兄貴はいるけど、優しくて美人なお姉ちゃんが欲しかったと、そう思っていた時期が筆者にもありました。
これで何度目だという話だが、かれこれまた十数年時が過ぎた。
その間にリッカたちは何度もエリザベスと手紙で連絡を取り合っていたようで、彼女の近況も大方把握していた。今のところ大した出来事はないようだが、それでも彼女たちの友情は健在であることだけは確かだった。
ヨーロッパ中を旅してまわっていたクー・フーリン一行だったが、この時、彼らは森の中を歩いていた。
それもかれこれ二日ほど歩いても外に出られる兆しはなく、精神的にも参っていた。
そんな中で、ついに正面の森の奥から、わずかながら光が漏れてくるの見た。
「やっと外に出られるか……」
「もううんざりだわ。森の中でのサバイバル生活ってこんなにも過酷だったのね」
「まだ二日だけなのに、本当に疲れちゃったよ……」
今回の二日間で、クーが二人に会うまでどれだけ大変な目に合っていたのか、改めて実感したジルとリッカだった。
さて、希望の光が見えてきたこともあって三人は歩を進めた。
森を抜けたらそこには、大きな広場があった。
広がる草原に、一行は息を呑む。
それほどまでに美しくて雄大な光景だった。
そしてその野原の少し無効に、小さな家が一つ立っていた。
「今夜はあそこに泊めてもらおうかしら」
リッカの提案に、ジルは頷く。
「お前ら、あれだけでそんなにへとへとなのかよ。俺様を見習いやがれ、このもやしっ子」
万年不幸男と比較などされたくない。
ごく平凡な生活を送って来た二人にサバイバル生活が普通にできるわけがないだろう。
これでもクーについてきて少しでも強くなったつもりだ。
「分かったから、行くわよ」
リッカの疲れ切った声で、三人は小さな家に向かって歩いていった。
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小さな家の扉をノックすると、中から銀髪とルビー色の眼をした男が姿を現した。
しかしどこか元気がないというか、酷くやつれている。
「どうかしましたか」
「えっと、あちらの森から抜けてきたもので、もし迷惑でなければ、こちらでお泊めしていただけないでしょうか?」
ジルの挨拶に、男は弱々しい笑みを浮かべながら、その申し出に対して肯定した。
主人の重い空気。活気のない家の雰囲気。誰もが思った。この家では、もしかしたら何か重い問題を抱えているに違いないと。
「狭い家で、何もおもてなしすることはできませんが、ゆっくりしていってください」
それから三人は、少し広めの一室に案内される。
広いとは言っても、この家自体はそんなに大きくない。
家の広さに対して、この部屋はそれなりに広めに設計されているだけである。
「にしても、様子が明らかにおかしかったよね」
「ええ。本当は泊まってくのも悪いんじゃない?」
「気にするなよ。向こうはいいって言ったんだから、いいに決まってんだろ」
クーはやはり遠慮というものを知らなかった。
リッカにしても一発ぶん殴ってやりたいと思ったのだが、他人の家で騒動を起こすと厄介なことになるので堪えておいた。
それぞれ荷物を置いて、適当にくつろぐ。
しばらくのんびりできると思ったのだが、クーがふと立ち上がった。
「俺ちょっと鍛錬してくるから、お前らゆっくりしてろ。じっとしてられないなら家のことでも手伝ってやれ」
クーはふらふらと家を出て行ってしまった。
「相変わらずよね」
「そうだね……」
いつも通りの彼を見て、二人とも苦笑を漏らした。
それからしばらく雑談していると、廊下から物音が聞こえた。
それはそう、誰かが倒れる音のような――
何事かとリッカはすぐさま部屋を出ると、そこにはここの家主の男と同じ銀髪とルビーの瞳を持った少女が倒れていた。
「だ、大丈夫!?」
リッカが慌ててその少女を抱き起す。
ルビーのような瞳、美しい白銀の髪。この家の主人と同じ特徴。
その少女もまた、大分疲れが溜まっていたようで、弱々しくやつれてしまっていた。
「何があったの?」
間から、ジルも口を挟む。
しかし少女は、同じく弱々しく首を横に振って、何でもないと事を否定した。
とりあえず今晩はしっかり眠るように言っておくと、少女は頷いて自室へと帰っていった。
「話は、明日訊きましょうか」
リッカの真剣な提案に、ジルも同意した。
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翌朝、いつも通りの時間に起きると、早速両親のもとに挨拶に行こうと思ったのだが、生憎既に仕事に向かってしまっているらしい。
部屋に戻ろうと踵を返すと、この家の娘と思われる昨晩の少女と鉢合わせた。
「昨日は、何であんなところに倒れてたの?」
「別に、何でもない……」
そう言って、二人の脇を通り過ぎて、部屋へと入ってしまった。
顔を見合わせて、このままではいけないと思い、その後に続いて部屋に入る。
そこには、ベッドに寝込んだ、もう一人の家族がいた。
そして、それに付き添うように、その脇の椅子に座ってずっと看病している、先程の少女。
こちらを一瞥すると、すぐにベッドに横になっている少年に視線を戻した。
「弟さん?」
リッカが少女に訊ねる。
少女は頷き、彼の名前が『エト』であることを告げる。
「……えっと、お姉ちゃんの、お友達ですか?」
エトという少年が、口を開いた。
柔らかくて、優しい印象を持つ少年のその表情は、既に何かを諦めていた。
その視線は、その諦めの意志は、姉である彼女にも、伝わっていた。
「いいえ、でも、これから友達になるわ」
「……そうですか、お姉ちゃんを、よろしくお願いします」
「エ、エト、何言って――」
そこまで言って口を閉じ、顔を伏せた。
ジルは少女の隣まで行き、そしてこう尋ねる。
「病気か何かなの?」
「……うん、お医者様は、もう治らないって……。でも、エトは絶対元気になって、一緒に遊ぶんだから……!」
その悲痛な叫びは、涙声になって震えていた。
叶わないことだと知っていて、それでもまだその願いにしがみついていたくて、そんな未来を信じたくない、そんな想いがひしひしと伝わる叫びだった。
ジルとリッカは顔を見合わせる。
「ちょっと、エトくん、いいかな?」
それは確認ではなく、これから何かを始めるという意思表示。
ジルはエトの枕元に歩み寄ると、彼の胸元をはだけさせ、そして両手を胸の中央に当てた。
そして、そこに向かってゆっくりと魔力を集中させていく。
何度もクーに使用してきた治癒魔法を、更に複雑に、精密にして、エトにかけていく。
手元が淡く光りだし、場の空気がだんだん暖かくなる。
リッカもその様子を見ていたが、依然としてその表情は硬いままだった。
そしてしばらくしてその光は失せ、手をエトの胸元から離す。
その表情もまた、苦々しいものだった。
リッカの方を向いて、首を左右に振った。
「そう……」
リッカも、短く呟いた。
ジルが言うには、もう少し早くここに来ていれば、彼を治してあげることができたかもしれないこと。
そして、それに悔んだリッカに対して、ジルはこう付け加えた。
そのもう少しというのは、数か月という単位での話で、それこそここまで来るのがもう少し早かろうが、対して差はなかったと。
誰もが絶望しかけたその時、空気を読まない『アイルランドの英雄』が割り込んできた。
「ふぅん、諦めんのか」
ゴミでも見るような目で、この部屋にいた四人を見下す。
浅はかだと、愚かだとでも言いたそうなその眼は、リッカを怒らせた。
「あんたね!私たちだって諦めたくないわよ!こんなに弟想いなお姉さんがいて、お姉さん想いな弟がいて、そんな幸せ溢れる家族が病気で引き離されるなんて、嫌に決まってるじゃない!」
リッカもまた、先程のエトの姉のような悲痛な叫びをあげた。
それでもなお、クーの表情は変わらない。
話だけは、最後まで聞いてやるつもりのようだ。
「それでも、どうしようもないの。今この場で最も治療に向いている能力を持っているジルでさえ歯が立たなかったわ。それで、他に治してあげられる当てが、あるはずがないじゃない……」
そして、力尽きたかのように語尾を弱め、そして俯く。
その言葉が、その現実が部屋中に行き渡ったのか、部屋の空気は、絶望でひしめきあっていた。
「そんで、諦めんのか」
同じことを、同じ眼で、見下す目で彼女らに問う。
絶望など大したものではないとでもいう、その表情が、少しは彼女らにとって救いだったのかもしれない。
「俺はただ聞きたいだけだ。お前らが、この状況に諦めるのか、諦めないのか、それだけを聞きたいだけだ。それと――」
クーの視線は少女たちを離れ、ベッドの少年に向けられる。
同じように、ゴミを見るような視線で。
「お前はどうなんだ?生きたいのか?それとも楽になりたいのか?」
クーの質問に、エトは顔を背ける。
「お姉ちゃんは、僕のせいで辛い思いをしているんだ。だから、僕が重荷になってしまうのならそんなのは、僕は嫌だ……」
「ふぅん、死ぬのか、死にたいのか」
容赦なく浴びせられる心ない言葉に、エトは涙を浮かべる。
「僕だって、死にたくないです……!でも、僕のせいでお姉ちゃんが苦しむのは、もっと嫌だ……!」
「あ、そう、じゃあ死ななきゃいいじゃねーか」
リッカが立ち上がり、クーの胸倉を掴んで、壁に叩きつける。
彼女のワンドが、クーの喉元に突きつけられた。少し魔力を加えれば、即死が確定されるほどの至近距離。
「いい加減にしなさい。さもなくば、この場であんたを殺すことになりそう」
その怒りといったら、これまでに一緒に旅をしてきた中で、見たこともないほどのものだった。
無表情のまま、クーは力づくでリッカを払いのけると、もう一度、同じような視線で、問うた。
「もう一度全員に問う。お前らは、諦めるのか?」
圧力を含んだその質問に、一同は沈黙を余儀なくされた。
誰も、何も答えることができない。
それを見たクーは、何も言うことなく、部屋を去ってしまった。
その後も、誰も一言も発さずに、部屋は沈黙と、感情の混沌で支配されていた。
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部屋に戻ったクーは、床にあおむけに寝そべった。
自分でも、柄にもないことをしてしまったと、そして少しばかりきついことを言い過ぎたかと反省しているところだった。
「慣れないことはするもんじゃねーよな、全く……」
だが、後は彼女たちが決める問題だった。
クーは、あくまで誰も助けない。彼は正義の味方などではない。
気に入らないものは斬り捨て、自分に好都合なもの、そして気に入ったものだけを追い求めて生きてきたし、これからもそうするつもりである。
クーは、彼女たちの絶望が、気に食わなかった。だから斬り捨てた。
彼女たちの諦めが気に入らなかった。だから罵った。
それの何がいけないことだろうか。それが彼の生き方なら、誰に否定する権利があるだろうか。
「めんどくせー……」
寝返りを打って、背中を掻く。
視界に入ったのは、真紅の長槍だった。
今まで旅を共にしてきた相棒。
いつまでも自分を戦いの世界に誘い、そして心躍らせてくれる存在。
彼は一度たりとも、諦めることはなかった。
ゆっくりと瞼を下ろす。
考えることも面倒になって、シリアスな雰囲気にも嫌気がさして、それなら現実逃避でもして夢の世界に逃げ込んでやろうという魂胆だった。
だがそれもまた、いつも通りにリッカたちに妨害される。
そう、いつものことだった。
「――打つ手があるのなら、聞くわ。私たちはまだ、諦めない」
扉の開く音の後に聞こえた言葉には、覚悟を決めた重みがあった。
リッカに背を向けたままのクーは、そっと起き上がって、背を向けたまま座り込む。
「ったく、これから寝てやろうって時に邪魔しやがって」
「いいからさっさとしなさい。人の命が掛かってるの」
顔だけを横に向け、瞳はリッカに向ける。その紅く鋭い視線を。
「あの坊主は、なんて言ってた?」
「お姉ちゃんと生きたいって」
「そうか」
クーはのっそりと立ち上がる。
そして振り返った時のその表情は、戦地に赴く時の、心躍った表情をしていた。
そう、あの、楽しみを待つ、鋭い笑みだった。
「あくまで一手だ。助かる保証はねーぞ」
「それでも、可能性があるなら、私たちは諦めない。それに賭けるわ」
「ジルはまだいるな?治癒魔法の準備をさせろ」
きょとんとしたリッカは、クーの言葉に疑いを抱きながらも、駆け足でジルの下へと、エトのいる部屋へと向かった。
この戦いは、負けられない。
勝利して、一人の少年の命を勝ち取ってやる。
闘志に燃える彼の双眸は、開いた扉の向こうにある、廊下へと向かっていた。
次回、遂に原作からルートが一つ消える!(ネタバレ)
後半のやり取りを書いてる途中が一番楽しかったと思う。
シャルルさん、原作でエトがなくなった後、立ち直るのにどれだけ時間がかかったろうか……