、足を震わせ佇んでいた。

 そう、クーが想定した最悪の可能性とは、槍で刺し殺す瞬間に、何かしらの因果の影響で二人の立場が入れ替わってしまう、ということだった。

 




一ヶ月以内に更新できたらいいなぁ。

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