エトって大きくなったら絶対童顔イケメンだよね。
エトの部屋に戻ってきても、クーはその笑みを崩すことはなかった。
それどころか、決意をした時よりも増して、この状況を楽しんでいるようにも見える。
そして、その鋭い笑みを一度表情から消して、真剣な表情で全員に向き直る。
「リッカ、お前はまず何でもいいからこの坊主の体を冷やすためのものをたくさん持ってこい。冷水とかその辺は何でもいい。それからジル、お前は治癒魔法の準備をしろ。それと――」
気まずそうにクーは口ごもる。
これまで一緒にいたはずなのに、エトの姉の名前を知らなかったのだ。
それに気が付いて少女も慌てて自己紹介をする。
「シ、シャルルですっ!シャルル・マロースですっ!」
「よし、じゃあシャルル、お前はエトのために祈ってろ。傍で励ましてやれ」
「はい」
ジルは、言われるままに、半信半疑でありながらもエトに治癒魔法をかけていた。
しかし相変わらず効き目はない。
そして、こんなことをさせているクーの意図も全く掴めなかった。
「さて……」
クーは瞳を閉じ、精神を集中させる。
これからクーが使う奥の手は、これまでに教えてもらったことがあるだけで、一度も実践したことはない。
だからこれはあくまで懸けであった。
ジルの隣にしゃがみ込み、そして指先に魔力を集中させる。
そう、これから彼は、魔法を発動、行使するのだ。
「えっ、クーさん、魔法使えたの!?」
「そんなのは後だ。とにかく今は術に集中しろ」
突然の行動に驚くジルに、クーは叱咤をする。
ここは本当に集中して決行しなければいけない場面だ。気を抜くことはできない。
そして、クーは、ある言葉をイメージする。
――ルーン魔術。
それは魔法とは違うが、それでも魔法と似たような恩恵を得ることができる、特殊な力である。
古詩『エッダ』の記述によると、これは北欧神話における最高神、オーディンがイクドラシルと呼ばれる世界樹に釣り下がった状態で、自分の身を槍で突きながら会得したといわれる、神の力なのである。
クーは、その内容を、幼少期に彼の母親から伝授されていたのだ。
だからその適正と知識により、ルーン魔術を使用することができる。
そして、今回刻む文字は、『ベオーク(Beorc)』。
カバの木を表し、古代ヨーロッパにおいては、これは豊穣と母性原理の象徴である。
そしてこの文字が秘める力は、病を癒したり、健康を保つのによいとされている。
そしてそれを軸に展開し、そのサポートとして使う文字が、『ケン(Ken)』。
炎や松明を表し、ダイナミックでパワフルな力を発揮させ、物事の始まりや、創造的な可能性を司る。
これにより、エトの自己再生速度と、ジルの治癒魔法の効能を更に引き上げる予定である。
それを、エトの、ジルの体が持つ限り、何度も、何度もその手元に指でなぞっていく。
その度に光は強さを増し、そして空気がだんだん暖かくなっていく。
そして――
「これ、いける!」
ジルの希望に満ちた一言は、周囲を増々希望に導いた。
シャルルは、エトの傍でじっと祈っている。
大丈夫、大丈夫、頑張って、もう少しだよと、囁くように声を掛ける。
そして、その状態で時間は経ち、術は、終了した。
それと同時に、エトが苦悶の表情を浮かべ、苦しそうに唸っている。
「まぁ、そうなるわな」
クーがまるで分ってたかのように呟くと同時に、ジルが疲れた体でエトの体を調べると、彼の体が異常に発熱していることに気が付いた。
これは、ルーン魔術に使われる、『ケン(Ken)』の副作用のものである。
この魔術は、実力のある者が使えば、要塞のような建物を一つ丸ごと燃やし尽くす力を持つ。
それを人の体内で、再生能力を高めるために使用しているのだから、それなりに対価は必要となる。
それを見越してクーは、リッカに体を冷やすものを持ってこさせたのだ。
リッカは布を巻いた氷を体中に当て、体を冷やすようにする。
「坊主、ここが正念場だ。生きたければ耐えてみせろ」
それと、鍛錬に向かうとだけ言って、クーはやることを終えて部屋を出ていった。
他の少女たちは、全員でエトの看病を交代で行ったのだった。
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それから数日が過ぎて、エトの症状もだいぶ快方へと向かっていった。
まだルーン魔術の影響で体の微熱が残ってはいるが、確実に元気にはなっていった。
医者にも見せたところ、あの状態で回復するのは奇跡そのものであるとまで言わしめた。
もう、元気に外で遊んで回ることもできる、普通の男の子である。
今では、姉弟仲良く並んで座って、いろいろなことを話していた。
一方、家の周辺の草原で鍛錬をしていたクーも、歩み寄ってくるジルとリッカの姿を見て、槍の動きを止め、自然体に戻る。
「どうした?」
クーの分かり切ったような視線と言葉に、リッカが苦笑する。
「分かってるくせに」
どちらも、考えていることはエトを助けたこと、そしてそれより少し前のクーの冷たい言葉だった。
その時のクーと、今のクーとでは明らかに雰囲気が違った。
「私たちもまだまだ、甘かったみたいね」
クーに言われたこと、クーにされたこと、その全てが、彼女たちの脳裏にしっかりと焼き付いていた。
「でも、どうしてそれまで何も言ってこなかったの?」
「俺はあの時まで何も知らなかった。部屋に入ったと思ったら葬式ムードだったからがっかりしたぜ。一緒に旅してきたお前らがこの程度だったのかってな」
「それはまぁ、そうよね……」
「お前らは、たいそうな夢抱えてんだろうけど、もっと貪欲になったっていいんじゃねーの?無様に地を這って何かに踏みつけられても、それで何かを掴めるのなら、安いもんじゃねーか。少なくとも俺はそうしてきたつもりだ」
それはクーがリッカたちと会う前からずっとそうであり、そしてこれからも続いていく生き方である。
そしてそれは、あらゆる結果へと結びついてくれた。
「ま、せいぜい諦めずに頑張れや」
クーがジルたちに背を向け、鍛錬を再開しようとした時、家の方から少年の声が聞こえてきた。
クーを必死に呼ぶ声が、草原中に響く。
「クーさん!」
元気よく走ってきた彼は、ベッドで横になっていた弱々しい彼とは違い、少しだけ、たくましく思えた。
その顔は、真剣そのものだった。ただ感謝の言葉を伝えに来ただけではないだろう。
「その、助けてくれて、本当にありがとうございました!僕はまだ生きたい、お姉ちゃんたちと一緒に行きたい!僕はまだ、諦めません!」
「あーそうかよ坊主」
エトの力強い言葉に、クーは適当にいなすように返す。
しかし、今エトは、おかしなことを言った。
エトは、姉であるシャルルだけでなく、お姉ちゃん
その言葉を両親を含めるのならあながち間違いでもないのだが。
「今まではずっとお姉ちゃんに助けられて生きてきました。でも、これからはお姉ちゃんや、みんなを守れるように、強くなりたいんです!だから……だから、僕を、鍛えてください!」
つまり、そういうことである。
彼は、クーやリッカたちと一緒に行きたいと言っているのだ。
懇願されたクーは、流石に今回ばかりは思考が停止して、少しの間固まってしまった。
「お姉さんのために強くなるって、立派なことじゃない」
視線を向けると、リッカはいやらしい笑みを浮かべて、何やら面白いことが起こるとでも言わんばかりにこちらを向いていた。
再び視線をエトに戻し、ふと思いついたように、拳を握る。
そして、その拳を、エトの顔面に向かって、思い切り走らせた。
「――!!」
その突拍子な行動に、エトは堪らず目を閉じる。
だが、それだけだった。怯えることもせず、怯むこともなく、ただそこに立っているだけだった。
エトがゆっくりと目を開くと、クーの拳は目と鼻の先にあった。
「……上等だ」
クーの表情は、面白いものを見つけたと、エトの顔を見て満足そうだった。
だが、エトの貧弱そうな体を見て、少し考え込む。
「そうだな、とにかくあれだ。寝たきり生活が続いてるせいでまだまだひょろっちーんだよ。筋肉が足りねぇ。まずはある程度飛んだり跳ねたりしても疲れない程度の筋肉をつけろ。筋肉だ筋肉。筋トレでもしてろ」
ぱぁっとエトの表情が明るくなり、元気に返事をする。
と、そこにシャルルも現れて、更に事態は面倒な方向になりそうな兆しが見えてきた。
「エトのこと、お願いするね。エトが決めたことだから、私も尊重してあげたい。だから、いろいろ、教えてあげてください」
そう言って、ゆっくり頭を下げる。
いたたまれなくなって、頭を上げるように言って、そして出てきた言葉は照れ隠しだった。
「俺は厳しく行くつもりだ。坊主が泣いて帰っても俺は知らねーぞ」
そして、それから自分の鍛錬ついでに、エトの鍛錬の日々が始まった。
まずは基礎的な体づくりから始まる。
これまで病気のせいであまり外で遊べなかったこともあって、体力はほとんどなく、運動神経もいい方ではなかった。
しかし、幸いにもどこでそんなものを培ったのかは不明だが、反応速度と空間把握能力は非常に優れているみたいだった。
長時間の運動を可能にするための、地形変化の激しい森の中でのランニングや、各種筋力トレーニング、エトが体を壊さないように、初めは慣れるまで軽いペースで、そして日が経つにつれて段々レベルを上げ、鍛錬時間を伸ばしていった。
体幹を鍛え、体の軸がぶれないように矯正し、そしてそこから前後左右への移動、跳躍、基本的な動きは徹底的にに叩き込んだ。
元々エトはそんなに丈夫なわけではない。
ペースに慣らすために、大分時間がかかった。
それでも、ジルやリッカの協力、そしてシャルルの応援もあり、エトも集中を継続させて鍛錬に臨むこともできたし、高いモチベーションを維持することもできた。
後で知ったのだが、この時、実はエトは、シャルルと共にリッカたちに魔法についていろいろ享受してもらっていたらしい。
そして自身もまた、ゆっくりではあるがエトが少しずつ成長していくことに、期待と喜びを感じていたのかもしれない、彼との鍛錬を楽しみにしている自分がいたのだ。
そして、ある程度体ができてからは、エト自身の意志により、武芸を習った。
とはいえ、クーの武術の型自体、基本は父親に教えられたものを自己流にアレンジしたもので、それがエトに扱いこなせるかどうかは不安であった。
だからクーが選んだ選択肢は、自分が教えてもらったことを叩き込みながら、エト自身の癖を長所として生かしながら型をつくること。
癖というのは少し語弊が生じるかもしれないが、この場合スタイルとか、慣れた動き、とか、そういった意味である。
それを有効活用しながら、まずは素手での立ち回り、基本的にクーが動くサンドバッグになりながら、エトの動きに指摘を与えつつ調整していくのが日課である。
日が経つにつれ、その内攻撃の打ち方、防御のとり方、動作の少ない回避の仕方などを、エトは学習し始めた。
この辺りの習得率の速さは、彼が元々持っていた空間把握能力と反応速度が大いに役立った。
そして、そんな日々が続いてある日、とある知り合いから一通の手紙が届いた。
その相手とは主にジルとリッカが手紙のやり取りをしており、今でもかなり仲がいい。
今回の手紙の内容は、リッカとジルが魔法使いの地位を上げるためにいろいろなことをしていることを知って、それに共感していたその人が、ロンドンの地下に魔法使いを育成する期間、王立魔法学園を創立したとのこと。
もしよければ、いろいろと手伝ってほしいことがある、というものであった。
その差出人こそ、以前彼女たちと会ったことのある、エリザベスであった。
リッカとジルは二つ返事で了承し、旅の支度を始めた。
勿論これにクーもついていかない訳もなく。
となれば、エトが付いてくるのも必然と言えるだろう。
だが、来るのは彼だけではなかった。
「私も、ついていって……いいかな?」
遠慮がちに聞いてきたのは、エトの姉、シャルルであった。
「ご両親は、いいの?」
当然の質問を、リッカがぶつける。
「お父さんも、お母さんも、外に出ていろいろ学んできなさい、って」
お互いの明確な意志があって、お互いに共感する。
そんな彼女に、リッカたちが否定するわけもなく、これまた快諾でシャルルは一行に加わることになった。
「姉貴も来るだってさ、良かったな」
「うん」
女性だけで楽しそうに会話しているのを、クーとエトは傍から眺めていた。
今のエトは、数週間前とはかなり雰囲気も変わり、まだまだ未熟で頼りないが、その眼は、諦めない意志が灯っていた。
「ここを離れるからって、鍛錬は続くぞ」
「うん、頑張るよ!お兄さん!」
「お、お兄さんだぁ!?」
「僕、お姉ちゃんがいるけど、お兄さんって、いるとしたらこんな人なんだろうなって、何度か考えたことがあるんだ」
「まさか、それと俺が重なるとかいうんじゃねーだろうな」
「ぴったりだよ!」
ちなみに、お互いにタメ口で会話ができるくらいに、お互いに打ち解けあっていた。
その様子は、まるで仲のいい兄弟のようだった。
ルーン魔術については、簡単にネットで拾った情報を流用しているだけでちゃんと文献とかで調べたわけじゃないのでよく分かりません。違ってたら見逃してくださいお願いします(汗)
エト強化フラグ。というか絶賛強化中。
次回からいよいよ風見鶏と関わります。相変わらず序盤は駆け足になりそうですが……。