今日は珍しい一日だ。
正直そのことについてはこうして大きな建物を仰いでいるクー・フーリンも意識していたし、その隣で半分困惑状態で引っ張り出された少年にも同じことが言える。
クリスマスパーティーを終え、翌日葵の買い出しに付き添った時に偶然にもマロース姉弟に遭遇した彼は、その数日後、何を思い立ったのか彼の弟子である、生徒会長シャルルの弟、エト・マロースを唐突にシェルで呼び出して地上のとある建物の前まで来ていた。
そしてその敷地の前に足を突っ立てたエトは、引き攣った笑みでその大きな門構えを視界に捉えていた。
誰もが知っている――という訳でもないが、『八本槍』であるクーとよく共に行動しているエトだからこそ知っている、この城のような建物の持ち主の名前。
表の社会でも優秀な政治家としての家系であり、そして裏社会、即ち魔術社会でも類稀な、精霊との契約を交わした魔法使いの一族である。
その名も、由緒正しきパーシー家。そう、あの『八本槍』である騎士王と呼ばれる女性、アルトリア・パーシーを次期当主として抱えている一族である。
そして、彼が事前のアポイントメントもなくここに足を運んだ理由も、エトがここに連れてこられた時点で何となく察することができてしまっていた。この人ならばこれくらいは造作もなく行動に移してしまうと。
「ね、ねぇ、面白いものを見せるって、まさか、とは思うけど――」
「おう多分そのまさかで当たりじゃねーの、黒い影相手に暴れ回ったこともあったが、物足りねぇ。だから普段の借りも返してもらわないとな」
そう言いながら顔だけをエトに向け、そして獲物を食いちぎらんばかりの白い歯をちらりと見せて見るも恐ろしい笑みを浮かべた。
言わんとすることはそれだけで理解できた。バトルジャンキーであるところのクー、すなわち『八本槍』が、同じ実力である『八本槍』の下へと向かう、そしてそれに戦闘術を教える弟子を同行させるとなると、答えは一つだ。
その答えは、師匠の方から正解発表がなされることとなる。
「肩慣らしっつーか、久しぶりにあの騎士王様と摸擬戦をする。テメェにもその次元の闘いってやつを見せてやるよ。普段書庫とかの整理手伝ってやってんだ、そろそろ等価交換と行こうじゃねーの」
最後の方は独り言だったようだ。ブツブツと呟きながら、何の遠慮もなく門を潜り、数多く見受けられる使用人を無視しつつ(あちらもクーの顔は知っているようで、無言で礼をするのみで彼を止めることなく、再び清掃などの作業に戻る)、真っ直ぐにその先にあるエントランスへと歩を進める。
そして左右同時に開かれるドアを潜り抜けて、急いで現れた案内人の跡についてとある一室へと通された。
ここでも無遠慮にどっかりと腰を下ろして、手際よく用意された紅茶にビスケットを少し浸して口の中に放り込む。その隣ではエトが礼儀正しく一礼してから紅茶の入ったカップを口に近づけていた。
おせーな、と呟いたほぼ同時、再び部屋の出入りを可能にするドアが開いた。
姿を現したのは青と白を基調としたドレスを身に纏った、金髪の凛とした少女だった。名を、アルトリア・パーシー、『八本槍』の実質纏め役、騎士王と呼ばれる者である。
「今日はまた急な来客ですね。何か急用ですか?」
斜め後ろに使用人を控えさせながら、対面のソファにゆっくりと腰を下ろす。やはり彼女を見ていると、その一挙一動が実に優雅であった。
彼女が腰を下ろすと同時に、クーの隣に座っていたエトが立ち上がった。アルトリアの視線がエトへと移る。
「お初にお目にかかります、クー・フーリンに師事している、エト・マロースと申す者です」
深々と一礼。するとその様子をきょとんとした様子で眺めていたアルトリアは、彼に挨拶を返してから、直後に苦笑いを浮かべた。
「こんなにも礼儀正しい方の師匠があなたのような礼節の欠片もない方とは、世の中もまだまだ未知が多いですね」
抜かせ、と拗ねた表情でそっぽを向くクー。体格の差さえ度外視してしまえるなら、圧倒的にクーの方が子供だった。
使用人が用意したティーカップを持ち上げ、一口だけ紅茶に口をつけると、音をたてないように再びソーサーにカップを置く。
それを合図にしたように、早速クーは本題に入るべく口を開いた。
「大したことじゃねーよ。ちょっと今まで雑用任された借りでも帰してもらおうと思ってね」
そうとだけ口にすると、アルトリアはどこか不快げな表情を浮かべる。彼女としては、こちらから頼んでいたのは間違いないが、彼は善意でそれに首を縦に振って手伝ってくれたものだとばかり思っていた。と思っていればこんな風に見返りを要求されるのは仕方のないことであるとは言え、以前まで同じ『八本槍』として、王室に仕える騎士だった人間が相手だったとなれば、少しの不満くらいは表情に出しても罰は当たるまいと思った。
「……それで、何を要求するのですか?」
その口ぶりはまさしく家族を誘拐された人が、誘拐犯との交渉の第一声としての質問と瓜二つだった。少し苛立たしげに眉を顰めている辺りが実によく似ている。
するとクーは、傍に立てかけてあった黒い筒を、握り拳でこんこんと小突いてみせる。彼女にはそれだけで十分に意図が伝わるだろう。
「――これはまた、いきなり物騒な取引ですね」
「悪いな、こちらも思い立ってすぐだったからな」
「あなたがインスピレーションのみで行動するのは以前から熟知しています」
立ち上がったアルトリアは、傍に控えていた使用人に一言何かを伝える。使用人はかしこまりましたと返事をして、すぐに部屋を発った。
自身も準備してくる旨を伝えて、アルトリアも部屋を出た。
別の使用人が部屋へと入ってきて、ついてくるように言う。
部屋を出て、廊下に飾られてある絵画やら盾やらを眺めながら歩いていれば、目的地まではすぐだった。
天井の開けた大きなドーム、地面に引かれた白線の様子から見るに、ここはグニルックを中心とした様々なスポーツを行うスタジアムのようだ。
字面は人工芝でできており、軽く踏み締めてみたところ、魔法によって強度が強化されているようで、踏み込む時に足に力を込めても簡単には荒れないだろう。
観客席も今は誰も入ってはいないが、それなりに大人数を収容することができるだろう。グニルックの公式大会がここで開かれたこともあるようだ。その時の出入り口は、このパーシー家の邸宅の出入り口とは別のところから入退場する仕組みとなっている。
色々と確認しつつスタジアムの中を見回していれば、アルトリアの声が聞こえてきた。どうやら準備を終えたようだ。
振り返ってみると、そこには先程まで来ていたワンピースのドレスの上に直接鎧を着込んだアルトリアが立っていた。その右手の拳には、輝くような長剣、精霊に祝福されし聖剣エクスカリバーのレプリカが握られていた。彼女の一族はかの伝説のアーサー王のファンであり、どこかにあるであろう本物のエクスカリバーと、その鞘を見つけるための研究を重ねているとかなんとか。
その剣の煌めきを見るだけで、心が騒ぐ。
これから刃を交える相手が得物を取った。それはすなわち決闘を受けるという返事にほかならず。
相手の言葉を聞くこともなく、クーはその両手に真紅の長槍を握り締めた。
スタジアムの中央、僅かに聞こえるリズムを整える呼吸音だけが風に乗って耳まで伝わってくる。その様子を、距離を取って観客席の最前列から六列程後ろに下がったところの席に座り込んで、エトは眺めていた。
「もっとも、律儀な騎士王様だから卑劣な手でも使わん限り本気なんざ出してくれそうもないが――」
「何を言うのです、あなたが望むのなら、私はいつでも本気で向かいます」
違う、そう言うことではない。
確かに彼女は、彼女の持つ全身全霊でクーの真紅の槍を叩き折りに来るだろう。だがそう言うことではないのだ。
クーは知っている。彼女が本当の意味で本気になるのは、自分の意志で大事な何かを守ろうとすると気なのだ。それは女王陛下であり、このパーシー家という家であり、そして全ての魔法使いであり、実に様々なものを巨悪から守り抜こうとする時、彼女は最も強くなる。
たかが摸擬戦で、彼女にそこまで高望みはできそうもなかった。
「そうかい、それじゃ、簡単にくたばるんじゃねーぞ」
「そちらこそ、打つ手がないからと言って急に萎えないでください」
お互いに相手を挑発する言葉だけを残して、その手に握る得物で構えた。
この場にいる戦士のみが分かる、高い実力を持つ者同士が対峙する決闘の、一筋の糸が張り詰めたような緊張した空気。
そう、この瞬間から、少しずつ一本の糸がピンと張りつめて少しずつ力が加えられ始めたのだ。そして、その糸がプツリと切れるのは、均衡が崩れて決着がつく瞬間――
先にエトの瞳に映ったのは、クーへと一直線に向かう、聖剣の騎士王の光の柱だった。
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どれ程の時間だっただろうか、エトの瞼は瞬きをすることを忘れていた。
斬撃に次ぐ斬撃、その合間に繰り広げられる死の紅い閃き。人の域を遥かに凌駕したその攻防は、長時間に渡って繰り広げられていた。
幾度となく相手を無力化させようとするアルトリアの剣は、クーの手首の、足首の筋を断ち切ろうとその剣先を走らせていた。しかしそれは手加減でも何でもなく、相手の体の先端を執拗に狙うことによって、まずは相手の攻撃と回避のリズムを崩そうとする彼女の得意とする戦術の一つだった。
もしこの戦術の中で一瞬でも相手がバランスを崩そうものなら、その刹那の内に一筋の眩き光が体の中を貫通し、大きな赤い花を空中で散らせることになるだろう。
一方クーも、そんな搦め手を用いるアルトリアの攻撃の一つひとつを真紅の長槍で確実に捌き、無防備になるだろうと予測されるタイミングを見計らって喉元や鎧同士の隙間を縫うような一撃を叩き込む。
しかしそんな攻撃が当たらないことは百も承知、隙を作らない内に槍を引き戻して次の一手を窺う。押してくるアルトリアに対して、カウンターのチャンスを窺うヒットアンドアウェイの戦闘スタイルだった。
「どうしました、攻めてこないとはあなたらしくない」
「言ってろ、飛ばし過ぎてバテるんじゃねーぞ」
と言葉を交わしている間にも五十回近くの鈍く重い金属音が響き渡る。
これが、人を超えてしまった真の強者たちの世界。これが、『八本槍』にまで登り詰めた者同士の刃の応酬。
現在でも、今のエトでは到底介入することのできないレベルの闘争だった。しかしそれでも分かる――これでもまだ、お互いが殺すつもりもないただの
確かに彼らは全力全開で本気でやり合っている。しかしそれも、所詮摸擬戦という範囲での話である。それは普段稽古の相手をしてくれているクーの瞳をいつも見ているエトだからこそ、彼が真に本気ではないということが分かっていた。今の彼は、ほとんど稽古の時と同じような眼をしている。
クーの一撃――しかしそれは悪手だった。
アルトリアの剣がその槍を弾き、返しの手で強く踏み込んで袈裟斬り、光の線が走る。
躊躇いも焦りもなく、クーは後ろへと大きく跳躍して距離を取った。
「へぇ……」
吊り上げられた口角から感嘆の声が漏れる。
どうやらお互いにようやく体が温まってきたようだ。
エトから見ても、そしてクー自身も、先程の一撃は割と自信のある一手だったが、そこに罠を仕掛けてくるとは流石天下の騎士王と言ったところか。
柔と剛、二つの剣術を織り交ぜた、パーシー家に伝わる剣の術理。しなるような剣捌きで相手を翻弄し、そして確実な剛の一撃で以って相手を叩き伏せる、それが彼女の持ち味である。
再び槍を構えるクー。それを見たアルトリアは何かを感じ取って、最大限の警戒で相手の出方を窺う。
一歩、クーの脚が動いた。
来る――アルトリアの脳髄にそう電気信号が流れた。が、その時、一陣の風だけを残してクーの姿が消え去った。
一瞬、驚愕に顔を染めるアルトリア。その一瞬の動揺だけで十分だった。
――――後ろかっ!
判断した時にはもう、真紅の光線は突き出されていた。
チェックメイト。その瞬間、均衡を司る糸はプツリと音を立てて切れてしまう。
低い体勢から繰り出される、相手を腰から頭部にかけて串刺しにするような渾身の一撃。
その不可避の閃きは――――何を掠めることなく宙を突いた。
舌打ちが飛ぶ。彼女の周りを閃光が飛び回る寸前に距離を取る。
確実に貰ったと思っていた一撃、しかしそれは、あろうことか彼女の最大の武器の一つである『直感』によって、かろうじで避けられたのだ。
完璧な間合い、完璧な角度、完璧な速度で打ち込まれた死角からの一撃を、理不尽な一瞬によって捌いて形成を逆転する、正義と秩序の具現。
凛然としたその佇まいは、騎士としての生き様をそのままに体現していた。
これが、皆の憧れる騎士王の姿。人々の理想の先にある、真の人格者。アルトリア・パーシー、その聖剣は常に、騎士道と共に在る。
「実に鋭い一撃だ、しかし私にはまだ及びません」
「安心しろ、ようやく貴様のリズムが掴めてきたぜ」
その言葉に、アルトリアの真剣な瞳が苦く歪む。彼の言葉が嘘偽りやハッタリではないことは彼の槍の切っ先を見てみればよく分かる。
次からはこちらの行動を確実に見切って、無意識に形成されているこちらのリズムを絶妙に崩しながら接近してくるだろう。
ならばアルトリアのすべきことは、意識的に自分のリズムからわざと外れたスタイルを取って迎撃するしかない。
無論、こちらからの攻撃は、相手に確実に見切られる。今は時ではない。
そして、再びお互いの姿が消えた。
すぐさま金属音が響き渡り、ありえないような箇所で彼女たちが激突する。
もう一度、お互いのペースの崩し合いが始まった。
先にペースを崩した方が負け、再びその緊張の糸が張り詰められる。
エトは、ただその様子を見ているだけしかできなかった。あまりにも高次元過ぎて、学べることが何もない。分かってしまうのは、ただ努力を重ねただけでは、何百年費やしてもあの領域に踏み込むことはできないということだけだ。
彼らが何故強いのか。体ができているから――正しい。技が磨かれているから――正しい。動きが俊敏だから――正しい。百戦錬磨の経験を持つから――正しい。
だが、それだけなのだろうか。それだけでここまで強くなれるのだろうか。
否。
どんな状況下においても、自分のリズムやペースだけは崩れることのないしっかりとした芯。きっとそれが必要なのだ。
何がそれを構築するのか、どうすればもっと強い芯ができあがるのか、それは全く分からない。
だからまだ、彼らから学ぶことは多くある。
剣術を学ぶだけでも、魔法を学ぶだけでも手にすることのできない何か。
クーに師事しているだけではきっと何も得られない。
そしてエトは決意する。
他の『八本槍』とも、手合せをしてみようと。
エトくんの魔改造がまだまだ続く(白目)
この作品の話数がまだまだ伸びる(白目)