満身創痍の英雄伝   作:Masty_Zaki

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かなり重要な話なので少し時間をかけました。もっと厳密に言うと、かかっていました。
遅れて申し訳ないです。




 魔法というものは凄い。

 どれくらい凄いかというと、まずはここ王立ロンドン魔法学園の敷地となっているこの空間が既にロンドンの地下ということであり、更にその地下に張り巡らされている水道を、全体に魔力を行き渡らせて管理し、そして魔力によって水量や温度が調節される仕組みになっている。

 地上でも似たようなシステムがあるのだろうが、ここまで人肌に合った温度と水圧のシャワーを生み出せるのは、やはり魔法の力のおかげだろう。柄にもなくクー・フーリンはそんなことを考えていた。

 いつもは決してすることのない思考をしているのは、普段は一人で入っている風呂に、今日に限ってはもう一人、居候している客が湯船に浸かっていたから、というのもある。

 その少女は、洗髪をしているクーの背後で、一人で鼻歌を歌っていた。

 その白き体中に禁呪の紋様を刻まれた、陽ノ本葵である。彼女は今、文字通り一糸纏わぬ姿だった。

 数刻前、アルバイト先で仕事をしていた葵を迎えに行き、二人で帰宅した後、彼女の持ち帰った売れ残りの惣菜で簡単に夕食を済ませ、そしてその時に、クーは彼女に問いかけた。

 ただ一言、真実が知りたいと。

 すると彼女から返ってきた答えが、一緒に風呂に入ろうというものだった。

 確かに日本には裸の付き合いなどと言う風習があるとクーも耳にしていたが、果たしてそれは同性同士でするものではなかったろうかと思案するクーだったが、そこまでして覚悟を決めて曝け出して初めて語ることができるということなのだろうと推測する。

 しかし、流石にこれは、失敗なのではないだろうかと、クーは内心冷や汗を流していた。湿度気温が上がりがちな風呂の中であるというのに。

 最初こそ調子に乗ってバスルームに突入してきた葵、その時はまだ大事なところだけはタオルで隠すようにしていたのだが、どうやら彼女には妙なところで暴走する癖があるらしく、軽くクーを色気で挑発したいのか、その場でくるくる回ってみたり、少し大胆な発言をしてみたりと、言ってしまえば幼い娘のようなアクションの連続だった。

 かと思えば、リアクションのないクーの対し、どうでもいいところで対抗心を燃やした葵が、最後の砦を自ら取っ払ってしまったのだ。

 豊かに実った胸の先端や、柔らかな弾力があり、それでいて引き締まった腿の内側まで全てを完全に解き放ってしまっていた。

 しかしふと冷静に自分の行動を振り返ってみて、自分がはしたないことをしていることが今更恥ずかしくなって、勢いをなくして弱々しく物音を立てないように湯船に浸かって口でプクプクと気泡を立て始めたのがつい先程である。呼吸に支障をきたすのか、すぐに止めて鼻歌に移行したが。

 閉鎖された空間の中で、少女の軽やかな歌声が壁に天井に反射し、音響効果を伴って美しく響く。これから重大なことを話すはずなのに、やたらとリラックスしているらしい。

 自分がたくさんの人間を巻き込んで壮大なスケールの世界を創り上げて閉じ込めているというのに、この心の持ちようである。きっと将来は大物になるに違いない。

 尤も、いつまでもキノコが生えるようなジメジメと陰鬱で後ろ向きに落ち込まれるよりも幾分マシではある。

 シャワーの栓を捻ると、再び暖かい湯が爽快な音を立てて地面へと打ち付けられる。少しだけ取っ手をいじって角度を変え、自分の頭に湯がかかるように調節する。

 頭髪へと直撃する湯はその勢いと流れでシャンプーの泡をさらい、そして体の表面を伝って地面へと流れていく。

 暫くじっくりと頭の泡を落とし、シャワーの線を閉じて、瞼にかかる前髪を両手で掻き揚げた。

 鏡を覗き込むと、そこには大変面倒臭そうな表情をした青髪の男の顔がそこにはあった。どうやら二重の意味でこの状況を楽しめてはいないらしい。特に内一つ、後ろの少女が勢い余っての自爆を繰り返しているのには頭を抱えそうになる。

 

「お背中、流しましょうか?」

 

 そんなクーの表情を見たのか、あるいはただの思い付きなのか、シャワーで泡を流している間に鼻歌を止めた葵がそう提案してきた。

 悪くはないがまた自爆しそうなので断っておくべきだ。クーはそう判断してやんわりと拒絶する。

 

「あー、ありがてぇんだが自分でする」

 

「まぁまぁそう言わずに……」

 

 クーの言葉に強制力は存在しないようだ。じゃぶじゃぶと音を立てながら湯船から上がった葵は、タオル姿のままクーの背後に立った。

 鏡を覗くと、クーの頭辺りが丁度葵の胸元辺りで、巻かれたタオルは綺麗にクーの頭や肩に隠れており、肩から上の白い素肌が湯に濡れて何とも扇情的ではある、が、クーの劣情を誘う程ではない。

 

「だから自分でできると言ったんだが」

 

「私が流してあげたいんですっ」

 

 ムン、と握り拳をつくって小さく両腕でガッツポーズをする。

 

「いやもう勝手にしろ……」

 

「好き勝手させてもらいます」

 

 そう言うと足元に転がっていたスポンジを手に取って、石鹸を使って泡立たせ、そして背中に擦りつける。

 ごしごしと、ほぼ一定のリズムを刻んで、背中で上下するスポンジが心地よい。普段、というより過去に一度も他人の手を借りて体を洗ったことがなかったから、その快感には気付くことすらできなかった。だが実際にこうして背中を託してみると、これが意外と気持ちいいもので。

 

「んっ――」

 

 ふと、葵の手が唐突に止まった。

 そしてその背中にそっと触れる、柔らかい感触があった。明らかにスポンジではない、細くて柔らかい感触。間違いなくそれは葵の人差し指だ。

 葵の触れた指が、とあるラインに沿って、そっと動いていく。クー自身も忘れていた、その線のことを。

 

「この傷、戦ってた時のですか?」

 

 指が離れ、代わりに葵が腰より少し上の背中に掌を優しく当てる。

 

「いんや、そいつは違ぇよ」

 

 葵の手が離れると同時に、クーもその傷にそっと掌で触れる。

 確かこれは、かつて彼がとある病気の少年の命を救った時に、その少年が強くなりたいと言い出して、クーが師匠としてその少年の稽古を監督していた時のものだ。

 体力をつけ、身のこなしを極め、力の使い方を覚える。そして、その力は、ただ力として存在しているわけではない。

 そこには、力が存在するための、『理由』が必然的に付き纏う。

 かつてのクーにとって、それは奪うためであり、勝つためであった。逆に、リッカやジルは、守るためだった。

 そして、クーが教えるそれは、クーの与える力は、少なくとも、武の力によって敵を排除するためのものだ。

 奪うにしろ、守るにしろ、そこには必ず、暴力が纏わりつく。誰かを傷つけ、時には命を奪う凶器となる。

 力を持つ者が傷つけることを恐れていては、奪うことを恐れていては、その線を越えることを躊躇う。その一瞬の躊躇が、逆に自分が傷つけられたり奪われたりする理不尽な一刻となり得る。

 だから、少年には、傷つけることを教えた。痛みを相手に与えることを叩き込んだ。

 クー自身がサンドバックとなって、あらゆる道具で、あらゆる凶器で、クーの体に直接傷を刻み込む行為を、少年に強要した。

 刃を持つ手は震え、弱々しく振り上げられた両手は力なくクーの体に突き刺さる。

 痛くも痒くもない、端から奪う気のない怯えた一撃。その度に、少年に痛みを叩き込むことを忘れなかった。

 傷つけなければ、傷つけられるのだ。殺さなければ、殺されるのだ。

 殺す覚悟などいちいちしている場合ではない。その覚悟を決めている間に、先手を打たれる。ならば最初から、平然と奪えるような心構えをつくっておかなければならない。

 気を狂わせながら、顔面を血やら涙やら鼻水やらでくしゃくしゃにしながら、片手で扱える程度の大きさのナイフを握り締めて、恐怖を掻き消すような絶叫で肉薄し、鋭い爪を叩き込む。

 それでも甘い。少年は首根っこを掴まれ、草むらに投げ込まれる。起き上がった少年の顔には、草や枝で切った切り傷ができていた。

 そして、狂気の先に、境地がある。

 体中の水分を使い果たしたかのように、枯れ切ったような瞳をしていた少年は、ただその手にナイフを握り締めていた。

 最早残された力などない。斬りかかるだけの気力も残されていない。満身創痍、少年の心は限界をとうに迎えていた。

 そんな彼に、クーは一言、こう零した。

 

「……ヤメだヤメだ。もうテメェに才能はない。これ以上やっても無駄だ。憂さ晴らしに出来損ないのガキの、出来損ないの姉でも食っちまうか」

 

 踵を返し、背中を向ける。

 静かに、さくり、と。背中の痛覚が、確かに反応した。

 背中の筋肉を破らんばかりの鋭く冷たい感覚が突き刺さっている。

 首だけをそちらに向け、何があったのかを確認する。

 感情のない目で。冷酷に、無慈悲に、淡々と鮮血をクーの背中から撒き散らす少年の姿があった。その優しいルビー色の瞳からは、温もりなど一切感じられない。

 拳の中で内部は捩じられ、そして、力の入れやすい方向に、すらりと抜き取る。剣で斬りつけられたような傷跡と、それに沿って舞い上がる血飛沫。

 やってくれたな、だがクーはまだ動く余地がある。多少の痛みを堪えて身を捩じり、少年の額へと向けて腕を伸ばす。

 五本の指が頭を捉えた――しかしその全てが、宙で空振りする。

 一瞬のサイドステップで後方へと回り、そして今一度、傷つけた個所へと向けてナイフが振るわれる。

 同じ傷に、別のタイミングでダメージを与える――二段階の苦痛が、クーの表情を顰めさせる。

 しかし、その程度で何かしらの支障をきたすような人間ではなかった。

 すぐに反応して腕を掴み、空いた手でナイフを抜く。そして彼の体を完全に拘束して――

 

 ――力強く、抱き締めた。

 

 一瞬強張った体が、すぐに脱出を図ろうともがき始める。

 腕に爪を立て、足で脛を蹴ろうとして。しかしそれでも、クーは少年を抱き締めることを止めはしなかった。

 

「よく耐えたな。お疲れさん、テメェはよくやったよ」

 

 そう一言慰めてやると、少年の体からようやく力が抜けた。

 片や泥だらけ、血だらけになって、片や背中を血で濡らして。

 

 ――そう言えば、そんなこともあったか。

 思い出しながら、記憶の内容をかいつまんで、彼女に語りかけた。老人になると昔話を語りたくて仕方がない。歳を考えると少しは自重した方がいいのかもしれないと考え直す。

 しかし、そんな彼とは反対に、葵からのリアクションは返ってはこない。ただ、無表情で、いつもの明るい笑顔はその顔から消え去っていた。

 ただ一定のリズムを刻んで、背中のスポンジは上下に動く。

 クーはこっそりと、というより何となく鏡越しに葵の表情を窺う。

 一度開きかけた口は、まるで溢れ出そうな言葉を無理矢理引っ込めようと、唇を強く結んでいた。

 急なテンションの変化、そこには間違いなく、葵の隠された本心が存在する。これまで葵がひた隠しにし続けた、葵がクーに霧の禁呪の術者だとばれて、あらゆる真実を告げてもなお、ずっと心の中に秘めていた、日の下に晒すこともできない真実が。

 葵のほっそりとした白い手が、クーの横を通ってシャワーの線へと伸びる。

 先端から吐き出された湯が地面を打ち、四方に跳ねて飛び散る。そしてシャワーの先の向きが変わって、その湯はクーの背中を打ち付ける。

 再び地面に泡が落ちて流れてゆく。

 葵がシャワーを止めるのを確認して、クーは腰掛から立ち上がった。

 散歩程歩いて、バスタブを跨いでしっかりと張ってあった湯に浸かる。バスタブの中で湯のかさが増し、許容量を超えた湯が大きく波をつくって端から流れていく。壁や床に大反響を起こして少しばかり喧しい。

 少し間を置いて、葵もそっと湯船に足を踏み入れる。豪快に飛び込むように腰を下ろしたクーに対して、そっと、波を立てないように静かに腰を下ろす。また、許容量を超えた湯が大きく音を立てて溢れ出す。

 少し広いバスタブの中で、二人は背中合わせになって湯に浸かっていた。

 

「そんな記憶が、あったんですね」

 

 低く冷淡な声音の葵の声が、空気中に響き渡る。

 先程の傷の話をしているのだろうか、なかなかタイムラグの大きい時間差の会話だった。

 

「まぁな」

 

 クーは確信していた。これから話すことは、間違いなくクーが聞きたがっていた本当の真実というもの。

 近づく度に、探りを入れる度に、何者かに囁かれ、訴えられるような気分に苛まれながらも、ようやくここまで来た。

 その核心の根拠こそ、葵の時間差の言葉。

 なぜ彼女は、わざわざ『記憶』というワードをチョイスしたのだろうか。あれだけの時間差があって、敢えてこの言葉を使うのには、何か大きな理由があって然るべきだ。

 誰かからの最後通告を無視して、核心に迫ろうとしているクーの喉元を、何者かが潰すかのような圧迫感で呼吸が苦しくなり、無意識の内に焦燥に駆られてしまう。

 葵が、ようやく口を開いた。

 

「私は、この魔法の術者ですから――」

 

 再び、そこで口を噤む。明らかな躊躇が、葵の言葉を妨げている。

 しかし、葵はその束縛を首を振って取っ払った。

 

「――だから、全てのループ世界の記憶を保持していられるんです」

 

 それは以前からも説明を聞いていた。もう何度も、同じ世界を繰り返しているらしい。中には、クーがリッカやジルと逃亡したような世界もあったようだ。その時の魂の震えを、確かにクーは覚えていた。記憶そのものはまるで残っていないが。

 

「そして、術者だからこそ――――歪む前の記憶も正しく持ち合わせている(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)んです」

 

 時間が止まったようにも感じられた。

 彼女は何と言った。そう、ループ世界が始まる前の、正しい世界の記憶を持っていると言った。それはつまり、どういうことだ。

 根源的な恐怖が足元から這い上がってくる。まるで、存在そのものが否定されているかのような、世界そのものが自分自身を拒絶しているような。

 いや、まるで、とか、ような、とか、そんな婉曲的なものなのだろうか。

 それは言うまでもなく、今自分たちが保有している、正しく存在していたと認識しているこの記憶は、この霧の禁呪によって書き換えられ、偽物が植え込まれているということだ。

 だとすれば、だとすればだ。

 今思い返しているこの記憶の内、どこまでが正しくて、どこまでが虚構だ。

 髪を引っ張るように、左手で頭を抱える。

 

 ――今ここにいる俺(・・・・・・・)は、何者だ。

 

 ふと背中に、今まで感じていた葵の背中の体温が消えて、別の温もりが背中に伝わってくる。恐らく、両手。そして、額。

 次に出てきた声は、溢れそうな感情を噛み殺すような、震えた声だった。

 

「クーさんは、『八本槍』がどういう経緯で設立されたか知っていますか?」

 

 その問いと同時に、クーの前頭葉辺りにチリチリとした軽い痛みが走り始める。

 知っているとも。それは、エリザベスがこのイギリスの、引いてはイギリスの魔法使いの社会を守るための最終兵器として集められた、戦闘、戦力において人の域を超えた人外によって構成された特殊組織である。

 そして彼ら、彼女らには、王室への忠誠の証として、クー自身が愛用している真紅の槍をモチーフとしてつくったペンダントが配布されており、それによって組織と王室の信頼関係が成立している。

 事実、クーもそれを持っている、というより、自室の引き出しの中に適当に放り込んでいる。大切にしようとも思っていない。

 

「禁呪の適用範囲外の正しい世界と、霧がロンドンを包み込んだ後の歪んだ世界、二つの記憶を継いでいる私は、それを知らないんです。私自身が、『八本槍』の創設の事実を、リアルタイムで認識していないんです――――」

 

 ロンドン中を巻き込んだこの霧の禁呪は、世界を十一月一日から四月三十日までの半年間の間を進めたり巻き戻したりしてループ世界を発生させる。

 陽ノ本葵はこう言ったのだ。十一月一日より前、つまり十月三十一日までの間に、『八本槍』が設立された事実を確認していなかった。そして、十一月一日から始まったループ世界の中では、既に『八本槍』は設立されたものとして平然と存在していた、と。

 つまり、それは、どういうことだ。

 焦りが思考を拒絶し、妨害し、撹乱する。上手く思考が進んでくれない。

 陽ノ本葵が最初に切り出した言葉の意図、十月三十一日までと、十一月一日からの記憶には矛盾が生じており、つまり術者である葵以外の人間の保有する記憶のほとんどが実際に存在していない可能性が高いこと、そして、術者本人が確認できていない、『八本槍』設立の事実――そこから導き出される一つの答えとは、その真相とは。

 

「――――『八本槍』なんて組織はなかったし、十月三十一日までの私は、クーさんを顔も名前も知らないんです」

 

 沈黙を肯定するように、天井から落ちてきた水滴が水面に衝突し、ピチャリと高い音を立てる。

 誰かが、時間切れだと囁いているようだった。




遂にネタばらし。質問ある方は挙手をお願いします。

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