「
どこからともなく聞こえてくる短い詠唱を皮切りに、クー・フーリンの頭上に無数の刀剣が雨霰のように降り注ぐ。それらは全て形、色、使われている金属の種類やこめられている魔力の種類が全て異なっており、同一の対処法では全てを潜り抜けることは不可能である。
だがしかし、これまでにも幾重の死線を潜り抜けてきた百戦錬磨の戦士である。たった一振りの相棒を縦横無尽に、それでいて無駄なく振り回すことで、飛んでくる刀剣を一本一本確実に撃ち落していく。
乾いた鈍い剣戟の音だけが木霊する空間、異質な緊張感がピンと張りつめられている。
最後の一本を打ち落とすと同時に、体勢を立て直すためにバックステップで恐らく敵がいるであろう場所から距離を取る。
一瞬の間を置いて、直線に伸びる紅蓮の残光。その先にいたのは、二振りの剣を両手に握る、自称正義の味方。
双剣を胸元でクロスさせ、クーの槍を受け、自身の左に流す。その際、勢いで流れる敵の瞳が自信をしっかりと捉えていることを確認する。恐らく、次は間を置くためのステップ。
追撃は必要ない。一旦右へとサイドステップ、体勢を立て直し正面へと双剣を放る。
弾丸のように一直線に翔ける剣は、難なく槍に打ち落とされた。
剣士は再び自身の得物をその両手に現像する。
――≪
正義の味方として、ジェームス・フォーンが辿り着いた境地。
決して現実に表すことのできない虚像を、魔法によって意識領域――心と言われる部分から現像し、実体化させる能力。但し、この能力は刀剣を対象にしか発動できない。魔法使いの社会において禁忌とは行かないまでも、あまり良いこととされない、闘争のための魔法。
だがしかし、いざ戦いとなった場合においては、大きな戦力となりうる。イメージすれば刀剣を創り上げられるという、武器の貯蔵の無限性。そしてその刀剣の出現位置に特に制限はなく、ある程度の距離であれば手元でなくとも現像が可能であり、それを上手に利用した、飛び道具としての中、遠距離攻撃も可能とする。故に手数を減らすことなく様々な戦法を採り、相手をかく乱させることができる。もちろん、使用者の魔力が底を突けばそれまでだが。
刀剣だけに限定したのは、自身がこの世界を救う剣であり、それ以外の何者でもないということの証。
剣は、刀は、砥ぐことで切れ味を保つものである。であるならば、剣となった我が身もまた戦いの中で研ぎ澄まされてなければならない。そして目の前の強者は、自身を鋭利な剣たらしめるのに最適な男であった。
「ハァッ!!」
右手の長剣、左手の小太刀。時間差で左腕から振り下ろす。
クーは初手を軽く身を捩じって回避、長剣を槍で受け流し、刃が槍の上で火花を上げて滑走している間に、足元へと蹴りを放つ。
後方へと大きく跳躍したジェームスは両手の刀剣を再び正面へと放り投げ、槍で打ち落とされている間に次の得物を握り直す。
長槍と剣、リーチを考えれば圧倒的に不利である。確実に相手の射程内となる近接戦を続けるのは難しくあり、同時にリスクが大きい。接近の際は一瞬で、そして数秒打ち合う後に距離を置く、これの繰り返しである。
スペックで、この男には確実に劣っている。スペックで駄目なら、勝負すべきは戦術。
それこそ、目の前の、獲物の隙を狙う獅子のような、獰猛な眼つきをした男も、これまでの戦いの中で自然と身に着いた野生児なりの戦い方があるのかもしれない。
それでも、上回らねばならない。それが世界で最もよく切れる剣であることの証明であり、どのような悪だろうと、どれ程の強者だろうと、絶対的な勝利と恒久の平和が約束されるのだ。
「ヘッ……」
その時、相対する槍の戦士は気を緩めることなく笑った。
感じの悪い笑い、恐らくジェームスのことを馬鹿にしているのだろう。
「空っぽだよ、テメェは。正義の味方なんぞになりたい理由がまるでない。せいぜい、この俺様を超えたかった、くらいのもんだろ」
空虚な理想、歪な理念――指摘されたのは、これで何度目だろうか。
問題はない。答えは既に出ている。頭の片隅に思い浮かぶ、先達の孤独にも逞しい横顔を思い出しながら、同じようにジェームスも微笑んだ。
「否定はしない。空っぽだよ。世界に対して恩があった訳ではない。聖書にしるされた救世主の神の子になりたいわけでもない。かといって、正義の味方が憧れだったわけでもなければ、そこに何の執着もありはしない」
――現像、開始。
「俺には正義の味方になりたい、大きな理由なんてのはない。でも、それ以上に俺は、強くありたい。強者でいたい。正義の味方たるための強者ではなく、強者になるための正義の味方だ。いつの時代もそうだろう?正義は必ず勝つそうだ」
次の瞬間、空間が刹那に光が閃く。
突然のフラッシュに目を焼かれつつも、薄く瞼を開けながら視界を確保するクー。
「でけぇよ、テメェの探すプラスアルファはよォ……!」
クーの笑みが、より一層獰猛なものとなる。
あの時、以前彼と相対した時――いや、それ以上の興奮と緊張、言葉以上に熱く語る剣戟の音、胸を高鳴らせるのには、十分な起爆剤だ。
視界を完全に取り戻した時、そこは剣の世界が広がっていた。
永遠に、どこまでも続く草原に突き刺さっているのは無数の刀剣。見上げれば雲一つない晴天の青空。狂気と平和、全く異なる二つの要素を孕むその景色は、あまりにも異様だった。
これが彼の正義の在り方。世界が平和であるために、剣がある。
そして、クーは同じ方向へと飛んでいく無数の刀剣を空に見た。その先に、刃を地面へと向け、天を貫かんとばかりに聳え立つ筒のような形に展開されてある刀剣の陣――その筒の中に、ジェームスはいた。
「……凄いだろう、これは全部、俺の想像と空想の産物だ。俺の妄想の世界が具現化され、今あんたは俺の抱く夢の中にいる。頭の中でなら、俺は何でもありだ」
「面白れぇよテメェ……以前に増して面白くなってんじゃねーか!」
先に動いたのはクー。地面を一蹴りで一気に遠くのジェームスとの距離を埋めにかかる。整頓された剣の塔が、近づくにつれその圧倒的な存在感を放つ。
本当にこの世界の中でジェームスの力が思い通りになってしまうのであれば、あちらに先手を取らせることは絶対にあってはならない。そのための初手の突貫である。
≪
「それでも本来と同じ動きが出来るあんたには脱帽だよ」
出鱈目な力を持つ
前後左右上下、全方位三百六十度からの一斉掃射――退路どころか進路もない。
「ヘェ……」
絶体絶命の状況にも関わらず、笑みを絶やすことはない。
両手に構えていた槍は右手のみの逆手に持ち変えられ、投擲の構えを取る。
自身の身体の全力を持って前方に飛び上がり、体のバネを空中で縮め、一気に解き放つ。
「
全身前例の力を以って放たれた真紅の槍は、最も正面の剣へと飛び、正面衝突する。刹那、槍の力によって大爆発、その爆風に飲まれた刀剣は姿を消す。
クーは地面に着地してすぐにその爆風へと飛び込み、槍を握り直す。
全方位弾幕から解放されたクーは再び一直線に駆け出す。降り注ぐ刀剣を躱し、打ち落としながらも確実に前へと進む。
「そう来なくてはな!」
それに応えるようにジェームスも剣の塔を従えて走り出す。
整列して宙を舞いながらもジェームスの疾走に従って動き出す剣の塔、その光景はまさに圧巻だった。
次第に塔の剣の舞う速度は増し、やがて嵐を起こす。
乱れるがままに剣は舞い踊り、狂い咲く。
勢いを増した刀剣の嵐に、クーは一瞬の対応が遅れてしまった。
「――カハッ!?」
剣の一振りが肩を掠めた。掠めただけなのに、猛烈な激痛が全身を襲う。恐らく、この荒れ狂う嵐の中で、バラバラだった全ての剣の能力が均一化され、無数の能力を帯びた無数の剣が練成されている、そうとしか考えられなかった。
威力倍増、防御無視、幻覚、猛毒、麻痺、呪い――その全てがこの一本の切り傷に集約されていたのだ。
「こりゃこっちも出し惜しみできねぇな……」
クーから笑みが消える。久しぶりに対面する死の恐怖が全身を襲う。この感情は先程の傷のせいだろうか。
しっかりと両手で槍を握り締める。
紅き弾丸は、因果を超えて剣の塔を穿った。
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風見鶏の敷地内にある、とある医療施設の一部屋。ジェームス・フォーンは自分が仰向けに横たわっていることに気が付いた。
体が何かに覆われている感覚――手探りでそれがキルト(布団)であることが分かった。閉じている瞳以外の感覚がゆっくりと戻ってくると同時に、思考回路も徐々に徐々に意識の底から浮上してきた。
「……大丈夫か?」
聞き慣れた声に瞼を開けると、先程まで獰猛な笑みを浮かべていたはずの青の戦士が穏やかな顔をして椅子に座って顔を覗かせていた。
ああ、負けたのか。自分が置かれている状況と、彼が心配そう、と言うよりばつの悪そうな表情をしていることから何となく分かった。残念なことに、自分がなぜ負けたのか、勝敗を決めた彼の一手と、その時の自分を、ジェームスは覚えていない。
「分からん。自分が何をされたのかを覚えてないものでな」
「そうかい」
興味なさげに呟いているが、どこか不満そうなクーを見て、ジェームスは頭の中に疑問符を浮かべる。何故勝利したのに、そのような顔をするのだろう。いつもの彼なら、勝利した自分に陶酔しているような、誇りある顔をしているはずだろうに。
「死ななかっただけ、マシだよ」
紅の視線は、ふと立てかけてあった同色の槍へと向いた。百年以上も変わらず振り回され続ける、至高の豪槍。その紅蓮の煌めきは衰えることを知らない。
「つまり、俺は本来死んでいたかもしれないということか……」
以前敗北した時の彼の言葉、簡単に言えば、今度刃を交える時は確実に殺すと言う宣言を達成しえなかった彼に、意趣返しを込めて皮肉な笑みを浮かべて言い放つ。いつもは傲慢不遜な彼の、柄にもないしおらしい姿は新鮮だった。
ジェームスの怪我は、特に命に別状はない。出血こそ酷く、おまけに傷口はどんな高等な治療魔法を行使してもなかなか塞がらない厄介なものだったが、どうにか塞ぐことには成功して安静状態となっている。ちなみに、部位としては心臓を大きくそれた肩口だった。
「流石『八本槍』の一人ってことか。簡単にくたばってくれねぇところが面白いというか憎らしいというか……」
大きく溜息を一つ吐いて、勝者はのっそりと椅子から立ち上がり敗者に背を向けた。
そのまま何も言わずに部屋を去ろうとして、ジェームスに呼び止められる。
「……んだよ?」
「生きててよかったというべきか、一応伝えておくことがあってな」
声音からして恐らく重要事項。元々茶化すつもりもなかったが、聞くだけは聞いておこうと思った。
「アデル・アレクサンダーが不審な行動をとっている。奴はあんたをいつも目の敵にしているから、注意しておけ」
「そんなことか。ジジイ相手に翻弄される程落ちぶれちゃいねーよ。面倒事は御免だ」
「それは結構」
『八本槍』の一人をジジイ呼ばわり、これが凡人であるならば非難が集中し、一斉攻撃の的となるだろうが――この男が凡人の域になぞ到底納まらないことなど今更言うことでもない。ジェームスはこの男の規格外さに呆れるように微笑んだ。
「今度こそ、テメェのその心臓、貰い受ける。せいぜいその時を怯えながら生きるといい」
「それはお互い様だ、『アイルランドの英雄』。孤高のカトレアとその親友を二人纏めてあんたの屍の前に跪かせてやろう」
ジェームスの言葉を最後まで聞き取って、クーは部屋から姿を消した。
死角へとその姿が隠れる一瞬、クーの右肩に血の滲んだ包帯が覗いているのを目にして、ジェームスは安堵の息を漏らした。
――俺も、強くなったんだな。
初めて対峙した時は、ただの一度も剣の切っ先を掠らせることすらできなかった。
その相手に、ただの一撃でも加えられたのは、成長した証として十分過ぎた。ようやく、強者への道が開けてきた気がした。
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アデル・アレクサンダーは苛立っていた。
女王陛下直属の騎士、『八本槍』となり国に仕えることができる、これが魔法使いとして至上の栄光でなく、何と呼ぶだろうか。
魔法的考古学を専門とし、あらゆる遺跡や遺物を魔法的観点で解析、調査することを生業としてきたアレクサンダー家において生み出され、洗練されてきた、『復元魔法』。
ありとあらゆる風化、破損したものを修繕し、極限まで元の姿へと戻すこの魔法によって、現代の魔法文明にも大きく尽力し、その功績を買われて『八本槍』となった。もちろんそのためには女王陛下を守るための武力も必要で、それに関しても『召喚魔法』と『復元魔法』を併用した魔導兵器が担ってくれる。
古代メソポタミア、シュメール初期王朝時代のウルク第1王朝の伝説的な王――ギルガメッシュ。
彼をモチーフとして作成された、世界中のありとあらゆる財宝を所有する英雄王。その黄金の風格は富と権威を象徴し、その圧倒的な破壊力は力による支配を象徴する。
全ては己が一族の血の滲むような努力の果てに成し遂げられた結晶。アレクサンダー家が全てを手に入れたのは、全てを手に入れるための時間と労力を極限を凌駕して払い続けたからに他ならない。
――それなのに。
青き髪の、紅の瞳の、そして紅蓮の槍を持った。『アイルランドの英雄』。
実力こそは認めよう。そのたぐいまれなるバトルセンスは、唯一無二とも呼べよう。しかしかの男に、それ以上の何があるというのだ。
粗野にして怠惰、おまけに野蛮ときた。このような男が、女王陛下のすぐ傍に控える者として相応しいわけがない。
女王陛下とは旧知の仲らしい。もしかすれば、彼女の恩情があってこその『八本槍』の地位ではないのか。もしそうなのであれば、これ以上の屈辱はない。
世代を超えて長い間積み重ねて手に入れたものを、あの男は何の苦労もなく、ただ強くて女王陛下の友であるだけで手に入れた。
繁栄が朽ち果てる結果となるその原因は、いつだってそのような不純な者にあるのだ。早急に、排除しなければならない。
――魔法使いの誇りと、アレクサンダー家の威信にかけて。
アデル・アレクサンダーは、改めて決意を固め、電話機へと手を伸ばした。
戦闘描写って何回書いても難しい。何を書いていいか相変わらず分かりません。
多分ジェームス出番終了。もしかしたら終盤ちょろっと出すかも。
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