王立ロンドン魔法学園――そのグラウンド。
たくさんの生徒がギャラリーとしてその周囲を取り囲んでいた。
時刻としては放課後、つまり入学式や教室での連絡事項などが終わり、自由時間となった直後の話である。
グラウンドには強烈な殺気が充満しており、その殺気によって、貧血の症状で倒れた者もいるという。
その空間に運ばれる不穏な風の中に彼はいた。
クー・フーリン。『アイルランドの英雄』と呼ばれる男、そして、『八本槍』の一人。
真紅の槍を構えては、遠くの方をじっと見据える。
一方で――
グラウンド半分を覆っていた煙――、それが次第に晴れて、そこに人影を形成した。
ロングの黒髪、腰まで伸び切ったそれはもはや美しさまで感じさせる。悠々とした佇まいと、獲物を狙うような鋭い視線。
対峙する女、五条院巴は両手に日本刀を握り締めて楽しそうに笑っていた。
「なるほど、実に済まなかった。訓練用の刀で傷つけないでおこうなどと甘い考えは間違いだったということか」
その言葉を聞くに、クーもまた、楽しそうに笑った。
久しぶりに現れた強敵、その実力、そして、見たこともない技の数々。
クーにとって、これまでにないほど心躍らされていた。
「次から次へと小癪な真似しやがって。面倒ったらありゃしねぇ」
槍を低く構え直し、悪態をつく。但し、油断も隙も作ったわけではない。
むしろその逆で、相手を称える気にでもなったのか、クーの相手に対する集中力は強まってきている。
「煙なんかで俺様の視界を閉ざそうったってそうはいかねーよ。動きが分からなくなるとでも思ってたのか」
「――少なくとも、観衆の目の動きから把握するのを防いだつもりだったのだがな」
――気付いていたか。
クーは巴の洞察力に感嘆する。
しかし、巴が提示した方法は、クーが相手の行動を見切る時に使用する方法のほんの一つでしかない。
確かに大勢の中で一対一の戦闘をする時、観衆の目の動きを追うことでその延長線上に相手がいることは大体予想が付く。
今回の場合は煙幕によって視界が防がれていたが、ここは天下の魔法学園、煙幕を透視する魔法使いがそれなりにいてもおかしくはない。
しかし、それを考慮した上でもクーの手の内は数えきれないほどに存在していた。
「煙幕はもう少し張らせてもらおう。ないよりはある方がマシみたいだからな」
そういうと巴は再び懐から何かしらの丸い球を取り出し、それを三つほど周囲に爆散させた。
一瞬にして視界が白い煙に満たされる。
巴の影は完全に煙に巻かれ、全くと言っていいほど視認できない。
完全な無音で、煙が少しずつこちらに向かっても広まってくる。
しかしクーは動かない。初動を起こすのは、その煙に自分自身が包まれる前。
――ふわり、と。
煙が広がる速度が、クーから見て前方左四十五度、一瞬だけ速かったのを見逃すクーではない。
――人影。
他愛もないと、煙に写る人影に向かい、牽制をかけつつ中心部へと一突きを入れた。
しかし、その腕に、その槍に全くと言っていいほど感触はなかった。
――何を突いた――何が起こった?
取り乱すことはなかったが、これは間違いなく、先手を取られたことになる。
事実、背後からの一撃に――
――ガキン!
間に合った。
真紅の槍は女の刀の刃、その腹を正確に捉えていた。
受け止めた鋭利な刃をそのまま受け流し、勢いを利用してカウンターの一撃を与える。
女は上半身を捩じってこれを躱し、その勢いで距離を取りつつ刹那に距離を詰め次の一閃を煌めかせる。
左下から右上、高速の逆袈裟――見切り、軌道線上から離れすぎないよう、身を屈めてやり過ごす。
腕が降りあがった瞬間、絶好のチャンス――穂先を必要最低限の小さな動作で、胴へと放った。
確実な一撃、回避など到底不可能の間合いと速度。
しかし、その手には再び、貫通の感触を得ることは出来なかった。
貫いたその体は、霧のように霧散していく。
――残像だよ。
どこからともなく聞こえてくる声に、クーは少し視線を動かす。
ならば、と。考える。
不可思議な点は一つ。彼女が使っている技が残像や分身などの類であれば、何故その攻撃に重さを感じることができていたのか。
分身の術のセオリーとしては、自らの分身をブラフとして活用し、相手にそちらに集中を向けさせて本命の自分で攻撃を加えるというものだろう。
従ってそのブラフに、攻撃可能な能力があるはずもない。
だとすれば答えは一つ。
それは、五条院巴、彼女が魔法使いであるということだ。
彼女は、自らの忍術を更に強力なものへと昇華するために、分身の術で現した自らの分身に、質量を持たせたのだ。
面倒なものだと唾を吐き捨てながら状況を立て直すために一旦煙幕から距離を取る。
この煙幕を利用して戦闘を行うのであれば、そこから離れるのが最も手っ取り早い離脱方法である。
「どれも同じく重さがあるなら、感じ取るべきは――ただ一つだよな」
どれだけ彼女が分身を作り出しているかは、あの煙幕を無力化しない限り分からない。しかし彼女は恐らく煙幕ですらもある程度長時間持たせるための準備はしているはずだ。
だとすれば、煙幕を無力化せずに本体を見極める必要がある。ならばそれを判断する材料は――
一点において、煙が舞い上がる。
紅の瞳の残光を残し、クーは煙幕の中へと直線的に飛び込んでいった。
同時に彼の視界は完全に煙によって無力化される。
視力は対して役には立たないが、それでも彼がこれまでに培ってきた修羅場における対処法が、身に沁みついた何百何千の体の自然な動きと鋭敏な神経がそれをしっかりと補ってくれる。
――前方から一、後方から二。
敵の位置を把握。
左への跳躍でその場を離れ、着地と同時にバネにしたその左脚に力を込めて再び元の場所へと槍を振るう。
超至近距離で視界に入った三つの残像が消えるのを確認する。偽物であることは最初から判断できていた。
――左右からの挟み撃ち。
少しだけ中心軸を右へと移行させ、高速の刃を流して右からの刺客を潰す。
コンマ数秒単位で遅れて飛んでくる左の陰もまた同様に突き崩す。
――前方左右、後方左右、計四。
本命は――前方右からの唐竹。
後方左からの攻撃に対応するように重心をずらすと同時に、それをフェイクとして前方右へと飛び上がった。
真っ先に視界に入ったのは、驚愕に染まった巴の顔だった。
顔面へと向けて、穂先を飛ばす。
こちらへと降りてきながら巴は上体を逸らし、刀を構えなおして防御態勢に入る。
そしてそれは、奇跡的に間に合った。
甲高い金属音の直後。
巴の頭部に衝撃が走る。
何が起こったのか分からないまま、地面へと叩きつけられた。
――勝負あり。
クーは視界を遮られてもなお、その常軌を逸した危機感知能力で巴の本体を見切り、攻撃を与えることができた。
彼は端から目に見える情報など当てにせず、彼の第六感に従って行動した。その結果が、相手の意志を感じ取ること。
巴の残像には質量がある時点で、視界に映る彼女本人の姿はもちろん、煙が彼女の動きで不自然な広がり方をする光景もまた頼りにならない。
ならば、そこにある決定的な違いは、そこに彼女自身の意志があるかどうか、というものである。安直な言葉を使えば、殺気を感じるか否か、と言ったところか。
どれだけ高質な分身を生み出すとしても、そこには彼女の分身として意志を持つことはない。それはあくまで巴にとって分身として動かす駒であり、そこに意志を持たせることは不可能なのである。もしかしたらレベルの高い魔法使いになれば、それくらいのことはできるのだろうが、学園に入学したばかりの彼女にそれができるとは到底思えない。
だからクーは、それを考慮して相手の意志を感じる質量、すなわち本体を見極めて動いていたのだ。
暫くして煙も晴れる。
ロンドンの地下が天井に写し出す青空が、巴には首を動かすことなく見えた。
叩き落とされ、仰向けに倒された。それが決闘の結末。
足音のする方に首を動かすと、そこにはドヤ顔で勝者の威厳を余すことなく放っている真紅の槍の使い手がいた。
「私の負けだ」
「そうだテメェの負けだこの負け犬」
敗北したとはいえ、全力で戦ってくれた相手に対して罵っているクーを見て、遠くで見ていたリッカは頭を抱えて溜息を吐く。
どうして自分の仲間はここまで戦闘狂で勝利に執着するのだろうか。
いつまでたっても変わらないその姿に、何も言えない自分もまた、彼のそんな姿を認めていることを自分でも分かってしまっていた。
「まぁでもアレだ。テメェは強いよ。俺様に先手を取る奴なんざそうはいねぇ。テメェとはまたやりたいもんだぜ。その時まで自分を苦しめな」
長槍を肩に担ぎ、巴に背中を見せて、観衆を眼飛ばして道をつくらせながら、クーはグラウンドを去っていった。
その時巴は思った。
彼は、クー・フーリンという男は、紛れもなく自分のライバルになるだろうと、そんな気がしたのだ。
そしてそんな彼を見守っていた少女たち。
彼女たちを交えればきっと、彼もまた彼女の幼馴染の少年少女のような、素晴らしい玩具になるだろうと、この時から予見していた。
余談だが、その後クーは今回の件の騒ぎとリッカの個人的な憂さ晴らしとして、派手に吹き飛ばされたらしい。
それがきっかけで全治三か月の怪我を負ったと医者は言ったが、彼はそんな怪我を五日で完治させてしまった。
魔法学園の新入生にして『八本槍』、そして『アイルランドの英雄』の通り名、実際に目にした戦いの光景と今回の怪我の件で、クー・フーリンという男は学園において英雄であると同時に、学園のアニキと称されるようになったとか。
グニルックして、原作主人公組が入学して。
次からそんな感じ。エト君もその辺から参戦します。