ついぞ杉並は、生徒会役員の手によって拘束することはおろか、その他の非公式新聞部と呼ばれる組織に所属している風見鶏の生徒を一人も取り締まることができなかった。
そもそも発見できなかった、発見できたとしても、証拠不十分で逃げられた、といった感じで、現行犯で捕らえることはかなわなかったったのだ。
唯一彼らが成したことといえば、作動したと認識されたタイミングでリモコンを所持していたとされるクー・フーリンを誤認で攻撃を加え、挙げ句いつものように病院送りにしてしまったことだけだった。とはいってもまた一日も経たないうちに完全復活して戻ってくるのが彼なのだが。
以外にもクーは、今回は流石にブチ切れると思われていたのが、案外あっさりとリッカたちを許したようだ。というよりむしろ、何故か逆に気まずそうな表情でリッカに謝罪したのが彼だった。
「いやまぁ、俺だって物騒なモン持ってたのは確かだし、あいつのやることなすこと考えるならそれくらいは考慮しとくべきだった。それと、その……だな……」
既に包帯も(邪魔だったので病院の許可なしに)とったクーが帰ってきて早々に謝罪してくるのに対して、リッカは気味の悪さとついでに困惑を覚えて口を開けっ放しにして立ち尽くしているが、そんな彼女を前に、クーは視線を逸らしながら更に言葉を続ける。
「不可抗力とはいえ、だな、女の胸を触ったってのは、いくらなんでも失礼だったってのは、分かってるつもりだっての……」
あれれ~おかしいぞ~、と思ったのはきっとジルだけではないに違いない。生徒会室にいた誰もが、この人がこんなことでシュンとして素直に謝るような男ではないことは分かり切っていたはずだ。本来ならいつものようにリッカに対して逆切れの一つや二つあってしかるべきであろう。
そしてそんな感じでクーにシリアスな感じで謝られると、流石のリッカも怒るに怒れなくなる。
「それって、あんたが反省してる、ってことでいいわよね?」
「反省っつーか、なんつーか」
本来の誠意の見せ方といえば、これで間違いないのだが、何か釈然としない。何かが間違っている、そう、違和感。
この男に謝られるというのがここまで気分が悪くて吐き気を催すものだったとは思いもしなかった。それは単純に、この男の本来の性格が、傲慢不遜で天上天下唯我独尊なものだったからだ。そしてリッカもジルも、そんな彼に好意を寄せていたのだから。
「いや、別に好きってわけじゃないけど――」
「なんか言ったか?」
「い、いえ、何も」
ぼそっと呟いただけの言葉が、案外簡単にクーにキャッチされてしまった。
慌てて否定するリッカの頬はほんのり紅く。
そんなリッカを見て、ジルはただ苦笑いを浮かべるだけだった。
「まぁ謝ったんだから許すのが筋なんでしょうけど、条件一つ」
桃色思考を振り切ったリッカは、いつものような天真爛漫な微笑みを浮かべ、ビシッとクーの鼻先に向かって人差し指を伸ばす。
その行動に、クーは一歩後ずさる。彼女の指に反応したわけではない。むしろ彼女の発するエネルギーのようなものに気圧されただけだ。
何故そんなものに気圧された――クーの思考に疑問が残る。
「今日、生徒会の仕事が終わったら、ジルと三人でリゾート島にショッピングよ!」
クーの鼻先に突き付けた指先を、ここからでは見えないリゾート島の方へと向ける。
しかしその勢いと元気のあるリッカの言動は、巴の一声によって引っ込んでしまった。
「狸の皮算用をするのもいいが、せめて獲ってからにしろ」
何かしらの紙を丸めて棒状にしたものを、リッカの机の上の書類に何度も軽く叩きつけている。
片付けの苦手なリッカの机の上は購買で調達したであろうパンの包装紙やら袋やらで溢れ返っており、その僅かな隙間にリッカのノルマであるところの書類が積み重なっていた。
思考停止したリッカは明後日の方向に指を指しながら青ざめ、そのまま肩を下ろす。
「こればっかりは仕方ないよねー」
と、脇から仕事をしながら口を挟むのは生徒会長のシャルル。
妙に浮ついているかと思えば、その隣に清隆を座らせて書類作業を手伝わせていた。生徒会役員に実質的に就任するのは新学期が始まってからで、生徒会役員選挙及びクリスマスパーティーが終わって冬休みへと突入したこの時、まだ清隆は生徒会に属しているわけではないのだが。恐らく、シャルルが、清隆と一緒にいたいから、『生徒会に入る前に一通りの仕事を教えてあげる』などと言って清隆を誘い、それに乗って清隆もホイホイ生徒会室に来てしまったのだろう。
二人の関係を見るに、二人の間で明確に付き合っていると断定はできないような、歯がゆい関係ではあるが、恐らくどちらからもまだ告白はしていないのだろう。
「えっと、こういう書類に不備があった場合ってどうするんですか?」
「ああ、そういう場合は一旦選り分けておいて、あそこの棚の一番下に纏めて保存しておいて、翌日、各委員会のポストに投函しておくの」
明日も休みだから今度は新学期に纏めてだけどね、とにこやかに付け加えて。
シャルルたちは何やら二人でお楽しみのようなので全員で視野に入れないようにした。
とりあえずクーとジルで、ごねるリッカを書類の山の前に、椅子に座らせて強引にペンを握らせる。
「ったく、今日くらいは手伝ってやるから、さっさとしろ」
「あれ、クーさん、今日はやけにリッカに優しいね?」
柄にもない優しい言葉をリッカにかけたクーに対して、ジルは意地悪な笑みを浮かべて意味深に囁く。
クーの表情にさほど変化はないものの、若干顔を紅くしているのが見て取れたため、それなりに動揺はしたということか。
「うるせぇ、ジルも手伝えよ」
「勿論だよっ」
リッカの前の山のような書類の上から三分の一くらいの量を両腕に抱え、そのまま跳ねるように踵を返した。半回転すると同時に本科生の制服のスカートがふわりと舞う。
妙に嬉しそうなジルを一瞥して、クーも些細ながらリッカの書類を一部ブン取り、作業をこなしていく。
そしてしばらく、時間がかかると思われた書類の整理は、意外と早く終わってしまった。というのも、いつもはこういうのを『かったるい』と面倒臭がるリッカが今日に限ってはそれを一言も発しなかったのだ。傍から巴がニヤニヤしていたがその意図をクーは知らない。
そして、作業が終われば、リッカの本日の仕事は終了となる。ということで――
「はぁ~終わったぁ~!かったるい仕事をさっさと片付けたんだから、悔いのないように遊びに行くわよ!」
勢い良く立ち上がって気持ちよく背伸びをしながら、かといって言葉とは裏腹に疲れた表情を表に出すこともなく笑顔を輝かせるリッカ。
リッカが仕事を終わらせる前に手伝っていた分の仕事を終わらせていたクーとジルの腕を掴んで引っ張り、生徒会室を後にしようとして――
――リッカのシェルが懐で振動した。
「うっそぉ~、しかも≪女王の鐘≫もなっちゃってるし……」
リッカ以外の誰一人として金の音色は聞こえない、ということは届いたミッションはリッカだけに依頼されたものとなる。シェルに届いたテキストも恐らく王室からの依頼内容だろう。
ぶっちゃけ、折角早めに仕事を終わらせて楽しみにしていたショッピングは、あえなく瓦解してしまったということだ。
精神的に参っているであろう状態で≪女王の鐘≫による依頼、クーから見てもその落胆っぷりからそろそろ過労死するのではないかと不安を覚えるくらいである。
シェルに届いたテキストを確認し終えたリッカは大きく溜息を吐く。これには流石の巴も同情を禁じ得ない。
「王室の依頼は最優先事項だろ。また今度遊びくらいは付き合ってやるから、今は鞭打って頑張って来い」
「ま、頑張るって言っても重要物の運搬の依頼らしいんだけどね」
約束よ、と弱々しい口調でクーに言いながら、互いに拳をコンとぶつけ合う。喧嘩(という名の一方的爆破)が絶えないものの、そんなもので絆が壊れてしまう程伊達に長く生死の境を共にしていない。
リッカは疲れたままの足取りで、トボトボと生徒会室を去っていった。
――その一歩一歩が、悪夢への道を踏みしめていることも知らずに。
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二日後の朝、クーはパーシー家の図書館へと足を運んでいた。
理由は至極単純、彼女から図書館の整理を手伝ってほしい、とのテキストをシェルで受け取ったからである。
相変わらず無駄に広いフロアを奥に抜け、関係者以外立ち入り禁止の札がかけられてあるドアをノック、中からスタッフが現れるのと同時に、アルトリア・パーシーに用件があることを伝え中に入れてもらう。そのまま奥へと進むと、円形のテーブルが規則的に並べられたラウンジが視界に広がり、その一番奥で目的の人物を見つける。その人物は椅子に座って何やら本を読んでいた。
青を基調としたドレスを身に纏った、金髪碧眼の美少女。物静かではあるが、正義感が強く、王室に対する忠誠心も立派である。女王陛下からも『八本槍』を纏め指揮する者として一目置いており、その伝説的魅力から『騎士王』と呼ばれる魔導騎士。その名もアルトリア・パーシー。
彼女もこちらに気が付き、開いていた本を畳んで立ち上がる。そしてその整った顔を微笑ませてクーの挨拶に応じる。
クーは、彼女が何の本を読んでいたか多少気になったが、彼女もパーシー家の一族であることから、その血筋と共に継承されるとある性格から考えて、何となく予想がついてしまった。多分アーサー王に関する文献なのだろうと。
「今日来てもらったのは、いつものことですが、少し書物の整理を手伝っていただきたいということで――」
この言葉も何度聞いてきたことか、いい加減耳に胼胝ができるぞと視線で彼女に文句を言うと、すぐに悟って咳払いをし、話を続ける。
「――風見鶏には既に連絡が通っているでしょう。パーシー家の持出禁止書物に認定されている文献を、とある大きな研究チームが特別発注してきたので、風見鶏と王室に検閲を依頼し、そして≪女王の鐘≫を通して、カテゴリー5、リッカ・グリーンウッドに運搬を依頼しました」
つまり一昨日リッカが≪女王の鐘≫で受けたミッションは、超重要特別認定文書を、抜かりなく研究チームに届けることであり、これは当然表社会の運搬会社に依頼すべきものではなく、魔法使いの社会でかなりの信頼を得ている者である、即ちカテゴリー5として名実相伴った上でフットワークも利くリッカが運搬することが最も安全であると、パーシー家も、そして王室も踏んだのだ。
「それで、蔵書の貸与に伴う文書の調整と整理の協力をお願いしたいのですが」
「それくらいならいいよ別に。リッカの奴も世話になってるみたいだし」
嫌がる素振りを一瞬も見せず即答する。クーとアルトリアは、なんだかんだ言って性格的に相性がいいのだ。他の『八本槍』を相手にした途端、一分会話をするだけで五時間の状況不利の戦闘を生き抜いた後のような疲労を感じるようになるのだが。
「あなたは、リッカ・グリーンウッドのことをどうお考えですか?」
重要物であると認定された文書が山ほど納められてある部屋へ、魔法による厳重なセキュリティを解除しながら到着した後、本棚の整理をしている時に、不意にそんなことを尋ねられた。
「うーん、いい女だとは思うぜ。だから何だっていう訳でもねーが……まぁあいつには色々感謝するべきところもあるってところか?」
自分の頭の中であれこれ想像してみるも、そうとしか言葉にできない。自分で言っておいて、結局語尾が疑問形になってしまった。
「『アイルランドの英雄』として謳われるクー・フーリンも、彼女の前では一人の少年になるのですね」
「違うね。俺があいつらに惚れることなんてねー。あいつらが俺をどう思おうが知ったこちゃねー、が――」
柄でもないと、バカバカしいと思いながらも、そんな自分がいることを何となく面白いと思い、小さく笑って。
その脳裏に二人の少女を思い描きながら。
「別に、嫌いじゃねーよ」
当人が聞いたら赤面しながら喜ぶであろうことをぼそりと呟いた。
そんな彼に、アルトリアはふと、妙な寂しさを覚えてしまう。最初から分かっていたことだが、この男が、最初から王室に忠誠を誓うつもりなどなかったということ。そしてそれが意味すること。その延長線上に立つ二人の少女。
騎士王としての直感が、胸を締め付けるような嫌な予感を感じ取っていたのだった。
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翌朝。
アルトリアの図書館の整理を終えて真っ先に風見鶏に帰還し、寮の自室にこもってぐっすりと寝ていたのだが、その安眠は唐突に妨害されることになった。
部屋の外から何やら大きな物音が聞こえる。ドンドンと、クーの部屋のドアを叩く音。
疲労が溜まってまだ眠気も取れないクーはもう一度深い眠りに就こうとして、声を聞いた。
どこか悲痛な叫び声。訴えるような、焦っているような、そして――何かに怯えるような。
緊急事態だろうか。乱れた服装を簡単に整え、ドアの鍵を開けて音の主を確認する。
ドアを開けた瞬間だった。一瞬で部屋の中に飛び込み、そしてクーの胸元へとダイブしてきた人物。
橙色のセミロングヘアが眼下に大きく映り、そしてその人物は、クーの胸の中で震えていた。
紛れもなく――ジル・ハサウェイだった。
「な、何だよ、どうした、一旦落ち着け」
あまりにも落ち着きのなさすぎるジルを前に、同じく動揺を隠せないクー。一旦彼女を胸から離し、詳しく事情を訊こうとして。
「こ、これ――!」
眼前に、いつも購読している新聞が広げられる。近過ぎて文字がよく見えないため、一旦ジルから新聞を取り上げ、そして――驚愕した。
その一面に、最初の記事に、絶対にあってはならないことが書かれていたのだ。
手を震わせながら、驚愕と焦燥に駆られて、その記事のタイトルに目を通す。
そこに描かれてあったのは――
――『孤高のカトレア、全魔法的権利剥奪か』
大きく写されたリッカの顔写真が、酷く不気味に見えて。
クーの前で、ジルは膝から崩れ落ちてしまっていた。
後半から筆がノリにのって仕方なかった。
前作でもシリアスのような何かを書いてたけど、こっちの方が書いたっていう実感が何故か湧くんです。