恨み、妬み、憎しみそして――怒り。
負の感情が、ただ一人しかいない部屋に、男の全身から溢れ出し、そして充満していく。
力任せに振り下ろした拳の下敷きとなったのは、魔力を原動力に稼働するワードプロセッサー。ボタンははじけ飛び、恐らく修復不可能なまでに破損しきっただろう。
忠誠を誓う女王陛下のため、そして『八本槍』の誇りにかけて守るべき祖国のため、我が地位を、そしてわが命を危険に晒しながらも遂行した、ただ一人の野蛮人を葬り去るための計画は、脆くも崩れ去った。
決して例の男の実力も才能もそして現在に至るまでの努力も見くびり侮った訳ではない。むしろ『八本槍』として、選ばれたに値するバトルセンスを警戒に値するものとして全てを進めたつもりである。
ハイドパークホテルの破壊を目的としたテロ行為――それに乗じ、テロリストに対してスパイを一人放ち、動向を確認、指定した建物に隠れ家として選択させるよう誘導し、テロを実行させる。王立ロンドン魔法学園の予科生全員を総動員して解決に当たっている間、有志の本科生が犯人捜索に当たる、それと同様の扱いで彼――クー・フーリンはワンマンプレイを開始することも読んでいた。突然にして襲われるテロリストグループがそこで彼を消すことができたならそれはそれでいいのだが、勿論そんなことは考えていない。渡したスパイだけを事前に撤退させ、あの猛犬にテロリストを捕縛させる。その後の事後の調査の間に、スパイが一つだけ盗み出し、抗争が起こる前に隠れ家にセットしていた、悪夢を爆薬とした魔法型時限爆弾を爆発させ、建物諸共あの男を下敷きにする――選んだ建物は鉄筋コンクリート製、地上六階もある、破壊すればそれなりに重量の出る物件だ。いくら卓越した武術者でも、古臭く足場の狭く不安定な建物の中でそれ程の瓦礫に押し潰されれば、抵抗する間もなく血を一帯に撒き散らす肉塊へと変わり果てていたであろう。
しかし、あの男は――不死身とも言えるあの男は、まるで道端で転んで帰ってきた餓鬼のような態度でのうのうと帰ってきたのだ。
風見鶏のとある予科生の前代未聞の大活躍の裏側で起きた爆発事件は、結局死者ゼロ名、負傷者一名で、命に別状はなく、外傷は酷いものの彼にとっては十分に動ける程度、魔法による治療を受ければ完治する程度のものであったらしい。
最早害悪、女王陛下の統べる王室、そしてこの国を根底から蝕んでいく病魔――疫病神、そう呼ばれてもおかしくない男を、いち早く駆除しなければならない。
本人に直接手を下して失敗するというのなら、まだこちらにも手は残されている。
女王陛下を、そしてこの国を守るために、今一度心を無にして、必要悪として道化を演じてみせよう。
そう、本人が駄目なら、外堀から崩してしまえばいい。
男は狂気に歪んだ顔を気にすることなく、デスクに置かれた一枚の書類を手にする。
隅に張られた顔写真、そしてその横から下へ羅列されるそお人物の詳細記録――プロフィール。
清き川のように淀みなく流れる金糸のような金髪のロングヘアに、宝石のようなサファイア色の瞳。魔法の才に長け、魔法使いとして最高位の称号を手にし、今やその異名を知らぬものは魔法使いにはいないとも言われる美少女。そしてその名は。
――リッカ・グリーンウッド。
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全フロアの爆弾の撤去と処理を確認した風見鶏一行は、生徒全員の無事を確認するための点呼を取っている最中に遠くで爆発音を聞いた。
その音を聞いたリッカと巴は、シャルルに全指揮を任せ、音のした方向へと走った。明らかな魔力の爆発拡散と、爆発によって起きた火災とそれによって生じる煙によってすぐに位置は特定できた。
リッカたちが駆けつけてすぐに到着した消防隊員の活動によってすぐに火災は鎮火され、瓦礫の撤去作業に取り掛かることになった。
そして彼らが丁寧に取り除いていく瓦礫の中に閉じ込められていた、一人の男をリッカたちが見つけることになる。
「すまんリッカ。警戒はしていたが回避できなかった。死んではねーけど左腕と両足の骨をやっちまったみたいで脱出できなくてよ、まーとにかく救助が来て助かったぜ」
顔だけをこちらに向け、うつ伏せになっている状態で、両足と左腕はそれぞれ関節から不自然な方向へと曲がっていた。所々出血しているようだが恐らく皮膚を切った程度のかすり傷と思われる。むしろ何故六階もある建物の最下層で爆発に巻き込まれ瓦礫の下敷きになったというのに切り傷と骨折だけで済んだのだろうか。巴はクーの出鱈目な生命力に頭を抱えた。
一方でリッカは、いつものように呆れた素振りは見せず、その瞳はほんの少し、潤んでいるように見えないこともなかった。
とりあえず彼は救急隊によって搬送され、適切な処置を受けて動けるようにはなったものの、彼は出撃する前、A組の全員に対してこう命令したはずだ。
――全員無傷で帰って来い。
その命令を自ら反故にする形になり、意外にも申し訳ない気持ちになっていたのだった。
一応回復しているとはいえ、肉体に負担をかけないように、ところどころを包帯で固定してあるのは事実、この格好でA組の生徒の前を歩けばどういう目で見られるかは何となく察しがついていた。
実際、現在風見鶏の医療施設に幽閉されているクーの目の前で、クーが予想だにしなかったリアクションを、孤高のカトレアは見せていたのだ。
涙を堪えていたのか、しかし堪え切れなかった涙が瞼の両端から少しずつ零れて。
心配と不安を全て怒りに変換しようとして、その拳をクーの着る衣服、その胸倉を、指が、拳がおかしくなるくらい強く握って。
罵倒しようと、腹の底から喉を潰してまで叫ぼうとした言葉は、涙声ですぐに弱々しくなり。
遂に言葉も尽きて、力なく崩れ落ち、嗚咽を漏らしながら震えていた。
カテゴリー5、孤高のカトレアに似つかわしくないこの少女の姿をクーはどこかで知っている。そして、一方で孤高のカトレアとして全を纏め上げるカリスマと実力を持つ、決して弱くない少女の姿をずっと見てきたために、流石のクーも、この状況に困惑していた。
「えっと、なんだその、だな、まぁ泣くなって」
こういう時、かけるべき言葉も分からないクーは、どうしようもなく意味もない言葉を投げつけるばかりである。
こんな時にエトやジル、そして清隆のような、類稀な慰めセンスを持つ思考が、自分には全くないことに苛立ちを感じる。正直なところ、泣いているリッカは他のどんなものよりも対処が面倒臭い。それこそ、彼女の言葉を借りれば『かったるい』である。
「……ったく、テメェ、ホントジルより泣き虫だよな」
そうして結局出てくる言葉は悪態をつくものであり。
「……だって……心配、したん……だもん」
泣き叫ぶことに体力を使い切ってしまったのか、嗚咽交じりに絞り出す言葉も最早力ない。
と言うかぶっちゃけこんな面倒臭いことになってしまったのは誰のせいだろうか、思考回路を働かせる。複数のロジックから導き出される答えは一つ、クー・フーリン、自分自身である。
「あー分かった分かった!もーめんどくせー!今度の休日買い物付き合ってやる!それで手打ちだ!」
もう既にヤケクソ。これ以上に何かを言われたら自分のせいだろうが何だろうが、無視を決め込むことに決めていたのだが。
リッカから帰ってきたのは、やっぱり予想とは違うものだった。
「……ジルも、一緒に……ね」
弱々しくも、落ち着いて、小さく頷いたのだった。
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そして事件も解決、約一名の、既に完治してしまった負傷者も、風見鶏の事件解決に当たった生徒のための、風見鶏のグラウンドを使った夜空の下での食事会には参加していた。勿論リッカに引っ張られての半ば強制参加である。このパーティーは、学園長であるエリザベスからの、風見鶏の生徒の尽力と活躍によって市民の命を守ることができたことに対する労いと、そして約一名以外の全員が無事に帰ってこられたことに対する感謝の気持ちを込めたものだった。
リッカはと言えば、既に調子を取り戻し、いつも通りの、孤高のカトレアとしての、そして予科1年A組のクラスマスターとしての威厳を再び見せていた。
泣いているリッカをあやすのも一苦労だったし、正直に目の前で泣かれるだけで疲れたのだ。泣き止んで安心したとはいえ、どことなく不安定なリッカに呆れることもあって。
「ホント、泣き喚くあいつの姿を見たら、こいつらはどう思うんだろうな……」
ドリンクの入ったコップを片手にそうごちる。ちなみに現在も一応職務中ということで、アルコールではない。グラウンドの端に設置されてあるベンチにどっかりと腰を下ろして空を見上げる。
それとほぼ同時、クーの研ぎ澄まされた五感が、自分の隣に誰かが座ったことを察知させる。自分の隣に不躾にも、それでいて遠慮がちに座ってくる人物など、クーは一人しか知らない。
「ジル、何かようか」
隣の少女に目を向けることなく、面倒臭そうにそう呟く。彼女が話す内容はおおよそ見当がついていた。
「リッカのこと泣かせたでしょ?」
こういうことである。
「ダメじゃない、女の子を泣かせちゃ」
「なんだ、こっちにとっちゃアレに泣かれるのは青天の霹靂もいいところだっつーの」
自分には関係ない、と言い張りたいのだろうが、その態度はどこかリッカのことを気にしていて、ばつが悪そうで。
そんな風見鶏のアニキの珍しい反応を堪能しながらジルは言葉を続ける。
「孤高のカトレアでも、カテゴリー5でも、リッカはまだまだ乙女さんなんだよ。女心とか、乙女心とか、クーさんも分かってあげないと」
「メルヘンもいい加減にしやがれ。こちとら女に現を抜かせるほど気を抜いた覚えもねーし、そもそも俺は無事だったろーが。リッカが泣く意味も分からんのだ」
リッカが泣いていたのは、クーの身を案じていたからだ。
クラスマスターとしての責任と、大切な仲間の負傷、そして犠牲。リッカが本気で心配したのも、クーのことが心の底から大切だったから、に尽きるだろう。
しかじ現にクーは死んではおらず、今となっては傷一つない完治状態である。無事なのだから、いつものように怒鳴り散らすだけで良かったものを。
「リッカだって、たまには
どこか儚い笑顔を浮かべて、その笑顔を夜空に向けて、ジルはそう言葉を零す。
リッカのことを親友として最大限理解している者の、意味深な一言。
「一度にいろんなものを背負って、大切なものをなくしそうになったら、そりゃ女の子は気持ちが混乱するもの」
何となく、何となく言いたいことが分かりそうだが、結局理解することはできなかった。
その時、グラウンドの方から、何やらマイクを通した放送が流れる。
『葛木清隆殿――』
スピーカーから聞こえてくるのはエリザベスの表彰の声。
今回の事件の解決に当たって、最も市民の安全を守ることに置いて最大の手柄を立てたのは清隆だった。
最も早い段階で爆発しそうな爆弾を見つけ、それが起爆してしまう前に自らの魔法でそれを阻止、ハイドパークホテルをテロから守り抜いたのだ。
『汝の活躍により、多くの命が救われ、また王立ロンドン魔法学園の名誉は守られました』
ハイドパークホテルを風見鶏の生徒が守り抜いたということはすなわち、どこかの誰かがその事実を受け止め、そして魔法使いに対する考えを改めそして周囲に伝播させていく可能性が拡大されるのを意味する。
それこそ風見鶏の意志、そして魔法使いの悲願そのもの。清隆はそれを体現してみせたのだ。
『よって、ここに汝の知恵と勇気を讃え、表彰します』
清隆が受け取ったのは、表彰状のようなものではなく、勲章のようなブローチ。
表彰に対する感謝の言葉を返し、学園長の握手に応じると同時に、風見鶏の生徒や、教員の方々からの大きな拍手に讃えられる。
清隆が学園長から授かったのは、名誉ナイトの称号。正式な叙勲は春に行われる予定だそうだが、内定と言うことらしい。
「ほぉ、名誉騎士ねぇ。エリザベスも奮発するじゃねーか。ここで騎士っつったらそれだけで持ち上げられる対象だぜ」
クーたち『八本槍』も、規格外の存在ではあるが、一応王室直属の騎士としてカテゴライズされている。当然それだけで畏怖と尊敬の対象とされ、何か行動を起こす度に讃えられるようになる。
名誉騎士とは言え、清隆もついにその仲間入りを果たしたのだ。国を、国民を守るナイト、それは民からすれば、頼もしく心強い平和と安全の象徴なのである。その人気も、決して一過性のものではない。
「清隆くん、魔法の実力以前に、人間としてもしっかりした人だからね。クーさんみたいに女心は理解できないみたいだけど」
「何でテメェがそこまで分かるんだよ」
「あの子、名誉騎士になる前からも一部の人には人気なんだよー。本科生の女の子も興味がある人はぼちぼちいるし、ほら、近い人だと義理の妹さんとか、シャルルちゃんも結構好意的に見てるみたいだよ」
ふぅん、と興味なさげにクーが呟く。
葛木清隆と言う人物の人となりについては興味があったが、彼の女性関係なんぞに首を突っ込むほど野暮でもない。ただ、彼の弟子と同様、今後の成長は楽しみではあった。
「それじゃ、今度のクリスマスパーティーは忙しそうだから、そうだね、ショッピングは冬休みに入ってから、私はリゾート島でも、地上でもいいよ~」
「そうか、またその時期か……」
ジルの言葉に、クーが力なく肩を落とす。
クリスマスパーティー自体は別に何の問題もない。見回りだの紛争解決だの面倒事は頼まれるが、それ以上に厄介なことに、いつも巻き込まれてしまうのだ。
風見鶏に入学を強制されて早三年目、クーは過去の行事で散々お世話になった、無駄にテンションの高い高笑いと、背後で飛び交う無数のクナイと魔弾を思い出しながら深く溜息を吐いたのだった。
この心とこの手が早くシリアスに入りたいとうずうずしている。
早くアニキのイケメンっぷりをこれでもかと言わんばかりにぶちまけたい。
一応シリアスを所々で匂わせてはいるけど、ぶっちゃけ需要はどうなんだろうと思う。
どうあっても構成を変える気はないんですけどね!