開始早々いつものことだが、前回よりも時間はかなり経っている。
それはもう、数か月とかそういう単位ではなく、何十年と、だ。
結果として以前の町の孤児院は何とか経営を成功させ、潰れることなく身寄りのない子供たちを養っているようだ。
そしてそこの子供たちはある程度の年齢になると独り立ちしたり、孤児院の経営に協力したり、社会貢献に尽力しているそうだ。
そんな内容が書かれた手紙をリッカたちが読んで、嬉しそうに微笑んでいる。
しかしほとんど関わりがなく、窓から吹き飛ばされただけのクーは苛立たしく思っていて、正直あの黒歴史だけは記憶から追い出したいようだ。
クーは新聞を読みながら、あることに気付く。
「なぁ、今日この辺を女王陛下が通るらしいぞ」
「え、そうなの?」
クーが新聞の端に書かれた記事に気づいて、新聞から顔をあげてそのことをリッカたちに報告する。
その記事によれば、女王陛下一行は、先月から国中の視察を行っているようで、今日あたりに、今クーたちが生活している地域を通過するらしい。
「ま、どーでもいいけど」
クーは面倒臭そうに言い捨てると、再び新聞に視線を戻してページを捲った。
しかしやはり退屈なのか、それとも早朝で眠いだけなのか、欠伸を一つ、大きく吐いた。
「そういえば女王陛下って、今綺麗なお姫様がいるよね」
「ああ。それなら私も新聞で見たことあるわ。女王陛下にそっくりでとっても可愛らしかったわ」
ジルとリッカもこのことには関心があったらしく、話題が弾んでいる。
クーは自分の警備の仕事の出勤時間が迫っていることに気付き、のんびりと支度をして、部屋を出ていった。
「一度でいいから会って話してみたいわよねー」
「たぶん無理だよリッカ。相手は私たちと違って王族のお姫様なんだし、身分が違いすぎるよー」
「それもそうよねー」
彼女らはやはりお姫様とやらに会ってみたいようだ。
しかしジルも言った通り、身分の差もあるし、女王陛下の周りには護衛の騎士も数多くいる。
話しかけたいからと言って接近することはほぼ不可能だろう。
「そうそう、知ってる?近くの商店街から少し離れたところにお洒落な洋服屋さんができたんだって」
「ふぅん、ジル、そういうの好きよねー」
「リッカ、女の子なんだからもっとお洒落には気を遣わなきゃ」
「いいの。私は魔法使いとして、魔法使いのために生涯を使うんだから」
女性の話というのは、いつだって刹那的である。
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ところ変わってこちらクー。
町の警備員の格好をし、真紅の槍を携えて、町の裏の入り口近くの道端に立っていた。
正直この町はかなり平和で、喧嘩も事故も事件も滅多に起きはしない。
今まで様々な不幸に巡り会ってきたクーだが、この町に来てから不幸に会う回数も激減していた。
しかし、だからこそ、暇だった。
今度の不幸は、『暇過ぎること』なのかもしれない。
「何か面白れぇこと起きねぇかなぁ……」
あまりの退屈さに、独り言を呟く。
しかし当然のこと、こういう時に限って何も起きないものだ。
それに、クーが心を開いて話すことができる知り合いも、リッカとジルくらいだ。
話す相手もいないので、ますます退屈が募る。
「退屈だよなぁ……」
誰にも聞かれないその呟き声は、無人の狭い道路を通り抜けようとして、途中で風化して消えてしまった。
しかし、その声が消えてしまうその時、別の、一定のリズムを刻んだ音が聞こえてきた。
「あ?」
クーはそれに気付いたようで、のっそりと態勢を直して警戒を強める。
タッタタッタと走ってくる足音か、少しずつこちらに近づいてくる。
そしてその正体が姿を現すと同時に、確認することなく乱暴に掴み上げた。
「止まれ何者だ一体どこに行こうとしている?」
矢継ぎ早にその正体に言葉を浴びせかける。
しかしここでクーはある種の罪悪感を感じてしまった。
相手は、まだ年増もいかない少女だった。
「……」
唖然としながらも、とりあえずクーは少女を地面に下ろす。
その顔をよく見てみると、どこかで見たことのある顔、周りの風景が霞んでしまう程の美少女で、怖がって潤んだ瞳からは、涙が零れそうになっていた。
「そっ、その、悪かったな。でも、こんなところで何をしていた?」
クーは思い切って聞いてみる。
「……あなたは、この町の住民の方ですか?」
震え声になりながら、彼女はそう尋ねた。
クーは、隠すこともないだろうと思い、素直に頷いてみせた。
「それでは、この辺りのことも詳しいのですか?」
「んまぁ、何年もいるから詳しくないことはねぇけど」
やたらと丁寧な口調、どこかで見たことがある顔、これだけで今更クーは合点がいった。
「お前、女王陛下の娘さんか?」
そう言葉を発すると、少女はかちこちに固まった。
個人的に知られたくなかったのだろう。
確かに王族の娘が一人でうろうろしているのを拉致されでもしたら、国中での大問題となる。
「いやまぁそんなにビビられてもさ。別に俺ぁお前になんざ興味ねぇし、今の仕事クビになったらマジでやべぇの。とにかくだ、さっさと帰った方がいいぞ。女王陛下も心配してるぞ」
「いやです」
「は?」
この娘、親元に帰るのを嫌がった。
クーは彼女の反応の意味が分からず、ついつい顔つきが剣呑になる。
「私、わざわざ逃げてきたんですから」
しっかりと実った胸を張って、自分がいかに頑張ったかをアピールしている。
クーからしたら阿呆らしくしか見えなかった。
「ずっと母上様たちとお国の視察の旅をしていたのですが、私にとっては暇で暇で……。自分の目で外の世界を見てみたいと思い、ここまで飛び出してきたのです」
クーは少し、その心意気に感動した。
何しろクーが旅に出たのも、ベクトルの向きこそ違うものの、外の世界に向かっていくことには変わりなかったからだ。
自分と似たような動機でここにいる少女を、クーは少しだけ見直した。
「……お前、名前は?」
「エリザベスと申します」
「俺はクー・フーリン、って者だ。お国の人間なら、名前くらい知ってんだろ」
「勿論です!あの、子供を守りつつ百を超える悪魔の群れを相手に、三分と経たず、紅の槍一本で殲滅したといわれる、あの『アイルランドの英雄』様ですよね!?」
やっぱりやってなかった。
どうしてやってないことがここまで広まってしまうのか、クーは頭を抱えながら世の噂の恐ろしさを思い知ったのだった。
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「えーっと……」
「なんであんたが連れてくるのよ……」
そしてこの反応である。
何があったのかというと、とりあえず昼前にクーは仕事を引き上げ、それまではエリザベスを隠しておいて、それから急いで彼女を連れて自宅に帰ってきたのだ。
双方合意の誘拐と差異はないだろう。
「警察に連絡しないと」
平静を装ったリッカが部屋から出ようとしたのを慌てずその首筋を鷲掴みにして引き止める。
戦士の握力は振りほどくには強すぎた。
「待てよ。飛び出してきたのはこいつの意志だ。なんでもこいつは外の世界を自分の目で、耳で、体中で味わってみたいらしいぞ。その機会を奪ってどうする。それに俺も警察だ」
「でも、今この子の家族は大騒ぎしてるんじゃない?」
リッカのごもっともな意見、そんなことはクーは勿論、逃げ出してきたエリザベスだって知っていた。
だからはっきりとした口調でエリザベスは言った。
「だから私を、この町のいろいろなところに案内してください!」
リッカはジルと困った顔を見合わせる。
少し唸って、ぱっと顔を上げた。
その表情はどこか吹っ切れたような、それでいて悪戯めいた表情だった。
「分かったわ。その代わり、遊びに行くんだから身分とかそんなのは関係なしよ!」
「エリザベス……さん?」
ジルが何となく呼んでみるも、相手が相手なのでやはり畏まってしまう。
それを自分で自覚して、苦笑いしてしまう。
「そうね、エリザベスって長いから、リズでいいんじゃない?」
「それなら呼びやすいね!」
「うわぁ、リズ、ですか。いい響きです!ありがとうございます!」
狙ってやったのかどうかは分からないが、渾名、というより略称を与えられたことによって、町中を徘徊するのも楽になったと思われる。
人の行きかう中で、王族の名前を普通に呼んでいたのではすぐに見つかってしまってもおかしくない。
リッカたちは互いに自己紹介をしながら、どの親睦を深めている。
女性同士できゃっきゃとはしゃいでいるのを、クーは面倒臭そうに眺めていた。
高貴な身分と言ったら拉致誘拐事件ですよね~(ゲス顔)