今度日曜日に頑張って次話間に合わせたいな。大丈夫かな。きっと大丈夫じゃないな。
さくらの回想話。
正直原作orアニメを全て視聴していれば読み飛ばしても問題ない部分。
逆に言えば原作最大のネタバレ部分なのでご注意を。
それは、夢のような世界で、それでも夢は覚めるのが道理だった。
これは、なくした記憶のほんの断片。楽しかった過去という名の夢は、同じように現実という名の過去に塗り潰される。
いや違う、夢で塗り潰された現実が、夢が消えていくことで現実が再びその姿を取り戻したと言った方が正しいだろうか。
祖母の背中に隠れていたあの日。金髪の少女――さくらは一人の少年と出会った。
さくらは怯えていた。同じ年の少年少女から投げられる言葉。そして蔑むように突き刺される視線。同じような眼で見られれるのかと、恐怖に震えていた。
さくらんぼ。それがさくらにつけられた初めての渾名。さくら、では花の桜と間違えてしまうから。いい名前だと、祖母もそれに同調した。唐突に変な渾名をつけられて困惑するさくらだったが、しかし流れるように、少年は自分の名を紹介した。
祖母からは、何やらややこしい家族関係のことを説明されたが、結局兄妹のようなものだとあっさりと説明を終えてしまう。
さくらがずっと気にしていたのは、ただ一つだけだった。
「……ボクのこといじめる?」
そう聞いたさくらに対し、彼がさくらに返した答えは、その掌の中に姿を現した、じっくりと観察してようやく和菓子であることが認識できる、歪な物体だった。
オチカヅキノシルシに。お菓子は魔法の一種だ。食べると元気になる、美味い、虫歯にはなるけど甘い。そんなことを言って、押し付けるように彼女に差し出す。怖そうだけど優しさを垣間見せた少年に対し心を開いたさくらは、にっこりと笑顔を浮かべて、ありがとう、と。
そっと手を繋いで、どこかへと遊びに出かけた。それが、さくらと少年の初めての出会いで。きっとそれが、さくらにとっての初恋だった。
初音島の中央にある、枯れない桜。
枯れないというのは比喩でも何でもなく、事実としてその花弁を散らすことはないのだ。一年中春の景色を保ったまま、永遠に変わることのない島。
その桜が枯れない理由というのも、実に単純明快で、誰も信じていなくとも、存在が証明されてなかろうと、しかしその桜の大木には、間違いなく魔法と呼ばれる摩訶不思議なお伽噺が刻まれていたから。
さくらを守ってくれるように。そう祖母の願いが込められた魔法の木は、少しずつ人の想いの力を蓄え、そして必要としている誰かの願いを叶えた。
――大好きなあの人の心を共有したかった。
――みんなに嫌われないためにその人の心を知りたかった。
――昔失った大切な人と、夢の中ででも会いたかった。
――少しでも、もう少しだけでもいい、例え自分が偽物でもあの先輩の傍にいたかった。
――あの桜並木を、いつも楽しそうに笑って歩いているあの人たちと同じように歩いてみたかった。
そんな、青春の中で些細な願いを叶え、そして誰かを幸せにしていく。夢の中で、安らかな幸せを。そんな、誰もが憧れるネバーランド。
そう、全てが叶えられた。誰もが幸せになりたいと強く願えば、その全てが。無論、祖母が遺していった、さくらを守ってほしいという純粋な願いさえも。
テストで百点を取りたい――百点が取れた――何故――桜が願いを叶えたから――?
あの人を助けたい――人を助けた――何故――桜が願いを叶えたから――?
あの人に振り向いてほしい――恋人になれた――何故――桜が願いを叶えたから――?
あの人が怖い――怪我をした――何故――桜が願いを叶えたから――?
桜が願いを叶える――桜が願いを叶える――桜が願いを叶える――桜が願いを叶える――桜が願いを叶える――
どこまでが自分の力?どこからが魔法のおかげ?どこまでが本当の友達?どこからが願いで生まれた人たち?彼は、あの少年は、本当に存在する?
――ボク自身は、本当に存在するの?
枯れない桜は、芳乃さくらの願いを全て叶える。強く願った大きな願いから、ほんの少し心に過ぎった刹那的な感情さえ。そしてそんな桜の夢も、自身の夢も、芳乃さくら自身が自分の手で覚まし、覚めることができる。
枯れない桜を枯らせればいい。永遠の夢から、この島を覚ましてやればいい。その時、さくらの夢と現実の境界線ははっきりする。ただし。
ただし。
そう、ただし、芳乃さくらという存在が、初音島が夢から覚めた時に果たして本当にそこにあればの話だ。
少年は自分のことを覚えていてくれる?芳乃さくらは、この世界に存在していられる?
「ボクは、お兄ちゃんのことをずっと、好きでいられる――?」
お兄ちゃんと慕っていたその少年は、変わらぬ笑顔で、かったるそうな顔で、心配すんなと、そう答えた。
あまりにもいつも通りで、当り前な顔だったから、ほんの少しだけ自信ができて。
初音島の永遠の春は、一度終わりを告げた。
――それで、いいの?
自問自答。願えばかなう世界。それは、夢物語で、そんな力は間違っている。その力が、かつての友を傷付け、最愛の少年を苦しめた。
でも。世の中には、困っている人たちがいる。何かが欠落したせいで、苦しんでいる人たちがいる。報われぬ命に、叫ぶ声がある。そんな人たちの力になりたい。
かつてこの島で咲き誇っていた魔法の桜には、致命的な
ならば、その欠陥を修正し、完全な魔法の桜の木を創り上げてしまえばいい。誰も傷つかず、誰も苦しまない、祖母が、そして自分自身が夢に思い描いていた夢の世界を新しく創り直せばいい。
アメリカに渡り、ずっと独りで、枯れない桜の研究を続けていた。
外の世界は流れていく。大切だった人も、大好きだった人も、誰一人例外なく移り変わっていく。みんなみんな幸せになって。
そんな中で、自分は何をしているのだろう。桜の研究が、みんなを幸せにすると信じていたばかりに。
――ふと、寂しいと思ってしまった。
ずっと独りぼっちだった
ボクにも家族が欲しいです――もしかしたらあったかもしれない現在の、もう一つの可能性を見せてください。
――奇跡は、起こった。
それが夢の始まり。芳乃さくらがずっと思い描いた、覚めてしまうことが分かっていた、誰かが、いや、誰もが傷つくことが最初から分かっていた、苦し紛れで残酷な、優しい夢の始まり。
小さな少年が、そこにはいた。
光ない瞳は何を見つめているのだろう。しんしんと舞う桜の花びらと、粉雪の中で。
たった一人の、大切な家族。大事な子供。万感の思いを込めて、彼に新しい名前を贈った。
――ヨシノサクラ――サクライヨシユキ――桜内義之。
そっと手を握る。お腹が空いたかと問いかければ、小さな声で空いたと答えてくれる。
冷え切っていた自分の掌は、少年の温かくて柔らかい手の感触を、噛み締めるように感じ取っていた。
それからずっと続く、さくらの周りで動き始める、家族のような時間。お隣さんの知り合いの一家とは仲良しで、娘とも同年代。
さくらの家は少し古い、木造建築で子供にとっては少し住み心地が悪いかもしれない。だからこそ、義之は隣の家に住まわせることにした。家主が昔からよく知る人たちだったから。
今度の枯れない桜が不完全だった理由――それは、願いを選別するフィルターのようなものが存在しなかったこと。
祖母が植えてくれた桜には、純粋な願いだけを集めて蓄えるシステムがあった。しかしさくらのつくったそれは、どんな願いも平等に集めてきてしまうのだ。
善意も、夢も、希望も――悪意も、諦めも、絶望も。何もかも、あまねくご丁寧に。
だから、その役目をさくら自身が実行するよりほかはない。例え時間がかかろうとも、大切な家族がいようとも――いや、大切な人たちがいるからこそ。
今度手を抜けば、悪意の願いが叶えられ、島の誰かが傷つく。それだけは絶対に避ける必要があった。夢の世界で、誰かが苦しむようなことがあってはならないから。一人ひとりの力が足りなくとも、みんなの想いの力で、誰もがハッピーになる、そんな世界を思い描いていたから。
だから、誰も知らない夜のうちに、どんなに疲れていようと、どんなに寒かろうと――それが世界を捻じ曲げてまで自分のエゴを叶えてしまった愚かな神に下された罰だから。
枯れない桜から聞こえてくる、誰かを恨むような、自分を恨むような怨嗟の声。
――アレガ欲シイ、学校ニ行キタクナイ、私ダケニ振リ向イテ欲シイ、アイツナンテイラナイ、消エテシマエ、死ンデシマエ、死ネ、死ネ、死ネ死ネ死ネシネシネシネシネコロスコロスコロスコロスコロス……!
狂気狂気狂気狂気狂気――
頭がおかしくなりそうだった。
何日も、何日も、人間の心の奥底の醜い部分を見せられる。悪意と殺意と、そんなものにまみれて消えることのない無限に増え続ける人間の欲望。
きっとさくらの心の奥底にも眠っている、ホントウノジブン。
島にいる人たちの、無意識な願望は、やがてさくらの処理のスピードを上回って増殖し始める。
初音島に存在する枯れない桜。枯れない桜は願いを叶える。そんな噂はすぐに島中に、あるいは日本中に囁かれ始め、更なる願いが初音島へと集う。より多く、より欲望に塗れたモノが。
――そして、決壊。
願いが刃となって、次々に島の人々に降りかかる。
島中で発生し始める、不可解な事件の数々。全ては桜の叶える願いが発生させたものだ。
間に合わない、どうしようもない。きっと桜を枯らせば、全ての事件は姿を消す。しかしそうすれば――そうすれば――
――桜内、義之。
あの雪の日に握った小さな掌が、なかったことにされてしまう。
桜の木の魔法の力でこの世界に存在の根を下ろすことができている少年は、その木から魔法の力が消失した途端に、その存在が抹消されてしまう。彼は、ここにいるべき存在ではないから。
そうなれば、どうなる?
消えゆく間際、少年の記憶は全ての人々から消える。いくら少年がみんなのことを覚えていようと、理不尽に。孤独と、絶望のただ中で、少年は誰にもみとられることなく、姿を消す。
この初音島に、たくさんの夢と、そして災厄をばら撒いた桜の神サマは、決別を覚悟した。
島の夢と、島の人々と、そして一人の少年を同時に助けるただ一つの方法。
さくら自身が、枯れない桜に融合することで、自らが桜の木のフィルターという一パーツとなること。
そう、永遠に、桜の木の一部として、誰とも話すこともなく、誰とも触れ合うこともなく、誰も見たことない、誰も知らない、どこにいるかもわからない、恥ずかしがり屋の神様のように、独りぼっちで人々を見守る唯一の存在になること。
自分が失敗した時のことを、残酷な最後を、少年に恋した一人の正義の魔法使いに託して。
最後に、誰にも知られないように、ひっそりと姿を消すだけ。いやでも、最後に少し、大好きだったお兄ちゃんに、話をしても恨まれないだろう。
自慢だった長い金髪をバッサリと切り落としてもらって。最後まで彼のかったるいという口癖を耳にして。
そして、芳乃さくらという一人の少女は、姿を消した。
――大好きだった息子に、全てを伝えて。
気が付けば、何もかもを失った一人の少女が、とある魔法使いの前に姿を現した。
「こんにちは、お嬢さん」
可愛らしいショートヘアの女の子の掌には、小さな桜の枝が握られていた。
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もっともっとたくさん、いろいろなことがあったに違いない記憶の、ほんの一部。
そう、全ては願いを叶える魔法の桜の木から始まった。ずっと思い描いていた夢は、叶うことはなかった。
語り終えたさくらはそのまま脱力して、倒れそうになったところをリッカに抱きかかえられていた。懐かしそうで、泣きそうな、複雑な心境を物語る、少女の横顔。
「――帰れ」
ぼそりと、そう一言ここにいた人間の耳に飛び込んできた。
背中を向けて表情を見せないようにした、史上最強の槍使い。何を思うかは、誰にも分からない。
「さっさと帰んな。家族がいるってんなら、その面見せて喜ばせてやれ。そしテメェがすることはただ一つだよ」
研究室から去る際に、またぼそりと、誰にも顔を見られないように、もう一言だけ残していった。
「――ガキにただいま、って言ってやれ」
その姿は、ドアの陰に隠れて見えなくなる。彼の足音が、次第にこの部屋から離れていった。
さくらの思い出を聞いて彼は、何を考えていたのだろうか。最後に吐き捨てていった一言には、どんな意味が伏せられていたのだろうか。
思えば、リッカもジルも、クーの家族のことを何も知らないし、同時にクーもまた、語ろうとしたこともない。逆にリッカたちもまた彼に家族のことは話していないが、リッカとジルはお互いに家族関係のことは把握している。
彼にとって、家族とは、どういうものなのだろう。
「……もう、大丈夫」
さくらは、ゆっくりと自分の脚で立ち上がる。
ここから元の世界に帰るというのは、どうしても寂しいものがある。それでも彼は帰るようにと言葉にした。
そっけないようにも見えたが、きっとあの態度が、彼なりの最大の気の遣い方なのだろう。相変わらず戦闘以外では不器用で仕方のない男だ。
「確かにボクは、この世界にいるべき人じゃない。帰ってみんなにただいまって言って――」
瞳を閉じて、その懐かしい顔ぶれを思い出しながら。
「――そして謝らないといけないんだ。みんなに」
暖かい笑顔を浮かべる。
そして、今ここに、さくらの、枯れない桜の魔法に関する記憶のほとんどが戻った。
地上の霧に関しては未だ実態が掴めていない。しかし、こちらの方では現在、さくらの正体と、それからさくらが持っていた桜の枝に関することが全て解明された。
地上の霧を晴らすための道を、また一歩踏みしめる。
きっとその時、さくらは別の道へと戻ってしまうだろうが、きっと大丈夫だ。
この霧を晴らせば、きっと誰もが胸を張って未来に進むことができる。ここにいる誰もが、そう信じて疑わなかった。
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「ごめんなさい、でも、こうしなければいけないから」
とある一室、倒れている人物に向けて謝る少女の姿があった。その少女の顔には、蔦が這うように刺青のような紋様が走っており、これ以上ない禍々しさを放っている。
倒れた少女の方は、特に命の別状があるという訳でもなく、安らかな寝息を立てて横たわっている。
黒の少女は、倒れた少女を見て、もの寂しげな表情を浮かべる。
「次は、謝りません。だって、あなたが裏切ったのだから」
低い声で、冷めた目付きて、突き刺すようにその背中に視線を送る。
洋服の裾から覗く白い肌。実に健康的で、若い少女らしさを保っている。
だからこそ、彼女を守ってやらねばならない。大切な人がいなくなるのは寂しいから。だから世界をループさせてまで繋ぎとめているのだ。
彼女だけではない。もしかしたら、いや、どうせ短い寿命で死んでしまうに違いない全ての人たちから、そんな悲しみを消し去るために。
終わらせる訳にはいかない。この世界が終わってしまった先には、怒涛に押し寄せてくる絶望しかないのだ。
だから、どんな手を使ってでも――守り通して見せる。
「第三防衛術式、起動。――みなさん、絶対に最後まで守り切ってください。ワルプルギスの夜を、越えるまで」
そう呟いて、霧の中に溶け込むように、その部屋から姿を消した。
さて、そろそろ風見鶏編も終盤に差し掛かります。