満身創痍の英雄伝   作:Masty_Zaki

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今回長いです。
基本的に原作をなぞる形になりますが、主人公視点から若干し視点が変わっている――と思います。多分。


クイーンズカップ

 王立ロンドン魔法学園のグニルック競技場。青空の下、満席近くまで観客席が埋まった会場は、既に人と喧騒の波で溢れ返っていた。

 ここにいる魔法使いの国籍もそれぞれで、ヨーロッパ諸国の人間が多いものの、アジアやアメリカから来ている人も良く見かける。彼らは同じ魔法使い同士、礼儀正しく親交を深めながらこの後開催されるクイーンズカップについて熱く語り合っている。

 中には参加する者、参加者を応援する者もいたりして、緊張する心中を吐露したり、そんな選手を励ましたりと微笑ましい光景も見て取れた。

 そして、そんな観客席の最前列に陣取っている少年少女。

 

「うおー、盛り上がってるぜー!」

 

「マスター、落ち着いてください」

 

 人が集まりあちらこちらで熱気が増している会場を見渡してテンションが上がっている江戸川耕助と、それを自重させる江戸川四季。

 観客席とは言え、風見鶏の生徒には自分のクラスでの席が割り振られており、一般客と同じ席で、満席状態の中、席取り合戦を繰り広げる必要はない。

 椅子に座って、前のめりになってフィールドを見つめているエト。彼があまりにも早く競技場へと顔を出したいというので、葛木兄妹もといカップルと耕助と四季もついてきたという経緯である。

 

「あ、あれ」

 

 姫乃が何かに気が付いたらしく、指差した方向へと視線を向けると、そこには観客席で紋章旗を立てているのが見える。

 ド派手な出で立ちの人たちが大勢いて、その上に燦然と輝くセルウェイ家の紋章。恐らくも何もセルウェイ家の人間には間違いないのだろうが、どうにも派手好きな家柄である。こんなのだからイアンもあんな正確になってしまったのだろうかと疑ってしまう。

 いずれにせよ、これだけ注目を集めるグニルックの大会で、セルウェイ家のあの派手丸出しな行為は家の名を広めるという点では大きな効果を与えるだろう。

 当のイアン・セルウェイもここぞとばかりに清隆に自慢したらしく、人付き合いが上手な清隆は何かと嫌味なイアンを軽くあしらっていた、という光景も今月だけで五回くらいは見た気がする。親からこれだけの期待をされている以上、自信家であるイアンはこれ以上なく張り切っているだろう。

 しばらくして、会場も完全に満席になり、立ったままでの観戦をするような人まで現れた状態になったところで、開会式のアナウンスと共にファンファーレが高らかに鳴り渡った。喧騒に満ちた会場から雑音が消え去り、ただ静かに競技場を見守る魔法使いたちがいる。

 音楽に合わせて、入場ゲートから魔法使いの選手たちが次々に入場してくる。我こそはと名乗りを上げて参加した者であったり、たまに記念出場でエントリーした初心者や初級者もいるようだ。

 ファンファーレの力強い音色に当てられたのか、会場は再び熱気を取り戻し、中にはあの選手はどうだとか熱く解説する者まで現れる。

 そんな中、最前列で、エトは黙ってその入場行進の列を見守っていた。まるで誰かを探すような顔つきで。事実、彼はこの大会に全てを懸けたと言っても過言ではない少女と共にここまで歩み、そして今ここで観客席にいるのだから。

 風見鶏の学生が入場してくる頃、風見鶏の応援席として割り当てられたこの辺の応援の声はより勢いを増し、それぞれのタイミングでクラス一つが盛り上がっている。

 そしてついに。

 

「あ、あれサラさんじゃないですか?」

 

 四季が指差した方向――とは言っても大体列の方を指しているようなものなのでなんとなくの感覚でしか把握できないが、その方向には、列の中に並んで歩く風見鶏の制服に腕を通した青色のツインテールの少女がいた。清隆が横顔を覗き込んだところ、エトも彼女を見つけたらしく、目を見開いている。

 

「サラ―!サラ―!」

 

 クラスメイトからもサラを呼びかける声が響くが、この歓声の中でなかなか彼女に声が届くことはない。

 そしてこの後、それら全てを凌駕した大歓声が会場を支配することとなる。

 

 ――ウォォォォォォオオオオオオオオ……

 

 入場行進のファンファーレも終わりを迎える頃、その人物は堂々とした足取りで地面を踏みしめ前へと進む。

 金色の流れるロングヘア、サファイアを思わせるような凛々しく美しい碧眼、全ての男性を魅了するようなボディプロポーション。

 威風堂々。この言葉がこれ程までに当てはまる女性がこの世界にどれだけ存在するだろうか。その自信を、彼女の実力と経験が裏打ちする。魔法使いの社会において、全てに勝り、全てを俯瞰し、全てを守る。世界に五人しかいないと言われる魔法使いの最高峰、カテゴリー5の一人にして、魔法使いの中で知らない者などいない『孤高のカトレア』の名。その真の名は、リッカ・グリーンウッド。

 余裕の笑みを浮かべて、声援に手を振って優雅に返すその様は、余裕の表れ。その魔法の実力や経験からして、彼女が最強の優勝候補であることに揺るぎない。

 

「さすがリッカさんだな。実力だけじゃなく、人気も圧倒的だ」

 

「美人ですし、誰もが憧れるようなカリスマの持ち主ですからね」

 

 葛木兄妹が口を揃えてリッカを称賛する。それはもう、彼女の少し前方を真剣な面持ちで歩くサラ・クリサリスが心配になってしまうくらいのものである。どれだけ彼女が努力しようと、最高レベルの魔法使いを前にしてしまっては全てが霞んでしまう。

 それを理解してか、列に釘づけになっているエトは、変わらぬ表情で拳を握りしめていた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 少し前に遡る。

 入場の準備までは終えたリッカに鉢合わせたのは、見回りのために巡回をしている『八本槍』の槍使いだった。廊下で腕を組んで壁に寄りかかっていたところを彼に見つけてもらった形になる。

 

「いよいよ本番だな」

 

「そうね」

 

 彼女も集中しているのだろう、こちらに振り返ることもせず、口数も少ない。

 勢いをつけて壁から離れたかと思うと、肩にかかった金糸のような長い髪を手でふわりと払った。その眼は既に、リッカ・グリーンウッドのものではなく、孤高のカトレアとしてのそれだった。

 

「俺様も出たいんだけどな」

 

「あんたが出ると備品がなくなっちゃうもの。これまでに消し炭にしたターゲットパネルやガードストーンだって一つでもお金がかかってるのに、あんたときたらすっきりするくらいに消し飛ばしちゃって」

 

 クーが初めてグニルックに触れた年。無邪気に備品を破壊し続けた彼のせいで、翌年のクイーンズカップに必要な備品が圧倒的に足りなくなったことは記憶に新しい。当時の生徒会長にも色々と世話になり、彼のコネで業者や近くの施設に調達してもらい事なきを得たのだが。

 

「いーよ。どーせ俺はもう公式で出禁になってやがる。だったら今出られる奴に託せること託すしかないだろーが」

 

「大人しくしててよ。私は大会を優勝するつもりでいるし、大会そのものがなくなるとかまっぴらごめんだから」

 

 何か言い返そうと思ったが、相変わらず口達者なリッカを見て一安心する。

 クーとしては、この後家系的にも絶望的な受け持ちのクラスの生徒を無慈悲に叩きのめすことになるのだ。それを下手に引き摺っているのではないかと面白くもない事態を懸念していた。

 

「安心したぜ、少なくともつまんねー女には成り下がってないみてーだな」

 

「それは光栄ね。『八本槍』に最低限でも認められるなんて、私じゃなければ死因が『狂喜乱舞による心肺停止』になるところだわ」

 

 どうやら遭遇した時のシリアスな雰囲気はさっさと消し飛ばしたようであり、いつも通りの強気で軽やかな彼女がそこにいた。

 

「そもそも、彼女に当たるとも限らないし、当たっても成長した彼女に負ける可能性だってあるかもしれないじゃない」

 

「俺もその考えは嫌いじゃない、が、手加減なんぞしてたら観客席から槍投げ込むからな」

 

「おお怖い怖い、私は誰が相手でも手加減なんかしないわ。リッカ・グリーンウッドの名に懸けて」

 

 グニルックの試合で理不尽にセット全てを破壊しつくし問答無用で最高得点を叩きだしてしまうクーでも、リッカの実力は知り尽くしている。

 彼女の魔力量は言わずもがな、ロッドからブリットへの魔力の乗せ方、寸分違わぬ正確なショット、相手のフェイズでの定石に則りつつ的確に相手を妨害するガードストーンの設置の仕方、どれをとっても能力、戦略的に彼女を上回る者をかつて見たことはない。

 ジルもシャルルも、ある一点においてはリッカを上回りかねない点も存在する。しかし、全てをその全てが試される実際の試合で、そのどちらもリッカの足元にも及ばない、総合力が圧倒的に追いつかないのだ。

 

「ふぅん」

 

 リッカの力強い返事の前に、面白いものを見たとばかりに口元をにやつかせたクーが彼女をまじまじと見つめる。

 例えクリサリスの息女がリッカに潰されることになろうとも、そのクリサリスの息女が弟子の想い人であろうとも、それで彼や彼女に同情してやる義理などどこにもない。

 二人の前に立ちはだかる、越えることのできない壁。壊すことはおろか、避けて通ることすらままならない。高く、固く、そして見渡す限りの広く大きな壁。弟子の甘えた根性を叩きなおして、今一度自分に見えるものをもう一度認識させる相手としては申し分ない。むしろ釣りが返ってきてもいいくらいだ。

 

「ま、せいぜい何の面白みもない出来レースを堪能してきてくれや」

 

 大きく溜息を吐いて、リッカに背を向ける。そして背中越しに手をひらひらと振って、こちらにもだるさの移ってきそうな足取りでリッカから離れていく。

 リッカにとって、結局彼が何をしに来たのかよく分からない始末だった。応援しに来たのか、檄を飛ばしに来たのか、あるいは冷やかしに来たのか。

 しかし今となってはそんなことはどうでもいい。結局受け持ちの生徒を倒さなければならないことには引け目を感じていたのも事実だし、彼との対話で幾分か軽くなったような気もする。

 それに、サラのことなら、エトが必ず支えてくれる。彼女がどれだけ沈もうと、彼女がどれだけ堕ちようと、エトはきっと、彼女と共に奈落の底までついて行ってくれる。

 だったら自分ができることは、誰が相手であろうと、自分と、相手のプライドのために正々堂々全力で戦うのみだ。

 

『出場選手の方は、グラウンドに集合してください』

 

 入場のアナウンスと共に、ファンファーレが響いてくる。いよいよ大会が始まる。

 一度深呼吸をして、気持ちを引き締める。

 クーが歩いていった方向と反対側へと向いて、彼とは正反対に気合いと自信に満ちた足取りで、廊下を歩いていった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 歓喜の声や落胆の空気を何度も繰り返し、抽選による対戦の組み合わせの発表が終わる。

 運営のスタンバイのための時間の間、しばし選手にも休息や精神統一の時間が与えられる。

 エトはその時間を見計らって、清隆たちに何も言うことなく猛ダッシュで選手控え室へと急いでいた。

 選手控え室は学園の校舎の教室となっている。基本的には各所属クラスが選手の控え室となっており、風見鶏の生徒以外は別室が当てられている形となる。

 歩き慣れた廊下を、いつもと違う足取りで、教室を目指す。

 ドアをノックして入室すれば、予科一年A組でエントリーした唯一の選手、サラ・クリサリスが縮こまり固まった様子で椅子に座っていた。

 あまりにもその様子が痛々しくて、しかしここで声をかけてやらなければここに来た意味がない。

 

「サラちゃん、大丈夫?」

 

 こちらに気が付いたサラが、ハッとしてこちらに振り返る。

 最早顔面蒼白、これ以上なく怯えているのが見るだけで分かった。

 ガタリと急に立ち上がり、ふらふらと不安定な足取りで、泣きそうな顔でこちらへと駆け寄ってくるのを抱き留める。

 

「え、え、エトぉ……、わ、私、いいきなり……リッカさんと――」

 

 これが、彼女の恐怖の理由。

 エトがここまで来るのに重い足取りだったのも、サラが泣きそうになるくらい怯えていたのも、サラが全身全霊をかけるつもりでいたクイーンズカップで、初戦で当たったのが、あのリッカ・グリーンウッドだったからだ。

 勝ち目――そんなものがあるだろうか。兎が虎に、鼠が鷹に挑むようなものだ。もしかすればそれらの例よりも質が悪いかもしれない。

 相手が手加減をするような人間ならまだ何か講じる策があったかもしれない。しかし相手があの孤高のカトレアというなら、万策を正面から打破し、圧倒的に不利な状況をただの一振りで盛り返す、実力と経験に裏付けされたエンターテイメント性まで持ち合わせる人間だ。努力してきた時間も質も桁違いに少ないサラ如きが敵う相手ではない。

 エトがここでサラに優しい言葉を掛けてやることはいくらでもできる。ほんの少しの心の平静を与えて、その場限りの自己満足を与える――エトは首を横に振った。

 

「サラちゃんがどう頑張っても、リッカさんには勝てない。僕がお兄さ――クー・フーリンには手も足も出ないように」

 

 イメージトレーニングとして想像していた彼でも、自分の剣を届かせることができない、絶望的な戦力差というものを、エトは知っている。だからこそ贈る言葉は恐らくサラにとって、冷たく突き刺さるものになる。

 

「でもねサラちゃん、確率ゼロパーセントでも、諦めることだけはしちゃだめなんだ。誰がどう客観的に判断してその絶対不変の不可能を算出しても、それだけはだめだ」

 

 エトの言葉を、サラは不安げな表情で見上げながら聞き入れる。

 彼の言葉が厳しいものだと分かっていても、想像だにできない彼のこれまでの生き方から垣間見える魂の声が聞こえているような気がして、その言葉を拒絶しようとは思えない。

 

「大事なのは、ゼロパーセントの確率じゃない。不可能を揺るがせ、果てに覆すような不屈の想いなんだ」

 

 結局エトが提示したのは、ただの感情論。何の根拠もなく、何のヒントにもならない。

 しかしそれが、そこら中にいる平凡な人間の言葉だったら鼻で笑ったかもしれない。

 イギリス王室直属の超法規的騎士団『八本槍』の一人、クー・フーリン。 少し前、彼と少し話をした時のエトの過去が本当だったとしたら、たった今彼が自分の口で語った不屈の想いが生き続けられる可能性が絶無の状態を覆したことになる。

 人の生死すらひっくり返す程の目に見えない力が想いに宿っているというのなら、客観的な事実からでは決して窺い知れない感情論が自身を助けてくれるかもしれない。

 エトのように生きることなど自分には到底できない。でも、エトが絶無の可能性に光る何かを信じてくれるというのなら、彼のその引き込まれるような笑顔に応えるために、せめて自分の全力を尽くすのみだ。

 

「……エ、ト」

 

 目尻から零れ落ちそうな涙を袖で拭き取って。

 

「どうしたの?」

 

「エトの想い、しっかり受け取りました」

 

 そう言って、自信に溢れる屈託のない笑みを、エトに向けて輝かせた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 カテゴリー5、孤高のカトレアの登場により、会場の盛り上がりは一気にその熱を増した。

 リッカ・グリーンウッドの前に、未だ対戦相手は現れない。単純な話、コールの瞬間に登場したのだから無理もない話ではある。実際の試合時間までまだ十分程ある。

 すると、そこまで時間もたたないうちに、風見鶏の観客席の方から、リッカほどではないものの、会場を割るような歓声が轟く。その先頭にいたのは、リッカにとって教え子である予科一年A組のクラスメイト。

 そして登場したのは、リッカの対戦相手である、サラ・クリサリス。

 

「よく怖気づかずに出てきたわね。少し遅かったけど、エトにでも熱い抱擁の後熱烈なキスでも貰って来たのかしら?」

 

「そ、そんなことしません」

 

 初戦から自分と当たったことに怖気づいてガチガチに固まっていると思ったが、どうやらそうではないらしい。少なくとも初心(うぶ)なリアクションを見せる辺り心に余裕もあるらしい。エトに何かを言われたのだろうか、むしろ彼女のことだ、エトの言葉を胸に、自分で自分に自信をつけたのだろう。

 試合開始の合図が出た。彼女が何を思っているかは知らないが、全力を出すしか道はない。

 

「んじゃ、始めるとしますか」

 

 先行、リッカ・グリーンウッド。

 第一フェーズ――ショートレンジ、ターゲット4、ガードストーンなし。

 軽くロッドを握ってはシューティングゾーンの中央に立って構える。

 一度パネルを軽く睨むと、鋭くロッドをスイングさせて、ブリットを放つ。

 恐ろしい程精密に行われる魔力の移動。打ち出されたブリットは直接ターゲットパネルに向かうことなく、まるで観客に挨拶をするようにフィールド上で大きく弧を描いた後、吸い寄せられるように四分割されたパネルの中央を撃ち抜いて全てのパネルを同時に撃ち落とすことに成功した。

 ただ精度の高いショットというだけでない。敢えて曲芸的なブリットのコントロールをしてみせて、一撃の下にパネルを全て撃ち落とす。余裕がなせるその一撃は、カテゴリー5としてのエンターテイメントを見せつけるだけでなく、それによって一気に会場の雰囲気を自分の有利な方へと導いてしまう、戦略としても見事なものだった。

 

「……」

 

 そのショットを目の前で見せつけられて、しかしサラの表情にはほんの少しの動揺すら見られない。むしろ、これくらいは当然やってのけると想定内の範囲のようだ。

 後行のサラはリッカとすれ違うようにシューティングゾーンへと向かう。そのすれ違い様、リッカが捉えたサラの表情は、既にリッカのことなど眼中に入っていなかった。完全に自分のショットに集中している。

 会場の空気は完全なアウェイ、誰一人としてサラの勝利など考えていないだろう。その中で感じられる、目の前の小柄な少女の真剣な眼差し。

 サラはシューティングゾーンで構え、やや速度を落とし、正確性を重視したスイングで――

 

「――はっ!」

 

 堅実で、無駄のないワンショット。直線的な放物線を描き、見事パネルの中央を撃ち抜いた。

 落ち着いた一撃。対戦相手がリッカ・グリーンウッドだと微塵も感じさせない正確なショット。これには観客も大いに沸いた。

 そしてこれから、お互いにミスのないパーフェクトゲームが繰り広げられていく。

 一回戦からいきなり、注目を集める程の接戦。カテゴリー5を相手にしぶとくしがみつく風見鶏の学生。誰もが手に汗握り、その試合展開に固唾を飲む。

 

 そして第五フェーズ――ショートレンジ、ターゲット4、ガードストーン2。

 フィールドの長さやパネルは第一フェーズと変わらないものを、相手フィールドに二体のガードストーンを設置することができる。僧侶をイメージしたガードストーン、横幅は狭いがパネルの縦の長さを十分に妨害するビショップと、騎士をイメージしたガードストーン、縦幅こそ高くはないものの、パネル一枚分の横幅を持つナイト。

 リッカはサラの設置したガードストーンを容易く躱して相変わらずのパーフェクトゲームを決め込んでいる。

 そしてリッカも、サラと同様の配置をサラのフィールドにしてのけた。S3のFとGにビショップを設置。

 サラは緊張したようにシューティングゾーンに立ち、コントロールをつけるように丁寧にスイングした。

 基礎魔力が小さい文、サラは大きくブリットを変化させることが苦手である。だから小さな変化で確実に超えられるよう、慎重にコントロール重視のショットを行う。

 クラスメイトが強く祈る中、ブリットはガードストーンを超えることなく跳ね返される。サラにとっての、この試合での初めてのミスショット。張り詰めていた会場の空気が緩む。

 中央に設置させた二体のビショップは、四枚落としを難しくするためのものである。一度ショットをミスすれば、パーフェクトを決めるには残り一打で四枚のパネルを落とさなければならない。しかしサラにとって、次の一打で全力を使って全てのパネルを落としても後続に支障が出るのは間違いない。だから四枚落としを諦め、左右どちらかの二枚を落とす選択をさせるための配置なのだ。

 ここでサラがその選択を取るのは、この先を考えてみれば正しいのかもしれないが、相手は優勝候補である。この後もミスをすることはないだろう。捨てた二点が、勝敗を決めることも十分に考えられる。

 再びシューティングゾーンに立ったサラは、ロッドを構えてブリットに視線を合わせ、意識を集中させる。

 そして、その瞳を静かに閉じた。

 一秒、二秒、三秒……十秒、二十秒――サラのショットに静まり返っていた場内が少しずつざわつき始めた。

 しかし、それでいい。今こそサラが、本当の全力を解き放つ時。

 彼女が使ったのは、術式魔法。それこそリッカやジル、果てはエトまでもが普通に使っている魔法だが、その実並大抵の魔法使いでは簡単に扱えない高度な式が構築された上での魔法である。

 言ってしまえば、通常の魔法は真っ白な白紙の上に、問題に対する答えを一発で回答するようなものであるのに対し、術式魔法はあらかじめ設定された解法に沿って答えを導き出すようなもので、一つの解法を定義した上で式を構築し、それに沿って魔力をロードしていくことで通常よりも少ない魔力で魔法としてアウトプットできるツールである。

 グニルックに使われるロッドにも術式が埋め込まれており、有名なのはマジックアイテムや魔法陣などで多く使われるものだが、サラはそれを自らの頭の中で構築しているのだ。

 一度でも数学を学んだことがある者なら分かるだろう。例えば二桁同士の乗算を行う時、ほとんどの人間は紙面上に数式を書いて答えを導き出す。それを暗算でするというのはかなり効率が悪く時間もかかるし正確性がないと言える。

 そして、サラが一度に展開できる術式魔法の数は七個。一度に七個の乗算をこなし、その全てを加算するという計算を暗算で行えるだろうか。一般人には到底無理な話である。

 そしてそんな高度な計算をサラが行えるのは、彼女の家が理由にある。

 クリサリス家。今では没落したともいわれる魔法使いの貴族の一門。彼らが代々得意としてきたのが、他でもなく術式魔法なのだ。個人の才に大きく影響されることなく魔法を行使する、すなわち魔法の汎用化が彼ら一族の抱えるテーマだった。その結果、クリサリスの一族から魔力が失われていくという皮肉な結果を迎えることになってしまったが。

 そして今回サラが持ち出したのが、そのクリサリス家で代々伝わる、彼女にとっても宝のような高度な術式魔法の数々。その中で最も自分の弱点を補うことができるものを用意し、多少難解な術式であろうと時間をかけてゆっくり刻むことで成功率を上げているのだ。

 ちなみに、エトが同時に扱える術式魔法は最大で三つである。

 

「行きます!」

 

 そして、術式魔法で十分に練り上げた魔力を、ロッドに乗せてブリットに移動し、飛ばす。

 ブリットは見事にリッカの設置したガードストーンを回って四枚落としを成功させた。

 会場が盛り上がりを見せる中、第五、六、七フェーズも接戦を繰り広げる。最初こそ接戦で驚いたもののまぐれの面もあると思われていた節もあるが、ここまで来れば結末もあやしくなってくる。もしかすれば、サラがリッカに勝つ可能性もあり得るのではないか。誰もがその瞬間を脳裏に浮かべる程に。

 相変わらず魔法のセンスと経験の中で鍛え上げられた技術を以って試合を進めるリッカと、彼女に追い縋るように術式魔法を駆使し、設定時間を限界まで取りながら確実にショットを重ねていくサラ。

 第八フェーズに入ってなお、その差は少しも開くことはなかった。

 しかし――

 

 第八フェーズ――ロングレンジ、ターゲット9、ガードストーン4。

 サラはリッカのフィールド上に、最悪でも九分割のパネルの一番右下の一枚は守ろうという意図のストーン配置を行う。

 しかし、リッカはそんな彼女に対し、不敵な笑みを浮かべる。

 サラを称賛し、彼女のプレイングに驚きを示しながら。

 そして彼女は言う。学園主催の大会用ではなく、それ以上の、自分にとって命を懸けるレベルでの本気を出すと。

 そしてそれが、クリサリス家がサラに求めているレベルの実力であるということ。

 

「しっかりと見ておきなさい。あなたが色々と考えるいい機会になると思うから」

 

 圧倒的だった。あまりにも無駄のあり過ぎる、第一フェーズのような曲芸的なショットを次々と決め、四回のショットで全てのパネルを撃ち落とす。

 まさに見世物。容赦のないリッカの攻撃に、会場は静まり返る。

 計八フェーズ、52ポイント。つまり、正真正銘のパーフェクトゲーム。

 沈黙が支配する会場を、誰かが声援で破る。

 

「サラちゃん、諦めるな!まだ勝負はついちゃいない!」

 

 その言葉にサラが振り返ってみれば、立ち上がってこちらに声援を飛ばす想い人がいた。

 彼の声を皮切りに、あちこちからサラへの声援が飛び交う。今までのサラの頑張りが、強大な敵であるリッカに対して一歩も退かないその姿勢が、観客の心を惹きつけたのだろう。

 そして、エトに向かって、力強く頷いた時、リッカがガードストーンを設置した。

 

「SのE、F、G、Hにビショップを」

 

 その宣言の瞬間、サラへの声援がぴたりとやみ、会場は大きなどよめきに包まれた。

 シューティングゾーンから最も近いエリアに、四体の背の高いビショップのガードストーン。これが何を意味するか。

 物を最も効率的に遠くへと飛ばす角度は直角の半分、四十五度であるといわれている。しかし、今回の配置では四十五度でブリットを打ち出すことはできず、必然的に八十度近い角度のショットを要求されるのだ。

 サラの体力も既に限界である。元々基礎魔力の小さいサラでは、この角度で遠くまで飛ばすのにかなり大きなパワーが必要となり、同時に繊細なコントロールはその難しさを極める。最悪、ブリットがパネルに届かないこともあり得るのだ。

 更に、ガードストーンが目の前にある事による圧迫感、そして物理的にサラからパネルを見ることができない。

 

「……」

 

 しかしサラは、まだ動じない。

 呼吸を整えて、シューティングゾーンで足を揃えて構える。

 意識を集中し、瞳を閉じて精神を集中させる。

 シン、と静まり返る競技場。

 十秒、二十秒、三十秒――持ち時間をゆっくり利用して難解な術式魔法を展開しているのだろう。誰もが固唾を飲んでサラのワンショットを見守っている中で、術式魔法が完成したようだ。瞳が開かれる。

 サラの身体がゆっくりと動き出し、ロッドを大きく振りかぶって、鋭くスイングを決める。

 風切り音を響かせたロッドは、ブリットを力強く叩き、高角度を以って空へと舞い上がったブリットは――ギリギリのところでガードストーンを飛び越えた。

 歓声が上がる。空気を割るような轟きが。まだ勝負は終わっていない、一人の少女の不屈の心が起こす奇跡をその眼で確かめながら。

 最高点まで到達したブリットは徐々に高度を落としながらターゲットパネルへと突き進む。パネルを守るガードストーンは既に存在しない。

 四枚落としは厳しいだろうが、とりあえず一枚でも落とすことができれば次へと繋げられる。残り三ショットで確実に落としに行けばいい。

 会場中の視線が宙を泳ぐサラのブリットに釘づけられる。

 そして――

 

 

 

 ――ガン

 

 

 

 金属製の鈍く重い音。

 しんと静まり返る場内。

 ぽん、ぽん、とブリットが静かにフィールド上を跳ね返っていた。ターゲットパネルより――内側のフィールド上で。

 ターゲットパネルの四方を固定する、鉄製のポストに当たって跳ね返ったブリット。すなわち――ミスショット。

 サラの――敗北。

 小さな拍手から始まり、次第にそれが伝播していく。

 やがてそれは大歓声となって、サラの健闘を讃えるように会場内を包み込んだ。

 サラは、地面に転がったブリットを、ずっと眺めているだけだった。




さて、次回から本章の核心にようやく入ります。

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