リッカ・グリーンウッド並びにクー・フーリンを捜索するために設置された捜査班の司令塔、管制部隊に一通の連絡が入る。ロンドン市内にの某所にて、逃亡犯が立て籠もっていたとされる住居を発見、現在警戒体勢をとり、危険がないことを確認し次第、内部に突入、犯人確保または証拠物品の回収に取り掛かるとのこと。相手は『八本槍』であることを通信の上で再確認させ、慎重に行動することを命令しておいた。
一方で、その連絡を受け取った現場の部隊長は、少しでも多くの情報を建物の外側から把握しようと部隊の人間に調査をさせていた。生命反応及び温度センサーにも反応はなく、既に捜査対象はここにはいないことが判明していた。
だがしかし、ここを隠れ家としていた以上、逃走先に関する何かしらの手掛かりを残している可能性も否めない。同時にトラップが設置されていることも警戒して、風見鶏を上位成績で卒業したカテゴリー3の魔法使いを参謀として配置、魔法による罠が設置されていないことを確認し、部隊に一斉突入を指示した。
銃声はない。やはり対象は既にここを捨てて逃走に移っているらしい。しかし、何故ここに勘付くことができたことを察知することができたのだろうか。『八本槍』の驚異の第六感と言われればそれまでだろうが、それではどうやって捕まえろと言うのか。
「しかしまぁ、不毛なものですね」
部隊長の隣に座っているのは、風見鶏を上位成績で卒業したエリート魔法使いで、カテゴリー3の称号を持つ優秀な魔法捜査官だ。その名もディーン・ハワード。
鋭く整った顔立ちは亜麻色の短い髪を一層美しく感じさせ、鋭利な瞳を遮蔽せんが如くかけられた眼鏡が知性を匂わせる。そもそも風見鶏のキャパシティを逸脱した魔法犯罪などそうそう起こるものでもないのでそこまで活躍の場面を見せたことはないのだが、一度魔術社会に反旗を翻したテロリストを一網打尽にしてみせた手際は高く評価されている。
「あんたも今回の事件のせいで縁談を破棄されたんだろう、済まないな」
「いえ、こちらも乗り気ではなかったものでして。ま、没落貴族とはいえあの家の術式魔法に関する技術や情報は確かに私たちの家にとって手に入れて損はない代物でしたけどね」
ディーンは家宅捜索のように部屋中をしらみつぶしに探し回られている薄汚れた建物を眺めて、水筒に用意されていた紅茶で口を潤した。そして浮かべる苦笑いに、部隊長は小さく呆れる。
「私は孤高のカトレアのあの事件、彼女がやったとは到底思えないんですよ」
しかし何を証明するにせよ、逃走した彼女を取り押さえて事実確認をしっかりと取らない以上、事件解決には至らない。そして今回の捜査に身を乗り出したのはそのためだ。部隊長はそこまで推測してみたが、敢えて口にはしなかった。
その時、マンツーマンでペアを組ませていた部隊の内の一組が駆け足で走り寄ってくる。その手には何か紙切れのようなものが掴んである。どうやら建物の中の寝室に隠されてあったものらしい。
部隊長は隊員からその紙を預かり、そこに書かれた文章に目を通す。そしてあまりに不可解なそれに眉を顰める。
「これは……何かの暗号みたいですね……」
隣から覗きこんできたディーンが耳元で呟く。
その文章にはあまりにも謎が多すぎた。文章の意図はもちろん、誰に宛てたものか、何を鍵とするか、そしてこれを残した意図も不明である。
「あまり公にはできないファクターですね。とりあえず非公式の情報として取り扱いましょう」
ディーンの提案に部隊長は頷き、管制部隊に通信を送った。
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清隆のシェルに、一通のテキストが届いた。何事かと思い用件を確認してみれば、相手はイアン・セルウェイだった。
彼からも連絡であれば、数日前に彼に託した頼みごとに関することだろう。リッカ・グリーンウッドとクー・フーリンの所在に関する情報を清隆たちに流す、というのがその内容だった。つまり、イアンは何かを掴んだのだ。
「やっぱ凄いよな」
性格はアレだが、実力はその自信に裏付けされたものであることはこれで自明なものとなった。清隆もその点については高く評価している。
清隆は急いで先日のメンバーにシェルで連絡を送り、昼食をとった後、二時頃に噴水前に集合することを指示した。
そのまま清隆は特に急ぐこともなく支度をし、フラワーズにでもいって軽く昼食をとろうと思っていたところを自分より早く支度を済ませて部屋まで駆けこんできた姫乃に引っ張られながらフラワーズまで直行、二人で談笑しながら食事をし、そのままその足で集合場所へと駆けつけた。
するとそこには、既に一人メンバーが訪れていた。セルウェイの貴公子、イアンである。傍らにはいつも通り瑠璃香も控えていた。
「よ、早いな」
「葛木か……僕は常に頂点だからな」
簡単に挨拶を交わしつつ、後ろの瑠璃香にも目礼をして、彼女が丁寧に頭を下げるのを見届ける。従者という者は誰もかれも礼儀正しいものだ。世界共通でそういうものなのかもしれないと清隆は思った。
「それで、大丈夫だったのか?」
「フン、尻尾を掴まれないように、使える伝手は最大限に利用させてもらったよ。上手く行き過ぎたのもあって、もし失敗しても僕が情報を流そうとしているとはばれなかっただろうね」
イアンが言うに、情報の入手は思った以上に上手く行ったらしい。そしてその自慢げな表情は、恐らく驚愕に値する情報を持ち合わせているに違いない。清隆の心は既に緊張に踊り狂っており、掌には汗がじんわりと滲んできていた。
暫くすると、サラとエトが、そしてそこから少しして耕助と四季が現れ、これで全員揃ったことになる。
「誰がどこで耳を傾けているか分からない。ここでは拙いだろうからどこかの教室で話し合おう」
イアンの提案で、一行は校舎へと足を運ぶ。サラの表情は若干不快げだったが、猫が威嚇するような目でイアンを睨みつけているのを、その隣でエトがどうどうと宥めているのは滑稽だった。
さて、A組の教室に入った一行は、教室の前列辺りに固まって座り、そしてそれぞれの視線は一斉にイアンの方へと向いた。
イアンはその視線に応えるように一度咳払いをし、そして左手に抱えていた紙封筒の封を開け、そして中から一枚の用紙を取り出した。
「これは……」
エトの呟きに、待ってましたとばかりにイアンは解説を始める。
「これはリッカ・グリーンウッド、クー・フーリン両名を捜索する小隊の内の一つが、彼らが隠れ家としていたとされる建物で発見してきた証拠資料のコピーだ」
そしてそこに書かれてあったのは、妙な暗号だった。
――災禍の妖精、無垢の申し子をその背に護り、一陣の風、災禍を払いて悠久を下賜す
――魔滅の断罪者、赤枝の渦に飲み込まれ、
――逃げた薔薇は巨悪の刃に晒され、悪鬼羅刹は巨悪を崩す
三つの文章、まるでどこぞの碑文に残された文章みたいだったが、恐らくこれはクー・フーリン、あるいはリッカ・グリーンウッドが残した文章だろう。
誰もが腕を組みながら考えてみるも、さっぱり見当がつかない。
「僕もこれを見て考えてはみたんだが、生憎手掛かりが少なすぎる」
情報を入手したイアンも、まるで意味が分からなかったらしい。
しかしそこで、清隆がおもむろに手を上げた。何か言いたいことがあるらしい。
清隆が全員の視線を浴びたところで、口を開き解釈を説明してみた。
「多分だけど、この文章で何回も出てくる主語、『悪鬼羅刹』と『一陣の風』は、それぞれクーさんとリッカさんを表してるんじゃないかと思うんだ」
「その根拠は?」
清隆の発言に、サラがその根拠の説明を求める。
「まず、クーさんには、本当か嘘かも分からない、それこそ鬼とか悪魔とか言われるような、『アイルランドの英雄』としての伝説染みた噂がある。だからこそ『悪鬼羅刹』はクーさんだと思った。そして『一陣の風』だけど、ちょっと小耳に挟んだだけで実際のところはどうか分からないんだけど、リッカさんは風を操る魔法が得意らしいんだ。だから『一陣の風』はリッカさんだと考えたんだけど」
そうなるとそれぞれの文は、『リッカが、災禍を払って無垢の申し子を護る災禍の妖精に悠久を下した』、『魔滅の断罪者が赤枝の渦に飲み込まれ、傷だらけになったクーがリッカの魔法にその身を焦がした』、そして『逃げた薔薇が巨悪の刃に晒されるところを、クーがその巨悪を崩した』という解釈になる。しかしそれだけでは、主語が分かっただけで何が何だかさっぱり分からない。
「なぁ清隆」
その時神妙な顔で声をかけてきたのは、江戸川耕助だった。何か気が付いたことがあるらしく、紙を見つめては集中していた。
「この薔薇ってさ、以前にも出てきたよな?生徒会選挙の時の暗号で」
耕助が言っているのは、清隆が杉並から試練として出された暗号、『薔薇に頼み事をされたなら、鼻にソーセージをつけてやれ』のことだった。ここにおける『薔薇』が、再びこの暗号に登場していることを言いたいのだろう。
「だとしたらさ、この『薔薇』って、前みたいに英国王室のことじゃないのか?」
清隆は目を見張った。耕助のことを、どうしようもない奴という認識で見ていたが、どうやら探偵としての才能はまだ眠っていたらしい。
しかしやはり、それでもまだ全然正解には程遠い。最早自分たちでは解読できそうにないと思ったその時だった。
「お兄さんたちのことなら詳しい人がいるよ。来れるかどうかは分からないけど、ちょっと呼んでみるね」
半分諦めの表情に苦笑いを浮かべて、エトは懐からシェルを取り出してテキストを作成し始める。
「その人って、ジルさん?」
清隆の確認に、エトは温かかくて優しい笑顔を浮かべて頷いた。
暫く返信に時間がかかるので、それまでは自分たちの力で進めてみようと提案してみたその時、意外に早くジルはこの教室に駆けつけてみせた。
「あ、みんなこんにちは」
相変わらず落ち着いた雰囲気で挨拶するジルに、全員で挨拶を返す。
どうやら丁度先程まで生徒会の仕事を片付け、終了したところでエトからのシェルのメッセージに目を通し、ここに来たらしい。
ジルはエトから暗号の書かれた紙を受け取ると、一字一句を吟味するように目を通していく。そして――
「ああ、これは確かに私にしか分からないよ……」
そう呟いた。
その文章の意図するところを察することができたのか、ジルははらはらと涙を零し、しかし喜びに満ちた表情でその暗号の紙を抱きかかえてみせた。
「全部、分かったの?」
エトがそう聞くと、ジルはゆっくりと頷いて見せた。
「これ全部、私たちの思い出だもん」
「それじゃあ――」
「まず最初、一番上の文は、とある町で、その町一つが何かの魔法に支配されていたの。その魔法の正体は、小さな子供たちを養うために、強行手段として人々に混乱を植え付ける魔法で町民に奇行を促させ、それに乗じて泥棒を繰り返す魔法使いの魔法だった。そしてそれを戒め、改善するためにリッカと私が協力して、その町に、町が経営する孤児院を設立したの」
それが一つ目の解答。最早記憶に薄い過去の話となるだろうが、子供を守るために災いを町に振りかけたアリナ・レントンがリッカたちに敗れ、そしてその後リッカたちの協力によって孤児院が設立され、アリナ及び子供たちの半永久的な平和が約束された記憶だった。『災禍の妖精』は町に魔法をかけたアリナ、『無垢の申し子』は彼女の守った子供たち、そして『悠久』は孤児院の平和の象徴という訳だった。
「そして二つ目は、クーさんと、私とリッカの初めての出会い。昔に魔女狩りっていうのがあってね、私はリッカの離れていた時それに巻き込まれて殺されそうになったの。それをクーさんに助けてもらったんだけど、後から駆けつけたリッカはそのことを知らないで、武器を持ってたクーさんに風の攻撃魔法をぶつけて倒しちゃった」
二つ目の解答。魔女狩りの集団が町を荒らしていたのを、通りすがりの戦士、クー・フーリンの怒りに触れ、彼の槍の餌食となる。しかし駆けつけてきたリッカはその事実を知らず、魔女狩りの連中と勘違いして風魔法で彼を吹き飛ばしてみせた。『魔滅の断罪者』は魔女狩りの集団、『赤枝の渦』は『悪鬼羅刹』と同様クー・フーリン、または彼の振るう真紅の槍を指すものだった。ちなみにクーの生涯において、誰かに倒された記憶は、これ以外の一度もなく、リッカは最初で最後の『悪鬼羅刹』の討伐者となる。
「そして最後、私たちが旅に出ている途中、その当時の女王陛下の娘さんと仲良くなったんだ。ちょっと色々事情があったんだけどね。でもその時にその娘が逃げてきたのをどこかで知った悪党たちに攫われてね、手をこまねいていた私たちの間に入って、瞬く間に事件を解決してしまったのがクーさんだった」
三つ目の解答。現女王陛下にして、前女王陛下の娘に当たるエリザベスがふとした切欠でクーに捕まえられ、リッカたちの前に姿を現す。その目的はこの目で世界を見て、この足で世界を歩きたいというものだった。いつの間にか仲良くなった三人でショッピングに出ていたところをエリザベスは誘拐されて、それをクーに助けてもらった経験がある。『逃げた薔薇』は当時のエリザベス、『巨悪の刃』は犯人グループのことを指していた。
そして、ここまできて、正解はまだ出ていない。これではまだ、暗号を翻訳したに過ぎないのだ。重要な要素は、ここから先にある。
そしてその鍵を持っていたのは、たった一人の小さな勇者だった。
「エトくん、言ってたよね。クーさんが、また始まりの地からやり直したいって言ってたって」
「えっ、うん……」
「だから、この三つの暗号の内、一つ目と三つ目はただのダミーでしかないんだ。正解の書かれてある文章は、私たちの始まりの地の思い出が書かれた二つ目の文章で、クーさんたちは、必ずそこにいる……!」
紙を放り投げて、ジルはすぐにでも教室を飛び出さんと足を動かすが、しかし事情を知らない清隆に呼び止められる。
「ちょっ、待ってください!リッカさんたちは、一体どこにいるんですか?」
清隆の言葉に足を止めたジルは、清隆の問いには答えず、ただ黙って首を左右に振った。
これだけは教えられないと。何か深い思い入れがあるのか、それとも――
「これはね、クーさんが、私にしか解けないように考え出した暗号なんだ。私とリッカとクーさんの三人の共有する思い出の中に鍵がある、そんな暗号。クーさんは私にしか居場所を教えるつもりはないだろうし、だったら私もみんなに居場所を教えるわけにはいかない」
その表情は、ほんわかとしたいつもの優しい笑みとは違い、それこそカテゴリー5、孤高のカトレアとしてのリッカ・グリーンウッドと同じような真剣で鋭い瞳をまっすぐにこちらに向けていた。清隆はそこに、生半可ではない覚悟と決意を見る。
「でもね、私たちは逃げるつもりはないよ。きっとまた戻ってくる。キミたちが卒業するまではちょっと難しいかもしれないけど、三人できっと、みんなの立派な姿を見届けに来る」
「ジルさん……」
ただ一人、エトには理解できていた。彼女の想いが。彼女の信念が。そして彼女たちにある本当の絆が。だから彼女の旅立ちの決意に微笑みかける。今生の別れなどでは決してない。だから、待つのではない。追い付かなければならないのだ。いつか彼ら、彼女らの隣で戦っていけるように。
「いつか、そこに行くよ。僕はお兄さんの一番弟子なんだから、ジルさんやリッカさんなんか手が届かないくらい凄い人になってみせるよ」
「うん、そうなってくれると、シャルルも嬉しいだろうし、私たちも安心できるかな」
そしてジルは、この学園に置いてきた未練を整理するために瞳を閉じる。瞼の裏には、この学園で体験したたくさんの思い出が駆け足で巡っている。その全てにけりをつけて。大切なものだけそっと胸に仕舞って。
そしてかっと目を開けて、そして力強い足取りで教室を後にする。
「清隆くん、巴を、そしてシャルルを支えてあげて。大切な友達を、よろしくお願いします」
振り返らないように、彼の顔を見ることなく、失礼だろうとそんなことはお構いなく、そうお願いをする。
しかし清隆からは何の不満も感じない。きっとリッカからお願い事をされた時のような、仕方ないなとでも言うような苦笑いを浮かべているのだろう。
「――任されました。気を付けて、ジルさん」
その言葉を信頼して、安心して、彼らに見られないように静かに目尻から零れ落ちようとする涙を拭って、廊下を走り去っていく。
そして彼らの待っている、約束のあの場所へ――
折角みんなが頭を抱えて知恵を絞って答えを導き出そうと頑張ったのに途中参加の一人にあっさり解かれちゃう暗号カワイソス。