複数対一って難しい。ホント難しい。
視界が一瞬にして白に染め上げられる。
閃光に目の前の全ての景色が奪われたリッカは、しかし自身の魔力感知能力とただの勘と直感で敵――『
恐らく巴は視界を奪われた状態での身のこなしは得意であろう、恐らくリッカよりも余裕を持ってこの状況を打破しているはずだ。
一方でリッカには巴程の機動力はなく、相手の最高峰のレベルの魔法を相殺できる程の繊細な技術も持ち合わせていない。
ジルは現在、シャルルと共に後方支援と清隆たち予科生の防衛に徹している。
リッカにあるのは、他の追随を許さない圧倒的な魔力量と、それを十全に扱いきれる魔法の数々。その引き出しの中には、『
次の魔力反応を感知、咄嗟に魔法障壁を十時の方向、仰角四十五度に展開。次いで魔力の砲撃の着弾、腕にその重みがずっしりとのしかかる。
相手の限界を推し量ることはできないが、恐らくこれでも最大出力の半分も出していない。
砲撃と衝撃のぶつかり合う音に、リッカの舌打ちの音が一瞬で飲み込まれる。
舌打ちの理由は相手の底の深さだけではない。このように魔法障壁で相手の攻撃を凌ぎ続けている限り、その衝撃による光の拡散で再び視界が白に染まり切ってしまうのも大きな課題であった。
それが枷となって、巴の姿が見えず、連携を取りにくい。あちらがリッカの姿を捉えていたとしても、リッカは巴とは違い視界の確保に優れているわけでもなく、それに巴の戦術の特性上、彼女の魔力反応や気配を辿ることすらままならない。
そう、この状況、明らかにリッカの方が足を引っ張っているのだ。
「――やっぱこのままじゃ拙いわよね」
どうやら魔法障壁に頼らない回避方法を模索するしか、この現状を変えることはできないようだ。
それを意味するのは、防御による安全策を捨てるということであり、ただ視界を確保するためだけに、敵の強大な攻撃に身を晒すリスクが生まれるということである。
身を焦がすような激痛を想像して、一瞬怯んで逡巡した後――迷いを振り払うように駆け出した。
青白い光線がリッカへと目がけて縦横無尽に飛んでくる。リッカが跳躍して回避したその場所は既に光線に焼かれ荒れ果ててしまっていた。
一瞬の判断を誤ったらあの大地と同じ運命を辿る、そう考えるだけで恐怖と緊張に心臓の音がその鼓動を早めるが、どうにも運がいいのかこういう才能が元からあったのか、あるいは野蛮な旧友との旅路の中で慣れてしまったのか、今のとこはまだ生きていることを実感できている。
そして、魔力同士の衝突がなくなったことから、十分に視界を確保できるようになった。リッカの睨む先はただ一点、黒いローブを纏った女だけである。
カテゴリー5の頂点、元『八本槍』にして『
そう、人格こそ完全に破綻していたものの、リッカとしても、その魔法に対する情熱と実力に関しては尊敬していたはずだった。
「――でもあんたは、未来を閉ざすための魔法を肯定した。魔法っていうのは、たくさんの人々の未来を照らすものなのに」
それは所詮自分自身の価値観だ。誰かに押し付けるべきものではない。
しかし同時に、自分の信念を、ここで折り曲げていいはずがない。妥協点が存在しないのなら、目の前に対立する敵を排除するまでだ。
暴力的な解決はあまり好みではないが、相手がそのような方法でしか争ってこないのなら、同じ土俵で相手をするまで。
そしてついでに、この最高峰を、頂点を、超えてやる――
「さぁて、かかってきなさいよ」
獣が牙を見せるように、これでもかと戦意を滾らせて挑発の笑みを浮かべるリッカ。
すると少し離れたところで浮遊していた魔法使いは、その腕を僅かに揺らす。その挙動だけで、数十はあるリッカの拳ほどの珠玉が四方八方へと飛び散り浮遊する。その内複数個、リッカの方へと飛んできたそれをかろうじで回避するが、どうやらその玉自身に殺傷能力はなさそうだ。
そして『
そしてこの布陣が、一体何を意味しているのか、すぐにリッカは悟った。
第六感が危険を告げる。
咄嗟に両足に風の魔法を展開し、機動力を上げ前方へと跳躍し地面に対し受け身を取り転がる。
その動作の内に確認してみたところ、やはり玉から玉へと魔力弾がとんでもない速度で弾き飛ばされ、玉同士が動きつつ的確に相手を狙い撃つ算段だ。
その性質上どこから飛んでくるのかは予測がつきやすいが、しかしこれはすぐに仕留めようというものではない。
これは、じわじわと嬲り殺しにするための、そう、長期戦を視野に入れた戦法だ。
魔力量、体力、魔法の技の引き出しと、あらゆる要素でリッカは『
相手の魂胆は、まず接近を許さない、体力を消耗させ早めに切り札を打たせ、その一瞬で防御及び回避に徹した後、打つ手のなくなったリッカを討つ、と、そんなところだろう。
どこから弾丸が飛んでくるかは魔力弾の動きを捉えていればまず見逃すことはない。当たることはないのだからわざわざ食らってやる義理もない。
リッカは一つの選択に照準を絞る。
無数の玉と玉の間を潜り抜けながら、一直線に、真っ直ぐに、脇目も振らず、風魔法による推進力を用いて『
「かったるいのは大嫌いなの!さっさと片付けさせてもらうわ!」
左後方からの弾丸を、視界の隅で確実に捉えてタイミングを合わせて自身の位置をほんの僅かに右にずらす。
一瞬前にいた場所を、死の音を引き連れながら魔力の弾丸が飛び去る。その背中をリッカは静かに見送った。次々に玉を経由し迂回して再びこちらへと向かってくるのを確認する。
リッカはワンドを軽く振って魔力弾を三つ生成、それを『
ただの魔力弾、しかしそれは飛び抜けた魔力の保有量を誇るリッカの渾身の一撃だ。並の魔法使いの障壁では紙を破るように通してしまう。
しかし相手もカテゴリー5、力押しに頼ることなく、瞬時にその魔力弾の構成を把握し相殺する術式を練って、接触と同時に消し去った。
リッカも想定済みだが、こうもあっさり対処されると妙に腹立たしい。
もともと負けず嫌いな性格だったが、誰かさんのせいでその感情はより強くなっているようだ。
敵の魔力の弾丸が三つに分裂したのを確認、一時停止して風の魔法を周囲に展開する。
周囲の桜の花びらや葉、草木を引き千切り巻き込み、風に乗せて周囲に纏わせる。
「――ハッ!!」
気迫を乗せ、草木を周囲に爆散させる。
魔力の弾丸を打ち出していた弾は、草木に弾かれ、風に煽られてリッカの周囲から退くこととなる。
同時に、リッカへと襲い掛かる弾丸の軌道も大きくずれることになった。
リッカは再び風魔法でブースト、力の流れを右手に集中させるのを感じるように、小指から一本ずつ折り曲げ、拳を握り締める。
閉じ込められ圧縮された空間の中で、蓄えられた魔力。
そして、リッカと『
拳を引き、そして全身のバネを弾くように前へと突き出した。
目の前の魔法使いは魔法障壁を展開、そこに掌の中で魔力を爆発させた拳が叩きつけられる。
腕を伝い全身に響くような重い衝撃、そしてすぐさま打ち付けた拳に激痛が走る。
接近戦を敢えて挑んだが、拳で殴るということに慣れていなかったのは戦略面でも肉体的にも痛かった。
左手に持ち替えていたワンドを振るい十を超える数の魔力弾を生成し、後退と共に魔力障壁に打ち付けるも、効果はない。
――背筋に痺れるような悪寒が走る。
後ろに退いたのは間違った判断だったか。足からの風魔法による出力を利用し、地面への着地までの時間を遅らせ調整していたことが拙かった。
『
「しま――っ!?」
咄嗟に魔力障壁を張るも、リッカ程度の魔力では目の前の大魔法使いの一撃を受け止めきれない。仮に直撃を避けたとしても、障壁ごと後方へと吹き飛ばされ、地面に叩きつけられて身動きが取れなくなるだろう。自分自身がダメージに慣れていないのは自分でもよく分かっていた。
絶望の光で視界が埋め尽くされようとして、リッカは奇跡を願うように瞼を強く閉じた。
一秒、二秒、三秒――
しかし、走馬灯を見せられているのではと錯覚するくらいに、衝撃が襲い掛かるのは遅かった。
いや、本当に奇跡でも起きたのだろうか。
瞼を開くと同時、地面が近づいていたのに気が付かず、足が地に着くと同時によろめいてしまう。
慌てて体勢を立て直し、見上げてみると、『
彼女の視線の先にあったのは――五条院巴だ。
一度に大量のクナイを投擲しながら円を描くように敵の周りを駆ける。
そして、手に持っていたのだろう、地面に叩き付けた爆弾から煙幕が膨れ上がり、彼女の姿をすっぽりと隠す。そのまま直線上に煙の中から彼女の姿はついぞ現れなかった。
目を閉じていたため詳細は分からないが、どうやら何かしらの手を使って巴が魔力光線を妨害してくれたようだ。
リッカは気を取り直して魔力を練り集める。
自身の魔力を出力させ、大気の流れと同調し、その力を制御下に置く。
鋭い刃物をイメージ――そう、リッカにとっての最強の刃物とは、いつも傍にいたあの英雄の真紅の槍。
真っ直ぐに突き破る風の槍――一つだけではない、大小様々に、何十、何百と生成し続ける。
その魔力反応を察知したのか、『
「いっけえぇぇぇぇぇ!!!」
全力を込めて右手を前へと突き出した。
その意志を受け取った無数の風の槍が、『
巴のおかげで十分な時間を以って練り上げられた、最大出力の魔法攻撃だ。これでどこまで通用するか――
流石に対応しきれないと悟った『
どうやら、それなりに効果はあるらしい。
徐々に、魔力障壁に亀裂が生じていく。リッカは攻撃の手を緩めることなく、連続して槍を生み、射出することを繰り返す。
最強の魔法使いの正面から、右から左から、全方面からの一斉攻撃を前に、彼女はその場の空中に縛り付けられる。
しかし、『
それをしないというのは、別の危険因子が今にも彼女に牙を剥こうとしていたからだった。
そう、いつの間にか、音もなく陰から姿を現した巴が。
腰に差してあった、鞘に仕舞われた太刀の柄に手をかけ腰を捻り、万全の態勢で抜刀術の構えを取り。
反射光に煌めく白刃は、『
リッカの攻撃は止まない。そして、爆発音と共に発生した煙の中で、『
これで終わりなのか、とリッカがその結末を認めようとした時。
煙の中から、美しい弧を描く三日月のような白刃が、回転しながら上空へと飛び出し、しばらくして地面へと突き刺さった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
魔法同士の衝突によるものと思われる光と、僅かに見える煙、そしてそこから飛び出した、月光に反射して輝く何か。
離れた位置から、清隆はリッカたちの安否が気になって仕方がなかった。
ここからリッカたちのいる戦場までの半分の距離当たりに、シャルルとジルが、清隆と姫乃、サラの防衛のために待機しているはずだ。
先程から長い時間をかけて激しい争いの光が見え、音が聞こえてくる。運が良いのかリッカと巴の連携が功を奏しているのか、『八本槍』の魔法使いを相手にそれなりに善戦を繰り広げているようだ。
ふと、制服の左腕の袖が誰かに引っ張られるのを感じた。
「兄さん……変なこと、考えてないですよね?」
流石は姫乃、と言ったところだった。勘が鋭いというか、そもそも姫乃の魔法の素養はそちらの方面で突出していることを思い出した。
主に清隆の心を読み取ることが得意で、今回の作戦でもその能力が成功のカギを握っている。
今回も、そんな魔法を使うことなく、何となくで清隆の心境を読み取ってしまったのだろう。
実際、清隆はこれからについて、よからぬことをしようと考えていたのだから。
「『八本槍』の魔法使いの実力がどれくらいのものかは分からないけど、多分魔法の実力だけで言えば、クーさんの槍の腕に匹敵すると考えた方がいい。だとしたら、いくらリッカさんと巴さんが協力したところで、勝ち目なんかないかもしれない」
そう姫乃に現状を分析した結果を話してみると、サラが厳しい眼差しでこちらを睨んでいることに気が付いた。
彼女言いたいことも、別に心を読むなどと大層なことをしなくても、ある程度分かってしまう。
「それが分かるなら、清隆が助勢に向かったところで、相手にしてみれば蟻が一匹増えたようなものです。行くだけ無駄ですし、最悪二人の邪魔になることだってあります」
サラの表情が、強張って見えた。
それは清隆を戒めているのと同時に、どうやら焦っているようだった。
サラは清隆の性格というものを知っている。他人の好意に対しては酷く鈍感だ。それなのに他人が困っていると、誰よりも早くそれに気が付いて、何も考えずにとりあえず手を差し伸べてしまう、そんな少年。
正義の味方などと言う大層なものではない。ただ過度にお人好しで、優しいのだ。
だから、今回もまた、実力の差など何も考えず、苦しんでいるかもしれないから、ただそれだけの理由で飛び出そうとしている。それが酷く恐ろしくて、危うい選択肢であるということを知っていながら。
行かせてしまえば、もしかしたら清隆が死んでしまうかもしれない。
姫乃は姫乃で兄に甘い。普段は姫乃が清隆を尻に敷いているようだが、決断した清隆を、姫乃は止めることはできない。
だからこうなった以上、サラが何としてもストッパーの役を果たさねばならないのだ。
全員が何としても生き残って、最後のループが発生する時に、みんなで笑顔でいられるように。
――分かっている。
こう言う時に限って、清隆は他人の考えていることが手に取るように分かってしまう。
姫乃が自分のことを心配してくれていること、サラも自分のことを心配してくれていること。
「多分、長引けば、それだけリッカさんたちの方が圧倒的に不利になる。だから、どこかで流れを変えないといけない」
覗き込んだサラの瞳が揺れた。その潤んだ瞳に映った自分の表情は、自分でこう思うのもどうかと思うくらいに落ち着いていて、まるで死ぬことすら受け入れてしまっているような表情で。
多分サラも、そんな清隆自身の表情に、困惑と動揺を隠しきれなかったのだろう。
「そ、それで、清隆は今の状況をひっくり返すだけの策があるっていうんですか!?」
「ある」
――かもしれない。
断言はできない。しかし断言しておかないと、二人を黙らせることはできないだろう。だから、彼女たちと、そして自分自身の心にも、嘘を吐いた。
「姫乃も知っている通り、俺は眠りの魔法が得意だ。多分、この分野だけならリッカさんよりも上じゃないかと見積もっている。いや、実際そうだろう。そして、俺たち東洋の魔法っていうのは隠匿されてきたものでもあるから、その性質を看破するには時間がかかる。それに、元々俺に備わっていた魔法っていうのは、名家の魔法を受け継いだものじゃないからな。なおさら正体不明なんだ」
葛木清隆は、
「だから、俺の魔法は、あいつに届く」
そのためには、まだピースが足りない。自分の力だけでは、この策は成立しえない。
だから、清隆はそのピースを完成させるために、サラを見る。真剣な表情で、その瞳を覗き込む。
「サラ、やってほしいことがあるんだ。できるか?」
その言葉に、サラは曇った表情で俯いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
リッカの風の槍による一斉射撃。
巴の死角からの、それに相手の隙を完璧に突いた必殺の居合。
チェックメイトと思われたその盤面は、あっさりと崩されてしまった。
「な……なんなの、今の」
『
その膜を斬りつけることとなった巴の太刀の刀身は、自身の太刀の威力とリッカの全魔法のエネルギーを全て受け、耐え切れずに真っ二つに折れてしまった。
それに、どうやらダメージを受けたのは太刀だけでなく、その太刀を握っていた拳と、彼女の腕にも甚大な被害が出ているようだった。遠目から見ても、木の枝に飛び乗っていた巴は、肉が断裂し、その両腕は夥しく血を流している。
だがその拳は未だに、折れた太刀を手放すことはしていなかった。
折れている太刀を、巴はそっと鞘に戻す。そしてそのまま再び煙の中へと姿をくらました。
今の攻防の中で一気に劣勢を強いられることになる。リッカは漏れそうになる舌打ちを噛み殺した。
何とか差を縮めようも、そこから先はなかなか接近できずに一定の距離を取られたうえでの防戦一方、風魔法を用いたブーストを利用してある程度接近してもすぐに押し戻される。
このままでは当初の彼女の方針のままに、長期戦を強いられて敗北への確定した道ヘと引きずり込まれる。
何とか打開しなければ――しかしそのための糸口が全く掴めない。
相手は、魔力は桁違いに多く、火力は馬鹿げているうえに防御も硬い。おまけにゼロ距離での対応も完璧だった。
強いて言えば近接戦に慣れていないところに弱点がありそうだったが、そこまでこぎつけることができない。そして、リッカ自身も、彼女と同様に接近戦は苦手だった。
故に、先程と同じように、リッカが突破口をつくり、そこに巴が一撃を叩き込む、という形が最も理想的なのかもしれないが、同時に相手もそれを悟っているだろう。
とにかく、今のリッカには何とか一撃必殺の魔法を掻い潜りつつ、隙を縫って攻撃を加えるしかできることはなかった。
「くそっ……こんなのどうしろっていうのよっ……!」
全身に絶望の影が覆い被さる。
気持ちで負け始めていることに自分自身で気が付かない。そしてそれは、いつの間にか自分の挙動を鈍らせてしまうことを、クーならきっとよく知っているはずだ。
そしてリッカは、まるで蔦に足を取られるかのように、躓いて動きを止める。
しまった、心臓を握り潰される感覚に襲われた時にはもう遅い。
動きを止めた一瞬で、『
『どうしても駄目だと言う時は自分の命を最優先しなさい』
そう言ったのは紛れもなく自分自身だった。リーダーとして指揮していたリッカ自身が真っ先にその約束を破ることになるのか。
悔しさを噛み締める。死ぬことが怖いのではない、負けるのが悔しいのだ。弱いということの罪の重さが、こんなところでのしかかることになるとは。
きっとクーも、そして彼に育てられたエトも、こんな思いを繰り返してあれ程の強さを手にしたのだろう。
自分は弱かった。だから負ける。そして、死ぬ。
それはここで相手に拘束された時点で確定事項となっている。ならば、次にすべきことは何か。
簡単だ。次に託す、それだけだ。自分ができなかったことを、誰かに引き継げばいい。そしてその役目に最もふさわしい人物も、ジルの他にいない。彼女なら、クーと自分と共に戦場を体験したことがある。
魔力反応が一気に濃くなった。大がかりな魔法が展開されているのだろう。その魔法が何なのかは、『
「誰でもいいっ、私の代わりに何とかしてこいつを倒して――っ!!」
力の限り叫ぶ。多分巴には聞こえているだろう。
リッカがいなくなることで戦況はさらに悪化の一途を辿る、巴ならそれくらいの判断をして、恐らくジルに助太刀を要請するだろう。実際、リッカの叫びを聞いた巴の表情は、苦渋の色が濃く表れていた。そこまでの予測が既に立てられていたのだろう。
その時、視界の端で、弾丸のような速度で飛翔する、細長い物体が通り過ぎた。
「俺もやります、だから、リッカさんもッ!」
その声の主は、細長い物体の正体は、清隆のものだった。
青白い光を纏って飛翔する清隆のそれには、あまり大きな魔力は感じられない。つまりそれは、何者か――サラによる術式魔法を用いた出力の効果増強。
そして姫乃当たりに魔力を借りて一気に飛び出し、脚部への魔力への集中により一蹴りで一気に『
死角からの一撃でもない、隠していた切り札でもない。
そもそも清隆は戦力ではない。例えカテゴリー4という事実が相手の筒抜けだったとしても、所詮は魔法の扱いというカテゴリの中での話だ。それを実践で、しかも戦場で応用するとなると話は別である。
それ以上に、彼らを守るようにジルとシャルルに指示したのはリッカ自身であり、最短距離でこちらに来るには二人の静止を振り切らなければならない。
しかし、清隆が最短距離でなく、大きく迂回した上でこちらに来たのであれば――そしてカテゴリー5の頂点に届く魔法を清隆が持っているとしたら――
それは、紛れもなく、たとえ相手がリッカたちの思考を魔法で読み取ったとしても到底知り得ない、
清隆の魔法は東洋独特の、道具に頼らない大胆かつ繊細なものである。
そしてカテゴリー4の実力と才能から繰り出される、秘匿された魔法による一撃は、もしかしたら――カテゴリー5すらも凌駕する。
そう、夢や眠りに関する分野ならば、清隆はリッカを差し置いて学園最強たり得るのだから。
力いっぱいに掌を広げた清隆の中指の先端が、相手の衣服に僅かに触れる。そのタイミングで何かしらの魔法が発動されたのをリッカは認識した。
同時に、清隆を振り払うように発動された魔法が清隆を襲う。
それを予測していた清隆は、『
砕かれ捻じ伏せられることはなかったが、その衝撃に抗えなかった清隆は遥か後方へと吹き飛ばされ、そこにあった一本の桜の木に激突する。
その様子を、リッカは見ることはなかった。何故なら。
目の前で、『
いくら清隆が眠りの魔法で才能を開花させているとはいえ、『
しかし、清隆が発動させたのは睡眠に導入させる魔法ではなかった。
この場で誰一人としてそのメカニズムを理解できたものはいないが、彼が使ったのは、睡眠に導入させるものではなく、相手に直接『眠りたい』と思わせる、心理操作の類の魔法だったのだ。一度適応されれば、後は思うままに心が落ち着いて体が運動機能を停止しようとする。
結論は同じものが用意されているが、そこに至るまでのプロセスが完全に違っていた。それを読み違えようものなら、この魔法を防ぐ手立てはない。
相手の魔力反応が徐々に薄れ始めてきている。勝機は――ここだ。
――さあ今だ、切り札をかざせ。
「――禁呪、≪偉大なるテュポーンの術≫ッ!!」
本来なら、その場の一帯を死の荒野へと一変させるほどの風の大災厄をもたらす魔法。しかし今回は、それを一点に凝縮させる道をとった。
そのような大袈裟な技を、リッカは上手く操作することはできない。つまり、これを補助しているのは。
「リッカ!間に合ってよかった!」
清隆の高速移動を察知したジルが、慌てて駆けつけてくれたのだ。そしていち早く状況を理解し、リッカの技のサポートを始めた、そして今に至る。
今、リッカの両腕の中に、最強クラスの台風がその威力を凝縮させて抱えられている。これを、真っ直ぐに、ただ真っ直ぐにぶつければいいだけだ。
「これで、終わりッ!」
正面へと、『
荒れ狂う暴風は一直線の破壊光線となって、世紀の大魔術師を襲った。
――轟ッ!
届かない。
その一撃は、僅かに意識を保っていた『
これでも届かないのか、完全敗北を前に、リッカの胸が締め付けられるように苦しくなる。
でも。それでも。まだ、終わってなど、いなかった。
――五条院巴。
突如上空から降ってきた彼女は、暴風の直線攻撃に足をかけ、それを利用して真っ直ぐに飛び出したのだ。
愛用の太刀はその刀身を完全に折られてしまったが、彼女の闘志は少しも捻じ曲げられていなかった。
鞘に納められていた太刀の柄に再び手をかける。指先から滴る血が太刀を濡らした。
そしてその距離は丁度、彼女の腕と折れた太刀の長さと同程度のものとなる。
抜刀。折れた太刀は鞘に引っ掛かることなく、心地よい音を立てながら再びその輝きを露わにした。
そして、その刀身は、魔法障壁を切り裂いた。そこに込められていたのは、清隆と同じ東洋の魔法、相手の魔法を、触れたと同時に解析し相反する力によって無力化、刀によって切り裂くものだ。
これで、『
しかし、それではまだ足りない。
忘れてなどいない。最初のチャンスが何故失敗に終わったのか。それはゼロ距離でのエネルギーの反射を可能にする魔法だ。
このままではリッカの風の禁呪を纏って、その威力を膜として展開するだろう。
そして、巴の太刀は返しの一撃では間に合わない。
――だが、この読み合いは、巴の法に軍配は上がる。
魔法障壁を切り裂いた巴は、おもむろに鞘を手放した。そして、そこに隠されていたのは、鞘と同じように握り締められていた、折れた方の刀身だったのだ。
返しの太刀ではなく、第二の太刀ならば、リッカの攻撃よりも先に目の前の相手に届く。
そして、『
「――借りは返したぞ、女狐」
ニヤリと笑った巴は、自分の掌が切れることを気にせず思い切り握って血に濡れた、折れた太刀の刃を上から下へ、縦に振り抜いた。
『
刀で斬りつけられ、血を噴きだしている『
悲鳴の声は、暴風に掻き消される。そして、その黒色のローブ姿は、自然の猛威に食い破られつつ、その姿を塵へと変えていった。
その様子を見届けて、リッカはぺたりと地面へと座り込む。
残ったのは、格上の相手を倒した達成感などではなかった。一つ間違えば死、という状況で何度も失敗した状況で、未だに生きていられたことに対する安堵。
恐怖と緊張、絶望に固められていた体がようやく解放された。
「お疲れさま、リッカ」
駆けつけたジルが、リッカの隣に座り込み、その身体を支える。
親友が隣にいてくれていること、それを思うと、座ってなどいられなかった。
彼女に体を支えてもらいながら、何とかして立ち上がる。
障害を取り除いたが、ただそれだけのことだ。まだやるべきことはある。
これまでのことが全て前座だということに溜息しか出ない。
立ち上がったリッカは、少し遠い位置に見える、この地下最大の枯れない桜の木を見上げた。
次回エトvsアーチャーもどき。
こっちは今回よりも楽かなぁ、どうかなぁ(適当)