翌朝、重要な会議があるということで、会議関係者以外風見鶏の校舎は生徒立ち入り禁止となった。
もともと講義が休みであるという点ではあまり関係はなかったが、どうやら噂によれば『八本槍』を集結させて開かれるものであるらしいとのことである。
それだけ重要な会議がどういう内容であるかというのは、生徒各々が気になって仕方のないものだった。
少し前に『八本槍』を脱退して、反逆者の可能性ありと新聞の一面でも載ったクー・フーリンもその会議に参加するだろうという話から、彼の処分に関する内容ではないかという推測も飛び交っているようだ。
そんな生徒たちの不安も知らず、風見鶏の校舎内の会議室では、そうそうたるメンバーが集まっていた。
エリザベスをはじめとして円状に『八本槍』のメンバーとクー、風見鶏生徒会メンバーにジル、それから清隆、さくら、杉並と続く。円から外れたところに背を壁に預けて立っているのはいつもの黄金の鎧を身に纏ったギルガメッシュである。『八本槍』全員に召集をかけたつもりだったが、カテゴリー5の最高峰、『
先陣を切って口を開いたのは、ギルガメッシュだった。
「さて、小娘が記憶を全て思い出したという報告はあったが――」
闇すら飲み込むような真紅眼の視線が、一直線にさくらを貫く。
さくらは彼に対して臆することもせず、その神秘めいた瞳に真っ向から向かい合った。
「――分不相応に他者の願望を叶えるなどと滑稽極まりない望みを抱き、挙句鬼にも成り果てることもできぬ臆病者が、出来損ないの神に成り上がることすら能わなかった今の気分はどうだ、雑種?」
罵倒に次ぐ罵倒。開幕早々、全てを思い出して記憶の整理もまともにできてないであろうさくらに、辛辣な言葉が次々に突き刺さる。
確かにそうかもしれない。人の願いを叶えるということがどういうことか。確かに叶えられた人物は幸せかもしれない。しかしもしその願いが別の誰かを蹴落とすものだったとしたら。叶えられた本人が望むべくもなくそうなってしまったとしたら。
そして、叶えるべきではない悪意ある願いすら見分けがつかずに叶えてしまったなら。
その責任は、その奇跡を起こしてしまった出来損ないの神にある。
だからこそ、誰もその言葉を否定することはできない。しかし、その態度を否定する者はいた。
机を強く叩く音が広い会議室に響く。立ち上がったのは、さくらの隣に座っていた清隆だった。
さくらの記憶を夢という形で覗いたからこそ、彼女が何を思っていたか、何が大切だったのか、はっきりと分かる。
清隆は恐怖する気持ちを飲み込んで、肺一杯に呼気を溜め、そして言い放つ――が、隣のさくらに制止された。
「いいんだ、清隆」
「さくら、でも……」
さくらには何か思うところがある。それを察した清隆は、一度ギルガメッシュを睨みつけて、そして再び席に座る。釈然としない気持ちを抱えながら、苦しむように俯いた。
続いてギルガメッシュに飛んできた声は、リッカの声だった。
「ところで、何であなたがさくらのことを知っているの?私たちはさくらが記憶を取り戻したとは報告していたけれど、その内容まで詳細に記してはいないわ」
至極当然の疑問。まるでさくらの心理を読んだかのようにさくらの中に隠されていた真実を言い当ててみせた。
しかしギルガメッシュはそんな疑問に対し、そんなことかと鼻で笑い飛ばしてリッカに視線を向ける。
「何も難解なことではない。そこの小娘はあの黒い影を見たことがあると言った。周知の事実の通り、あの黒い影は雑種共の深層心理の負の願望によって生まれたものだ。そのような形にもならぬはずの
そこまで言っておいて、ギルガメッシュはそこで一息置く。恐らく、ここにいる全員が思考を整理する時間を与えるという訳なのだろう。
意外なところで気の利く男だ。伊達に王の中の王を名乗ってはいない。人の真理を掌握し、人の思考を促すことに長けている。
「――直接深層心理を覗き込んだに他ならぬ。正確には、他人の深層心理を見せつけられたと言った方が語弊はなかろう」
先程の一拍で、ここにいた大体の面子はそこまでの答えに行きついた。
しかし、それだけではまだ足りない。
「信仰というものは人の願望を集める。人智を超えた形而上の存在に、人間共は無意識の内に魅了され追い縋る。そこで祈り、願ったものは一つ残らず小汚い欲望ばかりよ。貴様らのいう神というものは、そう言ったものを選別し叶える存在なのだろう?」
そう、だからこそ、あの黒い影を知っていると話したさくらは。
そこでリッカは気が付いた。既にギルガメッシュが解答を出したようなものである。そこまで聞いて初めて閃いたのだ。
「願いを叶える魔法の桜が信仰の対象になって、みんながその存在を知って願いを叶えてもらおうとする。そして、その魔法の桜をコントロールしていたさくらはその願いを全てその眼で見て選別して叶えていた――だからさくらは、出来損ないの神――」
人である以上、人としての心を持っている。そして、大切にしたいと思えるような人が近くにいる。
他人の願いを叶えるようになりたいのなら、始めから自分の願いなど叶える必要はないと、心を捨ててしまわなければならない。そうでないと、いつか狂気に飲まれて壊れてしまうから。
自分の願いを叶えてしまいたいのなら、他の全てを犠牲にしてでも信念を貫く、強靭で悪魔のような心を持つ必要があった。そうしないと、自分の願いで傷つく全ての人に対して、責任を負わなくてはならなくなるから。
そのどちらもできなかったから、さくらはどちらにもなりえなかった。出来損ないの神にすら、なることはできなかったのだ。
「……王様の言う通りだよ」
ぽつりと、さくらが呟いた。
「何もかもが、中途半端だったんだ。ボクが躊躇ったから、ボクの大切な人たちが傷ついた。ボクが覚悟もなく夢を見たから、たくさんの人がそれに巻き込まれたんだ」
そう、何もかもが定まらなくて、何をすればいいのかもわからなかった。
自分が起こした罪すらも、未来で責任を負う方法も知らずに、ただ自分の孤独を満たしたいだけで、夢の世界を創り上げた。
それでも――
「それでも、まだ分からないんだ。ボクが起こしたあんな悲しい出来事が、正しいことだったなんて言えるはずもない。でもね、それと同じくらい、誰かの願いを叶えたいって思う気持ちも、自分の夢を叶えたいと思う人の気持ちも、ボクには否定できない」
祖母が見せてくれた夢の世界は美しかった。そして、自分が望んだ夢の世界があった。
「だから、ボクはまだ、迷ってる。何が本当に正しいのかなんて、ボクには分からない……」
そう言って、今までギルガメッシュを見ていたさくらはその視線を下ろして、静かに俯いた。
間を置かずに、ギルガメッシュが小気味よさそうに笑いはじめた。
「フン、存外悪くない解答だ。その身朽ちるまで迷え。所詮人間如きが正義の在処なぞ断定するものではない。我も人の上に立つものだ、小娘の心意気も理解してやることはできよう。貴様ら雑種は戯れることしか能のない生物――しかし、戯れていたからこそ乗り越えた壁もある。ならば、小娘が目指すべきは唯一神ではなく、同じ夢を抱き共に歩む先導者に他ならぬ」
そして夢の果てを知り覚める時を待つがよい、と付け加えて。
さくらの瞼の奥に見えた一筋の光明。世界の最果てまでを見届ける世界最古の英雄王は、さくらに一つの道を示してみせた。
傲慢不遜を絵に描いたような性格をしているこの男が、何故さくらを気にかけていたのか、リッカには何となく理解できた。尤も、リッカ如きの思考では彼の考えなど到底トレースすることなど不可能だろうが。リッカ自身、それは改めて実感していた。
話を聞いた程度だが、確かに彼女の記憶の中でのさくらは、中途半端が故に失敗して悲劇を招いたのかもしれない。しかし同時に、中途半端であったからこそ、未だに答えを見出せてなかったからこそ、進むべき道と可能性があったのだ。
ギルガメッシュは、そんな可能性を否定することはしない。そして、その行く先を、小説を楽しむ読者のように、舞台の劇を眺める客のように、一切干渉することなく見届ける。それこそが彼の望み――いや、そんなきれいごとではなく、ただの娯楽、そう、愉悦だったのかもしれない。
ふと心の中で見直したギルガメッシュに視線を向けてみると、彼は既に興味が失せていたかのように瞳を閉じて愉快そうに唇を歪めていた。
さて、ここまでで一つ壮大なテーマに片が付いたところだが、実際のところはまだこの会議の序論にも至っていない。
そう、今回集まってもらった最大の理由は、これまでの調査による結果報告と、今後の方針の策定である。
地上の霧を払い、ループ世界を終わらせる――それがここにいる全員の共通の目的であり、そのために各方面で調査を行っていた。
「――さて、そのまま引き続いてさくらのことなんだけど」
そう切り出したのは、引き続きリッカだった。
彼女が担当していたのは、さくらが握っていたあの桜の枝の性質の調査にある。そしてそれに伴ってさくらの身元の調査も同時遂行していた。
「とりあえず、さくらの持っていたあの桜の枝なんだけど、私とジルの研究による検証結果と、記憶を取り戻したさくらの証言を基にある程度の結論を出すことに成功したわ。さくらの記憶に関しては、そこにいる葛木清隆が彼女の夢を直接覗いて大体を把握してさくらにも確認を取っているから間違いないと考えていいと思う」
リッカは清隆を視線で促して、二人で席を立ち、あらかじめスタンバイしておいたデスクの上に置かれている桜の枝の下へと近づく。その桜の枝は、地中に根を張っているわけでもないのに未だその花弁を咲き誇らせている。
「まず検証結果としては、この桜は他の魔法を一切使用していない通常種の桜に影響することが分かったわ。時間はそこそこかかるみたいだけれど、花弁をつけていない桜の枝に近づけてみたところ、その枝が蕾をつけて花弁を咲かせることが確認されたの。これがこの桜の特徴のまず一つ」
続いてリッカは、デスクの下から何かカップを取り出す。
どこからどう見ても高価そうな、気品と重みを感じる光沢を放つ、恐らく簡単には手に入らないであろうレアなカップだと思われる。
そしてそのカップを見て、いち早く反応したのが、エリザベスだった。
「り、リッカさん、それ、私の――!」
ちょっとゴメンナサイ、と小さく謝って、手に持っていたカップをリッカの肩の高さから落下させる。
僅か一秒。それだけの時間でカップは地面に衝突する。衝撃に耐えきれなかったカップには罅が入り、もう一度跳ねるまでもなくその場で完全に破損してその破片が四散した。
甲高く響く陶器の破砕音。その瞬間、エリザベスの顔から血の気が引いて凍り付いた。
「わ、私のお気に入り……」
なかなか大切なもののようだ。
クーにしてみれば、そんなに大事なモノなら誰にも取られないようにしっかりと保管しとけとツッコむほかに無かった。
しかし女王陛下のお気に入りを無表情に破壊したリッカは、泣きそうな表情のエリザベスに構うことなく話を進める。
「この桜の枝、ひとりでに魔力を蓄えているのは少し前から分かっていたの。私やジルが特に魔力を与えているわけでもなし、力が吸い取られているようにも感じられないからエナジードレインの類でもないだろうし――そんな桜の枝がどうやって魔力を集めていたのか判明したわ」
そこで、リッカはさくらにもこちらに来るように促す。
さくらはこくんと頷いて立ち上がり、とてとてとリッカの傍まで来た。
「これに関してはさくらの協力もあって完全に特定したわけだけど、これはね、人々の夢とか希望とか、そう言った前向きな感情を集めて魔力に変換して蓄えてる。――そう、やっていること自体は地上の霧と全く同じ、それでいて集める感情は真逆なのよね」
説明を進めるリッカの足元では、清隆が箒を用いて破壊したエリザベスのカップの破片を集め、拾い上げてはその残骸をデスクの上に置きなおした。
「それで、その魔力がどの用に作用するのか――さくらの証言を基にここで実験したいと思うの」
そして、ここにいる者の中で生徒会メンバー全員をデスクの周りへと集める。
この実験を始めるには大勢の方がやりやすいのだが、しかし『八本槍』の連中では集める力が強すぎるため実験の過程を十分に観察するのに支障をきたしうる。
「これから、ここにいる全員が、『エリザベスのティーカップが直るように』って願って、このカップを割れる前の綺麗な状態に復元するわ」
勿論、桜の枝の魔法以外の一切の魔法を使用しない。
エリザベスはそんなことでお気に入りのカップが直るのかと心底不安でしかなかったが、そんなこともリッカは一切気にしない。
生徒会のメンバー全員が瞳を閉じて、ただ一心に祈る。カップが直りますようにと。
すると、ここにいる全員が、桜の枝が突然何らかの力を発動させるのを感じた。
すぐさまカップに視線が飛ぶと、そこには、先程まで破片が散らばっていたデスクの上にエリザベスのお気に入りのティーカップが割られる前の完全な状態で鎮座していたのだ。
一応罅の後や同一物であるかどうかも確認したが、全く持って異常はない。
「そう、この桜、小さいものでしかないけど、願いを叶えてくれるの」
さくらが夢の世界を創り上げるために完成させた、薄紅色の願望器。
願いを叶えるという能力自体は、桜とギルガメッシュの話の中である程度は察することができたが、しかし目の前で一瞬で音もなく、何の前触れもなく願いを叶えカップを直してしまうということまでは想定外だった。
ここまでの強力な奇跡を起こす魔法など、魔法のプロフェッショナルであるリッカやジルでさえも耳にしたことがない。それも、当然のことだった。
「さくらも、この願いを叶える枯れない桜も、未来から来たものと考えた方がよさそうね」
リッカは真剣な眼差しでさくらを捉え、そう話す。そしてさくらに説明するように促した。
さくらがこれから話すことは、そのほとんどを夢という形で観測してきた清隆が保証してくれる。
「ボクがいた世界は、今から数えて大体百年後の未来。その中の世界の一つ――」
さくらから語られた言葉は、ほんの少し理解に苦しむもので。
「この世界は、未来に向かって絶えず無数に分岐している。例えば、ボクが生まれない未来があれば、ボクがここに呼ばれない世界だってあったかもしれない」
その絶えず分岐し続ける世界の中のたった一つの可能性の世界から、さくらという少女が何らかの理由でここに飛ばされてきたという訳だ。
いや、もしかしたらたった一つとは限らないのかもしれない。それこそそう言う話をするのであれば、いくつかの近しい未来から同時に飛ばされてきた、さくらという少女の複合体だという可能性も考えられる。
そう言った意味では、このさくらという少女を簡単にどこの世界の誰かということを単純に断定させることは不可能なのかもしれない。
しかし、今ここにいるさくらについて最低限の情報を纏めるとしたら、少なくともこの少女がどんな人生を歩んできたのかが分かるのかもしれない。
それからさくらが語った、さくらの住んでいた世界の話。
枯れない桜の正体と、その奇跡と軌跡、そして人々を苦しませた
その全てを、さくらは包み隠さず語り終えた。隣に立っていた清隆は、どこか寂しそうな表情をしていた。
「ボクには、帰るべき世界がある。だからこそボクがここにいた理由を突き止めないといけない」
さくらの瞳に映る世界は、一体どんなものなのだろう。
未来の人間は、過去の世界をどういう風に感じていたのだろう。見た目に合わない真剣な眼差しをどこか遠くへと向けるさくらは、きっと確定している未来へと思い馳せている。
「だから、みんなには今ここでお礼を言うのと同時に、お願いしないといけないかな」
そして、小さな体が、腰から折れる。深々と頭を下げて、声を張った。
「お願いします。ボクがこの世界から元の世界へと帰れる方法を見つけてください。ボクがここに来た理由はきっと、この霧の魔法に関係がある――だからこそ、ここにいるみんなで、霧の魔法を打ち破ってほしいんだ」
さくらの頭に、何か柔らかいものが乗った。
視線を上げてみると、優しい瞳で、リッカがさくらを見つめている。そして彼女は、自信を持って高らかに答えてみせた。
「霧の魔法は、必ず私たちで晴らしましょう。私たちも、清隆も、そして少なくともあそこにいる頭のおかしいバトルジャンキーも協力してくれるから」
さりげなく罵倒されている人がいるような気がしないでもないが、それでもここにいるほとんど全員が協力してくれるということをリッカは伝えたかったのだろう。
その温かみに、ふとさくらの瞳に、小粒の涙が浮かんだ。
「あれ、おかしいな、泣かないって決めたのに――」
いつそんな決意をしていたのかは誰にも分からない。それでも、泣きたいときは泣いていい。苦しい時は助けてもらえばいい。全てを背負うのは人間如きがする役目ではない。自分がいかに無力であるかを、人類史を観測するに至るまでの世界の王に指摘され、気が付いた。
そんなさくらを、リッカは抱き締める。優しく、それでいて強く。
そして、さくらに囁きかけるように、言葉を紡ぐ。
「それで、あなたがこの世界に別れを告げる時、あなたが、そして私たちが胸を張って、笑顔でお別れができるように、全力を尽くしましょう」
力強い、母のような抱擁の中で、さくらはどこか懐かしさを感じながら、ゆっくりと頷く。
その時、さくらは自身で気が付いていなかった。自分自身が、涙を浮かべながら、柔らかく笑みを浮かべていたということに。
会議の内容は次に続きます。
霧の魔法の全貌がいよいよ判明(真相が明らかになるとは言ってない)