ロンドン某所、リッカ・グリーンウッドは、魔法使いが重罪を犯したと思われる時にその罪の存否、そして有罪とされた時の処分について審議される、まるで裁判を行う法廷のような場所へと連れてこられていた。
外部から見ればごく一般のビジネスビルだが、エントランスを通り抜けたあたりにある大きな階段の裏から続く隠し通路を通り、その先にある長い階段を下りていったところに広がっているこの空間は、風見鶏の講堂と同等かそれ以上の広さを有し、風見鶏の生徒を全員動員して寛がせてもまだ十分なスペースを余すくらいである。
リッカから見て正面奥に、三人程の審判官が一般の社会の裁判でも用いられるような法服を身に纏いこちらを見据えている。右側には恐らく意見者、今回のリッカの失態がいかなるものであるかを議論するために召集された人物が座っており、中には高いカテゴリーを持ち、名をそれなりに知られている魔法使いや、また端には『八本槍』も同席している。盗まれた本の所有者であったアルトリア・パーシー、魔法的考古学及び歴史学に精通しているアデル・アレクサンダー、そしてリッカの知り合いであるところのクー・フーリンも出席している。一応スーツを着込んでいるが、息苦しいのか襟元を大分崩している。なお、アデルと、アルトリアとクーの間は、席が二つほど開いていた。
「私まで避ける必要はないと思うのですが……」
「よせ、馬鹿が
クーの明らかにアデルに聞こえるように言った小声に、確かにアデルは反応する。
「その馬鹿や王室の方々に多大な迷惑をかけ、魔法使いの信頼を失墜させるような行いをした者を侍らせている、飼い犬の躾も満足にできない貴様は差し詰め山猿といったところか」
クーを罵る上でリッカを侮辱し、家畜と同じ扱いをしたアデルをクーは睨みつける。次口を開けば殺すぞと言わんばかりに。
アデルはその視線を意に介することなく不敵な笑みを浮かべてクーから視線を外した。
彼らからすればほんの些細な口喧嘩である。しかし周りの傍聴人、審判官、そしてリッカからすれば、彼らのその口喧嘩は大戦の渦中にいるも同然の気分だった。下手すれば本当にここが焼野原になりかねない。
そして準備が整い、審判官の宣言の下、審判が開始される。
彼が眼前に何やら紙を広げ、そこに書かれてある文章を読み上げていく。その内容は、リッカ・グリーンウッドが≪女王の鐘≫による依頼によって手にするに至った、パーシー家所有の図書館の蔵書である指定文書を届け先の研究チームの元に届けることなく自らの手で隠蔽、盗難したということ。読み上げた後の審判官の確認に、リッカは否認した。
リッカの否認の言葉に法廷中が騒めくが、審判官は動揺することなく進めていく。
審判官がリッカに対し、今の条文の訂正を許可した後、リッカは深呼吸をして自分が目にした事実を包み隠さず話し始めた。
スーツケースを手錠と繋いで物理的、魔法的に厳重にロックし、肌身離さず持ち歩いていたこと、シャワーを浴びる際には衣服の方をテレポートさせ、手錠及びスーツケースには何の干渉もしていないこと。手錠もスーツケースも防水性能を持っているため、シャワーによる温水による異常はなかったこと。就寝する際も事前に厳重なロックを確認したこと。
そしてリッカの主張を参考に、意見者からの声が上がる。
まずは、スーツケースに入っていた書類について。所有者であったアルトリア・パーシーが意見者として口を開く。
「確かにそこのリッカ・グリーンウッドに、王室を介して運搬を依頼したスーツケースに入っていたのは、魔法による永久機関を構築する仮説を記述したもので間違いありません。成功例はなく、あくまで不完全な理論の域を出ませんが、あるいは何者かがこの文献を切欠に永久機関の構築に成功してしまえば、魔法社会のパワーバランスも大きく変更しかねません」
最悪、その技術が悪用されてしまえば、王室は一瞬にしてその力を失いかねない。そして、いくら『八本槍』であろうと有限であり、無限という神の次元に対して勝利しうる札など持ち合わせていないのだ。
今この審判において直面している状況というのは、そこまでのことなのだ。
続いて口を開いたのは、アデル・アレクサンダーだった。
「リッカ・グリーンウッドの記述した論文はいくつか目を通したことがあるが、その内容のほとんどが『花の開花状態の永続的維持』に関するものだった。今回盗まれた永久機関に関する文献の記述と彼女の研究内容には密接な関係があり、彼女がパーシーの文献を盗難、隠蔽する動機に十分なり得ると推測できる」
そこでリッカはハッとし、すぐさま反論を主張する。
「確かに私の研究内容は永久機関に関わる内容で間違いありません。しかし目を通していただければお分かりいただけると思いますが、私の研究はすなわち私の親友であるジル・ハサウェイの研究、私一人の独断で勝手に研究を推し進めるのは共同研究者に対する冒涜に当たります」
確かにリッカにとって、スーツケースの中にあったであろう文献の内容は喉から手が出る程欲しいものであった。アデルの言い分は客観的に正論だろう。だからこそ悔しさに歯噛みする。何故人間は、主観的な感情を主張するための根拠を提示するのが限りなく難しいのだろうかと。
「そして恐らくそのスーツケースの中にある文献の内容は私たちが追い求めている答えかもしれない。それを与えられたのでは意味がありません。私たちは、私たちが試行錯誤して手に入れた結論にこそ、価値を見出しているつもりです。その意志に誓って、そして共同研究者であり、親友であるジル・ハサウェイに誓って、私はスーツケースを盗難、隠蔽などしていません」
リッカの魂のこもる主張に、しかしアデルは短く言い返した。
「貴様の言い分は理解した。しかしその上で言わせてもらおう。その主張に、明確な根拠は存在しない」
アデルの主張はもっともだが、しかしそれに関して言えば、リッカにも手は残されている。
「でしたら、私が盗難、隠蔽したとされる明確な証拠も存在しません。アレクサンダー卿の主張は、私が行為を起こしたとされる動機と、単純な状況証拠のみで成立しているはずです」
成程、とアデルは小さく笑みを浮かべて椅子の背もたれに体重を預ける。
リッカ・グリーンウッド、しっかりと現状を把握している、頭の回る小娘である――アデルは彼女をそう評する。
だがしかし――それでは自身を救うことなどできはしない。
「――仮に、の話をしよう」
おもむろに、アデルは自分の椅子から立ち上がり、一同を見渡した。
その瞳が抱くのは、自信と余裕。誰の目から見ても、彼がリッカを断罪しようとしている様に見えないことはなかった。
「リッカ・グリーンウッドが文献を盗難したことが事実ではなかったとしよう。すれば、自然と別の第三者によって盗難されたことになる。そして手掛かりは一切なし、真相は闇の中だ。もしどこかでスーツケースのロックが破られ、中の文献に書かれてあるヒントから永久機関の技術を完成させ悪用する輩が現れれば――国家転覆は免れない」
そして、その鋭い視線は、リッカの罪を糾弾するように彼女を射抜いた。
「この女は、それだけ重大な罪を犯したのだ。この現政権はもちろん、現在の魔法社会の構造に対して不満を抱くテロリストも数えられないほどいる。万が一その技術を共有しどちらかあるいは双方を潰しに襲撃を受けるようなことがあれば、たとえ『八本槍』とは言え、太刀打ちできまい」
そして、リッカを突き刺していた視線を一旦引き抜き、そのまま審判官を睨む。
自分の言葉を一言一句聞き逃すことは許さないとばかりに、その視線には迫力と緊張感が植え込まれていた。
「なぜ、文献が盗まれるようなことがあったか?それは紛れもなく、そこのリッカ・グリーンウッドの不注意によるものだ。スーツケースの中に入っているものが国家レベルで貴重なものであることは≪女王の鐘≫のシステム上説明を受けていたはずだ。その上でこいつは夜に睡眠をとったのだ。あろうことか、賊が最も活発になる時間帯にのうのうと休息をとっていたのだ!本来であれば、その一晩、周囲に警戒して一夜を明かすのが正しい行いだったはずだ。――クー・フーリン、貴様ももちろんそう思うだろう」
突如話がクーに振られる。相変わらず雑な姿勢のままで特に動じることもなく、視線だけアデルに向けた。
「ああ、確かに俺なら間違いなく起きて過ごしたね」
クーの肯定の言葉に、リッカは絶句した。
喧嘩は多々あろうとも、根本的な、悠久の時を経て積み上げられてきた絆がそこにあると信じていたリッカにとって、彼の裏切り同然のその一言はリッカを失望させ、どん底に突き落とした。
「だろう、つまりこいつは間違っ――」
「――俺の場合なら、な」
何、と小さく呟いて、アデルは苛立ち交じりにクーを一瞥する。
意味深な同じ言葉での発言に、リッカはハッと顔を上げる。クーはまだ、リッカを捨てたわけではなかった。
「リッカ・グリーンウッドはその日、前日の生徒会役員選挙及びクリスマスパーティーの事後処理に追われ、大量の書類作業を終えた後、本来ならばそこで休暇になったはずのものを≪女王の依頼≫で呼び出された。肉体的、精神的疲労の後で交通機関も都合よく使えない長旅をすることになった奴が、その日寝ずの番をしろだと?そこにいるのは貧弱なただの女だ。カテゴリー5だろうが孤高のカトレアだろうが身体はただの弱っちい一般人も同然だ」
「だが根本は変わらない!要はグリーンウッドの不注意が、今回の事件を招いたことに変わりはないのだ!そしてそれが切欠で国家が、魔法社会が瓦解するかもしれんのだ!なればこそ、私は一つの提案をここに進言する!」
声を荒げ、怒りのままに怒鳴り散らすアデルは、最後に審判員を見る。
彼は、自分の求める刑罰を、この部屋中に響くような、地を揺らし、大気を震わすような大声で、審判員に告げる。
「――リッカ・グリーンウッド、今回の事件の全責任を取り、全魔法的権限の剥奪、魔法に関する記憶を全て消去し、一般人として、最低限の生活をするための財産を保障した上で魔法社会から隔絶する!」
今回の事件はリッカ・グリーンウッドの、そして魔法使いの信頼を大きく失墜させるものである。その罪の償いの意図と、魔法社会の総意としての責任として、彼女を斬り捨て二度と魔法に関われないようにする、ということだ。『八本槍』であるアデルが本気になればリッカの首を飛ばすのも容易だった。命だけは助かり、生活の保障も受けられるのなら、十分に軽い刑だと言える。
しかし、当人であるリッカの頭は真っ白になっていた。
魔法に関する記憶が全て消去されてしまえば、ジルと共に切磋琢磨し、魔法の技術を高め合い、旅をして、そしてクーと出会い、魔女狩りから親友の命を救ってもらい、また自身の命すら守ってもらい、そうしてたくさん積み上げてきた思い出が、全て無に帰してしまうのだ。そんな未来に、果たして何が待っているのだろうか。
誰もが、事の重大さを理解している。だからこそ、全体の利益を守るためには、ここでリッカを切る選択しか残されていない。真犯人に関する情報をリッカが持ち合わせてない以上、彼女の記憶を消すことに問題はないし、仮に彼女が犯人だったとすれば、これ以上の技術の悪用を防ぐことができる。そこまで考えて、アルトリアも反対できずに押し黙っていた。
そして、誰も口を開かなくなる。最後のアデルの提案が、現時点で最も全てを円滑に進める方法であることを何となくここにいる全員が理解していた。多数決を取れば、圧倒的に彼の意見に賛成を示す者は多く、リッカの敗北は決定的である。
そして、審判官が状況を見極め、最終判決を言い渡す。
「リッカ・グリーンウッド、貴女をアデル・アレクサンダーの提案に従い、全魔法的権限の剥奪及び、魔法に関する全ての記憶を放棄させる」
味方などいない――力が入らなくなり、膝から崩れ落ち――
――轟ッ!!!
崩れ落ちてしまう直前に、突如轟音が鳴り響く。地面が揺れ、耐えきれずにリッカは尻餅をついた。見渡すと、一ヶ所から炎が揺らめき、黒煙が立ち上っていた。
大爆発。立て続けに二発目、三発目と爆発は連鎖する。奇襲だろうか。相手はテロリストか、あるいは――
ふと、誰かに腕を強く掴まれて引っ張られる。力任せなその腕に体を持っていかれながら、その腕の主を見る。煙に曇って、顔がよく見えない、が、リッカはそれが誰か、分かっているような気がした。
「一世一代の大脱出ショーだ」
リッカの耳に届いたのは、聞き慣れた声。その声に、楽しそうなその声に安心して、リッカは彼に体を預ける。肩と膝を抱えられながら、リッカは空を舞い、翔けた。
それにしても、ここは地下ではなかったのか。間違いなく自分たちは地上のエントランスから階段を下りたはずだ。まさか、階段の途中、あるいはその先でいつの間にかワープゲートの類を通過していたのだろうか。
「やっぱり、
残念がる言葉とは裏腹に、彼女は涙を浮かべて笑っていた。
粗野で野蛮で武骨な戦士であるこの男が、この人時だけは、どこぞの白馬の王子様だと不本意ながらに思えて仕方がなかった。
「温い空気に飽きただけだ。テメェが地獄に落ちたのなら、巻き添えくらって一緒に地獄に落ちた方が自分のためだ。人生のターニングポイントってやつだな」
リッカはクーの胸に抱かれながら、その生き生きとした真紅の双眸を見上げる。
イギリス王室の騎士として、『八本槍』の名の下尽力してきた彼だったが、リッカ同様、既に彼も国家に盾突いた者、全ての権利を奪われ、国家に反逆した罪で追われることになるだろう。しかしそれでも、いや、だからこそその瞳は風見鶏に埋もれていた時以上に生き生きしていたのかもしれない。
「私がミスってこんなことになって、あなたまで巻き込んで……」
「ハッ、笑わせんな。誰がテメェのために身を犠牲にした、だ?ちげーよ、こっちはわざわざ
何も分かっていないという風にリッカを小馬鹿にしながら、それでいて手品に成功したような子供のような、意地悪で楽しそうな笑みを浮かべてそう言う。
建物の屋根を身軽に飛びながら、ものすごい速度で移動している、にも拘らず、リッカにはその反動が一切かかっていない。クーが配慮していることは一目瞭然で、どうあっても悪人にはなり切れない彼に、心が温かくなった。
「さて、どうするよ?」
空を飛翔しながら、突然クーはリッカに質問を投げかけた。
意図が分からず、リッカは間抜けた声を上げてクーを見上げる。
「テメェは全てを失った。俺も全てを失った。おまけに二人とも反逆者として追われる身だ。最悪『八本槍』の連中と相対する日も遠からずあると来た」
つまり、今の二人は比喩でもなく冗談でもなく、事実世界中を敵に回して逃げ延びているも同然ということである。
そんな事実を突きつけられてなお、リッカは絶望することなく焦り慌てることなくクーに微笑み返した。
「そうね、随分と昔のことのような気もするけど、久々に旅にでも出てみましょうか」
「またそれはスリリングかつエキサイティングな提案だな。命懸けのぶらり旅たぁ随分と粋な発想じゃねーか」
ふと背後を確認すると、火を噴いていたであろうあの建物は既にと置く小さくなっていた。二人は並の車以上の速度で飛び回っており、追手も追いついていないようだ。
未練などいくらでもある。エリザベスの手伝いを最後までしてあげられなかったこと。予科一年A組の生徒たちの面倒を最後まで見ることができなかったこと。シャルルと巴に、心配をかけたまま出てきてしまったこと。そして。
「ジルは、何て言うだろう……?」
「それについては考えてある。手はこっちで打っておくから、後はあいつがどうしたいかだ」
「そう、ね」
かつてリッカたちが出会い、共に旅してきたのは、リッカとジルとクー、いつも三人だった。
今はその一人、ジルが欠けている。リッカも、本当ならジルも一緒に二度目の長い旅に連れていきたい。しかしそれが命を、そして積み上げてきたものを
それでも、きっと――
「最後まで責任持って守り抜いてよね、史上最強の英雄様♪」
「ケッ、守る云々は置いといて、噛みついてくる奴は一人残らずブッ倒す、それだけだ」
どちらの瞳にも、後悔の念など微塵も感じさせない、強い思いが宿っていた。
よくよく考えたら、今の状況かなりヤバいです。なのに笑ってられる二人の肝っ玉の太さよ。
後はジルと合流して本章の最終決戦へ。