壇上では、メアリー・ホームズが既に、マイクを前に生徒会選挙に立候補したその意志を全校生徒に伝えるために演説を繰り広げている。
生徒会選挙の投票及び開票日前日、クリスマスイブの前日に、生徒会役員選挙の立候補者による演説会がセッティングされていた。風見鶏に在籍する生徒が全員、かなりの広さのある講堂へ招集され、静寂とした中でただ一つ、メアリーの力強くはっきりとした声を耳にしていた。
実にメアリーらしい、直情的でロジックなど知ったことではないと言わんばかりの演説は、聞く側にとっては単純かつ爽快で、かなり受けていると思われる。実際、聴衆として耳を傾けているエトも、彼女の言葉に元気を貰っているような、そんな気がしないでもなかった。
「ホームズさんも凄いよね。こんなに大勢の人の前で堂々と自分の意見を述べられて、僕も何だか元気が出てくるよ」
隣に座っているサラに、小声でそう囁く。
しかしサラは真面目な表情を崩すことなく、かといってエトの言葉を無視するわけでもなく、淡々と反論した。
「でもまるで概要が見えません。主張が感情的過ぎて、具体的に何がしたいのか理解できないのはマイナスポイントかもしれません」
サラの意見に、エトは成程と頷く。
実はエトも、印象的な面では落ち着いて見えるものの、案外メアリーと同じ部類だったりするのである。
これでも彼は病を克服した後は、現在の『八本槍』の一人、人類という枠組みの限界を突破してしまっている武人、クー・フーリンに育てられたのもあり、かの男と比べて論理的な思考を持つものの、意外と努力と熱意という言葉が大好きなのだ。感情論を避け、ロジカルを絵に描いたような性格をしているサラとは正反対なのである。
「兄さん、大丈夫ですかね……」
エトたちの後ろから、何やら不安そうな小声が届く。その声の主は言うまでもなく、葛木姫乃、清隆の従妹であった。
昨日の話になるのだが、姫乃は、清隆が本日の演説のことで溜息を吐いていた時、情けないと駄目出しした張本人である。しかし姫乃も兄に匹敵する程のお節介世話焼きであり、いざ自分の兄が大勢を前に演説をするとなると、まるでそれが自分のことであるかのように緊張してしまっているのだった。姫乃の隣に並んで座る四季、耕助にもそれがまるわかりである。
「清隆は他の二人と比べて日本人としての謙虚さを持っています。下手に虚言で自分を飾ることもしないだろうし、謙虚さは上手く使えば武器にもなり得ます。姫乃はちょっと心配し過ぎです」
相変わらずサラは真面目な顔のままで姫乃の呟きに答える。
しかし独り言にも近い姫乃の一言をきちんと拾って返している辺り、何だかんだでサラも姫乃を認めているのだろう。以前のサラならそもそも姫乃を無視していたに違いない。
「そうですよ、姫乃さん。清隆さんはマスターとは違い、視野が広く落ち着きのある人です。きっと大丈夫ですよ」
「相変わらず四季がさりげなく酷いがそうだぞ姫乃ちゃん」
隣の四季と耕助も合いの手を挟むように姫乃を励ます。
しかし耕助が発言した瞬間、サラが不快な表情で目を細め、耕助を睨んだ。
突如睨まれた耕助は小さく悲鳴を上げて逃げ腰になる。
「江戸川、うるさいです。静かにするか死んでください」
何とも耕助の扱いが酷い気がするが、これでも平常運転である。
しかし、こうして日常の一幕が進行している裏側で、当の本人である清隆は、別の事件に巻き込まれていた。
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立候補者の控え室として用意された一室に待機していた清隆は、司会進行を務めるシャルル・マロースが全員揃っているのを確認、トップバッターを受け持つメアリーを呼んで一緒に出ていった後、イアンがトイレに行っている間に本科の男子生徒に突如拉致、別室に監禁されていた。
薄暗い倉庫のような部屋で、椅子に座らされ両手両足を束縛されている。
以前はグニルックのクラス対抗戦でエトが同じような事件に巻き込まれたらしいが、恐らく今回も同一犯――イアンの仕業に間違いない。
証拠はない、勘でしかないが、彼を犯人であると仮定した場合、本科生数人に取り囲まれる前にイアンが席をはずした理由も頷けた。
今回清隆を取り囲んでいる男子生徒は全員本科生、運動部に所属しているのか全員体格はよく、清隆を拘束し運び出す手際を考えると運動神経も並のものではない。更に本科生であることから魔法の教育も予科生よりは遥かに進んでおり、何か一点において秀でている可能性も否めない。
とは言え、それはただの予科生が彼らを見た時に恐れるべき事項であって、隠しているとはいえカテゴリー4の魔法使いである清隆にとって彼ら個人個人の魔法の実力は、清隆の足元にも及ばないものであった。
物理的な魔法があまり得意ではない清隆だが、彼が本気で魔法を使えば一気に蹴散らせる公算は高い、が、相手は五人、先程も考えた通り何か一芸に秀でている者がいた場合、それだけで苦戦の要素となり得る。
また必要以上に強力な魔法を使うことで、学園全体で目立ってしまうことも避けたかった。
このままでは演説に間に合わないと、行動に打って出るか逡巡し始めたその時。
――カチャリと。
恐らくロックされていただろう鍵が開いてドアノブが回され、ゆっくりとドアが開いていった。
足音さえ聞こえないのは何故だろう、しかしドアの開いた隙間から、ズボンの上からでも分かる、長く逞しい脚が覗き、男子生徒もそちらを凝視して、そして遂にその正体が姿を現す。
「葛木、テメェこんなところで何やってんの」
クー・フーリン、『八本槍』の一人、風見鶏の警護及びエリザベス学園長の送迎を主な仕事とする槍の戦士。
槍の入っているであろう筒を肩にかけて退屈そうな目で清隆を捉えていた。なんかもう、それだけで清隆はこう思えてしまった。
――本科生の皆様、ご愁傷様です。
「ったくそんなところで縛られてないでさっさと演説行くぞ」
そう言いながら本科の男子生徒を視界に入れることなく真っ直ぐ清隆の方へ歩み寄ろうとして。
「ここここここここから先はとと通しませんよっ……!ぼぼぼぼ坊ちゃんの言いつけですのでっ……!」
坊ちゃん――イアンのことだろうが、思い切り震え声だった。ついでに足も震えていた。更に言えば既に涙目だった。
突如進路を阻まれたクーは、一旦足を止め、自分よりも身長の低い男子生徒の一人を見下ろす。頭をポリポリと掻きながら大きく溜息を吐いた。
「なぁ、怪我させると面倒だからどいてほしいんだけどよぉ、何か言いたいことでもあんの?」
溜息と同時に閉じられた瞳が開かれる。
クー自身は普通に開いたつもりだったその瞳、真紅の瞳が、彼らにとって蛙から見た蛇の目、鼠から見た猫の目、雀から見た鷹の目だった。
自分たちは何に盾突いた――規格外にして絶対無敵、一個師団すら紙屑同様に扱う化け物集団の一角。何故人々から畏怖されるか知らないわけがない。閻魔の判決は下された。死神の鎌先は首筋に触れた。
しかし扉から一番離れた――クーから一番離れた男子生徒から、とんでもない無茶ぶりが飛ばされる。
「……は、早くそいつを追い出せ!」
そう檄を飛ばすリーダー格の彼もまた表情が死にかけている。
クーは四人の魔法使いからワンドを向けられ、物理的に作用する魔法――攻撃魔法を浴びる。
しかしまるで、攻撃魔法をぶつけられる音が、毛糸の玉をソファにぶつけるような軽い音のように聞こえ、最早ノーダメージ、ほんの少しの痛覚すら反応していないのは明白だった。
とりあえずクーは、正面にいる二人の、首の後ろ辺りの襟を掴み、猫を摘み上げるように片手で持ち上げ、ゆっくりと歩きながら他の二人を追い詰め摘み上げ、そのまま部屋を出ていった。
暫くして戻ってきたと思いきや、残り一人、リーダー格の男もあっけなく摘み上げられどこか知らないところにシュートされてしまっていた。
再び戻ってきたクーは、面倒臭そうな顔つきのまま縛られた清隆を解放し、そして演説へと急がせた。
部屋に残されたクー。再び大きく溜息を吐いて、事件の一部始終を思い出す。そして、思い出して三度大きく溜息を吐いた。
あまりにも解決があっけなさ過ぎて、カタルシスも何もない、ただの茶番に思えて仕方がない。とりあえず大きな行事なのでいつも通りに働いてみればこの様、溜息が出ない訳がなかった。
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立会演説会が終わり、その後片付けも、生徒会を含めたいくつかの委員会の協力によって完了した後、リッカ、シャルル、巴と、ジル、それからクーが生徒会室に集まっていた。
集まっていた、といっても意図的なものではなく、生徒会の三人は仕事が終わった後に茶でも飲みながら雑談に花を咲かせようと、ジルは何となくリッカと合流しようと、そして学園長室が活動拠点であるクーは巣に戻るように部屋に戻ろうと、それぞれ一つの部屋に集合したのだった。
「とにかく、クーが暴力的解決にふっ切れなかったことが幸いだわ」
「何で俺が風見鶏の生徒を殺らなきゃならんのだ」
椅子に座ったままクーは、カップに注がれた淹れ立ての紅茶に口をつける。武骨な戦士に優雅なティーカップ、ミスマッチにも程があるというのは以前から見慣れている光景であった。
集まってわざわざ蒸し返している話題は本日の立会演説会のことである。ここにいる全員の中で、全会一致で評判がよかったのはどこまで運がいいのか、清隆だった。
清隆と姫乃の幼い頃を知っている巴、入学以前に学園長室までの案内をし、それ以降にも何度も清隆と面識のあるシャルル、そしてクラスマスターとして清隆に一目置いているリッカ。各クラスマスターから何かしらの縁、それも好印象的な意味での関わりを持つ清隆は、この選挙においてある意味イカサマではないだろうか。
「それにしても、清隆くんの演説、感動したよねー」
「うんうん、私のクラスでも、名誉騎士らしい、誠実って言葉がぴったりの演説だった、って大評判だよー」
シャルルの一言に、ジルが続く。
清隆の話題で、若干シャルルのテンションが上がっているのは気のせいだろうか。
「この間のミッション、アレに触れてから清隆くん、より一層成長したんじゃないかな。うちのホームズさんには頑張ってほしいところだけど、清隆くんもぐんぐん伸びてきてるからねー」
頬を喜色に染めながら、若干浮ついた声色でそう清隆を語る。
なお、ジルは既にそんなシャルルのことに気が付いているようで。
「あれ、シャルル、何か清隆くんのことになると嬉しそうに話すよね。これは詳しく事情聴取する必要ありかな?」
「あ、私も聞いたぞ。確かここ最近、休日の度に会ってるそうじゃないか」
「なっ……!?」
ジルと巴の意味深な視線とその言葉に、シャルルは今度こそ顔をリンゴの如く真っ赤に染め上げて慌てふためく。
ジルにとって、シャルルの挙動で何を考えているのかすぐに分かってしまう。現在進行形、目を泳がせながら、都合のいい言い訳を探しているようだった。
「き、清隆くんとは、何か休みの度にたまたま会っちゃって、ちょっとお仕事とか手伝ってもらってただけで、そ、そう言うんじゃないんだからー!」
慌てながらもなんとか反論するものの、そのリアクションは、まさしく恋する乙女のお手本のような反応そのものだった。
「なるほど、魔法使いの希望の星、風見鶏の生徒会長様が――」
「弟が大事で大事で堪らない、ブラザーコンプレックスなシャルルが――」
「一丁前に恋するなんてねー」
巴、リッカ、ジルの順に、再び意味深な視線を飛ばしながらそう言う。
見事なまでの連携プレイに、シャルルは涙目で口をパクパクさせている。ちなみに何の挙動か、両手は鳥が羽ばたくように小さくパタパタと動いていた。
――ニヤニヤ。
――ニヤニヤ。
――ニヤニヤ。
三つのにやけ顔に気圧され、シャルルは精神的に追い詰められていく。
週末が来る度、清隆と会っていたのは事実、たまにはシャルルから呼び出すこともあったし、清隆から連絡を貰うこともあった。仕事を手伝ってもらったこともあれば、一緒に余暇の時間を過ごしたこともある。そんな中で、葛木清隆と言う人物が徐々にシャルルの中で大きな存在となり、そして彼が名誉騎士の称号を得た時、それは一気に尊さへと変わった。届きそうで届かない、妙なもどかしさが胸に閊えるようになって。
シャルル自身にとって、隠していたつもり、と言うより自身でもその恋心とやらにあまり気が付いていなかった。三人の連携した言葉は、どうしようもなく図星だった。
シャルルはついに黙り込み、顔を紅くしたまま俯いてしまう。
この甘ったるい空間、乙女にとって心の栄養ともいえる恋の話、リッカたちはこれ以上なく高まっていたのだが。
「あ゛-甘ったりぃ甘ったりぃ!こっちが黙ってりゃ嬉し恥ずかし純情乙女の恋心に勝手に話を持っていきやがって!」
突如自棄になったかのようなクーの言葉が生徒会室に響く。
クーの表情は、何と言うべきか、その、疲れ切っていた。
「こっちが訳分かんねぇ茶番に付き合わされてイライラしてんのに、また明日あのヤローの相手をせにゃならんと思ってイライラしてんのに、ピーピー喚きやがって!ちったぁこっちのことも考えやがれっ!」
全員の視線と思考がクーへと向けられ、彼の言わんとすることを全員が間を置いて理解した。
明日といえば、選挙のクライマックス、投票、そして即日開票。そしてメインイベント、クリスマスパーティー。
裏方である生徒会が一年で最も忙しい時期なのは、他の機関と連携するグニルックなどの行事と比べて、面倒な輩が暴れまわるからに他ならない。
そしてその被害を悉く受け続けているのが、そこで苛立ちを露わにしているクー・フーリンなのだ。
そのことを思い出した一同が、心の中で大きく頷き納得する。
普段はエリザベスの傍に控え。
今年は清隆のサポートに徹して。
いつも胡散臭い笑みを携えるあの男は。
――今年は一体何をやらかしてくれるのだろう。
リッカとシャルルは肩を落として大きく溜息を吐く。無論、いらない仕事を増やしてくれるその男に対する溜息である。
ジルはそんな彼女たちを見て、小さく苦笑する。過去二年に渡って、その男が彼女たちに仕事と苦労を増やしていたのを何度も見てきた。
そして巴は、ジルやリッカたちとは反対に、楽しそうに笑っていた。
「そうかそうか。今年も来たか。うん、どこからでもかかって来い。今年こそ捻じ伏せてやる」
瞳に闘志の炎を携える巴を見て、ああ、今年も仕事が増えそうだな、と、クーを含めた全員が大きく溜息を吐いたのだった。
清隆「ちょっと明日シャルルさん落としてくる」
原作主人公が向こう側でアップを始めたようです。
密かに清隆くん生徒会長攻略ルートに突入、なお描写はほとんどない模様。
やっと次回クリスマスパーティーやって、そろそろ