いよいよ君の実力を示す時が来た!
秋空の下、乾いた肌寒い風が、頬を掻き殴っては足早にどこかへと去っていく。
ほんの少しの霧が視界をぼやかし、周りが見えづらいのは確かな事であった。
王立ロンドン魔法学園――風見鶏のエントランスがある、英国議会が国会議事堂として利用する、ウエストミンスター宮殿。頂上の方は霧のせいではっきりとは見えないが、それでもビッグ・ベンとして親しまれている時計塔が、天空を貫かんとばかりに聳え立っている。
通りすがりの子供に投げつけられ、不本意に思いながら難なくキャッチした小石を右手の掌の中で弄びながら、クーはある人物をその入り口先の広場で待っていた。
早朝からはシャルルを筆頭とした生徒会役員の、入学式の準備の手伝いを無理矢理やらされていたのだが、今は丁度その式典が行われている最中であろう。そして今回はその要となる人物、魔法学園の学園長であり、ここ、イギリスの国王陛下であるエリザベスを地下に下ろす際の護衛として、『八本槍』の一人でもあるクーはここで彼女の一行が来るのを待っていたのだ。
暫く待つこともなく、やたらと高級そうな車の数々が広場前の停車場に次々と入ってくる。
相変わらずご苦労なことだと他人事のように呟きつつ、とりあえず国において最重要人物となる人物の迎えということになるので、あまり慣れないようなしゃきっとした姿勢をとってその車の前まで移動する。真紅の槍の穂先は空へと向かったままだ。
およそ十台前後の黒く煌めく車の、大体前から四台目の車から、護衛対象の人物が表れた。
彼女はこちらに気付き、嬉しそうに笑顔を浮かべてお辞儀をする。例え友人の知り合いとは言え、今は公の場である。はしゃぐこともままならないのだろう。
「国王陛下、お迎えに上がりました……っと」
上辺だけはきちんと挨拶をしているものの、やはりどうにも堅苦しい動作と言うのは性に合わなかった。最後のどうでもよさげな呟きが周囲に聞かれてないか、一応体裁だけは整えておく。今更ながら、金のためとはいえ『八本槍』になるものではなかったと後悔する。
頭を再び上げ、彼女の方を向いたと思ったが、その背後から殺気めいた視線を感じる。
そちらの方に視線を向けると、そこには自分と同じ階級を持つ者、『八本槍』の一人がいた。その視線から、あからさまにクーのことを嫌っているのは明白である。
アデル・アレクサンダー。イギリスの魔法使い貴族の家系において、かなりの権威を所有している家柄であるアレクサンダー家の現当主。見た目は五十代前半だろうが、魔法使いに見た目の年齢はほぼ当てはまらない。せいぜい七十後半と言ったところだろうか。普通の人間ならばこの年であれば老害とも呼ばれることがある年齢だろうが、彼はクーと同じ『八本槍』の一人であり、その実力も推して知るべし、である。
クーにとってもこの嫌味を十全に含んでいるこの視線には前から晒されており、とうの前に慣れてしまった。
「女王陛下に何か問題が起こったら、私は貴様を絶対に許さんからな」
ドスの利いた声で、プレッシャーを与えるようにそう小さく怒鳴りつける。
クーは流すようにそれに適当に頷き、彼と別れて数人のエリザベスの従者と共に建物の中まで入っていった。
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「ったくよォ、王様の周りにはああ面倒な奴しかいねーのかよ」
地上に存在する海と見紛う程の大きな地底湖、そしてそのあちこちに浮かぶ島々。澄み渡る青色と、アクセントとして添えられた薄紅色、それらを一望できる高さを持つエスカレーターで、クーは女王陛下を前にして悪態をついていた。
「仕方がないことです、彼らもまた、己の信念や信条を持って自分の家柄を世間に知らしめてきた人たちですから」
エリザベスもまた、泥臭い戦士と仲の良い友達のように話をしている。
彼女はそのエスカレーターから地下の風景を見下ろし、そして安堵したように一息吐いて柔らかく微笑む。
「リッカさんの研究も、大分進んできてますね」
エリザベスの言葉に、クーも何となく彼女の見る景色をその視界に入れる。
ところどころに散らばる可愛らしくも美しい薄紅色。極東の国、日本の春によく咲くという花、桜。
リッカとジルが、研究のためにわざわざ日本から取り寄せてきたものらしい。
彼女たちは風見鶏の文献において日本文化を紹介している物を見つけ、それに非常に興味を抱いて日本に関して色々なことを勉強しているようだ。そして、今回研究において桜を使用しているのもその一環だという。
「年中咲き続けるってのも不気味だけどな」
フン、とつまらなさそうに顔を背けて余計なことを言う。そう言った情緒の心がないからリッカたちに呆れられているのに未だに気が付いていない。
しかしクーが突如にして花鳥風月を愛で始めてもそちらの方が不気味ではあるが。
「素敵ではありませんか?美しい花が衰えることなく永遠に咲き誇るというのは。日本では盛者必衰と言う言葉もあるそうですが、切ないものを感じます」
クーの言っていることに、エリザベスは首を傾げる。
この考え方の違いは、どこから現れるものなのか。地位か、性別か、それとも人生経験の違いか。
「この世界に変わらないものなんてねぇんだよ。そんなものがあるなら、誰も躍起になって戦車だの戦闘機だの乗り回して暴れたりなんざしねーよ」
永遠不滅を、くだらないと吐き捨てる。
エリザベスは彼の言葉を、彼だから言えるものだと、納得した。
クーは、これまで様々な境遇に身をやつしながら生きてきた。その道中でリッカやジル、エリザベスにマロース姉弟と出会い、仲間になってきたが、いつだって彼らが、そして彼らと共に過ごす時間が永遠に続くなど、一度も思っていなかった。
闘い、殺し、殺される世界。生きるか、死ぬか、壮絶な人生を送ってきたとも言える彼が、恒久などという幻想を信じるはずもなかった。
「それでもまぁ、あいつらがどこまでやり抜くかってのは、楽しみではあるが」
「あら、なんだかんだでクーさんも、リッカさんたちを心配しているんですね」
「ちげーよ、心配じゃねぇ。あいつらはそこまで弱くないし、情けなくもねぇ。崇高な志っつーのは挫けるまでは滾るように燃え盛るもんだが、挫けた後には何も残らねぇ。何もなくなっちまう。あいつらがそうなるかどうか、そうなった時にどう感じるか、試してみたくはある」
エリザベスは、クーが意味深に唇の端を吊り上げるのを見た。
その微笑は、間違いなくリッカたちの将来に向けられたものだから、エリザベスは、ツンケンしていても、英雄などと呼ばれていてもやはり彼は優しいのだと、彼をそう再評価せざるを得なかった。
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入学式を終えて翌日、新入生――エトたちの方にも動きはあった。
彼は新しいクラスに配属されて早々、ある一人の人物に目が付いた。
クラスメイトと会話を交わすようなことはせず、人見知りなのか、こわばった表情で俯き加減で、近づかないでください、とでも言わんばかりの雰囲気を纏った小柄な少女。
クリサリス家の末裔、その息女、サラ・クリサリス。
最初の授業日、とある授業の後の休み時間にもまた、エトは彼女の方を見る。
エトは彼女のことが気になって、彼女の方へと足を進めようとして――
「キミがあの生徒会長の弟くん?いやー、そっくりだなー!」
背後から声を掛けられる。
ほんの少し吃驚して後ろを振り返ると、そこには男子が二人、女子もまた二人いた。
目元までかかる茶髪に、少し崩して着飾っている制服、人懐こそうな印象を持った少年、江戸川耕助。エトに声をかけたのは、この少年だった。
「すみません、うちのマスターが女性だけでは飽き足らず、男性にまで性的興奮を覚えるような残念底辺な人間で」
少年の後ろから、恐らく自身の主人であろう少年を楽しそうに罵りながら謝罪(?)を述べる少女は、人形使いの一族である江戸川家の御曹司、耕助の召使いである、江戸川四季。
彼女もまた人形ではあったのだが、あまりにも精巧過ぎて、人間と見間違える程だった。
そしてその後ろにもう二人。葛木家の長女である姫乃と、その兄であるところの清隆。清隆は自分にできた友人たちのこの一連の会話の流れに頭を抱えていた。
確かにこんなのが入学早々友達になられたのでは先が不安になるのも頷ける。
エトはそんな彼らに苦笑することしかできなかった。
「エト・マロースと言います。生徒会長をしているお姉ちゃん――シャルル・マロースの弟です。よろしくお願いします」
丁寧な挨拶、その柔らかな仕草に、そこにいた四人は息を飲んだ。
生徒会長の弟なだけあって、非常にしっかりしている。
「マスター、私はエトさんの下で働いた方がメイドとしての腕も上がるというものです。これまでお世話になりました」
「ちょっと待てよオイッ!」
冗談なのかどうかも分からない四季の発言に、耕助は鋭いツッコミを入れる。
主人と召使いの関係のはずが、何となくその力関係をこの少しの間だけで理解してしまったエトだった。
それぞれ自己紹介を交わし、簡単な雑談に交わしていると、事件は起こった。
「ふふん、ここがA組か……」
聞き慣れない声が教室に響き渡り、その声の主へとクラスメイトの視線が一斉に集まる。
教室の前方の扉から入ってきたのは、見知らぬ生徒が二人、いや、片方の女性はその生徒の召使いのような人間だろうか。
他所のクラスの人間であろうその男子生徒は、クラスを見下し目線で眺めた後にこう感想を漏らした。
「なんか、見た感じ碌な連中がいなさそうだな」
「その通りです!」
男子生徒の冷ややかな言葉の後に続くのは、その召使いの賛同の言葉。どこか言葉が軽く感じるのは気のせいだろうか。
「A組は名門揃いだと聞いていたが、僕がわざわざ気に留める必要はなさそうだな」
「当然ですイアン様!何しろイアン様は至高の天才!その才能は他の追随を許さぬ神!そう、言ってしまえば神そのものなのですから~!イアン様程のお方が気に留める必要のある者なんて、この世に存在しません。存在するわけがないのです!」
イアン・セルウェイ、イギリスでも名門と言われる家柄の御曹司。
しかし後ろに従う女性は、どう考えても主人に発破をかけて調子づかせて楽しんでいるようにしか見えないし聞こえない。
一体あのメイドは何者なのだろうか。
エトにとってむしろそっちの方が気になった。
「なんか、明らかに俺より痛い奴が現れたな……」
耕助が当人に聞かれないように、清隆や姫乃たちにだけ聞こえるような小声で呟く。
「おや、確か君は……名門クリサリス家のご令嬢じゃないか」
イアンと呼ばれていた男子生徒はサラ・クリサリスに大股で近づく。
彼女は身を竦ませながらも彼を警戒し、怯えるように睨みつける。彼女の様子からするに、サラは彼を知っているようだ。
「ふふ、このクラスにいる名門の魔法使いって君のことだったのか。これは失敬した」
「何の用ですか?勝手に他所のクラスの教室に入らないでください」
クラスの堅物、委員長気質の彼女は、冷静にイアンに言い放つ。
「でもまさかこのクラスで名門面していたのが君だったとはねぇ。恐れ入ったよ」
「どういう意味ですか?」
「あれ、とぼけるんだ、
その言葉に、サラは俯いて黙り込んでしまう。
言い返せない。悔しくて、それでも彼の言うことは紛れもなく事実だったから、彼女は反抗できなかった。
クリサリス家は長い歴史の中でその地が薄まり、今では魔力がほとんどない。既に魔法使いの一族としては、衰退し消え去るほとんど一歩手前だったのだ。
イアンはそのことを聞こえよがしにクラス全体に言った。
「言いたいことはそれだけですか?」
自分を落ち着かせて、震える小さな拳を堪えて、冷静にそう切り返す。
しかし、それからも、イアンの彼女に対する嫌味は止まることはなかった。
清隆が彼を懲らしめようと魔法を発動しようとしたその瞬間に――
「そこまでにしてもらおうか」
白銀の少年は、清隆たちの下を離れ、既にイアンと対峙していた。
一瞬の出来事にイアンは動揺するが、すぐにエトに対して見下すような視線を向ける。
「これはこれは、生徒会長の弟ではないか。同じ家族だからとは言え同じような才能があるとも言えない。君でも僕には勝てっこないさ」
「そんなのは知ったこっちゃないよ。でも、これ以上クラスメイトを馬鹿にするなら、ボクだって許しちゃおけない」
「そこまで言うか。ならばかかってきたまえ、遊び相手くらいにはなってもらおうか」
その言葉から、一瞬だった。
そう、たった一瞬で、イアンはいつの間には地に沈められていた。
何が起こったのか分からない。気が付けば、エトの立っている位置は、先程までイアンが立っていた場所の背後に当たる位置だった。
「お兄さんたちの名前に、泥を塗りたくはないからね」
そう言って、地面に寝そべるイアンに冷たい視線を向ける。
イアンは悔しそうに唸りながら、身軽に起き上がって後方へ飛んだ。恐らく重力を軽くする魔法を使ったのだろう。
「マロース生徒会長の弟か、僕をコケにしたことを後悔させてやる。今ここで君を吹き飛ばすのは簡単だが、それでは僕の気が済まない。近いうちにあるグニルックのクラス対抗戦、それで君たちを完膚なきまでに叩きのめす。覚えておけよ」
そう捨て台詞を吐いて、イアンは付き人と共に教室を去っていった。
途端に教室中が喧騒に包まれる。
エトは自分が起こした騒動が大変な事になってしまったことに気が付き、少し慌てながら振り返る。
視界に、小柄な少女が写り込んだ。
「だっ、大丈夫?」
心をズタズタにされたであろう、小さく縮こまった少女を心配して声をかける。
「べ、別に私は何ともないです」
「あ、自己紹介が遅れたね。僕はエト・マロース。よろしくね」
このタイミングで、先程まで険悪なムードだった当事者同士が自己紹介などと、エトは少しマイペースなところもあったが、そんなところにサラは少しだけ、心を許してしまった。
エトの伸びた手を、そっと掴んで握手する。
「なんか大変な事になっちゃったけど、クラス対抗、頑張ろう」
姉に似た柔らかな微笑みをエトはサラに向ける。
その無垢な表情に、サラは何となく、頷いてしまった。
イアンの奴、ウザいだろ?実はコイツ、いい奴なんだぜ?
『八本槍』の設定自体がオリジナルなので、アデルのおっちゃんもオリキャラです。他の『八本槍』のメンバーはあいつらが……?