物語もいよいよ佳境に。
そこはとある小さな廃城の、そう、城を守るための一つの砦に過ぎなかったと言われても疑問を感じない大きさの城の、その城主が居座って美味い酒でも煽っていたであろう大きな一室だった。
天井につりさげられたシャンデリアからは、火でも電気でもない、非科学的な源でできた光を撒き散らしている。
そしてその温もりに欠けた光に照らされていたのは、二つの人影だった。
一つは黒のローブを羽織り、そのフードを目元が隠れるまで深く被って、もう一人の人影を睨みつけていた。そしてそのもう一人は、風見鶏の男子制服を正しく着込んだ、見た目大真面目に見えるもののその僅かに垂れた目頭が胡散臭い男、杉並だった。
「――して、既に時はもうそこまで迫っているのだが、どうするつもりだ?」
杉並が黒づくめの女――『
対して、女の表情は見えない。目元まで深く被り込まれたフードが、その表情を読みにくくしている。だが、そんな障壁も、杉並にしてみれば些細なものであった。
「私たちはこの世界でしか自らの存在を証明できない。逆に言えば、この世界だからこそ証明できる。故に、私はこの世界を愛し、守りたいと思う」
杉並には見えてしまっていた。その本音を語った彼女の唇が、わずかに悔しさに震えていたのを。
しかし杉並はそんな些末なことを気にかけることはしない。全ては女王陛下の為であり、また、非公式新聞部としての未知への探求の為であり。
目の前の『八本槍』の一人がどうなってしまおうが、大した問題ではなかった。強いて言ってしまえば、このまま説得を完了せずに時に身を任せてしまえば彼女がどうなってしまうのか――考えていて、それはそれで、つまらないという結論に達する。
「あなたは、どうなの?」
「――愚問だな。俺は俺だ、故に事態がどうあろうが己の意思に従い行動する。それは貴様も同じであろう。本音も建前も肩書もその本質も全て俺のものだ。貴様が立ち塞がるというのなら対峙するのもやぶさかではない、が」
杉並の唇から軽薄さが消えた。吊り上がっていた口角は真一文字に結ばれている。
その態度に、女は天井に遮られた空を見上げた。
「運命を違うのね。過去が実在しないものとはいえ、私はその過去を元に、貴方を慕っておりました。私が魔女と蔑まれ、弾圧され、身も心も灰になるまで焼き尽くされた私を拾い救ってくれたことを、たとえこの思い出が偽物であろうと心から感謝しています。だから、せめて最後だけは――」
そこで一度言葉を止める。
意志に反して、理想に反して、言わなければならない言葉が胸から飛び出そうになるのを堪えたいのに。
己の存在が消え去ることが恐ろしくて、縋りついてしまいたい現在がここにある。でも、きっとこの世界は、目の前の軽薄な男が歪ませ、そして消し去る。それは決して、彼が成し遂げることではないのかもしれない。でも、その掴みどころのない表情が、きっと何かをやらかしてしまうことを、未来視してしまう。
だから、喉元にかけておいた錠は、勝手に落ちて消えていった。
「――私の前に現れないで」
終わりくらいは、愛した世界と共に在りたかった。
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葛木清隆やエト・マロースたち新入生がこの風見鶏に入学してから早三ヶ月。十二月も既に終わりを迎えようとしている。
クリスマスパーティーを終えて、翌日から冬の長期休暇となった学生たちは、実家がここから近い者は家族に顔を合わせるために、年末の親族との挨拶回りに顔を出すために、理由は様々であるが自分の国や土地へと一度帰郷する。
なお、故郷が日本である葛木兄妹や江戸川ペアは帰郷する時間がないため、ここで年を越すこととなっている。それはちょうど特に帰る場所のないクー・フーリンや、同じく実家の遠いリッカやジル、マロース姉弟にも同じことが言えた。
故に、クー・フーリンは暇なのだ。
既に『八本槍』からは脱退しているため、特にエリザベス女王陛下様から依頼をされることもなく、厳密に言えば今の彼の仕事といえば、新しく主従契約を交わした主、今隣でほんわかと笑顔を浮かべている可愛らしい少女を全身全霊で守り抜くことだけだ。
ちなみに、今二人は、葵のアルバイトの仕事としての買い出しということで、一度地下にある学園から上がり、霧の充満する地上のロンドンへと顔を出している。
葵に、雰囲気が大事なんです、と訳の分からない理由で洒落た格好をすることをせがまれたので、必要最低限所有している私服の中で、どうしようもない程に欠如した美的センスを最大限に活用して身に纏ったのが、何となく動きやすそうだったからという理由で購入したダークグレーのジーンズと、保温性のある厚手の長袖白Tシャツ、その上に漆黒の革製のジャケットを羽織っただけのお洒落の欠片もない着こなしだった。
尤も、隣を歩いている陽ノ本葵にとっては、面倒ながらも自分のためにお洒落をしようと心がけてくれたことに顔を綻ばせているのだが。
「んで、今日は何を買いに行くのかなお姫様」
「頼まれたのは主に野菜類みたいですね。サンドイッチとか注文するお客さんも多いので、そろそろレタスとかトマトとかも少なくなってきているみたいなんでまずはそれ、それから砂糖とか胡椒とかの調味料もメモに書かれてますね」
葵の指に摘ままれた、フラワーズ店長手書きのメモが風に煽られ葵に振られゆらゆら揺れている。
それにしても、クリスマスイブを越した本日はクリスマス当日、本来ならイエス・キリストがどうとかいう素晴らしい日のはずなのだが、この男女、男の方は始めから宗教には興味もなく、女の方は労働に勤しんでいる。
学生が一斉に故郷に一度帰るというのに、いや、むしろ一度帰るからこそその前に軽く小腹を満たしておきたくなるのだろう、実家でも豪勢な食事が待っているだろうからあまりたくさんは食べられないものの、ここフラワーズなら喫茶店として軽食を楽しむのには申し分ない。長期休暇初日から、フラワーズの客の入りは尋常ではなかった。
「余った予算は適当に使っていいそうです。予定の時間まで、時間があれば、どこかで時間を潰しましょう。これは店公認の着服ですね」
何やらどこかで見るような小悪党の忍び笑いのようなわざとらしい笑みを浮かべる葵。どうやら仕事中の買い出しでさえ、クーの隣で楽しんでいるようだ。
「なるほどそんなよからぬことを考えるとは、元『八本槍』として見過ごすわけにはいかねぇな。罰として嬢ちゃんから大事な大事な買い出し後の時間を罰金として請求しよう」
そう言って上から葵の頭を軽く小突く。小さく悲鳴を上げた葵はクーの顔を見上げて、てへへと照れ笑いをしてみせた。
その笑顔を見ていて、ふとクーは思う。
今はまだ子供臭さが抜けない脆弱で不安定な少女だ。人に、社会に、世間に、世界に振り回されて崩れ壊れる弱い人間だ。
だがきっと、時を経るにつれて、経験を積んで、大人になれば、きっといい女になる。子供臭い見た目も、弱々しい心も、危なっかしい佇まいも、全ては人間としての成長を以って周りに振り回されない強さを身に着けるだろう。。それだけのポテンシャルを彼女は持ち合わせている。
きっと、正しく賢く成長すれば、今のリッカやジル以上の魅力溢れる女になるだろう。せめて、その経緯を見守っていたいものだった。
「それじゃあ、ちゃちゃっと買い物済ませて時間まで遊んじゃいましょう!」
そう葵が提案するのは、クーが冗談でそんなことを言ってすぐだった。
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普段ならば、クーの右側にはリッカがいて、クーの左側にはジルがいる。
その二人は、リッカは華やかで活発である豪奢な印象を抱かせ、ジルは大人しく控えめである清楚な印象を抱かせる。二人はそう言った意味で対極的ではあるが、どちらも他の追随を許さない程の美人であることに変わりはない。
そう言った意味では、過去のクー・フーリンという男は常に両手に花であった。もし彼が『八本槍』などではなく、ごく一般の一人の男子生徒であったならば、彼の状況は瞬く間に衆院の男子の反感と嫉妬を買い、呪詛を飛ばされ恨みがましい視線を向けられて一躍有名人に成り下がっていただろう。悪い意味で。
ところで、今のクーはどうだろう。
確かに隣には幼いながらも将来有望な美少女が並んでいる。しかし、かつては両手に花だった彼の今は、まさに両手に荷物である。
左手には大量に買い込まれた野菜の入った紙袋、野菜は野菜のままできっと美味いサンドイッチになる夢を見ていた。右手には調味料の入った瓶や袋、更には皿の予備が入った紙袋、誰も知らない使い道の中でやまない試行錯誤に鞭打たれていた。
帰りたい部屋にさっさと帰る強さ、それを隣で楽しんでいる少女に吐き捨てられない弱さ、全てを
「あ、ここなんてどうですか?」
きょろきょろと辺りを見回していると、とある方向を指差していた葵が声をかけてきた。
なんだなんだとその先に視線を向けてみると、どうやら最近開業された衣類専門店らしい。最新の流行を押さえつつ、個性的で幅の広いファッションを楽しめる、とかなんとか謳っているようで、店の入り口の上にはでかでかと派手な看板が飾られてある。
「なんだよ俺着る物には困ってねぇぞ」
実際に最小限の私服と制服があれば何とかやり過ごせる。
わざわざこれ以上必要ないものに高い金を支払って購入する意味がどこにあるのだろうか。昔は衣食住に関しては最小限に澄ましていた彼の感性からしてみれば、最近の大量生産大量消費大量廃棄の傾向にはいささか疑問を覚える。とは言え、その環境にどっぷりと浸かってしまっているのも事実ではあるのだが。主に食の面で。
「ダメですよ。女の子の隣を歩くならそれなりにちゃんとした格好をしてないと。クーさんがどうこうじゃなくて、私が寂しいんです」
「そう言うもんかね」
女心という奴だろうか。昔からジルに指摘されてはいるものの、理解できなかったし理解しようとも思っていなかった。そのツケが今頃回ってきているのか、彼女の言葉が上手に解釈できない。
「それに、クーさんだけじゃなくて、私だって楽しみにしてたんですよー」
兎のようにその場でピョンピョンしながら、今にもそこから飛び出しそうな雰囲気の葵。
女の子にお洒落は付き物なようだ。
葵に塞がった右腕を取られて引っ張られるように入店、スタッフの元気な挨拶を聞き流してレディスのコーナーへ。
真っ先に自分優先かよと愚痴を零しそうになったが、よくよく考えてみれば女の買い物というものは長い。それはリッカとジルの件で十分に理解をしている。もし彼女が考えて行動をしていたのなら、まずは時間のかかる自分の用事を済ませて置いた上で、後でクーにも楽しんでもらうためにクーの買い物を後に回したということになる。
打算的というか、頭が回るというか、気が利くというか。これは本格的にエリザベスから鞍替えしておいて正解だったかと考える。
あっちやこっちやせわしなく走り回って、あれもいいこれもいいと次々に商品を手に取っては前で合わせてみたり手触りを確認してみたり値段タブを確認して落胆したり。たまに気に入ったものを手に取ってクーを引っ張り試着室に駆け込んでみたと思えば着替え終わってポーズをとり、感想を求めてみたり。
ふと気が付いたが、葵が選んでいるのはどれも袖が長いものばかりだ。季節というのもあるだろうが、それ以上に彼女は素肌を晒せない理由があったことを思い出した。彼女の背中には、肩や腰にかけてあの禍々しい紋様が深く刻まれている。だからこそその罪の証を隠すように常に露出の少ない衣服を身に纏っていたのだった。
脚の方には未だ影響は出ていないため、スカートも履くことは許されていることもあってか、こちらはより自由度の高いものを選んでいるようにも見える。
そして結局、彼女は何も購入することなく満足したようだ。
あれだけ選んでおいて何も買わないのかよと盛大に突っ込みを入れたことに対し、そんなんじゃ女の子に失礼ですよと間の抜けた返事を返される始末。やはり女心というものは複雑だった。
さて、レディスからいったん離れようとした時に、ふと背後からよく聞いた声をかけられた。
こんな街中でよく遭遇するものだと妙な縁を感じながら振り返ってみると、そこには美しい銀髪姉弟がいた。風見鶏の生徒会長シャルル・マロースと、その弟エトである。
「こ、こんにちは!」
丁寧にも深くお辞儀をしながら挨拶する葵。相手は憧れの学園の生徒会長のだから会話をするのも畏れ多い。
しかしいきなり初対面にも拘らずここまで緊張されるとシャルルとしても当惑する。とりあえずもっと楽にしていていいと宥めるもののあまり効果は望めなさそうだ。
「お兄さんも買い物?」
一歩前に出たエトが真っ先に言葉を発した相手はクーだった。
確かに彼にしてみてもクー・フーリンという男がこんなところにいるのは珍しいというか最早怪奇現象に近いものが感じられるだろう。
「買い物っつーか、この嬢ちゃんに引っ張られて、だよ」
ちらりと視線が葵に向けられる。その視線はクーのものであり、そして同時にエトのものでもあった。
葵はエトと視線が合うと、半分焦りながらも自己紹介を始める。
「陽ノ本葵です。いつもはフラワーズで働かせてもらってます!」
恐らくお互いに顔くらいなら見たことがあるだろう。しかしそれも、店のスタッフと客の関係。言ってしまえば碌に話したことも顔を合わせたこともないだろうし、厳密に言えば初対面といっても差し支えないだろう。
「エト・マロースです。よろしくね」
葵の方はループした世界の中でもしかしたら彼と仲良くなっている世界があったかもしれない。どこか懐かしさを漂わせた瞳がクーにそう思わせた。
「ところでエト、テメェは姉と一緒に何してんだよ」
「大体お兄さんと同じだよ。僕がお姉ちゃんをショッピングに誘って、行き先は丸投げしたら、こんなところに連れてこられちゃって。僕が言うのも何だけど、お姉ちゃんは美人さんだから何着ても可愛いしよく合うし、そのまま感想言っても適当言ってるとか思われて大変だよ」
どうやら家族サービスの一環のようである。葛木兄妹も似たようなことをどこかでしているのだろうか。
それにしてもこの姉弟は本当に仲がいい。お互いに気を遣わずに、そしてじゃれ合うように接しているためか、どちらが歳が上なのか勘違いしそうになる。シャルルがしっかりしていないという訳ではないのだが、まだ成熟しきっていないながらもエトの体がしっかりしているのと、強かさを携えた瞳をしているものだから、クーからしてみても、こうして並べてみれば彼も大きく成長してきているということだろう。
そして、彼らと話している時に、葵とクーの思考は、見事にシンクロしていた。
この世界は虚構である。『八本槍』という存在は実在せず、ここにいるクー・フーリンも存在自体がありえない。ならば、存在しない存在に救われたエトは、元の世界線ではどうなっているのだろうか。
クーにしてみれば、これまで特に心配事言える程の障害を持ったことがなかった。それが今になって、ずっと付き合っていた弟子の存否が明らかでないことを知って困惑している自分がいる。
何故ここまで心配しているのか――無論、勿体なかったからに他ならない。
病床に伏せていた弱い少年が、自ら生き延びるために小さな希望に手を伸ばした。そして生をもぎ取り、強くなることを目指した。
幾多の苦難を乗り越えて今ここに小さな勇者がいる。その覚悟と、その努力と、それだけの面白い存在がなかったことになるなど、一人の戦士としての矜持が許さなかった。
本当の未来がどうなるかなど分からない。それでも、その不安が掻き切れることはなかった。
話し込んでいると、時間はあっという間に過ぎてしまっていた。
葵が慌てて時計を確認してみると、既に予定の時間まであと話僅かというところまで迫ってきていた。
「クーさん、そろそろ行きましょう!」
「お、そうか」
一応返事はして見るものの、そう言えば自分の服は選んでいなかったか、などと今まで気にしたこともなかったようなことを考えつつ、走り出した彼女の後ろに付き添うようにペースを合わせて駆ける。
後ろからエトたちの挨拶が飛んでくるのを手をひらひらさせるだけで返し、足を動かす。
この足がどこへ向かっているのか、そんなことはどうでもいい。
ただ、願わくば、彼らの歩む先に、確かな未来があることを。ただそれだけが、今の彼を支配していた。
これ確実に十話近くかかる。
いい加減にゴールしたいと聖杯に願いをかけて戦争に参加しようかしら。
ぼくのかんがえたさいきょうのきゃらくたーとか召喚できないかな。