勝ち目?そんなものはないです。
風見鶏での仕事を一段落つけようと、学園長室兼生徒会室で作業をしていたエリザベスは、緊急の連絡によってその作業を妨害されることとなった。連絡の内容は至って単純だが、しかし魔法使いの社会を大きく揺るがしかねない事実だった。
パーシー家保有の貴重な文書を窃盗した容疑により、イギリス国家及び魔術社会の基盤を大きく転覆させかねない状況へと追い込んだ可能性のあるリッカ・グリーンウッドが、『八本槍』の一人、クー・フーリンと共に逃走、現在もその行方は不明なままである。捜索に当たっては魔法捜査局も介入させているが、その上で『八本槍』の一部にも有志で協力してもらっている状況だ。明確な協力の意志を示してくれているのは現在、ジェームス・フォーン、アデル・アレクサンダーの二名である。アルトリア・パーシーは事件によって起きた騒動を鎮圧したり、またその後の事後処理をしなければならないこともあって協力する時間はないようだ。
さて、問題の緊急の報告だが、その内容こそが、クー・フーリンの『八本槍』離脱の知らせが入ったということだった。
王室から国家の最大の武力として魔法使いの社会において最も上位の権力を持つ『八本槍』には、その証として、クー・フーリンの持つ紅い槍を模して作ったペンダントを配布している。そしてそれは主君である女王陛下への忠誠を誓うものである以上に、その権利を放棄する意思表示として使われるために存在しているものだ。王室に仕える騎士として、そして武人として、その誇りと尊厳を失わないままに二君に仕えることができるとされるシステムであり、これを破壊することで『八本槍』を脱退し、イギリス王室との関わりの一切を絶ったことの証明になる。破壊したそれを新たな主に譲渡することで、その主は元『八本槍』に一度だけどんな命令でも行使することができる。というのもこのペンダントにはかなり強い魔力が凝縮されており、これ一つで禁呪レベルの大魔法を一つ発動できる程の魔力量を誇ると同時に、その魔力が主へと移ることによってその時の魔力反応が正確に王室直属の探査機関にキャッチされ、居場所を突き止められるデメリットを持っている。
そして現在、その巨大な魔力反応が、クー・フーリンのペンダントから発生したとの報告が入ったのだ。
「結局、こうなってしまうのですね……」
寂しさと悔しさに俯き翳る顔にいつも携えている美貌はない。古くからの友人に手を差し伸べてやることもできなかった自分の無力さが、あまりにも信じられなかった。
エリザベスは女王陛下として、そして王立ロンドン魔法学園を創立し、未だその信頼を勝ち取ることができていない魔法使いを教育する機関の第一人者となった、魔術社会の最高責任者として、完全なる公人となったエリザベスは、最早私情で動くことはできないものとなっていた。アデル・アレクサンダーの言い分は圧倒的に正しかった。それは認めざるを得ないことである。しかしその本心は狂ってしまいそうな程にリッカを助けたくて、何度声を枯らして叫ぼうと思ったことか。しかしそれを叫んでしまえば、その一声で国が、魔法使いが滅んでしまうかもしれないことは分かっていた。
友の命か――魔法使いの未来か。
自分の立場が、女王陛下が、風見鶏学園長がとるべき行動は、あまりにも残酷なものとなった。友を切り捨てた判断が、更にその仲間を巻き込み、そして放っておけば平和な生活をしていたであろう彼女の最大の親友すらも、自ら死地へと飛び込む覚悟を決めて飛び出したという。一人の犠牲が、三人の敵を生み出すこととなった。
そして
側近の者にも渡していない、自分の懐に仕舞ってあるプライベート用のシェルを強く握る。そのシェルに繋がった友情の証であるキーホルダーは未だに綺麗なままであった。
――私は、クーさんを、リッカさんを、ジルさんを、信じます。
憂いた表情を真剣に引き締め、力強く廊下を歩く。現状を少しでも早く把握しようと、歩く速度がだんだん早くなっていくのを自分で気付くことができない。そしてしばらく進むと、前方からよく見知った顔が何やら難しそうな表情をしながらこちらへと向かってくるのが見えた。杉並である。
「どうしましたか?」
「陛下、これは未曽有の事態です」
クー・フーリンのペンダント使用、『八本槍』脱退の知らせならば既に耳にしているし、そのことを知らない杉並ではないはずだ。となれば、彼の言いたいことはそれ以上の最悪の事態ということになる。
「アデル・アレクサンダーのペンダントから、魔力反応が現れました」
そんな馬鹿な――あまりにも唐突で衝撃的な報告に、驚く反応をすることすらままならず、その魅惑的な身体を硬直させて絶句してしまう。
アデル・アレクサンダーはそれこそ多少過激的な『八本槍』で扱いも難しい人間だったが、それでも王室、女王陛下に仕えるその忠誠心は本物で、賊や外敵を絶対に寄せ付けない圧倒的な実力を持っていた。それだけではない、魔法考古学に関しても超一流で、彼の発見した様々な新事実は魔術社会を大きく進化させ、歴史を大きく変えることとなった。そして更に、彼の使用する召喚魔法は、この国を防衛する最終手段となり得る、王室の切り札となり得るまでに強化されたのだ。この魔術社会において決してなくてはならない存在で、その男が『八本槍』を離脱するなど、考えららえなかった。
「……一体、何が起こっているのです、アデルさん……クーさん……」
ーーーーーーーーーーーーーーー
リッカたちを小屋に残し、クーは一人で森を抜けようと疾走していた。生い茂る緑の木々に視界が奪われそうになるものの、クーにとってはこのくらいどうということはない。無数のものの位置関係を瞬時にチェックし正確な動きをとることができる彼に、動かない木々が障害になるはずもなかった。木から木へ、枝から枝へと飛び回るその姿はまるで鷹のようにも見える。真紅の眼光が直線的な残像を描き、光を一瞬残していく。しばらく直進していると、少し開けた草原が目に入った。
直線で突っ切る――その判断をするのに一瞬と呼ばれる時間すら必要ない。百メートル程は離れている向こう側の木の枝へと飛び移ろうと足場にした木の幹を力強く蹴る。
――その時動かした瞳は捉えた。
瞬時に身を捻り、槍を振るう。腕には重く鈍い感触が残り、何かが飛んできた方向へと視線を向けながら、空中で体勢を整える。第二撃に備え、落下速度を調整しながら防御の構えをとる。着地のステップを踏み、今度こそ正確に敵の姿をその視界に十全に取り込むことができた。
「――フン」
黄金の甲冑、逆立つ金髪、その双眸は、クーの燃えるようなそれとは正反対に冷ややかな光を携えた真紅。僅かに小高い丘になっているのだろう、クーから見れば彼を見上げる形に、彼からすればクーを見下す形になっている。
組まれた両腕から放たれるのは天上天下唯我独尊の証、言葉も拳も交わさぬうちから彼から感じられる傲慢不遜さは、彼の実力と絶対の自信に裏付けられたものだ。
最古にして最強、黄金の英雄王、ギルガメッシュ。
「――不意打ちとは趣味が悪いな英雄王」
「この我の視界にゴミクズが入ったのだ。駆除するのが道理というものだろう」
「そりゃ英雄王直々の素敵な挨拶をどーも。お蔭で外出早々悪い意味で刺激的なヤローをこの目に収めることができて光栄に思うぜ」
出会い頭に殺されかけ、その上お互いに『八本槍』だった者が対峙するこの状況で挑発に挑発を重ねていく両者。頭がおかしいのだろうか。
しかしクーは、この状況において皮肉こそ飛ばすものの、内心では冷や汗を処理するのに大変だった。今目の前にいる男は紛れもなく最強の一角に君臨する存在、その戦術こそ見たことがあるものの、それは決して戦闘などという生温いものではなく、戦争、蹂躙、虐殺と言った方がまだしっくりするような戦い方だった。直線的で単純、数にものを言わせた戦い方と聞けば弱そうに思えるかもしれないが、その数、そしてその火力が規格外なのだ。恐らく無尽蔵と考えるべき武器の保有・貯蔵量、そしてその一つ一つがアレクサンダー家が代々その足で現場を歩き発掘してきた宝物の数々を魔法によって復元、その性能をほぼ完全に再現したものだ。クーがどれほどの体術を持っていたとしても、槍一本ではあまりにも心許なさ過ぎた。
それにもう一つ、問題なのは今ここにいるのが、ギルガメッシュ一人であるということ。彼はそもそもアデル・アレクサンダーの召喚魔法によって出現した使い魔であり、マスターの魔力供給がなければ少しの時間で消滅してしまう。アデルの気配が感じられないこの状況、恐らくギルガメッシュは一人で来たと断定してもいいだろうが、何故そんなことをするのかが見当がつかない。別の魔力供給方法を見出しているか、あるいは何かの策略か――
――なるほど。
その疑問はすぐに解決することとなる。それは数刻前、自分が何をしたかを考えればすぐに分かることだ。恐らくは、使用したのだろう、真紅の槍のペンダントを。
ギルガメッシュが言葉を話すことから、何かしらの方法で自我を得たと考えるべきだ。いつからそうなったのかは分からないが、クーたちを襲撃した後、アデルの行動をよく思わなかったのかマスターを殺し、そのペンダントを奪って自分で自分に使った。そしてその魔力のブーストで未だに存在しているということか。そしてそれが指すのは。
――我こそが王だ。我に盾突く者は一人残らず駆逐する。
王者の風格。その場にいるだけで民草を跪かせる圧倒的支配力。クーが感じた、恐怖、畏怖、戦慄。最早それは、強さという定義に当てはまらないレベルでの存在感。王であるか、そうでないか。全ての英雄の原点にして頂点である王の双眸を見るだけで、脳裏から勝利の二文字が消えてしまいそうになる。
そしてそれが逆に、クーの心に、彼に対する尊敬を植え付けた。
「……全く、こんなの相手に戦えとか死ねといわれるようなもんだろ」
アデル・アレクサンダーに使役されていた時とは段違いだ。彼は紛れもなく、使役される側ではなく、支配し使役し裁く側の人間だった。それが運命、それが当然にして必然。全ての頂点に彼が君臨することこそがこの世界の
「――勝てねぇ」
「当然だ」
クーが最後に達した結論に、即答で応えるギルガメッシュ。
「流石だ英雄王。今まで色々な奴を見てきたが、ただそこにいるだけでありありと力の差を見せつけてくれる奴は初めてだよ。背中向けて尻尾撒いて無様に逃げ出してぇとも考えた」
「身の程を弁えぬ狗でもなかったか。だが何事もなく逃がすと思ったか。この我にその棒切れを向けた罪は償ってもらう」
しかしその言葉とは裏腹に、ギルガメッシュは唇を歪め、笑みを浮かべた。
「しかしまた次第によっては情けをくれてやろうと思わんこともない。貴様の連れの金髪の女、あれはなかなかに美しい宝だ。それを返せば貴様も女も考えてやらんこともないぞ」
金髪の女とはリッカのことだろう。いつの間にリッカがギルガメッシュのものになったのだろうか。いやこれだけ傲慢不遜な男のことだ、世界中の宝は全て我のものだと言っても驚かない。
リッカを渡せばクーもリッカもジルも、誰もが生きることを保証された未来が待っている。それはリッカにとって、そしてジルにとってありがたいものだ。二人が安泰であるならばクーにとっても心配することは何もない。
恐らくギルガメッシュは使い魔としてマスターを失い魔力の供給源が絶たれたのをリッカで補うことを目的としているのだろう。もし魔力供給がなければそれこそ三日と持ちはしない。自らを王とし、リッカとジルを侍らせ、クーを尖兵としてまずはイギリスから乗っ取る、そんなところだろう。
「本当にリッカをやればあいつらは見逃すか……?」
ギルガメッシュの提案は悪くない。増して彼の性格を思えば、ここで殺されリッカとジルと一緒に手を繋いであの世に送られる未来はほぼ確実だったはずだ。しかしそれを自ら否定するその提案を飲めば、こんなところで犬死することもないだろう。そしてギルガメッシュに生かしてもらったチャンスを利用すればいつかまた――
絶望の中に垣間見た妥協という名の希望の光。それに縋れば助かるのだ。心の彷徨いから逃げたくなる気持ちが彼を俯かせた。
「かつて『八本槍』の一人と畏れられた
「――だが断る」
俯く顔を勢いよく上げ、熱く鋭く燃える真紅の瞳がギルガメッシュを射抜く。誰が貴様の言いなりになるかと。自分の道は自分で切り開く。それが今まで辿ってきた自分自身の生き様だと。
「生憎俺もリッカも、貴様みてぇな奴の美酒を地面にぶちまけることだ堪らなく爽快なのよ」
既に決めたことだ、中途半端はヤメにすると。戦うのだ、戦って彼女たちの下に帰るのだ。それが彼女たちと交わした契約であり、そして自分自身の決意と目標なのだ。それを反故にするなど『アイルランドの英雄』が聞いて呆れる。
「勝てねぇ?届かねぇ?――だからなんだ。そんな奴に挑むのが男ってもんだろ」
再び標的目がけて槍を構える。考えるのは一撃で相手の心臓にこの槍をぶち込む、それだけだ。
ギルガメッシュもクーの決意を汲み取ったのか、それとも僅かな慈悲を捨てたのか、恐らく後者だろう、背後に≪
「ならば散り際で我を楽しませよ、
轟と大気を震わせ、地を揺らして、それらの武具が一斉に飛来してくる。その速度は尋常ではない。判断するという時間すら必要とせずクーは後方へと跳躍した。元いた場所に着弾し、地面が爆発四散する。
こちらから攻めれば間違いなく負けると本能が告げる。その徹底的殲滅力を前に防戦を敷き、相手の疲弊や魔力切れを待つか――
幸いここはある程度場所も広く、逃げ回るにはうってつけだ。その上周囲は木々に囲まれ、射出されるある程度の武器は気に阻まれてしまう。地の利はこちらにあるのは明らかだ。
前方に飛ぶのは死を意味する。ならばひたすら後方に逃げようとするのを勘付かれないように後ろ、左右へと回避行動を繰り替えす。この際後方でなくても構わないとさえ思った程だ。
広い空間で直線的な弾幕攻撃を打ち落としながら下がるだけの簡単なお仕事、敵を倒すことはできないが、劣勢を強いられこそすれ、負けることはまずない。
森に身を隠すことはできたものの、木々は穿たれ、爆発し、爆炎が燃え移って業火となる。理解してはいたものの長居はできないようだ。ならばと地の利を活かし、木々を中継して宙を舞い、ひたすらギルガメッシュの背後を取らんと疾走する。
しかし爆風の発生源はなかなか距離を離さない。こちらの居場所を大まかに掴み、確信した状態で躊躇いなく穿っているのだろう、このままではいずれ追いつかれかねない。
もっと速く、もっと
このただ一振りの槍を最大限に生かすことができる自身の最大の武器は、何よりもその敏捷性にある。神速の突きで一撃の下に相手を倒すこともあれば、神速で打ち込む数多の手数で敵を攪乱し本命を確実に穿つこともできる。今回はその敏捷性を最大限、それ以上に活かして醜くも卑しくも敵の背後をつくことに全力を尽くすまでだ。そして次第に――
――爆発源はとうの向こう側にある。
太い木の幹を両足で捉え、進行方向と垂直に蹴り出す。伏角およそ二十度、速度を殺さない勢いで地面に接近し、そしてもう一度地面を蹴って加速する。まさに神速、凡人では視界に入れることすらままならないだろう。
槍を構え、直線で急接近する。ただ一蹴りで槍の間合いにギルガメッシュを入れることができる。その一撃の下にかの英雄王を地に伏せてみせる――!
「食らえ、英雄王!」
確実に一撃を叩き込むことができる間合い、これで勝利は確定した。
その真紅の槍が黄金の鎧を穿ち、突き抜け、人肉を食い破る感触をその手に伝え――
「――天の鎖よ」
――てこなかった。
「な――!?」
一瞬だった。相手がどれだけのやり手だろうと、この速度に反応できるタイミングではなかったはずだ。なのに何故――
「こいつはっ――!?」
何故両腕両足に黄金の鎖が巻き付いている!?
「まさか貴様、この我がその程度の小細工に翻弄されるとでも思ったか」
鎖の根を辿ると、そこにあったのは同じく黄金のカーテンだった。つまりそれが意味するのは、クーの奇襲作戦も、尋常ではない加速と敏捷性も全て見抜かれていたということになる。ただ武器を撒き散らすだけの戦法ではない。この男は、王の名に恥じない、戦い方というものを熟知していた。
ギルガメッシュは鎖に雁字搦めにされたクーを冷たい眼差しで捉え、そして≪
動けない的をみすみす外すような男ではない。既にクー・フーリンは、ギルガメッシュに触れることすらままならず敗北したのだ。
「――散れ」
ふざけているのかと言いたくなるくらいに高速で飛んできていたはずの武器が、やけにゆっくりに感じる。
ああ、これで終わるのかと。自分の生き方に、悔いなど一片たりともなかった。強いて言うなら、目の前の王の面を、一度でも歪ませることができたらと。心の中で、約束を果たせなかったことを謝りながら。
『アイルランドの英雄』、クー・フーリンの最期の一瞬、彼はそれを笑顔で迎えた。
なんというかもっとこう、緊迫感を持たせたい。表現の力って本当に大事だと思う。
次回、分割しなければ本章ラスト。その次から新章に突入しようと思います。