もし、一つあれば十分で、かつ持っていてもそこまで価値を見いだせないものを、他人から同じものをもう一つ渡された時、人はどうするだろうか。
答えは、捨てる、である。いつ捨てるか、あるいはどこで捨てるかは人によって様々ではあるが、大半の人間はわざわざとっておくことはせずに捨ててしまうと思われる。そして最悪の場合、それらは平気で路上や公共の広場などに放置されることもありうる。
さてここでもう一つ、誰かの顔の写真や絵が乗せられた紙が地面に捨てられ、通りすがる人々に踏み躙られているところを目撃したらどう思うだろうか。
答えは、対象の人物の印象を悪くする、であると思われる。たくさんの人に踏みつけられ、潰され破られた、人の顔が写されたビラを見て、彼らはその人物を、その程度の人物なのだと無意識に認識してしまうのだ。
さて、この二つから導き出された杉並の答えは、ビラ配りの時代は終わった、であった。
土日の休日明けの早朝から、四季によって仕上げられ、複製された大量のビラを登校する生徒たちに配り終えて教室に戻ってみれば、その日はじめたばかりのビラがもう用済みだと言われたのだ。そして彼が言うには、次はポスターらしい。当然クラスからの不安の声が上がった。
しかし、上記の二点を考えた上で、そう何日もビラを配り続けるのはリスクが高い。そもそも学園に登校する時点で、校舎のエントランスでビラを配り続けていれば、八割以上の生徒には確実に手渡すことができる。受け取るかどうかは別問題だが、一枚を受け取りたくない者は二回目以降も受け取ろうと思わないだろう。
その点でポスターは、一ヶ所に継続して掲示されてある限り、閲覧者に印象を与え続けることができるのだ。
そういう訳で、杉並の鶴の一声によりポスターのための写真撮影を行うことになったのだが、当然衣装が制服のままでは差別化が図れずインパクトがない。清隆はほぼ押し付けられる形で絵本に出てくるような魔女のような黒のローブ、そして同じく黒のトンガリ帽子を被らされていた。その手に握るのは偽物の空飛ぶ箒。
「なかなか似合うわ。『ホビットの冒険』のガンダルフみたい」
クラスマスターのリッカ・グリーンウッドは教室に入って清隆の様子を見るなり、おかしそうに吹き出しながらそう批評を漏らした。
その後ろに控えていたクー・フーリンは下らないものを見る目で呆れたように清隆を見ている。
「今時あの胡散クセェ『八本槍』の魔法使い以外にあんなのを着る奴なんて珍し過ぎて気絶しちまいそうだ」
結局、その後リッカにも生徒会の役員になる人物としてはあまり相応しくない、もっと品のある恰好がいいということで魔法で清隆に貴族院の議員のような服装、前世紀の
「うーむ、確かに悪くはない。悪くはないが、イマイチしっくりこないな」
リッカのチョイスした服に、杉並としては上々の評価を与えたが、まだ何か一歩足りないようだ。
クーも同意見なようで、首を傾げながらなんだかんだ言って清隆のために思考を巡らしていた。暇なのか、あるいは清隆と同レベルのお人好しなのか。
「清隆さんは他の候補と違って日本の出身なのですから、そこをアピールしてみてはいかがですか?」
ふと、耕助の召使いである四季がそう提案した。なるほど、日本人なのだから日本特有の恰好、これなら他の候補とも差別化を図れる上に、ある意味で日本の国柄みたいなものを匂わせることができるだろう。もしかしたらマスターより従者の方が賢いかもしれない、などと思ってはいけない。
杉並は彼女の提案に、陰陽師、山伏などと例を挙げるが日本は興味があるのだが文化には疎いリッカにはピンと来なかったらしく、そこで彼女は真っ先にサムライを提案した。この時点で、リッカ・グリーンウッドが、日本国外の人間が想像する、ベタと言うかありがちな間違った日本文化のイメージを持った何とも惜しい人物であることが窺える。もしかすれば、訊かれればスシ・テンプラ・フジヤマなどと答えるかもしれない。
リッカは再び魔法を行使して、衣裳部屋からとんでもない衣装を清隆に着せ替えた。
鉢巻、陣羽織、そして『日本一』と書かれた旗。
ここまで来れば分かるだろう。リッカの抱く侍のイメージ――それはどこからどう見ても、日本で最もポピュラーな正義のヒーロー、桃太郎であった。
周囲に微妙な反応をされたリッカは、何か間違ってるかと首を傾げて訊き返す。
「間違っているか否かと言えば、間違い甚だしいが、これはこれで捨てがたいな」
杉並は何とも言えない自信に溢れた笑みを浮かべてそう言った。
「おお、何か強そうじゃねーか。どうだ葛木、その腰に帯びた刀でかかって来い」
「やめてください死んでしまいます」
清隆の衣装を一目見たクーの表情が一瞬で輝き始めた。その本性は限りなく戦闘狂である彼は、たとえ冗談でも強そうな相手を手合せに引きずり込みたいようだ。ぞっとした清隆は真っ青になりながら冷静に断る。
結局、周囲の反応があまりにも良過ぎて、この格好に恥ずかしさを感じていた清隆だったが、有無を言わせず杉並たちに撮影場へと引っ張られることになる。
翌日の朝、校舎のエントランスに掲示された候補者三名のポスターが貼り出される中で、一部の本科生の女子や清隆のグニルックでの活躍を見ていた男子たちの間で持て囃されているのを見て、姫乃が微妙に拗ねたのは別の話である。
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数日後、クー・フーリンとリッカ・グリーンウッドの耳に、≪女王の鐘≫の音色が入ってきた。
今回の音は、予科1年A組の引率としての依頼。二人は依頼内容を確認して、速やかに教室へと向かった。
クーが斜め後ろから見る、リッカの表情は、いつもの優しげでそれでいて自信に満ち溢れたそれとは違い、いつもに増して真剣な面持ちをしていた。
「こんな顔もできるんだよな」
「なんか言った?」
「何でもねーよ」
自分で過去を振り返らない男だと自負していたクーだったが、真剣な彼女を見て、過去百年近くにわたって色々な地域を旅してきた時のリッカと、ジルの顔を思い出す。
笑った顔、怒った顔、泣きそうな顔、呆れた顔、自信に溢れた顔、諦めそうな顔、そして、諦めない顔。色々な顔を見てきた中で、結局意識することもなかった表情の変化を、最近になってようやく実感し始めたらしい。それが彼にとっていいことか、悪いことかは別として。
教室に入ってクラスの注意を引き付けたリッカに、クラスメイトは彼女の表情を見て重要な発表があることを理解し静かになった。
予科1年にとって、三回目のミッション、そろそろ慣れてきただろうと思われるタイミングに依頼されたミッションは次のようだった――
――ハイドパークホテルでの爆弾テロ。ホテル内部に設置された魔法型の爆弾を探し出し、秘密裏に撤去すること。
ミッションレベルはA、いくつかの段階にレベルは分けられているのだが、少なくとも前回の脱獄犯確保よりも大幅に危険度が上昇している。それゆえ、今回の事件は予科生全員で当たることとなり、各クラスでのチームワークが重要となってくる。
爆弾の規模は、もし爆発すれば、よくて火災程度、場合によっては建物の崩壊、近隣の住民や建物にも大きな被害を及ぼす可能性もある。
リッカは昼休み終了後に再集合するように告げ、解散の指示を出すが、それをクーがすぐに静止した。
天下の『八本槍』からのありがたいお言葉、クラスメイトは姿勢を正して全力で耳を傾ける。
「爆弾処理なんて危険な任務なわけだ。さっきリッカからの説明にもあった通り、爆発した時の被害は大きい。万が一俺たちが巻き込まれた時、死ぬことだってありうる」
生死の淵を幾度となく彷徨った経験のある男は、語気を強めて真剣に語り始める。
「だがな、こんな依頼ごときで死ぬのなんざこの俺が絶対に許さん。一応全員に言っておくが、命を賭して戦う、なんてのはテメーらガキ連中には十年早いことをよーく肝に銘じておくんだな。俺がテメーらに命令するのはたった一つだけだ」
クーは一旦全員を見渡す。緊張に凝り固まった生徒たちが、しっかりと耳を傾けてクーの一言一言を聞きもらさないように捉えている。全員の瞳が本気になっているのを確認して、最後に一言付け加えた。
「――全員無傷で帰って来い」
クーの命令に、クラスメイト全員が声を揃えて力強く返事を返す。その返事にクーは満足したようで、リッカに対して珍しく笑みを浮かべた。
リッカも滅多に見せない彼の笑顔に優しく微笑み返す。
「いいこと言うじゃない」
「組織なんぞに雁字搦めにされて
「またそんな皮肉言って。ま、私たちも無傷でこの学園に帰るわよ」
「当り前だ」
孤高のカトレア、リッカ・グリーンウッド。『アイルランドの英雄』にして『八本槍』、クー・フーリン。
魔法使い史上最強のタッグが、今ここで再結成された。
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解散後、エトは教室を出て、購買までひとっ走り、おおよそ二人分のサンドイッチとドリンクを持って教室に戻った。
目指すは教室の最前列、正面から向かって右側の方の席。そこに座っていたのは、小柄な青髪ツインテールの少女、サラ・クリサリス。
「これ、食べなよ」
エトは、サラの隣の空いた席に座り、彼女にサンドイッチとミルクコーヒーの入ったパックを手渡す。
サラは驚きながらも、頑なに拒むようなことはせず、しかし若干ぎこちない動作でそれを受け取った。
「緊張、してるよね」
小さく震える小さな体を見て、エトはサラを心配する。今ここにいる魔法使いを目指す生徒全員が、責任の大きさと死の恐怖に対面している。無論、エトもその一人であったが、彼自身は師匠である槍の男にきっちりしごかれているため対して動じてはいなかった。
「エトは、大丈夫みたいですね」
「僕だって死ぬのは怖いさ。それはみんな一緒。でも、みんな怖がって逃げ腰になっちゃうからこそ、冷静な判断が下せる人は一人でも多いに越したことはない。そして、サラちゃんなら十分にそれができる」
はっきりと、言いよどむことなく断言してみせる。
あまりにも自信ありげにエトがそう言うものだから、プレッシャーが更に圧し掛かってきたようにも感じてしまい、サラも言い返してしまう。
「どうしてそう言い切れるんですか。エトはあの『アイルランドの英雄』に訓練を施してもらってるから大したことはないんでしょう。でも、私はそうじゃないんです」
しゅんと下を向いて元気なさげに項垂れるサラを見て、エトは否定するように首を横に振る。
「僕が特別な人に武芸の手解きを受けたことは関係ないよ。僕は武術の一連をある程度使えるけど、実践で使った経験なんてない。死線なんて一度も潜ったことがない」
それが、エトと彼の師匠との決定的な差。
死線を乗り越えたものは、それだけで身体的にも、精神的にも強くなれる。現場に慣れ、戦場に慣れることで、より広い視野で周りを見ることができるようになる。
しかしエトは、安全な場所で戦闘スタイルの訓練を重ねただけで、手合せをした相手も、極限まで手加減をしたクー・フーリンのみだった。
現場に出て人の生死に関わるような行動に出るのは、これが初めてなのだ。
「だったら、僕が、僕たちがすることは、お兄さんが言ってた通り、無傷で帰ってくること。それだけを考えていればいいんだ。失敗は許されないかもしれないけど、万が一失敗したとしても、お兄さんたちならきっとカバーしてくれる。他力本願だけど、それでも信頼してるから」
エトはそっとサラに微笑みかける。いつも通りの、自然に他人を引き込むある意味で魔性の笑顔。
優しく咲く一輪の花のような笑顔に、サラは何となく癒された気がした。
「前を向こうよ。あれこれ考えるのは僕たちの仕事じゃない。僕たちは、目の前のやらなければならないことを最優先にこなせばいいだけだ。だったら、今することは一つしかないだろう?」
「……そう、ですね」
サラは、自分の目の前、机に置かれた、包装されたサンドイッチを眺めて小さく頷く。
一人では何もできないかもしれない。怖くて逃げだしたくなるかもしれない。でも、エトが傍で助けてくれるなら、いくらでも力を発揮できるかもしれない――サラは、そんなことを考えるようになっていた。
丁寧に包装を剥がして、見た目も決していいとは言えない購買のサンドイッチに小さく一口齧り付く。
可愛らしく咀嚼を繰り返して、そして喉に通した後、エトに笑顔を向けた。
「美味しいです」
その時サラに向けられた自然な笑顔に、エトの心臓がとくりと跳ねたような気がした。何となくだが、サラとの絆がより強く結ばれてきている気がする。その心強さに、エトは更に自分に自信をつけたのだった。
そして、昼休みは終わり、集合の時間となる。
一学年合同での大規模なテロ防止作戦が、ここに開始される。
次回、紅蓮の長槍が空を薙ぎ、大地を割り、悪を挫く……?