ということで今はやりの壁ドンならぬ木ドン(?)をば。
視界という画面を真ん中から左右に真っ二つに切り取るように、細長い光の線が縦に降りてきた。
クー・フーリンはその銀の脅威を何の焦りもなく少ない動作だけで左に躱しバックステップで距離を取る。
地上での爆弾テロの事件の解決に当たり、午後の授業はなくなったが、結果的に普段の放課後の開始のベルと変わらない時間となっていた。
クーにはこの事件に関して一つだけ気になることがあったのだが、その人物は今はまだ時間的な関係で会えそうにない、いくらか時間を潰そうと校庭の傍に設けられてあるベンチでのんびりと座り込んでいたら、クーを兄のように慕う、弟子のエト・マロースが背後から体当たりを仕掛けてくるくらいの勢いで声をかけてきた。どうやら本日も稽古をつけてほしいらしい。彼の更に後ろからは、エトのガールフレンドなのだろう、蒼いツインテールを揺らしている少女、サラ・クリサリスがちょっと待ってとエトを追いかけてきていた。
さて、そのサラはといえば、先程の事件においてなかなか危険な事態に遭遇していたらしく、そんな目に会う彼を見ていられないため、無理をしでかさないように監視をしていたいとのこと。今はこの三人しかいない広場の端のベンチで腰かけてこちらの様子を眺めている。退屈ではないのだろうか、しかしその眼はなかなか真剣なものだった。
一方エトは傍から見れば確実に相手を殺すような一撃をクーに与えているつもりなのだが、いつも通りというかそれが当然というか、ほんのわずかな動作だけで全て軽くいなされ、そして鼻で笑われ馬鹿にされている。それが悔しいエトはむっとして更に追撃を仕掛けるのだが。
「――っ!」
本当に針の穴を通すような鋭い刺突の一撃。
片手で持つ剣で刺突の技を発動するのは、他の斬撃と比べて体が開き過ぎる。言ってしまえば重心を立て直すのに時間がかかるのだ。
それがたとえ、これまで散々クーのあれやこれやを見てきたエトの放つ一撃でさえ、その隙は生まれる。傍から見れば、すぐに次に繋げたように見える高速の一撃が。
「甘いっての」
エトの剣に合わせ、槍を操る。
剣の刃を槍で搦めとり、一気に引き寄せてエトの後頭部を開いた左手で鷲掴みにする。
次の瞬間、エトには瞬きする間もなく地面が目の前に接近していたようにも見えただろう。
轟音を立て、砂埃を巻き上げる。
しかし、その砂埃の一角が大きく膨れ上がり、そこから物凄い低い体勢でバックステップで距離を取るエトの姿が現れた。その左腕は制服の裾が破け、擦り傷を作って血が流れている。
恐らく、あの一瞬で瞬時に顔面へのダメージを回避するために開いていた左手を縦にして凌いだのだろう。制服についている砂の跡から考えて、勢いを殺すように地面を転んでバックステップへと繋げたようだ。
エトが次を構えようとした時、脇からたったたったと足音を立てて走り寄ってくるサラの姿があった。
絶対に殺すという鋭い視線をずっとクーに突き刺していたエトの表情が柔らかいものへと戻り、その視線がサラへと向かう。
「や、やっぱり危険です!こんな怪我して、日々の生活に支障をきたしたらどうするんですか!」
などと、どこぞの母や姉のような小言をブツブツと呟くサラを見ていると、エトから見てもなまじ彼女が小さいせいで、そのどちらでもないように見えて笑いがこみあげてくる。
そうして吹き出してみると、今度は善意で心配してあげているのにと頬をぷりぷりとさせる始末。あまりの可愛さに頭を撫でてやれば子ども扱いするなと顔を真っ赤にする。
まったく変わってしまったもんだと、苦笑気味にその様子を遠くで見守る彼の師匠。
戦意というか、何というか冷めてしまった。構えを解いたクーはその槍を肩に担ぐように持つ。
「保健室にジルがいるはずだ。そこのガールフレンド、エトを連れてってやれ」
シッシ、と猫を追い払うように手の甲を払う。
ガールフレンド扱いされていることに妙に反応してまた顔を赤くしているが、耳まで赤い顔はそのままにしておいて、表情だけをシャキッとさせてエトの怪我をしていない右腕を引っ張る。
そのままエトは引き摺られるように風見鶏の校舎側へと姿を消してしまう。
さて、もうしばらくはエト相手におちょくっているつもりだったのだが、相手がガールフレンドに拉致されてしまったために時間が空いてしまった。
どうしようかと軽く考え込んでいたところに閃いた妙案。
ご主人様の様子を見るついでにフラワーズで一息入れるか、そう思い立ったら吉日(?)、槍を筒の中に仕舞って軽い足取りで広場を後にした。
しばらく通路を進んでいると、前方に広がる一面薄紅色の光景が待っていた。風見鶏が誇る、一年中花びらを散らすことのない桜並木である。
いい加減この景色を見るのも飽きてきたところだが、しかし一度として美しいと思わなかったことはない。
原理としては正確に言えば永久機関的な意味で桜を永続的に開花させているわけではないらしいが、しかしそれでもこの桜をここまでにした張本人であるリッカとジルの活躍にはクー自身も尊敬しているところはある。もしかしたら、あともう少し時間をかければ、彼女たちの悲願も達成するのかもしれないと。
そんなことを考えて、その景色を見上げて桜並木を歩いていたら、突如胸倉辺りを引っ張られた。
面倒臭いのに掴まったと思ったら、そこにいたのは胸倉を掴む金髪の魔法少女、リッカ・グリーンウッドだった。
「……どうせ気付いていたはずなのにそんな中途半端な驚き顔されてもね」
どうやら彼女の表情をみると、なかなかご機嫌がよろしくないらしい。そしてその理由も大方推測できる。
クーは先程自分が彼女の親友に対して何をしたのか、歩いて三歩で忘れるような鳥頭ではないのだ。後は仲良しなはずの二人がたまたま出会って一言二言話せば勝手に爆弾は爆発してくれる。
「ほ、本当に……したの?」
ぐぬぬ、と言わんばかりの張り詰めた表情のリッカの顔が、少しずつこちらに近づいてくる。
しかし、何を、という目的語をはっきりと口にできない辺り、結局彼女もただの乙女なのだ。正直やってられない、が。
しかしここで思いついた。本日の名案二つ目である。折角なのだからここでからかっておくのも悪くない。
「した、って、何をだよ」
ドヤァ、とばかりの会心の笑顔でリッカを見返すクー。当然この反応にリッカはプッツンと来るわけで。
ご機嫌斜めに任せて勢いよく言葉を発しようとした矢先に、理性というか羞恥心が邪魔をしてしまったらしく、すぐに口ごもって顔を真っ赤にしてしまう。
そして少し俯いて。
「その、えっと、き、……をよ」
「えぇぇえええ、なんだってぇ、聞こえねぇぞぉぉおお?」
そう、わざとらしく、ありったけのわざとらしさをこの右手の平に乗っけて、指をひらひらさせながら自分自身の耳にかざす。
すると黙り込んだリッカの、クーの胸倉を掴んだ両手の拳がプルプルと小刻みに震え始めた。どうやらこんな安い挑発に引っ掛かってくれるらしい。
そろそろ潮時だろう。こんなところでカテゴリー5の少女のような女性を泣かせたとなれば色々な意味で立つ瀬がない。右手の人差し指と親指で顎を擦るように少し考えて、そしてその手をそのままリッカの金髪に乗せる。掌にふわりと柔らかい感触が広がった。
「何を勘違いしてんのか知らんが、別にジルを特別扱いしてるわけじゃねぇ。いやまぁ全体からすりゃ特別みたいなもんなんだろうが、だったらテメェもジルと対等に扱われるべきだ」
リッカ・グリーンウッドは頭がいい。思考の回転が速い。その力が、クーの言葉の意味を素早く正しく理解してしまったせいで、結局自分が追い込まれていることに、すぐに気が付いてしまった。
気が付けば、リッカの腰にクーの両手が潜り込み、軽々とリッカの体を宙に持ち上げてしまう。
そしてこの桜並木の、内一本の桜の木の傍までひょいと飛んで、そっと下ろす。
何よもう、と反撃しようと思えば、リッカの頬を巨大な弾丸が掠めて去った――いや、その弾丸は、紛れもなくクーの腕で。
すぐ目の前にある真紅の瞳が物語っている――ここから逃がさないと。
しかし、その瞳は、一瞬だけ違う方向へと泳いだ。少し躊躇ってしまったのだろう。だが次の瞬間には覚悟は固まったようで。
「おい……目ェ閉じてろ」
低く唸るような声に気圧されたリッカは、少し怯えたようにぎゅっと瞼を閉じる。
一秒、二秒、三秒――数えていないと自分の心臓の鼓動の速さに耐え切れなくなってしまうから。
そうして何秒が過ぎただろうか、ふと、唇に触れる何かの感触があった。
目を開けてみようにも、恐ろしくて開けられない。
また数える。その感触が離れてしまうまで――一秒、二秒、三秒。
そして、その感触は、すぐにどこかへと去ってしまった。
もういいかな、と目を開ける。
視界が開いた先にあったクーはこちらへと背中を向けており、何事もなかったかのようにこの桜並木を静かに見上げていた。
「ち、ちょっと――」
「これから用事……っていう程でもないんだが、ちょっと行ってくるわ」
そう言って背中越しに右手をひらひらさせる。その手は暗に、リッカに、ついてくるなよと言っていた。
その背中を眺めながら、リッカは今しがたされたことを思い返す。時間にしてわずか数秒だったし、その間の視界は真っ暗だった。思い出そうにもその光景は思い出すことすらできないが、しかし、その時の感触だけで、簡単にその一部始終を想像できてしまう。
だから、自分の指先が、無意識の内に自分の唇の方へと向かっていたのを、慌てて引き止めるようなことが起きてしまうのだった。
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「失礼しまーす!」
そんな元気一杯の声が聞こえてきたのは、日が暮れ始めてのことだった。
わずかに押し寄せる眠気をコーヒーのカフェインで追い払いながら、ひたすら桜を見上げて数時間。ちなみにこの間、クーの席の周りには、一定の距離が開くかあるいは近寄らないようにテーブル一つをわざわざ開けて席を取るような事態が発生していたのだが。
出てきたのは、栗色のショートヘアが可愛らしい少女、陽ノ本葵。年頃の女の子なら、未だ会わぬ彼氏との出会いを求めてもう少し派手な格好をしたり、少し露出の多い服を着用したりするのだろうが、葵に限ってはそのどちらにも当てはまってはいなかった。
理由は単純明快、その服の下に隠されているのは、禍々しく刻まれた罪の痕跡だからだ。それを服で隠して、その後悔と葛藤を笑顔の仮面で隠し続けていた。
しかしそれはもう数日前の過去の話である。
今となっては、彼女の隣を歩き、彼女の前に立って彼女を守る一人の騎士が全てを知り、全てを許容してくれている。
その騎士は、今まで培ってきた地位や名誉を迷いなく全て捨て、そして平然と笑っている男だった。
「お疲れ様でしたお姫様――っと」
閉店した後もしばらく店先のテーブルで居座っていたが、彼女の姿を確認するなリ立ち上がって出迎える。
彼女は少しだけ申し訳なさそうな顔をしてから、いつも通りの明るい笑顔へと戻っていく。
普段であれば、彼女はこの後この地下の空間に借りたとあるアパートの一室に戻って、その手に持っている本日の売れ残りの惣菜たちをテーブルに並べて豪華にディナーとしゃれ込むのだが、今の彼女はクーの主であり、保護対象である。もしかしたらアデル・アレクサンダー辺りが密かに命を狙っているかもしれないということを考慮して、現在は風見鶏の学生寮のクーの部屋に居候させているのだ。
つまり、必然的に帰る方向が同じになる。
「今日はですね、こんなのと、それからこれと、あとこれ――今日は凄い贅沢ですよー!」
店の売れ残りは原則無料で持ち帰ることができる。ただでさえフラワーズの料理はおいしいのに、冷めてしまっているとはいえそれをただで食べられるなど、これ以上の幸せはない、というのが本人談。
どんな時でも、葵は自分の生活を満喫していた。
ただ、それに慣れ過ぎていただけなのかもしれない。だからこそ、クーが気付かない限り、彼女は自分の罪を隠し通し笑い続けることができた。
こうして誰かが理解してくれるということがどれだけ心の支えになっているのだろうか。クーにはそんなことは分からないし、考えたこともない。
嬉しそうに戦利品についてあれこれ語っている葵の頭に、女の子の大事な髪を掻き乱すように手を置いてくしゃくしゃする。だが、葵は不思議そうな表情をしただけで、決して嫌がりはしなかった。
「アンタの店の料理が不味いはずないだろ」
葵の胸に、ふと何かが込み上げてきた。
クーは葵を受け入れてくれただけではない。葵が大好きな店で、そして自分が働いている店を、同じように好いてくれて評価してくれる、それが、どうしようもなく嬉しかった。
先程までありとあらゆる言葉を尽くしてその良さをアピールしていたが、どうやらその必要もなかったらしい。
だから、そこで会話が途切れてしまう。葵が一方的に話していたから、葵が話を止めてしまえばすぐに沈黙が包み込んでくれる。
街灯に照らされた夜桜が美しくて、誰もいない桜並木を二人きりで歩いていたものだから、葵は少しだけ、想像する。
恋人がいたら、こんな感じで並んで歩いているのだろうな、と。
「――っうぉっと」
クーの体を、横からとんと押される感触がして、様子を見てみると、葵がクーの腕に両腕を絡めていた。
そして葵はその年齢にして、他の娘と比べて胸が大きい。その柔らかい感触がクーの腕に押し当たっている、というか葵が意図的に押し当てていた。
しかしこのクー・フーリン、そんなことで理性が揺らいだりすることはない。美少女が密着してくれることが嬉しくない訳がないのだが、それとこれとは全く別問題である。
「あれ、やっぱり慌てたり喜んだりしないんですね」
残念、そう表情に出しながら見上げる葵。
「流石にあのリッカさんやジルさんといつも一緒にいるから、私なんかの胸じゃ満足できませんか」
「いやそういう訳じゃなくてだな……というか別にリッカたちともそう言う関係じゃ――」
ないし、と続けようとして、そう言えば今日は一日だけでその両方共と大胆なことをしてしまったものだと思い出す。
そして両方共に対して一歩踏み込んでしまったわけだから、色々な意味でランクアップしたわけで、明日からまた彼女たちが積極的になってしまえば、それはそれで面倒だ。
ほんの少し憂鬱になりながら、小さく溜息を零した。
「傍から見れば両手に花なのに、それに対して何とも思わない殿方、これは修羅場が期待できそうですねぇ」
「冷やかしてんじゃねーよ」
パチンと軽くデコピンをかます。軽いとってもクー基準であるため、葵の額にはしっかりと指の跡が残っていた。
そうこうしている内に学生寮に辿り着いて、慣れた足取りでクーの部屋へと舞い戻る。
侵入者など出てくるはずもないが、とりあえず念のために鍵を閉めてソファにどっかりと腰を下ろしながら制服の上着を脱いでは放り投げる。
それをみた葵が甲斐甲斐しくそれを拾い直してハンガーにかけてやる。
「別に気にしなくともいいってのに」
「私が気にするんです。踏んづけちゃったら皺になりますし」
葵が持って帰ってきた戦利品をテーブルに広げ直しているのを見て、今日話しておくべきことを思い出した。
本当なら、彼女の口から全てを話してくれることを待っていたつもりなのだが、『
今問い質すべきか、先程から逡巡は繰り返される。
そして、焦燥に背中を押されるように、言葉は喉から飛び出した。
「なぁ、葵――」
楽しそうに夕食の準備をしていた葵は、戦利品をテーブルの上に並べる作業を止めてクーへと振り返る。
これから何を訊かれるかも知らずに、きっと何か楽しいことを話してくれると信じている、きらきらと輝く瞳。
「どうしたんですか?」
「やっぱ、話してくれねぇか、あんたが黙っている、この霧の禁呪の真相って奴」
そういうと、彼女の瞳に、ひどい恐怖を感じ取った。
硬直する体、わずかに指先が震えている。自分の笑顔で隠し切れない程の恐怖と動揺が、その問いの答えには存在しているらしい。
そしてクー自身も、後ろから喉元を掴まれ引っ張られるような感覚に苛まれる。
これ以上真相に近づくなと誰かが囁きかける――そんな優しいものではない、そう、これは訴えだった。
それを振りほどくようにクーはソファから立ち上がって、彼女の隣に腰を下ろす。
そして彼女を安心させるように震える肩に掌を乗せて、不器用ながらに笑ってみせた。
「それは――」
震える唇から必死に声を絞り出そうとしている。
しかしそれはすぐに収まった。次に彼女が見せた表情は、何かの覚悟を決めたような、冷たい表情だった。
「晩御飯食べたら、一緒にお風呂でもどうですか?」
葵は、異性同士ながら、『裸の付き合い』を提唱してみせた。
積極的な葵ちゃんかわいいです。でも本当なら、ここから先冷静になって自分のやっていることを考えてみて恥ずかしくなるまでがデフォ。かわいい。
そしてようやくまた話が進むんだぜ。