インフィニット・ストラトス~小さなヴァルキリー~ 作:黒ペンギン
「……」
私の視線の先には先ほどから机に突っ伏している少年がいる。一時間目が終了し今は休み時間。IS学園は入学式の日から授業があるほど時間割が詰まっている。多くの生徒が何の不満もなくその授業を受けているのは、事前から覚悟していたからであろう。だが、何の準備もなく突然IS学園に入学された彼は違う。
「いきなりの授業と女子達の視線にノックアウトといった感じですね」
私の小さな呟きはクラスの喧騒の中に消えていく。
「ゆ~ちゃん」
間延びした聞き覚えのある声と共に後ろから抱きつかれる。突然の事で驚き、体勢が崩れそうになるが何とか耐える。
「本音さん、いきなり抱き着かないでくださいよ。危ないじゃないですか」
「ごめんねー。でも久しぶりだったからつい」
本音さんの笑顔と人を癒す独特の雰囲気に、これ以上怒る気になれなくなる。
「……まったくもう。今後は気を付けてくださいね」
「はーい。そうだ、かんちゃんも会いたがってたから後で一緒にお昼食べよー」
本音さんが言うかんちゃん――更識簪さんは日本代表候補生であり、私の後輩でもある。短い間ではあったが、一緒に訓練もしており、その時簪さんと一緒に来ていた本音さんとも仲良くなった。
「いいですよ。でも簪さん違うクラスなんですね。本音さんと簪さんは一緒のクラスだと思ってたんですが」
「あー、それはねいろいろあったんだよー」
いまいち要領を得ない答えに首をかしげる。
本音さんの布仏家は代々更識家に仕えてきた家系であり、本音さんも簪さんの専属として仕えている。
小中とその理由でずっと同じクラスだと聞いていたんですが、IS学園では融通されなかったのでしょうか?
「それにしても、織斑君すごい人気だねー」
考え込んでいた私を見て本音さんが話題を変えようとする。
ただ興味が織斑君に移っただけかもしれませんが……。
「ええ、でも本人はまったく嬉しそうではありませんね。誰か話しかけでもすれば多少気も紛れると思うのですが」
「そうかなー。内心では喜んでるかもよー。それにお嬢様から聞いてるよ、織斑君の護衛なんでしょ。ゆーちゃんが話しかけてあげればー」
「いえ、それは……。今話しかけたら他のクラスメートに恨まれそうな気がします」
先程からクラス内では、話しかけようとする生徒は抜け駆け禁止とばかりに牽制しあっている。
「ゆーちゃんなら大丈夫! 同じ有名人だしー……ありゃ? 誰か話しかけるみたい」
本音さんの言葉に再び織斑君へ意識を向ける。そこには、本音さんの言う通り一人の生徒が話しかけようとしていた。
あれは……、篠ノ之さんですね、ISの開発者である篠ノ之束さんの妹で……確か幼馴染だったような。織斑君は交友関係が広いですから覚えるのが大変です。
「あ、教室から出ていくみたい」
「え!? 本音さんすいません、私もちょっと行ってきます」
「行ってらしゃーい」
織斑君を追いかけて私も教室を出る。後ろからは本音さんが私を送り出していた。
本音さん……微妙に楽しんでませんか?
◇
「なんでそんなこと知ってるんだ」
「そりゃあ、新聞で見たし」
「な、なんで新聞なんて見ているんだっ!」
廊下の隅では織斑君と篠ノ之さんが久しぶりの会話に花を咲かせていた。
なんだか……護衛とはいえ申し訳ない気持ちになりますね。
二人も他人に聞かれたくない為、わざわざ教室を出てここまで来ている。それなのに盗み聞きをしている私は罪悪感に襲われる。
それに……。
「やっぱり気になるよねー」
「悠ちゃんも織斑君狙いなの」
「なにあの子、織斑君の知り合い?」
織斑君と篠ノ之さんの関係が気になるのか、多くの女子生徒達が二人の様子を窺っていた。
私、やっている事が野次馬やストーカーと大差ないような気が……。いいえ、これは大切な事なのです! たぶん……。
「あ、鳴っちゃった」
「やばっ! 早く教室戻ろう」
二時間目の開始を告げるチャイムが鳴る。それと同時に全員蜘蛛の子を散らすように自分のクラスへと戻って行く。
引き受けたはいいですが、人の生活を見続けるのは思ったより罪悪感が溜まります。
―――
――
―
「護衛ですか……」
『はい、正確には監視も含まれるんですけど』
安藤さんが電話でも分かるくらい不機嫌な声で私の言葉を訂正する。私が日本政府に依頼されたのは、唯一の男性IS適性者――織斑一夏の護衛・監視だそうだ。
護衛は分かりますが監視ですか……。
『今回の件、表向きは依頼とはなっていますが実際はほぼ命令ですよ! しかも日本だけじゃなくてアメリカからも圧力があるなんて、断れるわけないじゃないですか!』
「いえ、別に断って欲しいとは言っていませんけど」
アメリカは私を通して織斑君のデータ取りが目的だろう。
それで監視ですか……。
『断らないと駄目に決まってるじゃないですか! 今年度にはモンド・グロッソが控えているんです。こんな事している暇はないんです!』
「こんな事ではありませんよ、誰かが守らなければいけないんですから」
確かにモンド・グロッソが控えているが、それでも人の命の方が大切でしょう。
それに織斑さんの弟ですし……。
『でも……。今回こそ部門優勝して正当な評価を受けるって言ってたじゃないですか』
第2回モンド・グロッソでの私の結果は準優勝、補欠出場でありながらその成績を出した私に世間では私こそが”真のヴァルキリー”と呼ぶ。だが、それは総合優勝を棄権の形で逃してしまった織斑さんの代わりに私が御輿になったに過ぎない。
「ええ、それでもです」
『ああ! もうっ、分かりましたよ! どうせ断れませんし、詳細は日本に帰ってからで』
「はい、分かりました。ちゃんとお土産持って帰りますね」
『ちょっと待ってください、もうお土産買っちゃったんですか』
先程の件よりも焦った声が電話から聞こえる。
「ええ、マカダミアナッツとチョコを」
『またですか! またその2つですか! 何か他にもあるでしょう、ほぼ毎週行ってるんですから――』
―
――
―――
「おい、天野。何を廊下で突っ立ている」
「あ、織斑先生。いえ、ちょっと罪悪感と後悔を……」
私の言葉に織斑先生が苦虫を噛み潰したような顔をする。
「その、なんだ、もう授業を始める教室に戻れ」
そう言いながら織斑先生は教室へ向かう。私も追うように教室に向かうが途中で同じように遅刻したと思われる織斑君が叩かれていた。その威力がいつもより強かったのは気のせいでしょう。
◇
二時間目は問題なく……問題は多少ありましたが無事に終わりました。
何故参考書を電話帳と間違えるのでしょうか、いえ勘違いというものは誰にでもありま……あります。
「いやー、織斑君って天然だねー」
「そ、そうですね」
本音さん、貴方には言われたくないと思いますよ。
「ちょっと、よろしくて?」
その一言で教室内が鎮まる。声のした場所に目を向けると織斑君にオルコットさんが話しかけていた。
「うぇ?」
「まぁ! なんですの、そのお返事。わたくしに話しかけられるだけでも光栄なのですから、それ相応の態度というものがあるんではないかしら?」
……。いつか起きるとは思ってましたが初日からいきなりですか。
近年の女尊男卑の勢いは凄まじく、織斑君の事を快く思っていない人も一定数いる。
「悪い。俺、君が誰だか知らないし」
「このセシリア・オルコットを知らないですって? イギリス代表候補生にして入試主席のこのわたくしを!?」
オルコットさんは信じられないとばかりに目を見開く。
ISに関わりの無かった織斑君が知らないのも仕方がないと思うのですが。
「ちょっと、質問いいか?」
「ええ、下々のものの要求に答えるのも貴族の務めですわ。よろしくてよ」
「天野さんも言ってたけど代表候補生って、何?」
その言葉に多くの生徒がずっこける。
織斑君、できれば穏便に済ませたいのでオルコットさんを刺激するような事は控えてください……。それに、さすがにそれは知っていない方が難しいと思うんですが。
「信じられませんわ。日本というのは、未開の地なのかしら。常識ですわよ。テレビがないのかしら……」
オルコットさんは怒りを通り越して呆れているのか、こめかみを押さえながら呟く。私の隣では本音さんが笑い声を押さえながら私にくっついてくる。
「ふっ、ふふっ、あー面白かった。いやー、ゆーちゃんも大変だね」
「本音さん、ついに本音を言いましたね」
「あ、ゆーちゃんがダジャレ言った!」
そんなつもりはなかったのですが……。
「たぶん!? たぶんってどういう意味かしら!?」
いつの間にか話が進んでいたのかオルコットさんが体を乗り出して織斑君を問い詰めている。
「あー、落ち着けよ。な?」
「こ、これが落ち着いていられま――」
オルコットさんの言葉に被せるようにチャイムが鳴る。織斑君はほっとしているが、オルコットさんは納得していないようだ。
「またあとで来ますわ! 逃げないことね!」
織斑君にそう言い放ったオルコットさんは自分の席へ戻って行く。それと同時に先生達が教室に入ってくるが、先程までの授業とは違い織斑先生が教壇に立つ。
「それではこの時間は各種装備の特性について説明する」
織斑先生の初授業にクラスの殆どが目を輝かせながら真剣にノートを取ろうとしている。
「ああ、その前に再来週行われるクラス対抗戦に出る代表者を決める。クラス代表とは対抗戦だけではなく、生徒会の開く会議や委員会への出席……まぁ、クラス長の様なものだ」
教室内がざわめきだす。まだ入学して間もないからか、自分がやるという声は聞こえない。そうなると、誰を推薦しようかとなるのだが、このクラスには彼がいる。
「はい! 織斑君を推薦します!」
「私もそれがいいと思います」
「お、俺!?」
やはりこうなりましたか……。
織斑君もまさか自分が推薦されるとは思っていなかったのか、驚いている。
「他にはいないか、いないなら無投票当選だぞ」
「ちょ、ちょっと待った! 俺はそんなのやら――」
「納得がいきませんわ!」
机を叩いた大きな音とオルコットさんの甲高い声が織斑君の言葉を遮る。
ああ、どうか穏便に……。
「その様な選出認められません! 男だからという理由でこんな素人がクラス代表なんてあり得ませんわ! 実力的に考えてもわたくしか天野さんがクラス代表になるべきです!」
それならば、オルコットさんが自薦してくれれば……。他薦ではないと嫌なのでしょうか、なら……。
「私は、オルコットさんを推薦します」
クラスの大半が私の推薦に驚いている。無責任かもしれませんが事をこれ以上大きくしないためにはオルコットさんの怒りを鎮めるのが先決です。
「あら、流石は天野さん。分かってらっしゃるようですね。そうです、クラス代表は実力トップがなるべき、そしてそれはわたくしですわ!」
興奮が収まると思ったが、逆効果のようだった。織斑先生を見ると、とても教師がしていい顔ではなくなっている。
「大体、文化としても後進的な国で暮らさなくてはいけないこと自体、耐えがたい苦痛ですの――」
「イギリスだって大した国じゃないだろう」
……もう無理ですね。
織斑君の小さな呟きを聞いたオルコットさんが顔を真っ赤にしている。
「あっ、あ、貴方! わたくしの祖国を侮辱しますの!?」
それを貴方が言いますか……。
「決闘ですわ! それと、天野さんも!」
「おう、いいぜ。四の五の言うより分かりやすい」
……え?
「わ、私ですか!?」
「ええ、優勝者を差し置いてヴァルキリーと呼ばれているあなたの実力、ここで測らしてもらいますわ。まぁ、入試主席がわたくしだった事から大したことはないんでしょうけど」
オルコットさんが不敵に笑う。織斑先生は目が笑っていない。
「オルコット。話は以上か」
「え、はっ、はい!」
織斑先生を見てオルコットさんは顔を青くする。
「では、一週間後の放課後に第三アリーナで勝負を行う。天野と織斑、そしてオルコットはそれぞれ準備しておくように。それでは授業を始める」
その言葉と共に騒がしくなっていた教室に沈黙が訪れる。それでも何人かは、私と織斑君、オルコットさんを何度も覗き見ている。
あぁ、どうしてこうなったのでしょうか……。