満身創痍の英雄伝   作:Masty_Zaki

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お風呂回。


風呂上がりに悶々と

 

「やったー、あーがりー!」

 

 引いた札を確認しては、中央のテーブルに二枚一組のカードを投げつける。天真爛漫な金髪ショートの少女の笑顔は今日も絶えることを知らなかった。

 一方で最後の最後までジョーカーを持ち続けた耕助は、ついぞ勝ち上がることはできず、見た目年下の少女にすら敗北を喫してしまう。

 

「おいおいまたかよー……」

 

 これで既に三連敗、この学園に入学してから早三ヶ月、毒舌な四季や何となく扱いを理解してしまった清隆辺りに散々いじられ耐性ができ始めた耕助とは言え、流石に年上としての面目が丸つぶれである。

 耕助の小さな溜息。今ゲームで一番に抜けた姫乃が何とも言えない気分になって苦笑交じりにアドバイス。

 

「耕助くん、顔に全部出ちゃってるんですよ。何か、ジョーカー以外に触れるとちょっとずつ眉間に力が入ってくるというか……」

 

「さくらちゃんは気付いてやってたみたいだけどね」

 

 同じくエトが、妙に鋭いさくらを見ながらそう言う。自分の名前が呼ばれたのを聞いて、エトの方に首を向けた少女はにゃははと明るい笑顔を浮かべた。

 率先してテーブル中央に散らばったカードを集めては整え、手の中で丁寧にシャッフルしていく。紙片同士が擦れ合う小気味よい音が耳を掠める。そしてその山札から再びそれぞれに同じ枚数ずつカードを分配していった。それぞれ手札で揃ったペアをテーブル中央へと捨てていく。

 清隆、姫乃、耕助、エト、さくらの五人。放課後に各々の用事を済ませて学生寮へと帰ってきたところにさくらと遭遇し、そのまま彼女の駄々に付き合う形でラウンジでトランプをすることになった。

 

「さて、俺から行かせてもらうぜ」

 

「華やかな散り際を見せてください、マスター」

 

 再チャレンジと意気込む耕助に、容赦のない毒舌で出鼻を挫く、彼の従者の人形(マリオネット)、江戸川四季。二人の性格の凸と凹が一致しているのか、これまで一度も関係がぎくしゃくしたことはないらしい。その二人の関係は、兄妹である清隆と姫乃にとって、姉を持つエトにとって、きっと理想の関係でもあるのだろう。

 ウーンと唸って早速長考、姫乃の手札をじっくり観察してそこから一枚を引き抜いた。しかしどうやら揃わなかったらしく、テーブルに捨てる動作はない。そのまま耕助はエトの方へと手札を向ける。

 エトは手札を見ることはしない。先程のさくら同様、耕助の手札を見るふりをしてその表情を見る。無論、耕助は自分の手札と相手の手の動きしか見ていないため、こちらがどこを見ているかなどお構いなしである。

 耕助の手札に指をかざし、右から左へと向けて少しずつスライドさせていく。一枚目、二枚目、三枚目――特に表情に変化はなく、どうやらジョーカーを引き当てているわけではないらしい。

 適当に左から三番目のカードを抜き取り、手札にペアが揃っているのを確認してから中央へと投げる。そしてそのままさくらの方へと体を向けた。

 

「ギリギリで上がるのもいいけど、やっぱり最初に上がると爽快だよねー!」

 

 真剣に、しかし楽しそうに口角を上げるさくらはやはり本気、遊びでも手を抜くなどということは断じてしないらしい。白く細い指がエトの手札に触れる。そのリッカ・グリーンウッドと同様の碧眼がエトのルビー色の瞳を捉えた。表情が観察される。目の動きが観察される。そして、心の動きを察知される。この瞬間、エトの瞳が僅かに動いた。

 

 ――エトの手札にはジョーカーが潜んでいる。

 

 さくらの瞳が鋭さを増す。まるで子供のそれとは思えないような、研ぎ澄まされた精神。若者ながら、まるでクーやリッカが持つそれを、彼女の中に感じ、背筋に冷や汗が流れる。

 そっと、エトから見て一番左のカードがさくらに抜き取られていく。その際も、あちらのサファイアがこちらのルビーを離すことはない。その瞳は微動だにせず、いつまでも瞳の奥の心を睨み続ける。

 静かな動作で、さくらの手札に抜き取られたカードが加えられていく。しかし彼女の表情は変わらない。相変わらずの天真爛漫な笑顔がそこにはある。が――

 

「……」

 

 エトの手札から、ジョーカーが消えた。

 さくらが驚異的な観察力を持っているのは、これまでのゲームで理解していた。彼女のそれがクー・フーリンやその他『八本槍』と同等のレベルであるならば打つ手が全て看破されるだろうが、流石にそこまではないだろう。そこまで考えて、エトは視線の動きだけでブラフを打った。

 さくらが指を動かす時、エトの視線が動いたのはジョーカーに触れた時ではない。一番端にあったジョーカーの一つ隣、反対側のカードからジョーカーの隣に移るタイミングで視線を向けたのだ。

 これでさくらからすれば、右から二枚目のカードに指が触れた瞬間に視線が動き、それがジョーカーではないかと疑いをかけるようになる。そしてその指の動きの流れの中で、一番右端のカードを抜き取った――そしてそれがジョーカーだった、そんなところだ。

 ほんの数秒の中で行われた激しい心理戦だったが、まだまだゲームは始まったばかりである。さくらにとってもエトを脅威だと認識し、またエトもさくらの挑戦に受けて立とうと心構えた。

 

 ――そんなこんなで早数分後。

 清隆と姫乃が早い段階で抜け、残り耕助とエト、それからさくらの三人が泥沼合戦を繰り広げていた。そしてここから耕助が偶然にも上がったところから大きく戦況が変わる。

 

「オッシャー!ようやくビリから脱出だぜぇ!」

 

 さくらから引き抜いたカードを確認しては泣きそうなくらいに大喜びする耕助を尻目に、これでさくらとの一対一の勝負になったことを改めて自覚することになるエト。

 対してさくらは相変わらず余裕を持った笑み、むしろその眼にはこちらを挑発する表情すら見え隠れしている。

 エトの手札は一枚、さくらの手札は二枚――どちらかがジョーカーである。

 右か、左か――カードではない、さくらの瞳が判断材料だ。ゆっくりと伸ばされるエトの手に、さくらの視線が纏わりつく。

 手札の右のカードで指が止まった瞬間、さくらの目はエトの目を射抜いた。ここからが、本当の勝負。

 瞬き一つで全てが弾け飛んでしまいそうな、極限まで張り詰められた空気。一切の動が許されない、静に支配された時空。

 エントランスで雑談を交わしている男女の声すら、既にさくらとエトの耳から排除され切っている。空気の動きも、時間の流れも関係ない、ただ真っ白で狭い立方体の空間に閉じ込められ、誰も入り込む余地のない世界でたった三枚のカードをやり取りする、極限の状態。

 手を左に動かす――さくらの目に反応はない。手を右に動かす――さくらの目に反応はない。

 完全に行き詰った。まさかここまで自分の身体の反応をコントロールできるとは。このさくらという少女、清隆が十一月の始めにウエストミンスター宮殿の前で保護した記憶喪失の少女らしいが、幼い見た目に反して人間観察力と洞察力は恐らく同年代の少年少女から逸脱したものを持っている。そして何より、今のような状態になってなお、エトは見ての通り冷静を装っているだけに対し、さくらは相変わらず余裕の笑顔を向けてくるのだ。

 

「――」

 

 その時、そっと右のカードが、浮き上がってくる。そう、まるで『こちらがジョーカーじゃないよ』と言わんばかりに。

 最早思考停止である。このタイミングのこの駆け引き、浮いたカードが本当にジョーカーではないのか、それともこちらを誘導させるためのあからさまな罠なのか。

 考えたところで何も分からない。だったらもう考えるだけ無駄だ。それに、きっと彼の尊敬する男だって同じことをするだろう。

 考えなく、浮かせた方のカードを指で掴み、そっと抜く。それを自分の手札に加えて絵柄を確認すると――

 

「あ~、負けた~」

 

 さくらのへなへなとした声が聞こえてくる。クラブの『3』とダイヤの『3』、同じ数字が手の中に揃っていた。さくらの手には、ジョーカーただ一枚。情けなくもその一枚を両手の指で掴んでへなへなとしていた。

 緊張の意図が一気に緩む。盛大に溜息を吐いたエトはそのまま手札のカードをテーブルの中央に投げ捨てる。

 大人げなくも本気になったが、実際に彼女が本当に見た目相応の年齢なのかも定かではない。むしろ今の一連の心理戦で、実はかなり人生経験を積んでいるのではないかと邪推してしまうくらいである。

 

「しかし、よくもまぁあそこまで二人きりの世界に入り切ってたよな」

 

 そう呆れ口調で言うのは清隆。実際その手もやれやれと言わんばかりにひらひらとしていた。

 その横では姫乃も清隆に便乗してか、乾いた笑いを浮かべている。

 

「マスターにもこれくらいは頭を使ってほしいものです」

 

「うるせぇな、俺の脳は難事件を解決する時により活性化するの!」

 

 相変わらずこの二人の夫婦漫才(?)は健在だが、しかし確かに今のエトとさくらの駆け引き合戦は、彼らの年齢から考えて明らかに逸脱したものだったと誰もが思っている。結局それは、この二人はそう言うものだと、尊敬でも、嫉妬でもない、ただそこにある二人をありのままに受け入れるだけだった。

 清隆にとってはさくらの特異性も以前から知っていたし、姫乃も特にそれに対して気にする素振りもない。耕助は何も考えてないのだろう。四季はなんだかんだでそんなマスターを見守るだけである。

 何が言いたいかというと、結局はここにいる全員がなかよしこよし、みんな纏めて仲間で友達なのだ。

 

 ーーーーーーーーーーーー

 

 清隆たちと別れた後、寮の自室で、図書館で借りた本に没頭してしまい、結局その本を最初から最後まで読破してしまうという荒業を成し遂げたわけだが、風呂に入ることなく既に深夜へと突入してしまっている。どうしようかと考えたところ、この時間の大浴場は、普段とは違い男女の入室規制がかけられていないものの、時間的に考えて誰もいないだろうということで、適当に浴場へと向かう準備を済ませる。

 欠伸を噛み殺しながら薄暗い廊下を進み、大浴場と廊下を隔てる大きめの扉の前へと出る。扉をゆっくりと開いて脱衣所へと入室。

 そもそも大浴場が広いため、脱衣所にもそれなりの広さのスペースが確保されている。百人弱は同時にここで着替えを行っても足りるのではないだろうか。それだけのボックスも存在するが、エトはもしかしたら他に誰かが来るかもしれないことも考慮して、とりあえず端の方を選んで脱衣を始めた。

 タオルを持って入室、誰もいない貸し切りの大浴場の中で、気分よく鼻歌でも歌いながら体を流す。そしてそのまま、これまたかなり広い湯船の中にゆっくりと身体を沈ませる。

 一応自室にも簡易の浴場があることにはあるのだが、こちらの方が広いために、くつろぐにはこちらの方が好都合なのだ。ゆっくりと両手両足を伸ばして欠伸を一つ。日本人は風呂に入る時に『極楽極楽』と言うらしいが、天国があるとしたらまさにこんな感じなのだろう。

 

「ああ~、気持ちいい……」

 

 うっとりと、口から声が漏れてしまう。これだけ開放感があるのだから、無理もない。

 しかしどうだろう、湯気の向こうに、何やら人影が見えるような気がしないでもない。自分以外に先客がいたのだろう、気付かななかったものだが、しかし自分と同じようにくつろいでいる人間を無闇に刺激して気まずい雰囲気になるのも好ましくない。ここは相互不干渉ということでお互いに手を打ってほしいものだ。

 

「なっ……」

 

 ふと、違和感を覚えた。聞こえた声は、男にしては高い声だった。

 湯気が視界のほとんどをシャットアウトしているので、そこに人間がいるというシルエット程度しか分からないが、しっかりと凝視してみて初めて、エトは自分の失態に気が付いてしまった。

 

「何で――」

 

「えっと」

 

「何でエ、エトが――」

 

「これは」

 

 その声は、その姿は、紛れもなく、サラ・クリサリスのものだった。

 何故―理由などない、自分と同じように、ただ貸し切り状態の大浴場でのんびりとしたかったのだろう。偶然というか、何というか。

 

「――っ、こ、こうしよう!僕はこっちで向こうを向いてるから、サラちゃんはそこで反対側を向いてて!」

 

 何を言っているんだろう。この場合エトが出ていくのが普通というか最善の処置ではないのだろうか。男女が混浴している状態は百歩譲ってまだいいとしよう、しかし万が一そこに新たなる刺客が送り込まれた時、この状況をどう説明するか、そこまで考えてないのだろうか。考えられない程慌てているのだろう。

 

「そ、そうですねっ!」

 

 こちらはこちらで納得してしまっている。もう少し貞操観念というものを身につけた方がいい。相手は信頼に値するエトであるとはいえ、異性、男なのは違いない。

 しかし、実際はエトのことが気になって仕方ないのか、視線が背中の方へとちらちらと移動しようとしている。勇気がないのか視界に収めるお琴はできないが。

 ふと、エトは気が付いた。

 サラ・クリサリスという人間は、融通の利かない、効率最優先の勤勉少女だったはずだ。少なくともこんなところでのんびりしていて何も感じないはずがない。何故こんなところに。

 答えはただ一つ。今の今までグニルックの練習を続けていたからだ。実際彼女ならそこまでのことをやりかねないし、放っておけば確実に体を壊してしまう。

 

「――さっきまで、グニルックの練習をしていたの?」

 

「――エトには関係のないことです」

 

 相変わらず、淡白に突っぱねられる。エトに興味がないのか、あるいは他人に心配されることに慣れていないのか。

 

「関係あるよ。クラスメイト、それ以上に友達じゃないか」

 

「……」

 

 サラが言葉に詰まる。否定しない辺り、確かに友達として認識してくれているらしい。エトとしては少し嬉しかった。

 

「みんなと同じようにやってたら、いつまで経っても追いつけませんから」

 

「確かにそうかもしれないけど、体壊したら、それこそ効率悪いんじゃない?」

 

 サラの好きそうな言葉。効率。努力家というのはこういうものに反応するのだろう。

 

「そ、それはそうですけど、でも……」

 

 言いたいことは分からなくもない。家族の期待を背負い、自身の力のなさに嘆いてばかりはいられないサラにとって、努力がいつか実を結ぶという、どこかの誰かの名言が唯一の心の支えになっている。自分は家族のために努力をするために生まれてきたのだ――流石にそこまで自分自身を運命づけてはないだろうが、努力をしていないと不安になる、積み重ね続けることが安心に繋がる、そうやって心を安定させてきているのだろう。

 

「僕はサラちゃんのことを放っておけない。もっとサラちゃんのことを知って、もっと仲良くなりたい」

 

「えっ」

 

「だから、何でも相談してほしいんだ。頼ってほしいんだ。僕だってサラちゃんは相談するし、頼ることもたくさんある」

 

 それが、仲間というもので。友達というもので。

 サラの背中から、エトが立ち上がる音が、その水の音が聞こえてくる。

 

「僕はもう出るよ。僕がいたんじゃ、サラちゃんものんびりできないだろうし」

 

「あっ」

 

「体には気を付けてね。しっかり休むんだよ」

 

 そう言って、エトは駆け足で大浴場を去ってしまった。

 残されたサラ。去り際に残していった意味深な科白。

 

 ――サラちゃんのことを放っておけない。

 

 真剣みを帯びたその一言が、サラの頭の中を駆け巡っては脳内を乱していく。

 

「あれって一体……でも……」

 

 もう、何もかもが分からなくなってしまった。

 きっと、お互いに裸だったのが、心をオープンにさせてしまったのかもしれない。不本意にも、ジャパニーズ『裸と裸の付き合い』がここイギリスの魔法使いの育成機関、風見鶏の学生寮大浴場にて成立してしまったらしい。

 結局、この後サラは、寮の自室で眠れない夜を、無数の溜息と混乱の中で過ごすことになったのだった。




日本の風呂文化って凄いんですね(白目)

心理戦とか書いてみたかったけど、思った以上に難しい。スピード感のある緊迫した状況をもっと上手に伝えたい。

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