満身創痍の英雄伝   作:Masty_Zaki

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ちょっとした小話のようなもの。
最近出番の少ない二人がメインです。


王の問答

 今宵は月が隠れて光が見えぬ、新月の日のようだ。

 以前に日本文化をこよなく愛した男が遺していった、英国にありながら和風の様相を呈する小さな屋敷の、鯉が泳ぐ大きな池を眺められる縁側の柱にもたれて座り込んでいた男は、闇に覗かせる長刀の刃を鞘に仕舞い、壁に立てかけては静かに立ち上がる。

 その視線は、月の見えない夜空に向かっていた。

 

「嗚呼、今宵は冷えるな」

 

 光なき空は、冬である日々の中でもいつも以上に冷たく感じられる。

 いつもであればこの時間の後は少しだけ剣術の修練に励むのだが、今日に限っては妙に気が乗らない。

 佐々木小次郎を名乗るこの男は、その人生の全てを剣に捧げてきた。これまでに一度たりとも欠かしたことのない日々の研鑽を、あろうことかやる気がないとはどういうことか。彼は夜空に問いかける。

 そして、ふと思い出した。

 考えてみれば、たとえ今月が見えていようと、この深い霧の中ではその仄かな明かりすらも愉しむことなどできはしないということを。

 

流木(・・)――か……」

 

 川の中を、海の中をただその流れに身を任せて、全てを排さず受け入れて運命に抗わずに生きてきた。

 はてさて、その人生が本当に正しいものだったのか、今となってはその答えも見つける術はない。そこに是非を見つける価値などとうの昔に朽ち果ててしまっていた。

 いつの間にか、庭先の池にある鹿威しの乾いた音は聞こえなくなっていた。水の供給が止まってしまったのか、動きを止めてしまったのだろう。

 そう、停滞。

 覚悟などない内に、分かってしまっていたのだ。己の運命など。

 川を流れ、大海原を揺蕩う流木は、どこかの島へと流れついて、いつかは身動きが取れなくなってしまう。それが定め。

 ならば、また今回も、抗うことなく受け入れようではないか。

 旅は道連れ――使い方は大きく間違っているだろう。だが、この運命を受け入れた先に、何か楽しいことが待っているかもしれないのだから。

 最後に眺めていた夜空の景色は、まるで時間が止まっているようだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「――チェックメイト、だ」

 

 風見鶏の校舎の中に設計された、VIPをもてなすための無駄に大きな応接間。

 基本的には人が寄り付かないように強力な人避けの結界が張り巡らされており、風見鶏の学生程度の実力では到底近寄ることはできない場所にある。

 つまりは、ここに来ることができるのは、リッカやシャルルなどの強い力を持つ魔法使いか、あるいは結界に対して精通している魔法使い、逆に結界に対して耐性のある魔法使いくらいのものだ。

 さて、そんな無駄にセキュリティの頑丈な一室で、いつもの黄金の鎧とは違い、最高級の布や毛皮をふんだんに使った衣服を身に纏った英雄王、ギルガメッシュは、チェスの盤を置いたテーブルを挟んで向こう側に座っているさくらを相手に、チェスに興じていた。

 

「さすが王様だね、勝ち筋が全然見つからないや」

 

 追い詰められた(キング)の駒をじっくりと睨んでは唸っているさくら。その小さな頭の中では既にここに至るまでの何手も前の記憶を呼び戻し、別の手を打っていた場合どうなっていたかを検証していた。

 

「フン、どれだけ年を重ねたかは知らんが、所詮は小娘よ。戦場とは盤を俯瞰するもの、手を読んでいるのではこの我には到底及ばぬ」

 

 愉快そうに笑うギルガメッシュを前に、さくらはもう一度チェスの盤を最初に戻す。

 そして悔しさに塗れた瞳をギルガメッシュに返して、鼻息を鳴らした。

 

「もう一回、もう一回!」

 

「ならぬ、何度繰り返そうと同じことだ」

 

 実はさくら、かれこれ五回ほどギルガッメシュを相手にチェスで挑んでいたのだが、その度に返り討ちにあっていたのだ。

 最初はストレートで完敗、二回目はギルガメッシュの手を予測して先回りしたところその手が全て読まれていて完敗、三回目はある程度善戦、しかし淀むことのないギルガメッシュの手により一気に勝負を決められる。そして四、五回目とさくらの癖を読まれて完敗を喫した。

 しかしどうだろう、盤を俯瞰すると言われてもそのイメージが全くできない。これはギルガメッシュが王であるからできる芸当なのだろうか。

 

「それじゃあ、ちょっとだけ、お話を聞いてもいいかな?」

 

 盤の真ん中に、女王(クイーン)の隣に置かれてある(キング)を、少し動かして誰もいない戦場の中央に立たせる。

 その瞳は先程の悔しさとは打って変わって、純粋で真剣な眼差しをしていた。

 

「……よかろう。して、何が聞きたい」

 

 今度は意地悪気な笑みを浮かべる。今日の英雄王はどうやら機嫌がいいらしい。

 ギルガメッシュのまさかの返答に少し驚いたさくらは、気を取り直して目の前の王に問う。

 

「王様は、何で王様になったの?」

 

 世界の頂点に君臨し、全ての頂から全てを見下ろし俯瞰する。

 あらゆる支配層の頂点に立ち、万物を見届け、そして裁定を下す存在になった、その動機。

 さくらがなろうとしてなれなかったもの。全てを叶え得る存在に、どのような価値を見出したのか。

 

「なるべくしてなった、ただそれだけのことだが――しかしそんな戯言を聞きたいのではあるまい」

 

 闇をも飲み込む真紅眼の瞳がさくらを覗き込む。

 

「正しく言うなら、覚えておらぬ。元々我が持っておるこの記憶も正確かどうかも怪しいものよ。だが、この贋作に等しい記憶に準ずるとするならば――そうだな……」

 

 椅子の背もたれにゆっくりと体重を預けつつ、瞳を閉じる。

 長い長い過去を思い出すその動作は、本当にゆっくりしたものだった。

 一息ついて、そして瞼を開く。その視線は天井へと向かっていた。

 

「雑種共――人間に興味を持ったからだ。神も人も実に退屈な存在よ。しかし、停滞した神とは違い、人間には可能性があった。故に、見届けようと思ったのかもしれぬ」

 

 確証はない。他人事のような口ぶりでそう閉めたのは、紛れもなく本当の自分というものが正確にイメージできなかったからに他ならない。

 不完全な王、不完全な支配者――誰よりも自身が雑種であったという皮肉に気が付いていて、誰よりも自分のことを忌み嫌っていた。

 

「地を這う蟻のように人間は数を増やす。しかしかつては、その一人ひとりが己の価値を理解しその生を全うしていた。不必要な人間など、一人もいなかったのだ」

 

 かつて、住人の奴隷を用意し、その中で要らぬものを殺そうとしたことがある。

 しかしギルガメッシュはその時、誰一人として殺すことができなかった。全ての人間に、生きるべき価値が存在していたのだ。

 

「その時我は既に王の位に就いていたが、しかし王として、支配者として君臨し続けんと望み、成し遂げたのがその辺りだったか――いかんな、やはり記憶が定かではないというのは語るに難い」

 

 不完全に独立したこの身体では、どうにも上手く話せない。

 詳しく話すつもりは毛頭なかったが、気が付けば興が乗り、少しでもこの小娘に事を伝えようと意識を動かしていた。

 

「我はこの人類史を読み耽ることにした。これだけの有象無象がいて、その全てに価値があるというのは誠に珍しい。群れを成し、蠢き、そして破壊と創造を繰り返す姿を観測し続けることを選んだのだ」

 

 しかしそれは正史に君臨しているギルガメッシュのものであり、この世界に召喚されるにあたって分離された、霧の魔力によって生み出された魔力の結晶のものではない。

 この霧に塗り潰された世界で、魔法使いという人の手によって生み出された魔力の塊でしかない存在、しかしその自我は紛れもなく英雄王としてのものであった。

 歪曲、矛盾、己の存在をそう定義していたからこそ、個人単位では何の力も持たない雑種が僅かに光って見えた。

 そしてその最たるものが、目の前にいる、人の上に立とうとして彷徨い続け、身を滅ぼした一人の少女、さくら。

 迷い、誤り、それでもなお繰り返して前に進むのが人間の本懐。彼女ほど人間らしい人間にあったのは、いつ以来のことであろうか。

 

「故に、我が秩序であり、我が法である。そして、それを体現するのが、絶対的な王なり――」

 

 そう言い切って、そして不満げな顔で宙を見つめる。

 自分で口にしたことが、自分自身で納得できていないようだ。全ての頂点に君臨するものとしての傲慢不遜な在り方を変えなかった男にしては、珍しく謙虚な姿勢であった。

 

「もっとも、今の我は仮初の王に過ぎん。贋作の身体でできることは、せいぜい貴様ら雑種の児戯を静観することのみだろうよ」

 

 長い足を組んではようやく満足げな笑みを浮かべる。

 さくらは、その自嘲染みた微笑を、ただ真っ直ぐに見つめていた。

 そして。

 

「こんなこと、言うまでもないと思うけれど――」

 

 そこで言葉は詰まる。

 この男は、英雄王ギルガメッシュは、全てを知っている。さくらがあらゆることを知っている以上に、きっと長い経験と、神よりも広い視野で見てきたことを、知っている。

 彼は煩雑を嫌う。二度手間、増して承知していることで諫言をを受けるなどもってのほかだ。

 失礼であることなど、地上で彼に助けてもらった時からずっとそうだ。彼もそんな些細なことなどは気にしていないだろう。

 しかしこれは、この言葉ばかりは、本当に言うまでもない上に、彼の怒りを買うだろう。

 でも――それでも――

 

「――貴方は誰もが認める、ううん、誰もが認めなくても、全てを支配するに相応しい王様だよ。たとえ、その身体が、その心が偽物だったとしても」

 

 言い切って、決して視線を逸らすことはしない。

 制裁を受ける覚悟はできている。全身を串刺しにされるか、縛られて絞め殺されるか、しかし最後に自らの答えを見出し、そして真なる王の存在に出会えたということが、何よりのかけがえのない経験だった。

 そして、英雄王の口が開かれる。

 

「随分と口が回るようになったな、小娘」

 

 組んでいた足を戻して、ギルガメッシュは立ち上がる。その真紅眼はどこか愉しそうに笑っていて。

 

「確かに言われるまでもない。しかし、王として民の信を得るというのは、存外心地が良い」

 

 その指先には、いつの間にか、さくらが盤上の中央に動かしていた(キング)の駒が摘ままれていて、彼はそれをひらひらと回していた。

 さくらに背を向ける。そして扉の方へと足を進めて。

 

「口先だけの慰めなどいらぬ。だが、貴様の言葉、多少なりとも胸に響くものはあったぞ。貴様の生き様、いつかこの目で見定めさせてもらおう。いくらでも届かぬ夢を追いかけるがいい。我は求める者を、拒みはせぬ故な……」

 

 ガチャリと、扉が閉められる。

 結局、刃を向けられることはおろか、喝を入れられることすらなかった。

 何事もなかったことに、何も安堵などできなかった。結局胸中に残ったのは、どうあってもあの王様の考えていること、その本性をほんの少しも理解することができなかったことに対する、妙なモヤモヤ感だった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 人の少なくなった教室の中で、サラはただ、座ったままで窓の外を眺めていた。

 エトは最近何かを掴めそうで掴めないと悩みを呟きながら、今日も師匠であるクー・フーリンのところで鍛錬をつけてもらうらしい。

 こうしていて、まるであの時自らの命を擲つ覚悟を宣言したことが、夢みたいな錯覚に陥ってしまう。

 冬も真っ最中でありながら、差し込む夕日の光は少しだけ温かい。そして途切れることなく視界に降り注ぐ、薄紅色の結晶。

 どこにでもあるような、といってもここ風見鶏でしか見られない光景だが、この平和な空気そのものは、自分が非日常の中にあることを忘れてしまいそうになる。

 その背中に、声をかけるものがあった。

 

「どうした、サラ」

 

「考え事ですか?」

 

 時を同じくして運命を共にすることとなった、葛木兄妹だった。

 魔法の素養としては、単純に計算してもサラの何倍にもなる。特に兄の清隆は、本当に魔法使いの卵なのかと疑いたくもなる程様々な活躍を見せている。

 そしてそこに、ここにはいない、戦闘能力を身に着けているエトが混ざると、今ここに、何の才能もない人間が、ただ一人だけいた。

 

「二人は、怖くないんですか?」

 

 訊くつもりもなかった問いが、無意識の内に唇の端からこぼれてしまっていた。

 慌てて取り消そうとしてももう遅い。同じく無意識の内に、二人に縋り付くような目を向けていた。

 

「少し前の俺は――リッカさんから具体的な話を聞いた時は、正直怖かった。みんなに話していた時も、自分自身がどうなるかも分からない、みんなを巻き込んで傷付けてしまわないか不安にもなった。でも、今の俺の隣には姫乃がいる。そして、周りにはみんながいる。だから、怖くないさ」

 

「私は決めましたから。どんなことがあろうと、兄さんと共に在ると。兄さんが苦しんでいるなら、同じ苦しみを味わいましょう、兄さんが試練に立ち向かうなら、私も同じ試練に立ち向かいましょう、そして兄さんが命を賭けるなら、私も命を賭けましょう。これは紛れもなく、私自身の意思ですから」

 

 ああ。

 やっぱり、この二人はいつも強い。

 魔法の強さは、魔法使いの意志の強さが大きく影響するという。

 二人が純粋に魔法が強くて、そしてその存在が強いのは、二人の意志と絆が誰よりも強いからなのだと、改めて思い知る。

 でも、絆なら、サラにもある。

 いや。

 正確に言うならば、サラと、エトの間に確かに存在する。

 確かにサラ自身は魔力をあまり保有してはおらず、才能に恵まれたとは言えない。

 しかし、逆に考えてみれば、自分にできなくてもいいという一つの答えに辿り着いた。

 サラの得意とする術式魔法は、複数の術式が混ざり合えば混ざり合う程困難を極めるが、少量の魔力で莫大な力を得ることができる。

 サラがそれを使っても、ほんの少ししか力の足しにはならないだろう。だが、それを清隆が使えば――姫乃が使えば――エトが使えば。

 誰よりも、自分の術式魔法を使ってほしい人がいた。無論、他の誰でもなく、エトである。だから。

 

「私、決めました」

 

 ふと、柔らかな笑みを浮かべたサラ。その頬は、僅かに紅潮している。

 しかしどこか幸せそうに見えるその横顔は、何やら大きな決心をしたようにも思えて。

 サラは立ち上がって、そして教室の窓を一つ開け、身を乗り出す。

 そして、後ろにいる清隆や姫乃にも聞こえるように宣言した。

 

「私、この地上の霧の問題を解決したら、エトに好きだって気持ちを告白します。きっと、世界が何度繰り返そうが、どの世界でも、私はエトのことが好きだったでしょう。何度でも何度でも繰り返してみせます。だから、この戦いが終わったら――」

 

 そして、希望に溢れる瞳は、地上へと続く、晴れ渡る青空へと向かっていた。




さっくりと短めに。
次回も多分こんな感じ。

ギル様表現しようとして大苦戦。
もしかしたら、「こんなのギル様じゃない!俺の信じるギル様は、みんなを、不幸せに……!」みたいになってるかもしれない。
ギル様がきれい過ぎて自分でも頭がどうにかなりそうだった。

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