満身創痍の英雄伝   作:Masty_Zaki

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タイトルはその、いろんな意味でです。


その距離僅か数センチ

 鈍い金属音が大広間に鳴り響く。

 凄まじい程の剣術を披露し続けた彼女の腕は震え、その掌には既に長刀は握られていなかった。

 膝がかくかくと震え、自らの体重を支えるには疲労に耐えられるはずもなく、音をたてて崩れ落ちた。

 かろうじで致命傷を回避し続けたその身体は、幾重にもその皮膚を食い千切られ、いたるところから血を流している。幸い、疲労によって活動停止を余儀なくされているだけであって、五体は未だに満足である。

 が、目の前にはまだ、敵が山程いる。

 強い殺意を向けて視線を走らせた先にあったのは、骸骨の戦士でもなく、それを生み出す塵の塊でできあがった球体でもなく、その背後にいる黒いローブの魔法使いだった。

 

「なかなかやるじゃない。私の尖兵の攻撃を、負傷者を庇いながら全て凌ぎ、未だそこに首をつけて息をしているなんて」

 

 黒いローブの魔法使い――『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』は楽しそうに笑う。

 キャパシティを超えそうなレベルでの立ち回りをしたせいで、体は既についていかず、膝を屈した巴は肩で息をしていた。喉が詰まるような感覚と共に、呼吸をしようと肺を動かす度に、喉元からひゅうひゅうと音がする。

 

「知る必要もなければ、足掻く必要もない。それにあなたがこの世界で最後まで生きている必要すらないのよ」

 

 歪んだ唇のままで、彼女はそう断言する。

 そう彼女が言い切った理由を、巴は既に知っている。いや、この世界の真実を知っている者なら、誰でも彼女の意図を悟るはずだ。

 

「どうせ、この世界は再び巻き戻されるのだから」

 

 無慈悲にその左腕が動かされる。

 魔力の流れを察知したように、屑の球体がドクンと脈動する。赤黒い光を放つと同時に、更に多数の骸骨の戦士が解き放たれた。

 もしかしたらこの魔法は無限に続くのかもしれない、現在の魔法の理論では不可能なのだろうが、それを扱うのが『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』であれば、俄かにそれを否定することもできない。

 ならば、今までここで我武者羅に刀を振るい続けてきたことに何の意味があるのだろうか。

 後ろに横たわっている大事な生徒、イアン・セルウェイを必ず守り抜く――そう誓ったはずが、こうキリがなくてはその一抹の希望さえ水泡に帰す思いである。

 まして、巴自身の身体は既に満身創痍、致命傷だけはかろうじで避けてはいるものの、全身は少し前に動くことを止めてしまった。屈した膝が伸びることを拒んでいる。

 私は、間違っていたのだろうか――

 

 ――いや。

 

 その瞳が、勝利を確信した。

 未だ勝気な視線が魔女を貫き、彼女はどの表情に動揺を露わにする。

 

「――少しは頑張った意味があったみたいだね」

 

 ザマァミロ。巴の確信は、すぐに現実に現れる。

 突如、ガラスの破砕音が鼓膜に叩きつけられる。耳をつんざく甲高い音と共に、巨大な弾丸のような何かが飛び込み、目の前で着弾した。

 再び耳を破壊せんばかりの轟音、そして砂埃。恐らくその着地だけで数体の骸骨の戦士が消し飛んだだろう。そして視界が晴れる。

 青く逆立った髪、燃えたぎるような真紅の双眸、そしてその拳に強く握られているのは、百戦錬磨を体現する真紅の槍。

 元『八本槍』にして、この霧の禁呪の術者である陽ノ本葵の騎士である。

 そしてついでに、その背中には巴の友人が負ぶさっていた。目は開いているものの、どこか寝ぼけ眼なのは気のせいだろうか。

 

「あ~、器物損壊~」

 

 確認しよう。ここは間違いなくテロの首謀者が目の前に存在する部屋で、その正体は『八本槍』の一人でありカテゴリー5の頂点に君臨する魔法使い、そしてその動機はこのループ世界を維持させるためと来た。

 なのにこの少女――正確には少女ではないが――、緊急事態を前提にそうせざるを得なかったにも拘らず、すぐそこにある重要案件をよそに目の前の些細な問題を指摘している。

 

「うわしまった、今回ばかりは見逃してくれよ。ほら、アレぶっ倒すからさぁ」

 

 この男もまたずれてしまっていた。どうして犯人よりも窓の損害の方が重要なのだろうか。

 巴は既にその腕が動かないにも拘らず、頭の痛さに眉間を押さえそうになった。

 

「一体何をしに来たのかしら?」

 

 予想よりも早い段階での元『八本槍』の登場に、『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』は小さく舌打ちをする。

 魔法に置いて彼女の右に出る者はいないが、しかしあくまで魔法の分野のみである。彼のような武術に秀でた『八本槍』と相対したとなれば、ここで彼に打ち勝つことは至難の業である。

 

(マスター)の意向に反する糞野郎を叩き潰しに来た」

 

 などとカッコいいことを言っている気がしないでもないが、残念ながら背中に背負っている少女をゆっくりと優しく下ろしながら巴たちの治癒をするように指示を出しながらされても、その、何だかダサい。

 地面に足をつけたジルは、巴の姿を確認するなり、顔を真っ青にして逃げる獣のように素早く駆け寄る。

 巴は自分よりも先にイアンの治癒を優先するように言うと、静かに頷いてイアンの下へと屈んで魔法をかけた。

 

「先に降伏勧告とやらを出させてもらう。大人しく投降しな、さすれば命は助けてやる――っとこんな感じか」

 

 槍を構えながら、やることだけはやったと満足そうに笑う。しかしその笑い方は、獲物を狩る前の猛獣そのものだった。

 目の前の魔女は悔しさに歯噛みをする。既に骸骨の戦士を半永久的に召喚する魔法を発動させてしまっている以上、万全な状態でこの男と相対するには力不足である。

 完全に姿をくらまして逃げることくらいはできるだろう。しかしそれでは、自身の思惑を達成することができない。

 そしてそこに、さらなる追い打ちを食らうことになる。

 

「こっち、こっちです」

 

「やっと着いた!」

 

「なかなかかったるい事態にまで発展しちゃってるじゃない」

 

 先程イアンの犠牲のおかげで無事に脱出できたサラがエトとリッカを連れて再び姿を現した。

 そしてその背後には、更にもう一人の『八本槍』がいる。極東の剣士、佐々木小次郎である。

 これで完全に形勢は逆転した。最早テロリスト側に勝利はない。いくら『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』が『八本槍』といえど、戦闘タイプではない『八本槍』が、戦闘タイプである『八本槍』を二人同時に相手して勝てる道理などなかった。

 

「話してもらおうかしら、あなたがこんなことをする理由」

 

 リッカが腰に手を当てて十分に警戒しつつ『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)』を睨みつける。

 リッカとしては、人としては苦手だったが、同じ魔法使いとしてはこれ以上なく尊敬していたカテゴリー5の頂点たる彼女が、こんな凶行に手を染めたことに憤りを隠せないでいた。

 

「≪永遠に訪れない五月祭(バルティナ)≫について、あなたはどこまで知っているの?」

 

 問いかけるリッカ。しかし追い詰められたはずの彼女は、何がおかしいのかここにいる全員を嘲るように笑い始めた。

 全てを知る者の優越。何も知らない者が答えを求めて彷徨い歩く姿はさぞ滑稽だろう。しかし、その態度が同時にリッカやクーの苛立ちを助長させる。

 クーが地面を槍で叩くと、自身が起きたのと同じ水準で地面が大きく揺れた。

 

「教えてあげる義理もないわね。少しは立場というものを理解しているものと踏んでいたけど、まさか本当に表面の部分しか見ていなかったとは」

 

 立場を弁えていないのはむしろ彼女の方ではないか。しかしそう思えば思う程、彼女の態度と重要なことを知っているらしき彼女の素振りは、これだけの戦力を揃えていてなお気圧されている気になってしまう。

 

「私からは教えられることは何もない。けれど、私以外にもう一人、全てを知る人物がいるはずよ。真実に到達するまでもなく、最初から真実として存在している中核(ピース)が」

 

 一同が一瞬驚きの表情へと変わる。

 目の前の魔法使いはありとあらゆる魔法を知りつくし、そしてその中から数多の強力な魔法や禁呪をつくり上げてきた世界最高峰の実力者である。そんな彼女と同じレベルでこの世界のことを理解している人物がいるという事実は、解決のための大きな要素となると同時に、立ちはだかる障壁としての大きな脅威となり得る。

 それが誰なのか、あるいは『八本槍』の中にいるのか、誰もがその人物を頭の中で思い返していた。

 その中でただ一人、その人物以外の全員が無意識の内に選択肢から消去している少女のことを思い浮かべ、苦虫を噛み潰したような表情をした槍の戦士、クー・フーリンがいた。

 

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 結局、今回のテロを引き起こした犯人である、『八本槍』の一人である『歩く禁呪(フォビドゥン・ゴブレット)の身柄を拘束することは叶わなかった。

 いざと言う時のために、あらかじめ転移魔法のためのポータルを複数仕込んであったのだろう、突如として姿を消した彼女を追跡しようとジルが試みたのだが、流石魔法のスペシャリストの頂点ということだけあってその足取りを掴むことはできなかった。

 彼女の自白があった訳ではないので正確なことまでは不明のままであるが、今回の事件の全容は、彼女が黒い影の出現に乗じて魔法によって市民の内の数人を操り、街の地下の至る所に爆弾を設置させ、操り人形となった彼ら彼女らは即回収、用が済んだらハイドパークホテル内の至る所に放り捨てられれていたということである。

 操られた市民のほとんどはあの大広間にいたが、結局誰一人として死亡者は出ておらず、大きな怪我をしたのも、サラたちを庇ったイアン・セルウェイと、その彼を必死に守り抜いた五条院巴のみだということである。

 犠牲者が出なかったということで女王エリザベスも安堵に胸を撫で下ろしていたが、結局犯人を捕まえることができなかったということ、その犯人が最大限の自由を約束されていた『八本槍』の中から現れていたということから、やはり心労は絶えないのだろう。

 事実、少し前にクー・フーリンが『八本槍』からの脱退を自ら宣言し実行したこともあり、王室での緊張は高まっている。しかし、国家自体に彼らを抑制する手段がない以上、どうすることもできない。残りの『八本槍』から離反者を出さないようしつつ今後の対応を検討していかなければならない。

 さて、結局ストレス発散も碌にできなかったクーは、戦果として持ち帰った疲労だけを重苦しそうに背中や腰に背負って、更についでにジルとかいうお荷物まで背負って保健室に移動し、完全に意識を落としてしまった彼女を寝かせてついでに自分も横になった次第である。

 ちなみに大怪我をしたイアンはこの保健室ではなくこの風見鶏内にある魔法を利用した医療機関に直接搬送され治療を受けている。

 幸い致命傷には至らなかったおかげで快復も早く、今では従者であるメイドのあからさまな持ち上げに対してツッコミを入れるくらいには元気になっているようだ。

 助けられたサラも直々に、但しお供にエトをつけて彼のいる部屋までお見舞いに来たのだが、感謝をされるというのにあまり慣れていないのか、分かりやすいくらいに照れまくってさっさと帰れと追い出されてしまった。

 巴の方も、受けた傷も比較的浅いものばかりだったのですぐに生徒会の仕事にも復帰、傷そのものは完治したものの多少疲労でふらふらしているのが痛々しかったが、彼女自身は大丈夫だと居張って聞かない。

 

 さて、そんな中、事件後に保健室を訪れたクーとジルにも、ほんの少し変化があったようで。

 保健室で寝ていた二人、先に目を覚ましたのはジルだった。寝ぼけ眼を擦って視界のピントを合わせてみると、一応治癒魔法のエキスパートとしてここでお世話になっている彼女からすれば見慣れた光景である天井を今丁度視界に収めていた。

 ふと隣のベッドを見てみると、窓際に備えられたベッドで横になっていたのは、彼女もよく知るというか昔からの仲であるクー・フーリンだった。

 毛布を掛けてくれたのは彼であろう、その粗雑ながらも彼女なりに丁寧にかけたつもりなのだろうそれをゆっくりと押しのけて、地面に両足をつける。

 立ち上がって、彼女の様子を覗き込む。

 自分にかけてくれてたのとは正反対に乱雑に毛布をかけて、両手を頭の後ろで組んで枕との間に挟み、仰向けで静かに寝息を立てて休んでいた。

 その規則正しい寝息は、ジルがふとした瞬間に彼に対して殺意を向けたと同時にその規則性を崩し、時同じくジルの呼吸は音もなく止まってしまうだろう。

 さてこうして眠っているクーの枕元にこっそりと場所を陣取ることができたジルだが――明確な殺意敵意を向けなければ、彼は滅多なことでは起きることはないだろう。それこそ、天上が崩落して脳天に瓦礫が直撃するくらいの不幸がなければ。

 ふと、ジルは周囲を見回してみた。

 いつも通りに広がっている保健室の風景の中で、ベッドが使われているのはすぐ傍のクーのベッドと、先程までジルが使っていたベッドだけということになっている。

 つまるところ、今ここにいるのはクーとジルの二人きりという訳で。

 

 ――もしかすれば、これはチャンスでは?

 

 ある意味邪な考えが、ジルの脳裏をよぎった。もしかしてこれは、親友であり恋敵(ライバル)であるリッカよりも一歩先に出られる空前絶後の状況に違いない。

 自分自身がこの後起こすであろうアクションを妄想してみると、恥ずかしさと不安で頬は紅潮し、動悸は早まり、不自然な汗が首筋を流れ落ちる。

 目の前には、いつもは怖そうに見開かれている真紅の双眸が、今は瞳を閉じて隠されている、安らかな顔で眠っている想い人の姿。そしてジルは、そんな彼の顔の、ほんの一部に視線が釘づけになる。

 クー・フーリンという男は言うまでもなく大男である。そしてその粗野で野蛮な性格から、出会った当初は寝る時もいびきがうるさいイメージだったが、寝る時も周囲に警戒しているのか、なるべく音を押し殺すような寝方を意識している(寝ているのに意識しているとはこれ如何に)ようで、今目の前でそうしているように寝るときは結構静かなのだ。

 その、軽く閉じられた唇に、ゆっくりとジルの顔が近づいていく。ジルからすれば、クーの顔が、少しずつ、少しずつ、しかし確実に接近してしまうのが、寝息が髪を弄び始める辺りから意識させられる。

 自分の左手で、そっと前髪にかかりそうなもみあげ付近の長い髪をそっとかきあげる。髪が彼の鼻とかに当たって起きてしまえば元も子もない。

 さて、既に目の前には彼の唇があるわけだが。

 いざこうして行動に出てみると、なかなか恥ずかしいではないか。今まで割と積極的に彼にアタックできていたのは、何だかんだリッカが慌ててくれていたおかげで。

 こう、本当にそれっぽいことをしてしまおうとすると、羞恥心という空気を読まない邪魔者が動きを止めてしまう。心臓の音が余計なくらいに加速し、緊張を高める。もし今背後からワッと脅かされたら遥か彼方まですっ飛んでいける気がする。

 

 ――どきどきどきどき。

 

 その間僅か十センチメートル。ひょいと顔を前に押しやってやれば唇と唇がぶつかってちゅーができるのだ。

 頑張って短絡的に考えようと、理性というものが存在する以上無意味なことではある。

 ああもう、結局リッカがいなければ駄目じゃないか。半分諦めて首を持ち上げようとして――持ち上がらなかった。

 アレ、と思った瞬間には、既に、もう。

 彼の腕がジルの頭の後ろへと回され、彼の大きな掌がジルの後頭部をしっかりと押さえていた。

 そして、くい、とわずかに引き寄せられ、あとはクーが自ら顔を上げてやれば。

 

 ――唇と唇がぶつかってちゅーができていた。

 

 事の次第を認識するのにジルがかけた時間は、五秒。既にクーがジルの頭から手を離した後だった。

 恥ずかしさが臨界点を超えて、何かが覚醒しそうなくらいに視界がチカチカする。なのに目の前の彼は、いつ通りの余裕気な面持ちで、何か不思議なものを見るような目でこちらを見つめている。

 

「してほしけりゃしろって言えばいいのに――いやそれじゃあ俺の男が廃るってもんか」

 

 何だかよく分からない感情の渦のせめぎあいが、ジルの体の中、あるいは自分の体という内と外の境界線を突き破って溢れ出しそうな。

 そして溢れ出してしまったであろうそれは、結局何だかよく分からない涙となって、一度ぽろぽろと流れてしまえば、席を切ったようにぶわっと崩れ落ちてしまう。

 クーが気拙そうな様子でこちらを見ているが――その表情に何か言い返す間もなく、彼女は保健室を飛び出してしまう。

 とめどなく流れる涙を制服の裾で懸命に拭き取りながら。

 しかし何故かその唇は、僅かに笑っていた。




やっと事件が終わったぜ。

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