ぽかぽかとした日の当たる早朝。風見野の教会に続く坂道は、道に沿って梅の花が咲いていて綺麗だった。
こうして歩いていると、徐々に呼び覚まされて行く。風見野での楽しい思い出、そして……思い出したくない様な思い出も。
「ハッスル、ハッスル……」
と言うのは気合を入れたいときに使う、私なりのおまじないだ。
長い坂をてっぺんまで登ると、焼け焦げた建物に辿り着く。かつての教会なら丁度ミサが行われていた時間だと言う事が事前のリサーチで判明している。
監視カメラも無い様だったので、「立ち入り禁止」の標識を通り過ぎて堂々と門から入った。
「荒れ果てちゃって、まあ」
幼少の頃に走っていた記憶がある渡り廊下を抜け、客間に入る。協会の中はさほど焼けてはいなかったものの、ガラスが割れ、置いてあった筈の物が無くなったりしている様に見える。
「………火事場ドロって奴?」
仮にも神の家なのにバチ当たりな物だ。
今の所、人の気配はないが、『彼女』が居た場合の事を考えて、部分によっては踏み込んだら抜けそうな床を出来るだけ静かに歩いて行く。
最も注意すべきなのは礼拝堂に入る時にある扉だ。こう言う長い間手入れのされていない古い建物は、扉の開閉の際に得てしてギーッと大きな音を立てる事が…………扉が無いな。
頭だけそーっと部屋に入れて中の様子を窺うと、ヒビ割れたステンドグラスから射し込む光に赤い影が照らされていた。
居た居た、会いたかった人物だ。
かなり癖の強い、ごわごわとした長い髪をポニーテールに結った少女が、十字架の前で膝をついている。背丈からして、歳は多分、私と同じ位。服はくたびれていて、まるで同じのを続けて何回も着ているみたいだった。
(お祈りって本当にするんだ……)やっぱりクリスチャンらしい。
抜き足、差し足で近付いて行くが、やはり建物が古いせいか、キィ、と床が音を立てて軋んだ。
あ、ヤバい、と思ったが、彼女は気に留める様子も無く、祈りの姿勢を崩さない。
さて、どうしたもんかな。
話を聞いてはみたいが、神聖な時間を邪魔するのも悪いし…………………
お祈りは一向に終わらない様子だ。もう、こうなったら、いっそ私も一緒に祈らせて貰う事にしようかな?うん、そうしよう。
瞳を閉じて。
「……………………………」
「…………………おい」
「……(ZZZ)……」
「おい、あんた」
「すーすーすやすや………」
「おい!」
「フガ」
「おいって‼」
「ハナクソ付いた指であっちむいてほい仕掛けて来るなぁッ!!!!!
―――あっ、あああっ⁉」
ビクッ、と、魚が跳ねる様に船を漕いでいた頭が起こされる。不覚だった、まさかここで居眠りをこいてしまうとは。普段より早起きをしたのが仇となったか。
私を起こしてくれた長髪の少女は、気まぐれだが確かなパワーを持った、
「ああ、ち、違うんです、寝てた訳じゃないんです」
いやいやいや何を言ってるんだ私は。さっきまで完全に意識が飛んでただろうが。素直に認めなさいよ往生際が悪いな。
長髪の少女は最早呆れた顔になっていた。
「別に怒りゃしねえよ。教会がやってた頃にも説教の最中に寝てる子供はいた。やましい事があるみたいにビクビクしてんな」
少女の男っぽい荒々しい口調はあまり私を落ち着かせる効果はもたらさなかったものの、取り敢えず怒ってはいないらしく、そこだけはホッとした。
「それより誰だい、あんた。こんな焼け落ちた神の家の残骸に一体何の用事があるってんだ?」
焼け落ちた神の家の残骸、と言った部分から若干の自嘲的なニュアンスが感じられたのを私は聞き逃さなかった。
「な、何の用がって、そりゃあお祈りをしに来たんです」
「ふーん、あっそ。その割には気持ち良さそうにお休みだったけど。何をお祈りした?」
「そうですね、家内安全と学業成就を」
「神社じゃねえよ」
少女が苦笑した。段々警戒が解けて来たらしい。
「……この教会ね、小さい頃に何回かだけ来た事があるんです」
「信者の娘ってとこか?」
「毎年、クリスマスとハロウィンに子供に開放してましたよね。手作りのお菓子配って」
「そっちかよ。そう言う事だったら、昔どっかであんたとすれ違った事位はあるのかもね。そう言う日はあたしも一緒にはしゃいでたし」
「美味しかったなー、あれ。途中からやらなくなっちゃいましたよね?」
「…………教会に金が無くなったからね」
踏まなくても良い地雷を踏んだかも知れない。彼女の顔が唐突に曇ったので、私は内心慌てた。
長髪の少女がゆっくりと口を動かす。
「ここの牧師は……不器用な男でね。世の中を憂いて、自分なりにみんなの為に考えた新しい説教を、ある時から信者にする様になった。新しい時代には新しい教義が必要だって……間違った事なんか一つも言ってない、でも新しすぎた。元の教義とあまりにも違い過ぎて、結果、周りの奴等は怪しい新興宗教と勘違いしやがった。お
―――それでも、あの人は絶対に自分の考えを曲げたりはしなかった。絶対に、正しいって信じてたんだ……!」
知っていた。だからこそ私は此処には何かがあると踏んだ。分からないのはその後牧師の教えが世の中に浸透して牧師の一家がまた裕福になり、その後謎の自殺を遂げた事だ。
彼女の話の最後の方は歯を噛み締めながら喋っていたので消え入りそうに声が小さかった。その思いは果たして何だろう。大切な人が世の理解を得られなかった悔しさか。自分達を振り回した恨みか。
牧師か、どんな人だったかな。もうおぼろげな記憶しかない。風見野での記憶は今ではもう殆ど薄れてしまっている。楽しかった思い出も。
子供好きで、
「……ひょっとして、お姉さんは牧師を守る為に、今の道を選んだんですか?」
「……そろそろ
思い切って勝負をかけてみた。もう後には引き下がれない。
「佐倉杏子さんですよね?」
「…………………」
「魔法少女の佐倉杏子さんですよね?」
杏子さんは何も答えない。私は構わずにその先を言った。
「私、魔法少女になりたいんです。ふざけてると思われるかもしれないけど、本気なんです。魔法少女のなり方を教えて貰えませんか?」
「……ついて来な、場所を変えよう」
こんな所じゃ落ち着かねえだろ、と。杏子さんは歩き出した。
「あたしなんかよりずっと頼りになる奴を紹介してやるよ」