満身創痍の英雄伝   作:Masty_Zaki

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ほら、さっさと解決する!(母並感)


姫の覚悟

 それは姫乃にとって、不本意にも見慣れてしまった光景だった。

 ベッドに横たわる兄、清隆の身体、そして規則的な胸の上下と共に静かに聞こえる彼の寝息。ひたすらに握り続けている彼の掌からは既に温度を感じているのかどうかも定かではない。その温もりは彼のものか、あるいは自分が温めただけなのか。

 彼が姫乃に何かを隠していたのは、何となく姫乃自身も気が付いていた。

 日本でも何度か見せてくれた魔法の数々、そして親戚の人を中心とした魔法使いやその存在を知る者に対する夢見の魔法の効果は絶大で、相手の悩みや不安、探し物などをたちどころに解決してしまうところを見ると、清隆という人間がかなりレベルの高い魔法使いであるということはある程度理解していた。

 姫乃も決して間抜けではない。そのようなプロ顔負けの魔法使いがわざわざ初心者(ビギナー)の魔法使いばかり揃う王立ロンドン魔法学園、通称風見鶏に通うのは本当に姫乃のお守りだけが理由だったのか、そのことに疑問を感じたのは入学して間もない頃からだった。

 当然姫乃自身も、一族に伝えられている『お役目』については知っているし、清隆も恐らくそのことを父辺りから耳にしていたのだろう。きっと、娘を任せた、などと言われて、お守りを建前に風見鶏に来て何かしらの行動を起こすつもりだった、だから風見鶏で生徒会役員選挙に立候補したと考えればこれ以上なく筋が通る。

 ずっと清隆は、姫乃のことを第一に考えてくれていたのだ。悲しき未来を挫いてみせると、焦燥に駆られながら奔走して。

 

「……兄さん」

 

 反応がないことは承知していて呼びかける。傍にいるのにまるでそこにいないな気がして、どうしようもなく不安だったから。

 風見鶏に在籍している、かの大英雄は言った。清隆はただ現実から目を背けているだけだと。眠りに就いた中で、夢を見ていると。一体どんな夢を見ているのだろう。何が重荷になっているのだろうか。『お役目』だろうか。それとも、その運命を背負う姫乃自身だろうか。だとしたら、清隆はもしかすれば、姫乃がいない世界の夢でも見ているのかもしれない。

 

「全部、私のせいなんですね……」

 

 そう、葛木姫乃自身が弱かったから。

 運命を受け止めるのが怖かった。未来を認めてしまうのを恐れた。現実から目を背けようとしていたのは、姫乃自身も当てはまっていた。

 いつか訪れる『お役目』の継承を恐れ、躊躇っている自分がいる。そんな自分が、いつの間にか運命に対し首を横に振っていた。それに気が付いた清隆が身を挺してそこから逃れる方法を模索しようとしている。そして当然、清隆も人間、そんな行動に疲れ果ててしまうのだ。

 決意のない空虚で小さな拳に力を加え、清隆の掌を強く握る。思えばずっと、こんなことばかり繰り返しているかもしれない。何も変わることなどないのに。

 その時、清隆の部屋にノックの音が響き渡る。一度立ち上がって入るように促すと、そこに現れたのは姫乃にとっても魔法の先生であるリッカ・グリーンウッドであった。

 彼女は、相変わらず部屋で祈っていることしかできない姫乃を見ては深刻そうな顔をして、かけるべき言葉を模索しているのか少し間を空けて言う。

 

「――今日はもう帰りなさい。ろくに食事もとってないでしょう。みんな心配してるわ」

 

 両手の拳を腰に当て、諭すように問いかける。

 姫乃にしても個々で駄々をこねるつもりはない。人間である以上、腹は減るし眠くもなる。そう言った生物的欲求はいつもと変わりなく押し寄せてくるのだからもどかしい。こんなものがなければ、いつまでも目覚めることない兄の傍にいてやることができるのに。

 失礼しますと一礼して、リッカと入れ替わるように清隆の部屋を出る。

 わざわざ大浴場まで行く必要もないか、とか食事も簡単でいいか、とかそんなことを考えながら自室に戻ろうとラウンジを通りかかると、そこには見知った顔があった。

 

「あ、姫乃」

 

 白銀の髪、ルビー色の瞳。風見鶏の生徒会長と似通ったそれらを持つ優しい雰囲気の少年、エト・マロース。彼もこちらに気が付いたようで声をかけてきた。

 エトは優しい。姫乃を一目見た時、大分やつれて疲れも見え始めていることに気が付いたのか、まず真っ先に心配そうな表情を浮かべる。

 

「……清隆のことは大変だろうけど、姫乃も無理だけはしないようにね」

 

「うん……」

 

 言われなくとも分かっている、そう言いたそうな顔をして、しかし何か思うところもあるのだろう、視線を逸らして俯く。

 それに対してエトは、同情するでもなく、それでいて叱るでもない、いつも通りの穏やかな笑顔を作ってみせた。いつもと変わらない、誰かを引き込む様な笑顔。

 

「清隆のことを一番分かってあげられるのは、他でもなく姫乃なんだ。そして、姫乃のことを一番よく分かっているのは清隆」

 

 そしてエトは、エトの言葉にこちらに視線を直した姫乃に視線を合わせるように、彼女をじっと見つめた。

 ルビー色の真摯な視線が、姫乃の揺れ動く心を捉えて離さない。

 

「だから姫乃は、勇気を出して、素直になって、清隆の傍にい続けてあげて。それで、ずっと一緒にいられるように、今無理して壊れてしまわないようにさ」

 

「……うん」

 

 姫乃の頬が紅潮し始めた。そして自分の顔を両れで覆い隠したと思えば、引き攣ったような無理な笑顔を向けてみせる。

 しかしどうやらおさまりきらなかったらしい。目尻から大粒の涙が溢れ出してきた。

 

「ごめん……こんなはずじゃなかったのに……」

 

 姫乃にとって、()()()()()()が隣で笑ってくれない。それだけで途方もなく辛く、苦しかった。葛木清隆という存在が、とうの昔から自分の中で大きくなっていたこと、自分の中で、その感情に気が付かないはずがなかった。

 妹。その定位置に甘えていたのかもしれない。いつまでも傍にいられると信じて。しかし現実は非常で。未来に希望はなくて。所詮自分には、幸せになれる道など残されていないのだと、いつも隣にいてくれた少年からすらも逃げ続けていた。そう、自分は清隆の妹だと。

 エトの言葉が、胸を貫いた。貫いた先で、優しく包み込んでくれた。結局自分は、大切な人の傍にい続けることしかできない。そして、そうしてやることが自分の望みであり、そして清隆にとっての見るべき現実。全て理解して、それしか道は残されていない、しかしその道こそが、誰もが望むものだったことを、一番の当事者である姫乃(わたし)が気付いてなかったこと。

 悔しくて、悔しくて、きっとどこかに救いが見えてくることに希望を見出して。

 

「きっと大丈夫だから」

 

 気が付けば、エトの胸の中で赤ん坊のように泣いていた。溜めこんでいたものを全部吐き出すように、ぶちまけるように。いつまでも、いつまでも彼の腕に抱き締められて。

 

「今度は、清隆の胸に泣きついてあげるんだよ」

 

 そんな冗談を添えて。

 だからこそ、ほんの少しだけ余裕を持つことができた。

 九月の終わりに開催された初めてのグニルックのクラスマッチでもエトという少年を見てきたが、やはり彼は、誰かのことを分かってあげられる、心優しい少年だった。そんな彼にだからこそ、ここぞとばかりに言い返したいことがある。自分の友と、同じく友であり兄の友の二人を祝福して。

 泣きついていた彼の胸元を離れ、涙を拭っては精一杯の笑顔を浮かべ、こう言ってやるのだ。

 

「エトも、サラさんのこと、よろしくお願いします」

 

「なっ!?」

 

 どうしてこのタイミングでそれを、とでも言いたそうに顔を真っ赤にして手足をパタパタとさせて子供のように慌てふためく。

 普段は妙に大人びているのに、こういうところは相変わらず子供っぽい。そんな彼を尻目に、踵を返して駆け出した。

 とりあえずはこの年齢になって他人の胸を借りて泣き出すという、あまりにも自分の行動を恥ずかしがったこと、そしてとりあえずは自分の体調をしっかりと整えて、いつか兄が目覚めたその時に、散々叱ってはその胸に泣きついてやろうと決意を固めて。

 走り去ってゆく姫乃の後ろ姿を見て、とりあえずは元気が出たようで何より、突然の図星による焦りを隠すように深呼吸をして、エトも自室に帰ろうとして。

 

「わぷっ」

 

 何かにぶつかった。

 一歩離れて顔を上げると、そこにはよく知ったような顔があった。

 青髪に真紅の瞳、言わずと知れた『アイルランドの映雄』にして『八本槍』の一人、クー・フーリンである。

 

「お兄さん……」

 

「なんだテメェ、一丁前に女泣かせやがって」

 

 勘違いをしているわけではないようだが、どうやら弟子をからかうというのは楽しいらしい。その口元はニヤニヤと笑っていた。

 

「――なぁ」

 

「うん?」

 

 呼びかけられた時、クーの表情は真剣なものへと変わっていた。何か大事なことを話すつもりなのだろう。背丈こそ違うが、エトはクーの正面に立ってその鋭い視線を正面から受け止める。

 

「俺みてーなただのバトルジャンキーじゃなくて、それこそリッカやジルみてーな生き方を望むのなら、もっと周りに目を向けてみろ。そして大事な何かをしっかり見据えてみろ」

 

 何故それをこのタイミングで言ったのかはエトにはよく分からない。少し考える時間を貰おうとして、沈黙が二人の間に流れる。

 しかしよく考えて見れば、今すぐ考える必要もなかったことに気が付いた。

 

「今はよく分からないけれど、きっといつか分かるようになるよ」

 

 その答えに、師匠は満足そうに笑みを浮かべた。

 

「全く、どいつもこいつもませやがって、口から砂糖が出そうだぜ」

 

 閑話休題、というのだろうか、唐突に話題を切り替えてはどこかの誰かに毒づく。気づいてはいないのだろうが恐らく目の前の少年もその対象かもしれない。

 

「お兄さんは恋とかしないの?」

 

「よしそれじゃあエト、想像してみろ」

 

 華やかに彩られたリゾート島の商店街。インテリアの店からスイーツの店まで、どこもかしこも大繁盛。

 そんな中で街灯に背を預けてどこかソワソワしながら誰かを待つ青髪真紅眼の青年。しばらくして、妙に気合いを入れて着飾った女がとてとてと走ってくる。

 手を振りながら一言、『ゴメン、待たせたよね』、そんな謝罪の言葉に青年が返す言葉は『そんなことはない、少し前に来たばかりだ』。

 互いの指を絡めるように手を握り合って、少し頬を紅潮させながら、気恥ずかしくて目を合わせられなくて、そしてどちらともなく肩同士を合わせて足を一歩踏み出す。

 ビスケットを購入しては『アーン』とかしてみたり、ホーンテッドハウス(お化け屋敷)に挑戦してみては怖いと腕に抱き着かれて腕を包み込む柔らかい感触を堪能してみたりして。

 人気の少ない夕焼けのビーチを散歩しては立ち止まって、互いに言葉もなくサンセットを背景に、少しずつ影のシルエットが近づいて――

 

「ごめん無理」

 

 クーが色々とよからぬことを想像させた後には、どうしようもなさそうな微妙な顔をしたエトがそこにいた。

 まるで甘ったるい恋愛から程遠い凄腕規格外の戦士。青春を謳歌する少年少女の誰もが憧れるような恋愛のワンシーンに彼を当てはめるととんでもないくらいに雰囲気がぶち壊しになってしまうことを改めて学習してしまった。

 

「ほら見ろ」

 

 威張ることでもない。むしろエトとしても本気で心配してしまいかねない。

 しかしここでエトも何かしら閃いたようで。

 

「それじゃあ、例えばその相手がリッカさんだったら?」

 

「ほう?」

 

 華やかに彩られたリゾート島の商店街。インテリアの店からスイーツの店まで、どこもかしこも大繁盛。

 そんな中で街灯に背を預けてどこかイライラしながら誰かを待つ青髪真紅眼の青年。しばらくして、妙に気合いを入れて着飾った女がとてとてと走ってくる。

 手を振りながら一言、『ちゃんと時間までに来てるわね』、自分の方が遅れ気味だというのになんという言い草かと思いながら、『テメェとは違うんだよ』。

 強引に腕を搦めてくるリッカに対して少し鬱陶しそうにするが、案外悪い気分でもない青年。女狐みたいだと文句を垂れ流しながら騒ぎの方へと巻き込まれに行く。

 どこかで買って来たらしいビスケットを強引に口の中に放り込まれたり、ホーンテッドハウス(お化け屋敷)に挑戦しては『デキとしてはまぁまぁね』などと批評してみたりして。

 人気の少ない夕焼けのビーチを散歩しては立ち止まって、どうでもいいことで口論しては、しかし最後に仲直りして、サンセットを背景に影のシルエットはその手を繋いで――

 

「あれ?」

 

 エトも色々と想像してみたところ、どうしようもなく恋愛っぽい雰囲気はないというか、いつも通りの二人というか、ある意味でこれはこれでいいんじゃないかと思わせるような結末に。

 とんだ茶番だとつまらなささそうに腕を組んでいるクーは何を想像したのだろうか。訊きだしてみるのも面白いかもしれないがやめておいた方がいいと考える。きっとろくなことにならない。

 

「恋だの愛だのってのはしたい奴だけすればいいんだっての。俺様はとりあえず世話になってる風見鶏で適当に仕事をこなしつつ、強い奴がいれば全力で戦う、それだけできれば満足だよ」

 

 結局そこにいるのはいつものクー・フーリン。話によれば既に百年以上生きているらしいが、ここまで来れば考え方も固まってしまうのだろう。

 

「それじゃ、リッカさんやジルさんのことはどう思ってるの?」

 

 長年連れ添って旅をしてきた仲らしいし、どういう関係なのかは是非一度知りたいところではあった。

 

「別に嫌いじゃねーよ。ただ狂おしい程愛するって訳でもねーし――まぁ頼りにはなるわな」

 

 結局、そう言った曖昧な答えしか返ってこなかった。

 

「なんかイライラしてきた。エト、ちょっとこの後稽古してやる。ボコボコにしてやるから覚悟しろ」

 

「別にいいけど、あんまり遅くなるのは嫌だよ」

 

 そして二人揃って、一度入った寮のラウンジを、夜の闇の中へと足を踏み出す。

 そう言えば二人で手合せをするのは久しぶりだったか。ほんの少し心躍らせながら、クー・フーリンはグラウンドへと向かうのだった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 何かが足りない気がする――どうにも見慣れない校舎(恐らくどこかの学園なのだろう)での講義の後、声をかけるサラ・クリサリス似の少女(サラと呼んで反応するのでまず間違いないだろう)を適当にあしらって屋上に上がる。

 葛木清隆はどこか見覚えのあるような小さな島の学び舎の一番高いところに上りつめては横になる。

 いつも通りの生活をして、いつも通り友達と不自由な衣生活を送っているはずなのに、毎日毎日囚人のような気分で時を過ごしていた。

 誰かがささやきかけてきている気がしていた。ここは清隆のいるべき場所ではないと。

 今思えば、シャルル似の少女を『シャルルさん』と呼んだ時に妙に不思議られ、以降『るる姉』と呼ぶようになっていたのだが、どうにも以前の『シャルルさん』の方が落ち着いた呼び方のような気がしてならないのだ。

 そんな虚無感を抱えながら空を見上げていたら――

 

「ん?」

 

 青空の一部を凝視する。何か黒い影が徐々に近づいて大きくなってきている。

 立ち上がってはその様子を瞬きもせずに視線で捉えようとしている自分がいる。それを待っていたのかもしれない。それが自分にとって足りないものだったのかもしれない。

 その姿は、紛れもなく女の子だった。羽のようにゆっくりと降りてきては、お姫様抱っこのような形で清隆の腕に抱き留められる。

 そしてその少女は、晴れ晴れとした笑みを浮かべては、感激したように言った。

 

「やっと見つけた、兄さん!」

 

 どこかで見たことがあるような少女。しかし彼女は清隆に何かを考えさせる暇も与えずに。

 その唇を奪ったのだった。




これで本腰入れてエトの話に入れます。多分。

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