満身創痍の英雄伝   作:Masty_Zaki

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この章はあと五話以内――できっと終わる。自信ないです。
さてこの辺から原作と乖離させたいと思います。折角色々やらかしているので。


虚ろな瞳

 全てを出し切り、負けた。

 その完全燃焼が原因と思われる虚無感が、まるで自分が独りぼっちなのだと思わせる。

 地面に転がるブリットを眺めながら、一体何を考えていたのだろう。悔しいわけでもなく、悲しいわけでもなく。やり切ったと言えば聞こえはいいのだろうが、それでも負けたことには変わりなかった――何の結果も残せず、一回戦で。

 独りぼっちの空虚な心は、いつの間にか自分を寮の自室へと駆けこませていた。碌に着替えることも、汗を拭うこともせず飛び込んだベッドの上で、彼が喜んでいた人形に囲まれ――やはり何も考えられなかった。一滴の涙すら、出なかった。

 そうしていてどれくらい時間が経ったのだろうか。外からの光もなくなり、月が夜空へと上がる頃。

 公式戦にエントリーし、何かしらの結果を出した。そうである以上、否応なくクリサリスの名を背負った以上、家族に報告する義務はある。

 初戦敗退――その罪悪感に胸を苦しめつつ、向かう先はラウンジの固定電話。彼らから言われる言葉を想像しただけで顔面蒼白になり倒れそうになる。なるべく考えることをせず、急ぎ足で誰にも見つからなぬよう電話の設置場所へと向かう。

 ダイヤルを回し、実家へと電話を繋げる。コールが数回鳴り、しばらくして出てきたのは女の声だった。よく知った、母親の声。現在のクリサリス家でも家を厳格に重んじる人間である。

 喉から、声を絞り出す。クリサリスの術式を与えてまで送り出した娘から勝利の報告を聞くために手に取ったであろう受話器の奥の母へと。家族に自分を失望させるためだけに。

 そして、受話器の向こうから聞こえてくる言葉はない。言葉がないからこそ耳元へと焼き付いて、全身を冷たく焦がすような威圧感が足を震わせる。

 

 ――初戦敗退ですか。まったく、情けない。

 

 ――あなたはこの半年間の間で一体何を学んでいたのです。

 

 母から送られてきたのは、これ以上なく冷たく突き刺さる言葉。責められるのも分かっている。敗北した自分が悪いのは分かり切ったことなのだ。しかしそれでも、一月近くの努力がどこかで自分を慰めてくれると思ってしまっていた。心が折れそうで、立っているのも限界に近かった。

 受話器の奥で、しゃがれた男の声が聞こえてくる。

 

 ――全く情けない、お前は一族の恥じゃ!

 

 ――私たちの期待を裏切るような真似をよくも!

 

 その声は、クリサリス家の伝統を守り継いできた祖父の声。

 その後も、次々と受話器の奥の主が入れ代わり、サラのことを辛辣に責め、なじり、罵倒する言葉が続く。

 どこまで聞いていただろうか。途中から誰が言っていたかも分からなくなっていたかもしれない。ただ飛んでくる言葉に対して、苦しみに潰れそうな心から謝罪の言葉を絞り出すだけ。

 そして、いつの間にか叱責の言葉はやんでいた、が、受話器の向こうで何やら何かを相談しているようだ。

 そしてしばらくして、再び母親の言葉が耳に届く。

 それから続けられる母親の言葉に、サラは――人生最大の絶望を味わった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 クイーンズカップの翌日、サラは一度たりともエトどころか、教室にも来ずクラスメイトにも顔を合わせることはなかった。

 クイーンズカップ終了後、急いでサラの姿を探し回ったのだが、一向に見つからず、寮の自室に帰ったのだろうと推測した。一応シェルで連絡を入れておいたが返事はなかった。

 翌日、サラの様子を窺おうと生徒会長である姉に女子寮に入る許可を貰ってからさらの部屋の前まで来た。

 しかしいくら呼びかけようと返事は返ってこず、ドアノブに手をかけてみれば鍵はかかっていた。恐らく中にいるのだろうが、まるで反応がなかった。

 昨日の様子だと、負けて悔しかったのが祟って落ち込んでしまっているようには見えなかった。あの時シューティングゾーンで地面に転がったブリットを見つめていた時の彼女は、どこまでも無表情で無感情だった。ぽっかりと胸に穴が開いた、言葉にするならそんな感じの顔。

 疲れていたのだろうか。しかしそれなら二十四時間ずっと熟睡していたわけでもあるまいし、起きた時にでもシェルを確認して返事の一つでも送ることができただろう。しかし、それがなかった以上、環境的に、あるいは心理的にそれができない状態に陥っていると考えるのが妥当である。

 

「心配、じゃないのかよ」

 

 その日の放課後、いつもの人懐こい笑みを奥に引っ込めて、真剣な顔で、椅子に座り込むエトに問うたのは江戸川耕助だった。

 

「ちょっと言い方悪いかもだけど、サラ、少しお前に依存してるような感じもしてたからな」

 

 それは当然、エト自身がよく知っている。クリスマスパーティーが終盤に差しかかった頃、サラがエトに見せた父からの手紙。それがきっかけで心を開くようになり、彼女が実家から戻ってきてからというもの、いつも傍にいた。以前までの堅物な彼女からは想像できないような乙女らしい一面。まるで、重圧から逃れるために追い縋るように。

 

「心配してない、ことはないよ。サラちゃんが試合に負けたことで落ち込んでいるのなら、それは自分で完結させるべきことだ」

 

 しかし、彼女は負けた程度で落ち込むくらいに弱い人間ではない。努力家で研究家な一面もある彼女ならば、負けたことも糧にして、敗因を分析して自分なりに修正と検証を繰り返して次に臨む、くらいのことは真剣にやってのける。だからこそ、彼女が部屋から出てこないのは、試合に負けたことと直接的な関係はない。

 

「でも、そうでないとしたら、誰かがサラちゃんを押し潰しているそれを取り除いてあげないといけないんだ」

 

 努力を惜しまない彼女が、努力を放り出してまで自己逃避して部屋にこもる程の、彼女を追い詰めた絶望。それが何なのか検討もつかない。

 

「……やっぱり僕は、サラちゃんのことをこれっぽっちも分かってあげられてないや」

 

 そう言って、自嘲気味に笑みを浮かべて、鞄を腕に抱えて立ち上がる。

 耕助は、そんなエトの背中へと、言葉を投げかける。

 

「どうせ、それをこれから知りに行くんだろ」

 

「もとよりそのつもりだよ」

 

 耕助が本日最後に見たエトの笑顔は、いつも以上に力強いものだった。

 校舎から抜け出して、桜並木を全力疾走する。舞い降りて顔にかかる桜の花びらを拭うこともせず、その脳裏に彼女の顔だけを浮かべて。

 放課後に会いに行く許可までは貰っていない。そもそも、今頃姉も清隆たちと共に生徒会の仕事に勤しんでいるだろうからその妨害だけはしてはならない。無許可ということにはなるが、自分へのペナルティくらい、サラに会うためならいくらでも受けてみせる、そのくらいの覚悟だった。

 サラの部屋の扉の前に立って、扉越しに彼女の名を呼び、そして扉をノックする――が、相変わらず反応はない。

 だからエトは、少々強引でも、進むことを決めた。

 

「サラちゃん、どうしても話がしたいから、無理矢理にでも中に入るよ」

 

 それだけ言葉を残して、ドアの鍵の部分の握り拳を当てる。そしてそのまま腰を落とし、瞳を閉じる。

 術式魔法、展開――魔力増幅、一点集中放出。

 ()、の気合いの一息で、一気に凝縮された魔力を鍵穴へと送り込む。

 魔力の質量に耐え切れなくなった鍵の金属部分が破裂音を立てて崩壊する。風見鶏の施設の整備を受け持っている兄のような師匠に心の中で謝罪の言葉を呟きながら、問答無用とばかりに強引にドアノブを捻ってドアを開けると、そこには仄暗い闇が広がっていた。

 かつてはここでサラの持つたくさんぬいぐるみと戯れたものだ。しかし、今に限ってはその時のような明るさも陽気さも微塵も感じられない。あるのは、視界に見える以上の暗い闇。

 そして、視線の向こう、ベッドの中央に小さく蹲った少女の姿があった。ずっとあの恰好をしたままなのだろうか。サラだった。

 

「サラちゃん」

 

 呼びかける、が、反応はない。まるで、魂の抜けきった人形のように。人形師の一族の御曹司として生まれてきた耕助なら、きっとこのエトの感想よりも現実染みたことを口にするだろう。

 ベッドへと足を進めると、サラの顔がこちらへとゆっくり向いた。光のない、死にきった瞳がエトの顔を捉える。

 

「え……ト……」

 

 擦れた声で、エトの名を口にする。

 目元には、泣いていたような形跡は認められない。ただずっと虚ろなままでここにこうして座っていたのだろう。

 彼女の唇が、ゆっくりと開かれる。

 

「ゴメン……ナサイ……」

 

 そう、謝罪の言葉を口にした。気持ちどころか、その言葉に、彼女の意志も意図も感じられない。

 そして彼女は、壊れた。

 

「ゴメンなサイゴごメんナサいゴメンナさイゴめンなサイごメンナさイゴメんナサイ――」

 

 震えた声でひたすら呪文のように謝罪の言葉を唱えるサラ。

 その光景に、初めてエトは、サラに対して恐怖を覚えた。

 何だこれは。何が彼女をここまで追い詰めていたのだ。そして彼女は、自分を見て()()()()()()()()()()()()

 今、目の前で何が起きているのかも分からないままに、とにかく彼女を落ち着かせようと、彼女を力強く抱き締めた。恐らく、彼女が痛みを感じるだろう程強く。そうでもしないと、彼女は本当に全てを失ってしまうような気がしたから。

 

 そして、しばらくしてサラも落ち着いた後、彼女はふらふらした手つきで、ベッドの枕元に置いてあった封筒を指差す。

 封筒の中身は既に外に出ているらしい。封も開けられており、実際にその封筒の下に内容らしきものが敷かれていた。

 その数枚の紙を手に取って、目を通してみる。

 最初の一枚、その面に大きく記載されていたのは、とある男の写真。新聞でたまに見たことのある顔だから、その男の名前は覚えている。

 そして、その写真の下から続いている文章の内容は、その男の経歴についてであった。ここ風見鶏の生徒だったらしく、現在でも魔法使いとして魔術社会に貢献しているらしい。

 簡単に流し読みをした後、一番最後の、一枚だけ紙の質が違うものを手に取って、同じように目を通そうとして、ある単語に目を疑った。

 

 ――結婚

 

 顔から血の気が引いていくのを感じながら、恐る恐る文章を読み進めていく。そこには、次のような旨が書かれてあった。

 

『これで娘、サラ・クリサリスの希望も消え失せた。彼女に何を託そうとこれ以上のクリサリスの再興は困難を極める。そこで、クリサリスの名を唯一伸ばすための方策として、文書の男と婚約をしてもらう。あちら方はクリサリスの術式魔法を欲しており、こちらは魔法使いとしての基礎魔力と実力を持つ者を欲している。関係は良好、相互のメリットも満たされる。サラには風見鶏卒業後、クリサリスの実家に戻り彼を支えることに専念せよ。今週末、早速相手方との最初の面談に取りかかる。一度家に帰ってくること』

 

 そこに書かれてあったのは、サラにかけた期待を諦め、サラを政略結婚の道具として相手に差し出すことで、クリサリス家の滅亡を防ぐ一手を打つということだった。

 サラが望まぬ結婚をする、好きでもない相手と、家族の都合で添い遂げることになる。

 その相手は、風見鶏を上位成績で卒業した、現在カテゴリー3の魔法使い、魔法捜査官として活躍している、ディーン・ハワード。

 眩暈がした。吐き気がした。頭痛がした。こんなことがあるだろうか。人生で唯一恋した女性が、大会の一敗程度でその人生を大きく変えられ、ただ家の名に縛られて幸せとは程遠い日々を送ることになるということ。

 そして、サラがエトに延々とうわ言のように謝罪の言葉を漏らしていたのも――

 

「ゴメン――ナサイ――」

 

 ――これが、理由だった。

 エトがおもむろに立ち上がる。千鳥足のまま口元を抑えて、サラの部屋から脱出する。

 女子寮の廊下を、力の入らない足で前へ前へと進む。おぼつかない足取りを見た周りの女子生徒が、何事かと心配するが、そんなことにかまっていられる程の余裕を持ち合わせてはいなかった。

 男子寮に戻る前に、大浴場の脱衣所に設置されてある洗面所で顔を洗って、風呂に入ることなく外へ出る。

 廊下を渡って、そのままある人物の部屋のドアにもたれかかって、座り込んだ。

 

「……」

 

 ここには、部屋の主以外ほとんど誰も来ることはない。ここに来たところで、首をはねられる未来しか想像できないからだ。

 エトはここで、彼の到来を待った。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 相変わらず生徒会室に自分がいることになかなか慣れてくれない葛木清隆に対して文句を言ったところ、更に彼にビビられてどうしようもなくなったクー・フーリンが、本日の任務雑務(ひまつぶし)を終え、やたらと構ってくる生徒会三人娘を適当にあしらって逃げてきたところ、自分の寮の部屋の前で何者かが座り込んでいるのが視界に入った。

 これが自分ではなくアデル・アレクサンダー(クソジジイ)だった場合は間違いなく消し炭にされるだろうと物騒なことを考えつつもその正体に近づいたところ、彼がそこに座っていたころに驚いた。

 

「……おい、こんなところで何寝てやがるエト」

 

 その表情は俯いていて、どんな表情をしているのかは分からない。

 しかしエトは、クーが来たのを確認して、ふらふらしながらもドアに体を滑らせるように立ち上がる。

 まーた面倒事か、エトのいつもと違う様子につまらなさそうに頭を掻きながら、とりあえず話くらいは聞いてやろうと何事か問いかける。

 すると、エトから返ってきたのは、何やら妙な質問だった。

 

「お兄さんは――」

 

「あん?」

 

「――お兄さんは、大切な人が奪われそうになった時、どうする……?」

 

 質問の意図がよく分からなかったが、しかし文面のまま捉えるのなら、その質問は答えるまでもなく切り捨てるに値した。

 

「知ったこっちゃねーな。そんな状況になったことね―から分からん」

 

 はいこれでこの話は終わり、そう言って切り上げようとエトをどかそうとすれば、エトはドアから離れようとせずドアノブにしがみついた。

 そして、再びその口から質問が飛んでくる。

 

「それじゃあ聞き方を変えます。どこかの誰かのせいで自分の思い通りに行かなくなった時、お兄さんなら――どうする?」

 

 その質問。実に単純明快で面白い質問だった。そんな状況、むしろ自分の方がウェルカムだと言いたいくらいに。

 実に分かりやすい質問に、クーは楽しそうに白い歯を見せて獰猛な笑みを浮かべてみせる。

 そして、エトの顔を見てみると、彼はこちらを見ていた。力の入っていない身体とは全く正反対に、まだ諦めていないと、そう訴えかけるような、鋭く強い眼光を携えて。

 

「フン、そうだな、邪魔する奴はブッ叩く。俺様は戦って勝って欲しいものを手に入れる」

 

 最近平和ボケが激しいが、これまで旅の中でそうやって生きてきた。己の限界を知り、己の限界を乗り越えるために。

 簡単で分かりやすい世界のルール、弱肉強食。勝った奴が正義で、強い。負けた者が口にする言葉はなく、張る胸もない。負けたけど頑張りましたは通用しない。

 エトはそれを知っている。共感できるからこそ、クーの答えに――力強く頷いた。

 

「ありがとう。僕はただ、その言葉を聞きたかっただけなんだ」

 

 また余計な説教をしてしまった、と謎の後悔の念に駆られたが、しかし目の前の少年の覚悟を目の当たりにすると、悪い気分はしなかった。

 そして彼の頭をくしゃくしゃと撫でつつ、エトをドアから引き剥がす。

 

「何があったかは知らねーが、まぁせいぜい頑張れや」

 

「うん、もう大丈夫、覚悟はできた」

 

 そう言って、しっかりした足取りで地面に立つ。そこにいたのは、かつての弱々しい弟子などではない。

 ただ一人の、成長した小さな勇者だった。

 

「まぁとりあえずは――」

 

 クーはドアを閉める前に、一旦去ろうとするエトを引き留めて。

 

「――今度からは自分で考えやがれ」

 

 冷たくそれだけ言い残して、ドアをバタンと閉めるのだった。




サラの許嫁として登場したオリキャラ、実は以前に一度登場しております。覚えていない人は前章での大事件の最中、暗号文を見つけた人を思い出そう!

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