今日から再び、この学び舎で学園生活が始まる。
そんな日にも拘らず、エトとサラは朝の寒空の下、桜並木を潜り抜けながら、寒いとか手が冷たいとか、手を繋ぐとか繋がないとか、そんなバカみたいな夫婦漫才を披露していた。意外と体裁というものを気にしている節があるサラとしては、誰にも見られなかっただけ幸運といったものだ。
全校生徒が講堂へと集められ、エリザベス学園長の講話を聞き流す。彼女の性格なのだろうか、長ったらしく続くと思われた学園長の挨拶は、意外と早く幕を引く。
エリザベスと入れ替わりに壇上に姿を現したのは、ウェーブのかかった白銀のロングヘアーに、深いルビー色の瞳、サラの恋人であるエト・マロースの姉である生徒会長、シャルル・マロース。流石は姉弟というべきか、ここまで両者が整った容姿をしているとなると、何となくサラの気分も妬ましくなってくる。
シャルルの生徒会長としての挨拶もやはり簡単なもので、すぐさま業務連絡へと取り移る。休暇前に葛木清隆が生徒会役員選挙に当選したことを再確認し、彼を登壇させせて挨拶させる。その時江戸川耕助が余計なことを口走ったばかりに余計な注目を浴びながらも、壇上で堂々と挨拶をする清隆。そんな彼を称えるように、全校生徒からの拍手喝采が講堂を支配した。
そして二つ目。一月二十七日。この日は、毎年開催される由緒正しきグニルックの公式大会が開催される。
その名も、クイーンズカップ。
参加資格は特にない。強いて言えば魔法使いであること。風見鶏の生徒なら誰でもエントリーできる。但し、この大会は風見鶏の職員やOB、外部からも多くの選手が参加するため、グニルックを熟知した者や強大な魔力を誇る魔法使いもこぞって参加するため、勝利を目指す者にとってはかなりハードルの高い大会となるだろう。
そして当然、公式大会であるため、その記録は正式に記録され、勝利した者は相応の名声を得られるかもしれない。そしてこの大会は、サラがクリサリスの名を再び世界に知らしめるのにふさわしい舞台でもあるのだ。
グニルックはもともと魔法使いによってつくられた、紳士のスポーツとして嗜まれてきた伝統的競技である。グニルックの実力者であるということがすなわち魔法使いの社会において一目置かれる存在であるということも同義であり、実際に魔法の才能があり、知識や判断力、そして戦略も試されるという面で、真に優秀な魔法使いが勝ち上がれるようなシステムが構築されている辺り、よくできたものである。だからか、古くからある由緒正しき家などではグニルックに対する意識も高いらしい。当然、同じく古くから存在する貴族としての一門、クリサリス家にも同じことがいえよう。
彼女は、HRが終わって、清隆が生徒会に顔を出そうと教室を出ようと準備をしている時には、既にグニルックの練習へと急いでいた。
もちろん、そんな彼女の背中には、腰ぎんちゃくのようにエトがついていっていたのだが。
誰もいない広々とした競技場で、ロッドが風を切る。
ロッドがブリッドと接触するインパクトの瞬間、サラの魔力がロッドを通してブリットへと送られる。その模範ともいえる美しいフォームで振り抜かれたロッド、そしてブリットは直線に近い放物線を描いて空を翔ける。サラの想定するように。サラの希望に沿うように。
グニルックは、このインパクトの一瞬でほぼ全てが決まると言っても過言ではない。スイングしたロッドがブリットに触れる一瞬の時間で、ブリットの制御に必要な魔力をどれだけ正確に移すことができるか。魔力が少なければ遠くまで飛ばすことができず、かといってブリットに乗せた魔力が雑であれば見当違いな方向に飛んで行ってしまう。
ブリットのコントロールにはそれほど多くの魔力を必要としない。そう言う点では基礎魔力の低いサラでも、例えばカテゴリー5の魔法使いであるリッカ・グリーンウッドや、それこそ公式戦を出禁にされたクー・フーリンを相手にとっても対等に渡り合える可能性がある競技なのである。
しかし実際のところ、一度のショットでほとんどの魔力を持っていかれるサラにとって、試合終盤になるにつれて魔力の消費量を極限まで節約するような戦いになってしまう。そうなれば前述のとおりターゲットパネルまで届かずに終わるか、あるいは雑な魔力の乗せ方で、大事な一打を討ち損じてしまうこともある。結局は、基礎魔力が制御の制度に大きく影響してくる点では変わりない。
練習用のターゲットパネルに、サラの放ったブリットが衝突して音を立てる。当たり所としては悪くはないのだが、恐らくサラが本来狙っているところからは少しずれているようだ。サラの表情も少し険しい。一打一打を正確に打とうとすると、自分の身体に大きく負担をかけてしまうのが現状でのサラの弱点である。
「やっぱり、基礎魔力が少ないことに関してはどうしようもないね……」
エトが口にしたそれは受け止めなければならない事実であり、サラもそれは認めている。しかしそこから一歩先に進まなければならないのも事実だ。少ない魔力で如何にして調節して試合終盤まで持たせるか、これが今後の課題となる。
「とにかく、練習あるのみです。より少ない魔力で遠くまで正確に飛ばす練習をするしかないんです」
それが今の彼女にとっての理想の形。
例えば、魔法使いの魔力量の平均が百だったとして、グニルックの一打に使う魔力が五だったとする。これだと連続して二十回程ショットできる計算になるが、一方でサラの魔力がこの時に十だったとすれば、同じ魔力を使っても四回しかショットすることができない。しかし、そこでサラが自身のショットの際の魔力を極限まで節約し、一度のショットで一の魔力しか使用しないようになれば、一般の魔法使いと同じく二十回ショットできるようになるわけだ。
そして、その五分の一の魔力で、一般の魔法使いと同じような正確なショットを要求される。そこには桁違いの難しさととリスクが胡坐をかいて座っているのだ。
それから一時間程、サラの練習を傍で観察して、あーでもないこーでもないと議論を交わしつつ、少しでもサラのプレースタイルを模索していた。
結局今日のところは進展を見せなかったものの、一か月ほどの時間はある。のんびりしている時間こそないものの、まだ焦る必要もない。放っておけば勝手に暴走しそうなサラを軽く注意して、今日のところは学生寮まで一緒に帰って別れたのだった。
日没後、窓から差す夕日の光もすっかりと消え去り、夜闇が風見鶏を支配する頃、デスクの灯りをつけて読書をしていたエトは栞を挟んで本を仕舞い、クローゼットに向かう。
戸を開けると目に入るコートの下に覗く細長い筒。クー・フーリンも普段は似たようなものを持ち歩いているが、それよりは大分短い。それとタオルを抱えて、周囲に誰もいないことを確認してから自室を飛び出して廊下を走り抜ける。特に見られて困るものでもないが無駄な説明は時間がもったいない。
向かった先はそれなりに広さのある広場で、特に誰かが利用しているわけでもない。休日の昼間はここで暇をつぶしている連中の姿も見られる。
そこでエトは抱えていた細長い筒のような荷物をおろし、その端のチャックを開けて中から
訓練用の剣。レプリカで切れ味こそ皆無だが、それなりに重みもあり人を殴りつければ立派な凶器になり得る。鞘から抜き放った銀色の刃に月の灯りが反射し煌めく。
毎日欠かさず行っている、剣の訓練。
正面で構え、瞳を閉じる。頭の中で術式魔法を構成し、完成したそれに魔力を乗せていく。少ない魔力で大きな力を発揮するそれによって、エトの体から淡い魔力の光が発される。
瞳を開けて、少し離れた位置に相手がいるようなイメージ。その姿は、兄のように慕う、史上最強の師匠。
地面を蹴る。術式魔法によって蹴る力を大幅に増幅させており、速度は自動車のそれを大きく上回る。右に踏み出したエトに対し、相手からすれば、エトが左右に分身して飛び出したようにも見えるだろう。当然相手から見て右に飛び出したエトは偽物であり、魔法によって生み出された幻覚である。
相手が動いていないのを目で確認しながらすぐさま方向転換のために再び地面を蹴る。一瞬といわれる時間で射程内に相手を入れ、剣を肩に引き込む。
「――今だ」
水平の斬撃。当然こんな子供騙しの攻撃が当たるはずもない。存在しない槍に阻まれて恐らく反撃を食らっているだろう。
バックステップで距離を取り、再び突撃。相手の左脇腹から右肩への斬り上げ――これも当たらない。
相手は次の斬撃のモーションに入る前に左肩側へ瞬時に移動、そのまま槍を突き出す。
首に突き出されたそれを腰を落としてやり過ごし、刺突――そして水平の斬撃。バックステップでこれも躱される。
逃がすまいと距離を詰めて斜め斬り上げ――その瞬間相手の瞳が鋭く光る。
一振りが振り上げた手首にヒットし、剣を落とす。次の瞬間、その槍の穂先は喉元を捉えていた。
「――」
冷や汗が背中を伝う。
実際に相手は目の前に存在しない。しかし、どんなに都合よくイメージを塗り替えようとも、イメージを越えてかの英雄はエトの攻撃を搦めとり反撃を繰り出す。
勝てるイメージができない。実力の差は当然にして必然。
弾かれたわけでもなく手元から吹き飛ばされた剣を拾っては汚れを拭き取る。椅子に座り込んで汗を拭っては一度リラックス。
その時懐で何かが震えた。
シェル――誰かからの連絡だろうか。すぐさま取り出して確認すると、メッセージが一件届いていた。差出人は、クラスマスターであり姉の友人、リッカ・グリーンウッド。そうやらこれから軽くケーキ・ビフォア・フラワーズ、通称フラワーズで食事会を行うらしい。メンバーはシャルル・マロース、五条院巴、リッカ・グリーンウッド、それからクー・フーリンも参加するらしい。恐らく無理矢理だろう。何故自分が呼ばれたのかは分からないが、断る理由もないので快い返事を送っておいた。
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案の定、フラワーズの屋外席に陣取っていた彼女たちのうち、クーだけがこれ以上なく嫌そうな顔をしていた。
「そーんな嫌そうな顔しないの。こんな美女三人に囲まれて食事会だなんてむしろ光栄に思わないと」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら天下の『八本槍』を挑発するリッカ。しかしそんな彼女を当然の如く突っぱねてみせる。そんな態度をとる理由も実に単純明快で。
「だったら無理矢理俺を引っ張り出してこんな下らねーお遊びに付き合わされて挙句出費は全部俺ってどういうつもりだテメー」
「あら、こういう時は男性が積極的にお金を出すっていうのがレディ・ファーストとしての常識でしょ?」
「それって無理矢理連行した奴が言う台詞かよ。それにテメェがレディって言われるにゃ淑やかさが欠如しまくってるぞ」
そんな口喧嘩をしているところにエト・マロースが姿を現す。
何故このメンバーで自分が呼ばれたのかを聞いてみると、とりあえずクーが顔を出す妥協線として、エトをこの場に呼んでくることが条件となったのだ。遠回りな人身御供というところである。クーにしても、エトとは師弟関係の中で何度も刃を交わしあってきた仲。それなりに信頼はしているようだ。現状彼よりも長くいるリッカの方が立場が低いというのはどうかと思うが。
後から席について、出てきたスタッフにメニューを注文してから、エトは遅れて他の連中に挨拶する。
「エト、テメェはクイーンズカップにエントリーしないのかよ」
真っ先に上がったのはその話題だった。
他所のクラスではメアリー・ホームズ、イアン・セルウェイがエントリーしていることは耳にしていた。葛木清隆は今回生徒会の方で運営の手伝いをするということで今回は見送ったらしい。
エトは最初からエントリーするつもりはなかった。今の実力では上位者たちに歯が立たないということ、そして何より大きな理由がもう一つあった。
「うん、僕は今回、サラちゃんのサポートと応援をしてあげたいんだ」
わお、と女性陣からよく分からない感嘆が。色々あって、彼女たちもエトがサラと付き合っているということは知っていた。同時にエトもこの三人が既に知っているだろうことを見越して話し始めた訳だが。
「力がなくても、一生懸命頑張ってる。そんな子を、支えてあげたい。勝てるかどうかは彼女次第だけど、少しでも前に進めるように支えてあげたいんだ」
その言葉に、クーは一瞬面白そうな笑みを浮かべて、すぐに気に入らないという風な不満顔に戻った。
相変わらず何を考えているのかよく分からない男だが、弟子の行く末に関しては気になっているようだ。師弟愛、美しきかな。
「ケッ、つまんねー。俺だってエントリーしたいのに出禁とかふざけんなっての。ここに出たい奴がいるってのに折角のチャンスをドブに捨てる奴があるかよ」
言葉には棘がこれでもかという程含まれているが、それでもエトは理解している。なんだかんだで彼は自分を応援していると。
何だか過剰に信頼し過ぎているのが心配になってくるのはここにいる誰もが思うところであった。
「……理解してんだろ、あいつにゃもう限界だってこと」
突如、真剣な面持ちで、真っ直ぐにエトを見据えてはそう問いかける。
急に真面目になってどうしたのかと思えば、生徒会三人娘も話の内容を察したらしい。
「うん。サラちゃんはもう、クリサリス家をどうこうできる力なんか持ち合わせちゃいないんだ」
それに対して、同じく真剣な表情で、そう呟いた。
確かにサラは努力している。現状を打開しようと試行錯誤している。しかし、魔法使いの評価のほとんどが魔法の力であることによって、サラがどれだけ頑張ろうと才能の壁を乗り越えることができないのはここにいる全員の知るところだった。
そして、彼女にぞっこんであるエトにはまずそれを知らしめておく必要があった。それが現実であり、変えられない運命。
実力とか、才能とか、努力とか、限界までチャレンジし続けたクーにとって、サラの限界などとうに見えていたのだ。
しかし、そんな彼の非情な一言に、エトは全く動じることはない。むしろ、更なる覚悟を固めたとでも言うような、心の奥底で燃えるような闘志がその瞳に映っているような気がした。
「でも、それでもサラちゃんは頑張ってる。報われないからって、見捨てていいわけじゃないよ」
シリアスなムード。エトの決意も確認したところで、リッカが茶々を入れる。
結局は全ての台詞が『サラのことが好きだ』で解決するようなもので、その本心がぶれることはない。
誰かを好きになったことが初めてな
ぶち壊しになった雰囲気を尻目に、成長した弟の姿を遠い目で見つめる姉の姿がそこにはあった。
さて、この章もそろそろ核心に迫っていきます。エトとサラの関係を描くの楽し過ぎワロタ。