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待たせた時間と文章の質は全く比例しておりません。ご注意ください。
いつも通りの爽やかな笑みを浮かべたエトの姿が、そこにはあった。
ただいつもと違うのは、その腰元には一振りの剣が鞘に仕舞われていることであり、今まで清隆たちが見てきた温厚で優しいエトの雰囲気とは程遠い、逞しく鋭い雰囲気を漂わせていた。
目の前に現れ、颯爽と直前の危機から自分たちを助けた小さな勇者は、シャルルにとって、他でもなく、自分の弟であるエトだったから。
いつの間にか、姉である自分を守れるくらいに強くなって、襲い掛かる強敵の前に立ちはだかり守ってくれているその姿が、あまりにも眩しかった。
獣の黒い影に突き飛ばされ派手に転倒したリッカはすぐさま立ち上がり、シャルルたちを素早く助け出したエトの方へと視線を向ける。
リッカが戦線を維持できなくなった結果、大勢の黒い影がエトの方へと押し寄せることとなる。
「ごめん、ちょっと待ってて」
エトは姉にそう言い伝えると、獰猛にこちらに押し寄せる黒い影の大軍へと向けて、静かに振り返る。
剣の柄に手をかけ、そして黒い影の集団の、一番後ろにいる敵をしっかりと見据え、そして地面を抉るような強さで蹴り出したと同時に剣を鞘から抜き放つ。
鞘をレール代わりに刃を急加速させ、抜刀の一撃を可能なかぎり高速の域へと引き上げる。術式魔法も複数利用した上で――銀閃で黒を一瞬とない内に二つに断つ。
纏めて五体。素人であるシャルルたちがその姿を捉えることもできないままに、黒い影はその姿を霧へと変えた。
しかし、まだまだの数は多い。更なる大群がエトへと押し寄せてきた。
エト自身その表情に苦しい表情をしているが、流石にこれだけの量を一度に相手をするのは厳しいかもしれない。
覚悟を決めて剣を構えたその時だった。
「――何分この程度の脳しかない故、助太刀だけに我が太刀を貸そう」
数十頭はいたはずの黒い影が、纏めてバラバラにされていた。
霧に消えていく黒い影の隙間から次第に姿を現したのは、雅な陣羽織をきっちりと着込んだ群青色の長髪を綺麗に結い上げ整えた、侍のような長身の男。
まるでそうあることが当然であるかのように、そうなることがあらかじめ決まっていたかのように、彼の太刀が次々に黒い影を両断し消滅させる。
「遅くなったな少年、ここはこの
自らを卑下する眉目秀麗の風雅の侍。
しかし次々に襲い掛かる黒い影は、彼の巧みな剣捌きによって次々に消滅している。その太刀筋は最早、普段クー・フーリンに稽古をつけてもらっていたエトが傍で見ていようとまるで見切ることができるとは思えない程に鋭く滑らかで速過ぎた。
「わざわざこちらまで駆けつけてくださってすみません。ご協力よろしくお願いします」
その侍――佐々木小次郎を名乗る男の言葉に、エトは再び剣を握り直しながら改めて協力を仰ぎ直す。
彼の真摯な瞳に小次郎はそっと微笑む。彼の太刀のように鋭い瞳が青く閃いた。
稲光のような斬撃を黒い影に浴びせながら、その視線は茫然と立ち尽くすシャルルたちに向く。
「魔法使いたちよ。ここは引き受けよう。引き続き指揮の舞台へと戻るがいい」
剣閃。音もなく二つに分かれた黒い影が宙へと霧散する。
撤退しようとしていたシャルルたちは、『八本槍』の登場と戦況の変化を見て、ここはとりあえず安全であると判断する。
剣を振るい、黒い影を薙ぎ倒すエト。姉へと向けて、大丈夫だと頷いた彼は、ここで戦うという強い意志を彼女へと届ける。
その逞しい笑顔を見て、シャルルは決意する。
数年前まで病床に磔にされていた少年は既にいない。その時の彼自身を踏み台にまでして、いまそこで勇敢に異形と戦う勇者がいる。ならばせめて、彼の剣の軌跡を妨げないように、彼の意志を汲んでここで踏み止まるべきだ。
「分かりました。それでは、リッカとエトは、『八本槍』佐々木小次郎さまと協力して周辺の黒い影を掃討してください」
「――任された」
三つ首の狂犬が、小次郎へと牙を剥いて飛び上がる。
一般人の感覚からして、犬が獲物を追いかける速度は速い。犬のそれを遥かに凌駕した速度で飛びかかる狂犬を前に、小次郎は刀の刃先を相手に向け、半身に構えて型を取る。
「協力の証に一つ披露しよう。特にすることもなかったが故に流木と自称するこの私が半生で磨き上げた秘剣――『燕返し』を」
霧の中で僅かに残る光の残照を浴び、踏み込んだ小次郎の動きに合わせて刃先の光が煌めく。
そしてその閃きは次の瞬間一筋から三筋へと――増えた。
一瞬と呼ばれる刻にも満たない、洗練された太刀筋。
飛び上がった獣は、跡形もなく消え去っていた。
これまでエトはその全てを見てきたが、己の未熟故に、それらを全て視界に収めることは到底かなわなかった。
今回もまた同じだ。彼の太刀筋など、見切ることなど不可能――しかし、そんなエトにすら、一目で分かってしまった。
一度間合いで発動されてしまえば、回避することなど不可能、回避防御のために距離を置くことは愚か、ダメージ覚悟で強引に斬り込んでも、その前に確実に首を落とされる、人の領域では存在し得ない『絶対』の領域。
「凄い……」
剣筋が三本に分裂したという事実だけしか認識できなかったエトには、そんな言葉しか口にできなかった。
だが同時に、格上を通り越して、決して手の届くことのない雲の上の存在を間近で見ることができる。自分と同じで、剣を扱う達人。その戦いぶりをこの目で見ることができる。
師匠と同じ実力を持つ『八本槍』の一人、世界最高峰の剣技を操る剣士の、極上の一振りを。
刃を交わすことができないのなら、せめて隣に並んで同じ刃で敵を討つ。
目の前に群がる黒い影を一望する。隣にはだらりと腕を垂らしてはいるものの、それは剣を極めたものが真に至るとされる極致、技を捨てることで技とする無形。
「容姿はまだあどけないが、しかしその心は獅子の子だったか。槍を嗜む彼と同じ、野性に生きれば肝も据わる、か」
まだまだこれからだ、隣で一心に剣を構える少年をその長身で見下ろして、小次郎はエトにそう評価する。
なれば今こそ研鑽の時、流木の役目は彼の機会を潰さぬように立ち回り、粗方の敵を討ち果たすことか。
「少年――共に参ろう」
「――お願いします」
二人の剣士は、足並みを揃えて黒の向こう側へと飛翔した。
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数分前――エトたちと共に班を組み、四人で行動を共にしていたサラは、黒い影の集団に遭遇した。
この任務が開始される前に、全体に黒い影の画像を添付したテキストが送信されているのを見て、黒い影がどのような容姿をしているのかはある程度は理解していた。
しかし実際に視界に収めてみればどうだろうか。
強烈なプレッシャー、目というものが存在しない彼らが首をこちらにもたげるだけで、悍ましく睨みつけられているような錯覚――いや、これは錯覚なのだろうか。
爪と牙を剥き出しにし、今にも飛びかかろうと身を屈める獣の形をした黒い影もいる。
黒い影は『八本槍』が発見し次第駆逐する算段になっていたはずだ。それが今ここにいるということは、少なくともたった八人の『八本槍』では、無数に増殖する黒い影に対して、この広いロンドンの中で対応が遅れ始めているのだろう。
およそ三メートルはあるだろうか、巨人のような黒い影がのっそりと足を上げ、こちらへと距離を詰めようと動き出す。
じりじりと足を竦ませながらも後退を始めるサラたちを尻目に、一歩前へと踏み出した少年がいた。
巨人の一歩で発生する風圧に白銀の髪を弄ばれながらも、その瞳は一瞬たりとも黒い影を離さない。
「危ないから、みんなはちょっと下がってて」
危ないと静止の声を背中で受けつつも、エトは制服の上着に隠していた、一振りの剣を取り出す。ミッションが始まる前に、師匠であるクーから受け取ったものである。
小柄な少年の小さな制服に隠れるくらいの代物だ。リーチで言えばそこまで優れたものではない――が、後ろで怯えている少女たちをこの窮地から救い出す程度には、十分過ぎる。
鞘にしまい込まれた曇りのない刃をそっと抜き放ち、歩みを黒い影の集団へと進める。
胸を刻む昂揚感。呼吸の一息一息が全身に駆け巡り、日常状態の体が、腕が、足が、次第に戦闘のための道具へと変換されていく感覚。
興奮が身を包んでいく。体が熱くなっていくのを感じながら、エトはその場で足を止めた。
みんなを助ける――たったそれだけの想いが、エトを戦場へと駆り立てる。
実戦経験などない。これまで力をぶつけてきた相手は、攻撃すらしない師匠くらいである。
初めての戦いは、相手を消すか、自分の命が奪われるか。掌で握り込んでいるこの得物で、初めて敵を切り裂き貫かなければならない。その現実を前に、エトの体の中で、頭の先から足の先まで一本の緊張の糸が張り詰める。
負ける気はしない。相手は異形とは言え、人の形をしたものであり、獣の形をしたものである。
見たことがある生き物ならば、散々カウンターで叩きのめされても這い上がってきたエトが、勝てないことなどあり得るはずがない。
――襲われる前に、襲撃する。
待ちの一手、相手の出方を窺いそれに対してカウンターを仕掛ける戦法もないことはない。
しかし、エトの訓練相手があのクー・フーリンである以上、先手を取られては確実に戦闘の主導権を握られてしまう状態をつくられる訳にはいかないという意識から、エトは自ら飛び出した。
明らかな体格の差のある相手に飛びかかるエト。サラを含めた三人の女子生徒は悲鳴を上げる。次の瞬間、エトの体がバラバラにされるという光景を幻視して。
一番近くにいた巨人の黒い影が振るう巨腕を、
懐に潜り込んだエトは、飛び込んだ瞬間にしゃがみ込み全身に力を貯め込んだバネの力を用いて左回りに一回転、遠心力と全身の力で左足を思い切り叩き斬る。
崩れ落ちる巨体。潰される前に脇からすり抜け、その際に横腹へと斬り込んでとどめ。
次に視界に飛び込んできたのは、お互いが弾かれ合う危険性を無視して群れを成して飛びかかる無数の黒い影だった。
これが人間であるならば、集団戦、特に刃物などの危険物を用いた戦闘になるとお互いが邪魔にならないように少数で相手取られることが多いそうだが、この黒い影にそんな知能はない。理論上無限に数を増やし続けられる以上、多少のデメリットを負ってでもエトを圧殺しようとしているのだろう。
流石に対応しきれない。
残りの距離と黒い影の接近速度から、最大で五、六回くらいは斬撃を加えることができるだろうが、この剣のリーチ上、それだけでは到底群がる全てを無力化することはできない。
――ここまでか。
せめて一体でも多く斬り伏せようと、エトは最短で斬撃を放てる構えを作る。
迫り来る腕や牙、爪によるダメージ、最悪死をも覚悟し、ルビー色の瞳を光らせたその時だった。
「――」
何者かの静かな息遣い。静かなる一息が耳に飛び込んだ瞬間――目の前の黒い影が、纏めて四散した。
消えゆく黒と黒の隙間から姿を見せたのは、長身の太刀を背中に背負った鞘へと静かにしまい込む、昔の日本にいたと言われる侍のような姿をした男だった。
「まさかこんなところにまで生えてくるとは。いやはや、人を襲う本能があるだけにそこらの草より質が悪い」
エトを背に雅な笑みを浮かべて黒い影を一望する侍。
更にその後ろから、サラはその姿を見て、彼の姿を以前に本か何かで見たことがあることを思い出した。
彼こそ、クー・フーリンと並ぶ武芸の実力者、人の域を超えた集団とされる『八本槍』の一人、自らを佐々木小次郎と名乗る、天下無双の剣士。
その剣士が、結い上げた長髪を風に揺らしてこちらに振り返る。彼の視線が捉えていたのは、こちらではなくエトだった。
「ここまで来るのに本陣を通り過ぎたが、あちらもそろそろ黒き影が結界を突破しかねん。未だその剣を振る勇気があるならばそちらに駆けつけてもらいたい」
本陣、それはすなわち総指揮官である姉、シャルルたちが待機している通信指令室のことだろう。
その時、シェルがテキストを受信したことを伝える音が鳴った。どうやら自分だけではなく、背後で身を寄せ合っていた女子学生にも届いているらしい。
素早く内容を確認してみれば、どうやらリッカの防御結界が破られたらしく、黒い影が侵入し増殖を始め通信指令室へと向けて侵攻しており、総指揮官の判断により、これ以上のここの利用は危険であり、退避するとのこと。
エトは素早く思考を巡らす。
少なくともあそこから脱出するには建物から外に出なければならない。一応リッカと物理魔法を専攻している本科生が
そうなれば、姉や清隆たちが危険な目に会う。
すぐさま頷いたエトは、小次郎に礼を告げると、全速力で元来た道を走り去ってゆく。サラたちでは全く目で追えないような速度で。無論、三人の生徒は置いてけぼりを食らったわけだが。
「乙女を戦場に立たせるなど言語道断、ならばすぐにでもここを戦場から小鳥のさえずる街道へと変えるまでよ」
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ふとサラが気が付けば、周りにいたはずの大量の黒い影も、更に例の眉目秀麗の侍もどこかへと消えていた。恐らく彼が全てを葬り去ってどこかへと飛んでいったのだろう。
一部始終を呆気にとられたまま、思考が停止した状態でぼうっと眺めていたため、本当に何が何だか分からないまま事態は嵐のように去っていった。
静けさだけが残された、この場で、サラは自分の後ろにいた同じクラスの女子生徒に慌てた様子で肩を叩かれる。
「どうしました?」
彼女の様子を見てみると、彼女は腕をまっすぐに一方向へと向け、細く白い人差し指をピンととある建物へと指していた。
サラはその指先の延長線上に視線をやると、ほんの一瞬だけ、建物に忍び込む人型の姿があった。動きの素早さを見るに、黒い影ではないだろう。人型の黒い影は獣型とは違って動き自体は鈍い。例外がいる可能性も否定はできないが。
「風見鶏の生徒でしたか?」
本当に一瞬だったので、サラはそれが何者なのかまでは認識できなかった。
もしかしたら、自分よりも先にその人物を発見し指差した彼女ならその姿をはっきりと見たかもしれない。
「ううん、風見鶏の制服じゃなかったと思う。だから、もしかしたら――」
そこで彼女は、口を噤んだ。断定はできない、だから不用意なことを口にできないか。はたまた。
――犯人の一人ではないか。
そう口にしようとして、凶悪な人物が近くにいることに恐怖して閉口したのかもしれない。
サラは顎を上げてその何者かが入っていった建物を見上げる。
ハイドパークホテル。昔から上流貴族たちが利用していたとされる由緒正しき宿泊施設なのだが。
黒い影が周囲に溢れ、犯人かも分からぬ正体不明の人影が中に籠っているかもしれないという事実が、その建物を何か禍々しく見せる。悪魔の根城か、死神の玉座か。
ふと、サラたちが黒い影と初めて遭遇した先程のエトの姿を脳裏に思い描いた。
恐怖に震えるでもなく、責任感に押しつぶされている様子でもなく。独りの戦士として敵と相対する、あの形容しがたい眼差しを、サラは一瞬だけ見た。
彼のことだから、きっと特に大層な理由もなくサラたちの前に立って黒い影に対して応戦を始めたのだろう。
しかしそれでも、その姿はサラにとって、勇敢であるように映えた。
「――行きましょう」
ハイドパークホテルを睨むように見上げながら、後ろの二人にそう伝える。
サラの無謀な発言に少し引き気味の二人だったが、既にサラの覚悟は決まっている。その横顔を見た二人も、同様に決意を固めた。
大きく息を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出す。
冬の冷たい空気が気管を伝い肺を満たし洗浄していく。吐き出された空気の中には、サラの心に残された一抹の不安や恐怖が洗い出され、風と共にどこかへと走り去っていった。
そして一歩踏み出すと同時に、背後から聞いたことのある、どこか生理的に受け付けない声が聞こえてきた。
「――怯える仔兎は下がっていてくれ。この僕が事件解決の最初の一矢となろう」
イアン・セルウェイ。かつてのサラの彼に対する評価は、端正な容姿で女子生徒からの人気は高く、大変悔しいことに魔法の才能だけはある。家柄も立派なものだがそれを鼻にかけているところがあり、高慢ちきなところが玉に瑕であるどころか彼のそれらを全てぶち壊しにしてしまう。ぶっちゃけサラは彼のその性格が大嫌いである。
小さな猫は彼に対して警戒するように睨みつけた。
「僕と巴さんで入手した情報を整理し推理してみたよ。するとその結果は――ここにある」
サラは大変彼のことを毛嫌いしていたが、しかしその時のホテルを見上げる彼の横顔は、どこか頼もしく感じられた。
今やってるfate/stay nightのアニメとか見返してたり、感想欄でアサ次郎のことについて言及してたら、彼もなんだかんだ活躍させたくなってしまいました。
敏捷性で言えばランサーよりも凄いし、同じ太刀筋を繰り返しても見切られることはないらしい。なんだこの化け物。
まぁ結局のところ多分気が変わらない限り二度と作中で彼が活躍するシーンが描写されることはないですけど。