十二月の二十四日。そう、その日はかの聖人、イエス・キリストの生誕を祝う奇跡の日の前日、クリスマス・イヴ。
風見鶏はこの日に生徒会役員選挙の当日を迎え、それによって今回は予科一年A組から葛木清隆が選出されることとなった。
以前のハイドパークホテルでの一件で、爆発しかけた時限式魔法爆弾を自力で解除し、爆発による建物の崩壊から内部にいた生徒及び周辺を護ったことが大いに表彰され、名誉騎士という、その肩書を持つだけで世間からヒーロー扱いされるような叙勲を受けたのがきっかけで、風見鶏の生徒から一気に評判になったのが決め手だろう。
そんな彼も結果発表後に本格的に指導するクリスマスパーティーを妹である姫乃と共に回っているらしいが、その様子といえば恋人ではないかと思えるくらいに仲睦まじいものといえた。
さてここにも、同じような空気を醸し出していそうなペアが一組存在する、というより存在しようとしている。
とあるベンチ、いつもなら堅物で真面目で表情に乏しいとか言われているようなサラ・クリサリスが、いつもと違う、どこかソワソワしたような面持ちで誰かを待っている。
何度もシェルを開いてはその相手から貰ったテキストを読み直しては顔を赤くし、誰にも見られてはいまいかと慌ててシェルを懐に戻して、というのを何度繰り返したことだろうか。そしてまた、まだ懲りないのだろうか、再びシェルを拓いてはテキストをの文面を目で追っている。
『今日のクリスマスパーティー、もし良かったら一緒に回ってくれないかな。もしよければ当選者が決まった後、グラウンドのベンチに来てくれたら嬉しいです』
初めてそのテキストを見た時は、顔面が破裂しそうになった。何故そこまで――という疑問には、既に自分の中で答えを見出しているつもりだ。
何度も読み返して、それがどういうことなのか何度も自問自答してみて、彼の思惑が分からなくて、だから結局、自分の方が主導権を握りたくて、そこまで言うのなら仕方ないです的な発言で彼とパーティーを見て回ることにしたのだ。
そしてあまりにも急ぎ過ぎた結果、清隆が当選したことを少しだけ祝って、その後すぐに猛ダッシュで来たのだが、当選で盛り上がっている最中を抜け出してきたようなものなので、相手はまだいない。タイミングをこちらで測るなら、彼よりも後にここに来る方が正解だった気がしないでもない。
自分の胸に拳を置いてみて、すぅーっと深呼吸をしてみる。瞳を閉じて、地震が起こるくらいに揺れに揺れる心を落ち着かせて、もう一度周りの風景を視界に入れる。気分をリフレッシュしたからか、少しだけ周囲が静かになったような気もする。
そして幸運にも、絶妙にもこのタイミングで、待ち人が訪れることとなった。
「ごめんごめん、待たせた?」
白銀の髪、ルビー色の瞳、生徒会長と全く同じそれらが繰り出す笑顔は、見ているとこちらが吸い込まれそうになるほど魅力的で、その落ち着いた言動は、相変わらず優しさを垣間見せている。
「ありがとう、サラちゃん」
感謝の言葉を言われるだけで心臓がトクリと跳ねる。経験がない以上、どうすればいいのか分からない。今日は主導権を握ろうと心に誓ったはずなのに。
エトは、そんなサラを知ってか知らずか、そっと手を差し伸べる。その小さくで、でもサラからすれば十分に大きく感じられる白い手に、少女は少し躊躇ってその指先にそっと触れる。そんなサラの手を、エトは自分の掌をずらしてしっかりと握ってみせた。
エトにはサラの、更にはエトの体温が、直に伝わってきた。サラにとって、その温もりは、まるで一度も味わったことのない、得体のしれない何か。それを感じていられることが、どことなく嬉しくて。
「どうしたの?」
「何でもないです」
ついうっかり、エトの隣で笑ってしまったのだった。
いつも歩き慣れた校舎の中の廊下が、クリスマス一色に彩られ、いつも以上の賑わいと騒がしさを見せている。同じ学園のはずなのに、まるで全く違う、別の空間に迷い込んだような錯覚すら覚える。
あちらこちらで、大袈裟な謳い文句がでかでかと描かれたポスターや、魔法を使った華やかな客の呼び込みなど、店を出している側も、大いにこの祭りを楽しんでいるのがよく分かる。
そんな中でエトは、ある教室の入り口付近に見つけた張り紙を見つけては指を指す。
「あれ見て、不思議なリンゴ飴占いだって」
「飴で占いだなんて、珍しいですね」
どうやら意外とサラも乗り気なようで、迷いなくその占い部屋の中へと足を踏み入れた。
占いといえば一般的に胡散臭いものだろうが、ここは天下の風見鶏、未来予知や人格判断の資質に恵まれた魔法使いだっているかもしれない。占いが当たる可能性も決して低くはないのだ。
教室に入ると、真っ先に視界に飛び込んでくるのは、綺麗なグラデーションで色ごとに並べられたリンゴ飴。見ているだけで口の中でフルーツの甘みが広がってきそうな、そんな夢のような空間。
まずはそれを二人で選んで、次のステップに進もうとしたのだが――
「ん~~~~~~~~」
なかなか終わらないと思ったら、真剣な表情でリンゴ飴を見つめている、いや、睨んでいる。
堅物でこういうのには目もくれないものだと思っていたのだが、どうやらこの辺も普通の女の子らしいようで、甘いものも人並み以上に好んでいるようだ。しかし問題はその金銭面、浪費はしないようにきつく自分に戒めているのだろう。だからこそ悩む。ひたすら悩む。
そしてゆっくりと腕を伸ばし、何度も躊躇って、そして――
「こ、これにします」
イチゴミルクかけ飴。サラが散々迷った結果手にしたのはそのピンク色の飴だった。
そして、会計の時にエトがプレゼントしようとして、サラが財布を仕舞うことを渋ったこともあって、エトは落ち着いて彼女を説得し、サラにリンゴ飴を買ってあげたのだが。エトはエトで、女の子にいいところを見せたかったというのはサラの知らないところである。
リンゴ飴を売っている机の隣に、ベールを被った占い役の生徒が座っている。いかにもな感じの風貌だが、二人は少し緊張しながらその人物に近づいてみる。
占い役の向かい側に座って、サラがその人にリンゴ飴を見せてみると、その人は両手の平をリンゴ飴にかざし、これまたいかにもな感じで力を込めてみせる。
「そなたの選んだリンゴ飴はピンク色じゃな~?」
「は、はい、そうです」
突然の質問に、サラが吃驚しては返答する。それくらいの質問は見れば分かると思うのだが、占うのに必要なことなのだろう。
二人が緊張しながら占いの結果を待っていると、占い役の人がこれまた突然手を止めた。
「むむむっ!その飴を選んだそなたは近いうちにっ……途轍もない大恋愛をすると出ておる!そうして大きな試練と幸運をが訪れるであろうともっ!」
「えっ、えっ?大恋愛と、試練と幸運?」
何だろう、その舞台演劇に出てきそうなテーマのワードは。そんなことを考えながら首を小さく傾げるサラ。
「お隣のっ!」
「うわびっくりした」
ビシィッ、とでも擬音が付きそうなくらいに真っ直ぐに人差し指で指されたエトは思わず逃げ腰になる。というか自分も占われていたのか。二人で選んだのだから、サラだけの占いではないらしい。
「頑張るんじゃぞ!」
「は、はい」
それくらいなら占わないでもいい気がするのだが。
よく分からないが占いは占い、当たるかもしれないのだからとりあえず頷いてみせた。
再び廊下に出て、先程のリンゴ飴占いの奇妙さに首を傾げながらも、その時になったらと思考を放棄する。そんなことよりも、サラは目を疑うワンシーンに遭遇することとなっていた。
その片手に握られてあるイチゴミルクかけ飴を、ぺろん、と一口舐めたサラが。
「~~~~~~」
お目々をきらきらと輝かせて、それはもう美味しそうに満喫していらっしゃるのだ。言うなれば、感動。そう、サラはこのリンゴ飴で感動していらっしゃるのだ。
そして何より、このとろけた笑顔。エトにとって、サラがなかなか見せない素の笑顔を見たことは何度もあったのだが、この次元の違う輝かしい笑顔はまさに、サラが心の奥底にしっかりとしまい込んだ子供っぽさそのもの。これがきっと、本当のサラ・クリサリス。
「お、美味しい?」
「夢のようです」
「そ、そんなにかー」
甘いものが大好き。見た目相応の反応が可愛くて、エトはつい。サラの頭をポンポンと撫でていた。
すると顔を真っ赤にして、サラはエトを、おろおろしながら睨みつける。
「こ、子ども扱いしないでくださいっ!」
「あ、ご、ごめん」
エトにとってもこんな行動をとるつもりはなかったのだが、一体どういうことだったのだろう。
その後もクリスマスパーティーの賑わいを楽しみながら、時間は過ぎていった。
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誰もいない教室、ただ疲れて休憩するためだけに立ち寄った二人だけの空間。
テンションが上がって、サラと二人ではしゃぎまわった短い時間。その熱を少しだけ冷ましに、人気のないこの場所で、温かい紅茶で一息入れる。
「おいしい」
カップを机に置いて、そう一言。静かな場所で、時間だけが過ぎていく。
隣同士で腰掛け、お互いの肩が触れ合うような距離で、布の上からお互いの体温を感じていられる距離。それなのに、何故かお互いにもどかしい。
ふと、サラがエトから身を離し、ガサゴソと自分のポケットをまさぐる。そこから出てきたのは、一封の手紙だった。父からの手紙、サラが風見鶏に入学してすぐに届いた手紙。
手渡されて、サラの家族とは縁のないエトが読んでもいいのかと躊躇う。しかしサラは、落ち着いた表情で頷いてみせた。
サラを気遣う文章。
サラへの期待。
元名門であるクリサリス家復興への渇望、そして期待。
そう言ったことが、丁寧な字で綴られている。
サラは言う。この手紙が自分の誇りだと。両親や祖父、家族がみんな自分に期待してくれている、自分が立派な魔法使いになるために、少なくない金を出してもらっている。だから自分はその期待に応えるために、努力を惜しむつもりは毛頭ない。それが、サラの決意。サラの本心。
「でも……」
そこで言葉は詰まる。今までに聞いたことのない、長い長い、サラの独白。
本当に言いたいことはその先にある。でも、それは今までの自分を否定してしまうかもしれない、そしてそれが、家族への期待に応えられなくなる要因になるかもしれない。不安と恐怖が、彼女の口を閉ざさせていた。
エトは、そっとサラの手を取って、そしてぎゅっと握ってみせる。
「私は、楽しいこともこうして知ってしまいました」
再び言葉を紡ぎ始めるサラ。
エトも楽しかった。サラと共に過ごす時間。彼女が笑い、泣き、怒り、拗ねて、仲直りして、そうやって積み重ねていく時間が今ではとても愛おしくて。
エトを見上げる潤んだ瞳に映るのは、一抹の不安。
「今まではずっと家のことしか考えてなくて、期待に応えられるように勉強だけをしていて――」
同年代の友と呼べる存在もいない、しかしそれが普通なのだと、当り前なのだと信じ込んでいた。家族のために、自分が頑張って、脇目もふらずに誰も気にすることなく、ひたすらに研鑽を積んでいくことこそが使命だと、そう思っていた。
しかし、知ってしまったのだ。清隆や姫乃、仲間たちと、そして誰よりもエトと過ごす時間がとても楽しいものだったということを。今まで知らなかった楽しいことを、たくさん知ってしまった。
だからもう、後戻りはできない。
「サラ……」
そんなサラの気持ちを、エトは分かるようで、分からない。
「エトと一緒にいると、どうしようもなく心が掻き乱される程、楽しい……です」
でも、頬を紅潮させながらそんなことを言ってのけるサラが、自分にとってどれだけ大切なのか、ここでようやく実感して。
サラは、サラが知らなかったことを知り、エトは、エトが知らなかったことを知る。そうして今、ここに二人が揃っている。だからきっと、エトにはサラの知っている、まだ知らないことがあり、サラにはエトの知っている、まだ知らないことがある。そしてそれらを補い合うことが、紛れもなく支え合うということ。
「……私、今までなるべく人に頼らずに生きてきました」
それはエトどころか、他の連中も知るところである。基本的に他人に淡白に接してきたサラ、それは初めてエトとサラが出会った時も同じだった。
いくら容赦なく突っぱねても、鬱陶しいくらいに何度も接近してくるエトに、つい根負けしてしまって、いつの間にかここまでの仲になることとなった。無論そんなつもりはなかったし、当時は特別エトに対する興味もなかった。
でも、ここでそれを吐露するということは、そんな自分に疲れてきているのだろう。誰かに助けを求めたかったのだろう。心が悲鳴を上げていたのだろう。
誰かに頼れば自分が弱くなってしまうと、自分の弱さを認めたくなかったから。
自分が弱ければ、家族の期待には応えられないから。二度と家族の笑顔を見ることはできないから。――自分が、幸せになれないと思ったから。
「だけど、これからは、エトに頼ってしまいそうです。甘えてしまいそうです」
その儚げな瞳は、まるでエトにすがっているように見えた。理解してほしい、唯一自分を理解してくれる人だと。
「いい……ですか?」
不安げになる語尾が揺れるその問いに、エトの胸は締め付けられる。
何だろう、この感覚は。いつも自分の隣にはサラがいたような気がして、それでもここまで苦しくなるようなことはなかった。クリスマスの雰囲気に飲み込まれているのか、あるいは自分の中でサラに対する心境が大きく変化したのか――後者であればいいなと、そんなことをチラッと考えてしまう。
儚げな言葉と同じように、何故かサラ自身が儚く自分の隣から消えてしまいそうな気がして、エトは、サラの手を取っていたその手を、彼女の肩に回してそっと抱き寄せる。
そうしてやりたかった。いや、そうしたかった。
「あっ……」
サラの心音が、その振動が、抱き寄せた肩からトクトクと感じられる。逆に、エト自身の高揚と緊張の鼓動が、これでもかとサラにダイレクトに伝わっているのかもしれない。
いつからこんな感覚を知ったのかは分からないけれど、しかしそんな自分が、エトには嬉しい。
「どんどん頼ってくれないと、むしろ寂しいかな」
きっとエトの頬もこれ以上なく紅潮しているだろう。照れくさいだろうが、それがエトの紛れもない本心。
一度サラの肩から腕を外して、そしてサラの金色の瞳を静かに見つめる。
エトの行動に対するサラの動揺。しかし真剣なエトの顔に何かを感じ取って、サラもエトの瞳を覗き込んだ。
「これから二つ、言いたいことがあるんだ」
そう切り出すのはエト。
まず初めに言わなければならないのは、この時期の恒例の挨拶。
クリスマス・イヴならば、これを言わなければどうにもならない。そしてそれを始めに伝えられる相手が彼女で、本当に良かったと思っている。
「メリー・クリスマス」
「メリー・クリスマス……です」
何だそんなことか、と、いつも通りの笑顔に頬のピンク色をトッピングさせたエトに、静かに微笑み返す。
何だかそれだけで幸せなような気がするが、エトにはもう一つ言いたいことがあるらしい。このタイミングで何を言い出すのだろうか、不安も半分、期待も半分で、エトの口が開くのを待つ。
「もう一つは、何ですか?」
そう返してみると、何故かエトの視線が右往左往、いつも自分の気持ちをコントロールできているエトにしては、珍しく動揺している。
そして何やら自分の頬を両手の平でパンパンと二回程叩いて見せると、真剣な眼差しでルビー色の瞳がサラの瞳を貫いた。そして次に、サラが予想だにしなかった言葉がエトの口から紡ぎだされることとなる。
エトの呼吸音が、すぅっと聞こえてきて――
「僕と、付き合ってください」
壁ってどれくらいの硬さがいいんだろうね。柔らかすぎれば耐震性とかに異常がありそうだし、固すぎればこっちが色々と痛いし。明日辺りから壁が売れそうで何よりです。
清隆「姫乃?ああ、あいつはもう俺に惚れてるに等しいから」