アルティメット千早な僕が765プロのオーディションに落ちた件 作:やんや
完全に作者の趣味に走っております。
そして二話目は合間ということで短め。軽い千早責め。
失敗した。失敗した。失敗した。
失敗した。失敗した。失敗した。
失敗した。失敗した。失敗した。
僕は失敗した。
『準備はいい?』
仲間の”声”に慌てて返事を返そうとして失敗する。焦った所為で上手く言葉が出ない。
待って欲しい。準備なんてできていない。
チームメンバーが各々の言葉で準備完了済みと答える中で、唯一僕だけが未完のままだった。
『皆さんのご無事を祈っています!』
オペレーターの少女がこれから死地へと向かう僕たちに精一杯の声援を送っている。
ここまで言われるともう後戻りできない。つまり僕は今の不完全な状態で戦場へと送り出されるわけだ。
冗談じゃない!
そんな馬鹿な話があってたまるか。何で僕だけがこんな目に遭うんだ。リーダーもリーダーでちゃんと全員が返事をしてからGOサインを出すべきじゃないのか。
クソ。クソ。クソ。
ここまで来て、こんなオチが待っているだなんて……!
どうしてここぞって所で僕は失敗するのだろう。
嗚呼、失敗した。
失敗した。
僕は失敗した。
こんな──。
『レアブ忘れて来たあああ!』
『乙w』
『やっちまいましたな』
『だからあれほどアイテム管理はしっかりしろと』
『誰だーこのうっかりさんを作った料理人はー!』
『やつはワシが育てた』
そんな僕の全力の”叫び”はチームメイトのネタ台詞とカウントダウンの表示によりログの彼方へと消えてしまった。
────────────
『おつー』
『おつっつん』
『おーつ』
『見事な赤箱ですた』
『乙w俺も赤ばっかww』
緊急クエストを終えた僕達は普段たまり場にしているロビーに集合しながら先程まで参加していた緊急クエストの感想を言い合っていた。
僕が参加していたのは今全国的に人気のオンラインゲーム【ファンタジーアーククエスト2(略してFAQ2)】の公式イベントだった。
大人数参加型の巨大ボス討伐イベントで、普段手に入らない貴重なアイテムが手に入るとあってプレイヤーなら誰しも参加するコンテンツだ。特に今日のボスは現状最強の武器を落とすとあってトッププレイヤーから新人まで血眼になって殺しに掛かっている。僕も当然狙っていたが結果はお察し状態だ。さすがは最高レアアイテム。出るわけがなかった。
本来ならばこうした緊急クエスト後はレアアイテムのドロップ報告会になるはずが、今回は参加者全員がレアの抽選に漏れたので報告もとい自慢して来る者は居なかった。
僕も他のメンバーに倣うようにレアアイテムは落ちなかったわけだけど、決してレアドロップ率アップのアイテムを倉庫に忘れて来たのが原因ではない。絶対にないはずだ。ぐすん。
このアイテムを使ったか使っていないかで結構アイテムの量が変わるので、こうしたイベント時には必須アイテムと言える。それを忘れる僕っていったい……。
ドロップ率250%アップの未使用は正直痛かった。レアドロップ以外にも確定で入るコレクトファイルのゲージ量もアイテム使用時には加算対象なのだ。これが溜まり切ると最強から一段下のアイテムが確定ゲットできる。最強までの繋ぎとしては優秀なシステムだ。
今回使用しなかったおかげで結構前から組んでいたコレクトゲージのスケジュールが狂ってしまった。これは夜中以外にも朝の緊急クエストも出るしかないか?
キョウ:『おーい、チハヤ~』
睡眠を犠牲にする覚悟を決めた僕にフレンドの【キョウ】が個人チャットで話しかけて来た。
いつでもオープンチャットで話しかけてくるこいつにしては珍しい。ちなみに個人チャットとはお互いにしか
キョウは緊急クエスト以外でも絡みがある知り合いだった。レベル上げやレアアイテム堀りなどでも長時間付き合ってくれる頼れる相棒的存在とも言える。あと【チハヤ】というのは僕の使用キャラの名前だ。
キョウに合わせるために個人チャットのコマンドを起動させる。
僕は基本的に緊急時の呼び出し以外で個人チャットを使用する機会はない。しかも大抵一方的に呼び出されるだけなので、こちらから個人チャットで発言する操作に多少手間取った。
ガチャガチャとキーボード操作に手間取っていると僕のキャラクターの周りをキョウがくるくると回り出した。
キョウの使うキャラクターはリアルではまず居ないタイプの青髪クール系のスレンダーな美少女キャラで、アップで見ると冷めた目が戦闘のプロみたいに見えなくもない。
彼女(たぶん中身はおっさん)はライフル銃で遠距離から攻撃するタイプのクラスを主に使用しており、敵の弱点を的確に狙い撃つ所は容姿にぴったり合っていた。
そんなクールキャラ(見た目だけ)が手を水平に伸ばした格好で「キーン!」とか言いながら走り回る姿は何だか滑稽だった。しかも無表情クールキャラだし。
対して僕のキャラはと言うと、これも現実には存在しないであろう金髪ツインテールのロリキャラだった。
主に近接戦闘を好む僕は自キャラにわざわざバカでかい大剣を持たせていた。僕はロリっ娘が自分の身長以上の武器をぶんぶんと振り回す姿にときめくタイプなんだ。
で、今の絵面って金髪ロリキャラの周りをスレンダークールキャラが走り回っていることになる。
ぶっちゃけシュールすぎやしないかね。
僕以外の者も同じ感想を持ったのかそれまでレアドロの報告をし合っていたチームメイトが遠巻きにこちらを見ている。これは軽く引かれているね!
中にはわざわざエモーションで「やれやれだぜ」と頭を振っている時を止めそうな学ラン姿の奴とかも居たが、だいたいの人間は僕らと関わり合うことを避けているように思えた。
仕方ないことだけどさ。
チハヤ:『何か用?』
いい加減周りをくるくる回られるの困るので返事を返す。
僕が反応したためキョウは走り回るのを止めるとわざわざ僕の前まで移動して来た。三人称の俯瞰視点タイプのこのゲームでキャラの前に移動する意味は無いのだけども、そういう細かいところで拘るところがキョウらしい。
キョウ:『お、まだ落ちてなかったかー。いつも
何を言うのかと思えば失礼な。僕だって回線落ちしないこともあるよ。
……いや、落ちることが異常なので胸を張ることじゃないけどさ。しかもエラー起こさないの一週間に一回くらいだし。
チハヤ:『おおん? 喧嘩売ってるなら買うよん? バトルアリーナでアリーヴェデルチしちゃうよん?』
キョウ:『うぇ、相変わらず沸点低すぎー。チハヤは装備は良いくせにPS低いんだからアリーナとか鬼門でしょ』
チハヤ:『くっ……僕の右手に宿った暗黒竜が
キョウ:『はいはい、邪気眼オツオツ』
チハヤ:『(つд⊂)エーン』
僕がエモーションで闇を宿した右手を押える所謂邪気眼な動きをするとすかさずキョウから厳しめの突っ込みが入る。
同時にモニター越しにキョウがげんなりした顔が浮かべた気がするが、実際にキョウの素顔を見たことないのであくまで想像でしかない。なのでキョウが実際にキャラを僕から遠ざけているのはたぶんラグによる位置ズレ修正なんだ。
……なんて、リアルでやれば引かれるようなこともゲーム内では結構やれる。しかも気心の知れた相手ならばなおさら色々と晒け出せる。
出しちゃいけないものまで出したのは黒歴史。
ある意味この”チハヤ”こそ僕の素に一番近いのかもしれない。転生してから家族にすら一度もそういう姿を見せたことないから。
でもキョウにはそんな素を出してもいいと思える気安さがあった。枯れ木の様な僕を人並みの精神構造に戻してくれたのもこいつだ。本当に感謝しても仕切れない。
やはり同じニート仲間というのが大きいのかな。ニートでありながら、そこに誇りを持っているところが大物感だしているんだよね。このゲームのプレイ時間は僕に比べて少ない方だけど、その分腕で補っているところはさすが廃ゲーマーを自称するだけはある。
キョウは今時のゲーマーがやるスタイルで一日のうち色々とゲームを渡り歩いているらしく、このゲームには主に夕方から深夜にかけてログインしてくる。夕方から夜中にイベントが多いこのゲームでは効率的と言えた。
対して僕は基本一日中ログインしっぱなしである。他のゲームはやらないこともないけど、スマホゲーをクエストの間にやる程度でがっつりやるのはこのゲームくらいだ。
それでいて個人チャットでの会話がほぼ初というのは何なのだろうね。常にオープンで電波垂れ流してるからですねわかります。
キョウ:『泣くなよー』
チハヤ:『泣いてないやい。これは心の汗が目から涙として出てるだけだよ』
キョウ:『泣いてんじゃん』
チハヤ:『こんな時どんな顔をすればいいかわからなくて』
キョウ:『泣けよ』
チハヤ:『アァンマァリダアアア!』
僕が叫ぶとすかさずキョウが【組み手】エモーションで殴って来た。僕はこのエモーションを持っていないので”受ける”ことができずに一方的に殴られることになる。
モーションキャプチャで再現されたそれは割と鋭いので、殴られている【チハヤ】は物凄く痛そうだ。当然ロビーは非戦闘エリアなのでダメージはない。そもそもエモーションにダメージはないのだが。
チハヤ:『今日のキョウは当り強くない?』
キョウ:『いやーいつも通りだと思うけど?』
チハヤ:『いやいや、強いって。何かちょっと前からやけに強いけど。前はエモで攻撃とかしてこなかったじゃん』
キョウは突っ込みこそ鋭いが無駄な動作をしないタイプだった。しかし最近になって突っ込みが過激になることが増えた。
凝った動きをしてくる分、逆に親密度が上がったようで密かに嬉しいと思っているのは内緒だ。
キョウ:『あー……まあ、そうかもねー。何て言うかその姿に変わってから加減できなくなった、みたいな?』
チハヤ:『酷い! こんな可愛い子になんてことを! 酷いわ! 酷いのだわ! こんなに可愛いのに!?』
キョウ:『うあーやめてよー何かゾワゾワするー』
チハヤ:『え、本気でひどくない? そんなにダメかなこれ』
今のチハヤの姿は少し前にいじっていた。このゲームの売りの一つにキャラメイクの多様さがあるのだけども、つい最近色々とキャラのパーツを買い揃えてキャラのエディットをいじったのだ。
その結果生まれたのがニューチハヤであり、金髪ロリっ娘なのだ。
それにダメ出しされるのはちょっとショックだぞ。まあ、いい年したおっさん(キョウにはそう思われている)がロリキャラ使ってるのはぶっちゃけ気持ち悪いとは思うけどさ。
キョウ:『キャラメイクに問題はないけど。問題がないことが問題というか。て言うか、なんでそんなに作るの上手いかな』
チハヤ:『キャラメイクガチ勢だからね』
キョウ:『ガチ勢。やはりガチ勢半端ない。無駄なクオリティの高さに脱帽だよ』
チハヤ:『ハハッ、僕の嫁は世界一可愛いからね!』
キョウ:『気持ち悪い』
チハヤ:『貴様、僕のチハヤに何てことを』
キョウ:『いやチハヤには言ってないよ?』
あ、中身に言ったんですね。わかります。確かにゲームのキャラを嫁とか言うのは気持ち悪かったか。
でも仕方ないじゃないか。現実ではあらゆる意味でお嫁さんなんて貰えないんだから、ゲームの中でくらい好みのキャラを嫁にさせろ。
そういうキョウだって理想のタイプってことで【キョウ】を作ったくせに、人のこと言えないだろ。
チハヤ:『で、結局何の用なのさ。僕こう見えて忙しいんだよね』
キョウ:『自分で振っておいて雑に切らないでよ。まあいいけど。あとチハヤの忙しいって結局ゲームじゃん』
チハヤ:『舐めるなよ。今僕は人理修復のために力を貯めているんだから』
キョウ:『ゲームじゃん。しかも力を貯めるって、この間ガチャ爆死したくせにまたガチャやるの?』
チハヤ:『やめてよ』
やめてよ。
チハヤ:『金星の女神が僕にもっと貢げとうるさいんだよ』
キョウ:『大丈夫?』
チハヤ:『おう、女神の加護があるからね』
キョウ:『いや、幻聴が聞こえるとか大丈夫?』
チハヤ:『泣くぞ』
前世込み換算で成人済みの大人が泣くぞ。泣かないけど。
キョウ:『あーごめんごめん。今度余ったスクラッチ品のアイテムあげるから泣かないでよ』
チハヤ:『で、何の用? 暇だから聞いてあげるよ』
キョウ:『熱い掌返しすぎる!』
こんなアホなやりとりもキョウ相手にしかやれない。
リアルの僕は本当に酷いことになってるから。ネットだけの知り合いでしかないはずのこちらを慮ってくれるキョウの存在は僕にとって救いだった。
若干依存しかけているのは意識しないようにしている。
キョウ:『実はちょっとログイン時間が変わりそうなんだよね。だから報告をしておこうかなって』
チハヤ:『え、なになに、深夜から明け方に変更とか?』
キョウ:『いや、どちらかと言うとイン時間自体減りそう』
それはまた唐突な話だ。一瞬何か言いそうになるのをぐっと堪える。この会話がキーボード入力でよかった。通話だったら即何か口に出したかわからない。まあ、出ないんだけども。
僕はキー入力故の考えてから発言できるという恩恵を受け慎重に言葉を選んだ。
チハヤ:『何か新しいゲームでも見つけたとか? 良ければ紹介しておくれよ』
これまでもゲーム内の知り合いが別ゲーに浮気することはあった。今ハマっているスマホのゲームだってそうした別ゲーに浮気した奴からの紹介で始めたものだし、キョウがこのゲームのログイン時間を減らしてでもやりたいゲームがあるならそっちと並行してやるくらい問題はなかった。なんだかんだ一定のログイン時間を維持していたキョウを結構信じていたのかも知れない。
今この時までは。
キョウ:『いや。別ゲーじゃないよ』
え?
キョウ:『今度さ、働くことになったんだよね』
「っーーー」
思わずリアルで声が出そうになった。
いや出ないけども。
代わりに指が高速でキーを叩いた。
チハヤ:『働かないのがポリシーじゃなかったの?』
キョウ:『そのはずだったんだけどね』
チハヤ:『大丈夫? 壺?』
キョウ:『詐欺ではないかな。いや、ある意味詐欺? あんだけキツいとは思わなかったし』
チハヤ:『じゃあ働かなければいいじゃん』
キョウ:『そうもいかないんだよね。目的もできちゃったし』
チハヤ:『一生働かないって言ってたじゃん』
キョウ:『うーん……言ってたとは思うけど』
チハヤ:『言ってたっしょ?』
チハヤ:『言ってたよね?』
キョウ:『まあ、希望としてはそうだったよ』
チハヤ:『だったら貫くべき』
チハヤ:『最後まで諦めたないのがキョウの良さ』
チハヤ:『キョウの働いたら負けって言葉が世界を照らすと信じてる』
チハヤ:『キョウのかっこいいとこ見てみたい』
キョウ:『ちょっとちょっと』
会話のキャッチボールを無視して一方的に発言し続ける。
チハヤ:『働いて社畜化するなんてキョウらしくないよ』
チハヤ:『信じて送り出した仲間が立派な社畜になって戻って来ちゃう!』
チハヤ:『働かず怠惰に生きようと桃園で誓い合ったじゃないか』
チハヤ:『あの誓いは嘘だったの?』
チハヤ:『嘘なの?』
この時の僕はおそらくまともな思考をしていなかったのだろう。しかしそれに気づいた時にはすでに遅かった。
キョウ:『もーうるさいなぁ!』
その一言に途中まで入力していた入力を止める。
モニターの中ではキョウが無駄に凝ったエモーションを使って怒りを表現していた。
しまった、またやり過ぎてしまった。キョウ相手にこうなるのは今までなかったことだから。それは僕がこうなる前にある程度空気を読んでくれていたキョウのおかげだ。時折失礼な言葉を吐く僕に「仕方ないなぁ」といった雰囲気で流してくれていた。そのキョウが流さなかったということは今回のこれはキョウにとって大切なことだったのだ。それを僕は蔑ろにした。
後悔先に立たず。僕の焦りから生まれた言葉はキョウの許容量を超えていたらしい。
慌てて謝ろうとキーを叩く。
キョウ:『もういいよ』
でもその前にキョウから返って来た言葉に指が止まる。
違う、まって、そうじゃないんだ。
キョウ:『チハヤなら解ってくれるかなって期待してたのにな』
期待……?
期待、してくれていたの?
こんな僕を。誰の期待にも応えられなかった僕を。
キョウは期待していたと言う。
どうしてだろう。なんで期待したんだろう。こんな失敗ばかりの僕にどこに期待できたと言うのだろう。
キョウ:『あと、しばらく忙しくなるからイン自体できないよ』
唐突過ぎる。
せめて最後に伝えなくてはならない。
お願いだから聞いて。
キョウ:『バイバイ』
カチっとエンターキーを押す。
エラー:対象が非ログイン状態のため《見捨てなないで》は送信されませんでした。
「……」
目に映るシステムメッセージから目を逸らし、席を立った僕はふらふらとした足取りでベッドへと向かった。
何故か無性に眠い。
何で眠いんだっけ?
ああ、そう言えば丸2日眠っていないんだった。今日はキョウが朝からインするからって昨日徹夜明けだってのに起き続けていたのだった。眠い目を擦りながらキョウとクエスト周回をして1日を過ごした。そして先程の緊急クエストからのキョウの就職報告に暴走気味に引き止めてしまった。
僕と違ってキョウは社交的で誰とでも仲良くなれる奴だった。やろうと思えばいつだって仕事に就けるというのは理解していた。キョウが仕事に就けたことは何ら不思議じゃなかった。
問題はキョウが就職しようと思ったことだ。ずっと同じようなドロップアウト組だと思っていたから。キョウが社会復帰”できてしまった”ことがショックだったのだ。
キョウとの付き合いは二年弱程度だが、結構な時間を過ごして来た気がする。会話だけなら家族よりも多いかも知れない。だから、あいつとなら十年二十年と怠惰で無為な時間を過ごせると勝手な同族意識から信じ込んでいた。そんなわけないのにね。
そうして勝手に信じた絆を身勝手に振りかざした結果が喧嘩別れである。いや、あれを喧嘩別れと呼べるか微妙だ。愛想を尽かされただけじゃないか。
喧嘩できる類の仲じゃなかった。友達でもなんでもなく、あくまでシステム上のフレンドだった。その勘違いの結果がこれだ。一方的に裏切られたと思い込み責めるようなことを言って関係を切られてしまった。
僕はあのゲームでキョウ以外のフレンドが居ない。友達ではなくフレンド登録した相手が居ないのだ。
ネトゲですらぼっちとか……。
泣きたい。泣けないけど。
ベッドの上で無意味にごろごろと転がってみる。当然こんなことで気分が晴れるわけもない。思い切って外でスポーツでもしてみようかと思うも、次の瞬間には外で爽やかにスポーツに励む自分を想像して吐きそうになる。
今更爽やかキャラもないだろうに。自嘲の声すら出やしない。しばらく自分以外生き物がいない空間にはごろごろとベッドで転がる音が響いた。
しかし三十分ほどごろごろしているとさすがに飽きて来たので転がるのを止めた。何を無駄に体力を使っているのだろうか。無尽蔵と言える体力を持つ僕からすればこの程度どうってことないのだが、精神的に虚しくなったので止めた。
意識を無理やり切り替えようと思い何かしようとするもゲーム以外に趣味も無いので何もすることがない。
今はネトゲをやる気分にもなれなかった。今やればきっとキョウのことを思い出して辛くなる。
暇だ。
次の緊急クエストは明日の朝七時だ。たかだか数時間で気分が切り替えられるか?
でも出ないとゲームスケジュールが狂うし。ならばそれまで何をしようか。もう少し転がっていようか。いや飽きたからいいか。
暇だ。
ケータイのゲームも
暇だ。
「……」
二年前までは空いた時間にはアイドルになる努力をしていたので暇を感じたことはなかった。
歌と踊りを体に馴染ませるために反復練習したり、鏡の前で千早らしい笑顔作りを模索したり、本当に色々とやっていた。
でも今はそれらを一切行っていない。やっても意味がないからだ。無駄なことをしても時間の無駄だ。
無駄だった。
「っ……」
無駄だった。
全部無意味だった。
あの日765プロから届いた「不合格」の知らせは、僕の中にあった何かを確実に砕いた。
生まれた時から続けて来た
あれだけ欲しかった
その日から僕の生活は一変した。
それまで毎日続けていた歌も踊りも笑顔の練習も全部止めた。
家族がうんざりするほどにアイドルになった後の展望を聞かせていたのに、アイドルという単語すら出さなくなった。
その豹変ぶりに家族は色々と相談に乗ると言ってくれた。でも僕が返したのは拒絶だった。
ずっと語った夢物語が本当に夢になったこと、自分の言葉が嘘になったことが恥ずかしくて情けなくて何も言えなかったのだ。
僕が何も答えずにいるとやがて両親は何も聞かなくなった。得てして、それは原作の千早と両親の関係に似たものになった。こんなところだけ似なくてもいいのにね。
両親は僕から手を引いたが、弟はその後もしつこく僕に干渉して来た。
ずっと弟の前だけで歌と踊りを見せていたのだが、何かにつけそれを見せて欲しいとせがんで来るようになった。そんなこと今まで一度も言ったことなかったのに。
今更何を見せるというのだろうか。アイドルになるために見せていた歌と踊りと笑顔だ。それが無意味になったのに見せる理由がない。
そんなことを言って拒否しても弟はしつこくしつこく歌って欲しいと言って来た。それが当時の僕にはストレスでしかなく、毎日飽きもせず歌を強請る弟を次第に鬱憤が溜まって行った。
そしてある日爆発した。
いい加減にしろと叫んだ。お前に何が解るのかと何も知らない弟を責め立てた。完全な八つ当たりでしかない、自分の失敗の怒りや情けなさや悔しさを弟にぶつけてしまった。
そしてソレを言ってしまった。決定的な一言を僕は弟へと叩きつけた。
それが何だったのかは覚えていない。そこだけすっぽりと記憶から抜け落ちていた。ただ一つわかるのは、ソレが僕にとって致命傷だったということ。
致命的な何かを言った。それだけは覚えている。
幸いなことに、それで弟が僕を見捨てるということはなかった。自分を傷つけたであろう屑な姉を許したのだ。ただ、それ以来僕に歌を求めることはなくなった。何か色々と諦めたのだろう。
そして、その日以来、僕は声を失った。言った側の僕が致命傷だったというオチだ。
声だけじゃない。笑うことも、怒ることも、泣くこともできなくなった。それが弟を傷つけた代償だった。
医者曰く、短時間のうちに極めて強いストレスを受けた結果情動が表面に出なくなったとのこと。
それから今日まで僕は感情が表に出せないままだ。一応カウンセリングは受けているが経過は芳しくない。ストレスの根源が解消されない限り治らないと言われており、その根源が不明のままでは治療を受ける意義は薄かった。そのカウンセリングも今はほとんど行っていない。
学校も中学を卒業したっきりで、高校には進学していない。今は両親の勧めから家を出て安いアパートを借りて一人暮らしをしている。家賃や光熱費は親持ちだ。
そうやってあらゆる復帰の機会を何もかもを切り捨てていった結果が今の僕だった。
リアルに友達は居らず、両親とも疎遠になった僕は先程ゲームの友人すら失った。
全て失った。
かつてこの身を満たしていた自信も誇りも綺麗さっぱり失ってしまった。この身を焼いていたトップアイドルになるという野望は現実という名の風に燠火すら残さず吹き消された。
目的を失った僕は毎日一人でゲームをするか眠るだけの生活をしている。
親の金でアパートを借り、ゲーム代も出して貰っている。課金代が足りなくなれば親へとせびり、それでも足りなくなったら食費を削る。
まったく笑ってしまうくらいの転落人生だ。笑えないけど。
しかし両親は何も言わずに今の生活を続けさせてくれている。こんな欠陥品になった子供を見捨てずに養ってくれている彼らを一時期でも下に見ていた昔の自分が恥ずかしかった。そんな自分が申しわけなくて親とはずっと顔を合わせてすらいない。
両親に恵まれている。それだけで千早よりも幸せではないのか。千早は弟が死んだ上に両親とも隔絶した環境で孤独に生きて来た。それに比べて僕は幸せなはずだ。両親とはやや疎遠だけど、弟はたまに遊びに来てくれる。だったらそこで満足するべきなんだ。幸せなくせに今よりも上を求めて現状に価値無しと切って捨てた僕ははっきり言って屑だった。
なら屑は屑らしく部屋の隅で静かにしていればいい。何もしなければ何も失わなくて済むから。
そっと瞳を閉じる。お休みを言う相手も、返してくれる相手もいない。
今日も僕は独りぼっちだ。
────────────
ピン──ポーン。
来客を告げるチャイムが鳴ったのは翌日の朝のことだった。
部屋に響く軽快な音とまぶた越しに刺さる陽の光に脳が刺激され目がさめる。最近では夢も見なくなったのでベッドで転がっていた時から次の瞬間に明るくなっている感覚だ。
微睡みの中から浮上する意識に合わせてベッドから起き上がると、のそのそとした歩みで玄関へと向かった。
玄関に着くと扉の魚眼レンズから外を覗き見る。するとそこには弟──優の姿があった。
「っ!?」
そうだった、今日は優が遊びに来る日だった。数日置きに弟が様子を見に来てくれる。親はここに来ないので負担を掛けていると知りつつ弟に頼っている僕だった。
こうでもしないと絶食をしてしまう僕を優が心配しての行動だ。こんな僕の世話を焼いてくれるだなんて、やはり優は天使に違いない。
それにしても、今日はいつもより早い到着だ。いつも学校に行く前に寄ってくれているので登校時間に被るのだが、今は朝練のある学生くらいしか通学しない時間帯だぞ。
しかし優を待たせては悪い。慌てて扉のロックを外し飛び出そうとして、チェーンロックにより動きが制限された扉に勢い良く顔面をぶつけた。
「───ッ!?」
あまりの痛さにその場でのたうち回りそうになる。しかし狭い玄関では僕が横になる空間すらない。無言で蹲りぷるぷると震えることしかできなかった。
「お姉ちゃん? 何か今凄い音がしたけど大丈夫?」
痛みに震える僕の耳に優の心配する声とノックの音が聞こえる。
扉越しにもわかる優の美声に耳が幸せになるも、未だ顔面に走る鈍い痛みに返事を返せない。
「大丈夫? 返事……は、出来ないか。だったら何でもいいから反応して!」
その少し焦っているような声とノックに急かされ、何とか扉を数度ノックすることで返事の代わりにした。このノックは言葉が出ない僕と何とか意思疎通を図ろうと優が考えた合図だった。これが思いのほか便利で、多用しているうちに今では強弱や回数で何となく察してくれるようになった。
反応があったことに安堵したのか優からのノックは止んだ。こちらを気遣う言葉のみが聞こえる。弟にここまで心配を掛ける自分に涙がでそうだった。出ないけど。
その後も痛むが引くまで優の気遣いに感謝と申し訳なさを感じ続きた。
復活した僕は何事も無かったふりをしながら優を部屋へと招き入れた。
その時の優のこちらを見る目が若干呆れを含んでいたのは見て見ぬふりをする。現実逃避は僕の特技だ。
気の利いた持て成しなどできる部屋ではないが、優が来た時のためにジュースくらいは常備していた。僕は基本的に水しか飲まないので完全に優専用になっている。昔から優はこのジュースが好きだったから。最近ではこのジュースを買うか課金用のネットマネーを買うかくらいしでしか外出してない気もする。食事は基本的に出前か弟の持ってくるコンビニのお弁当くらい。
こんな食生活を続けても身体を悪くすることはない。寝不足と食生活が崩壊していても体型が崩れることもないし、吹き出物一つ出ない。我ながらチートだと思う。本来こういう使い方をするものではないんだけどな。
まあ、本来の用途に則して使うことは今後ないから精々便利に使わせてもらうまでだ。
こんなものがあったから調子に乗ったわけだが、こんなものがあったからこそ何とか死なずにいられるのも事実。まさに痛し痒し。可愛さ余って憎さ百倍。どちらも違うか。
さて、話がどんどん逸れて来てしまったぞ。
弟を大切にしている僕が、優がいるというのにこんな無駄な思考を続けているのは何故か。
それは今優が手が離せない状況だからに他ならない。
なんと優は今僕のために料理をしてくれているのだ。
僕のために。
手料理を。
ヘブン?
今年から中学生になった優だけど、自分の中ではまだ子供という印象が強かったので、材料持参で手料理を振舞うと告げられた際は思わず頬を抓った。めっちゃ痛かったので夢ではない。
くあー生きてて良かった。優の手料理を食べられるなんて恐れ多すぎて想像すらしていなかったぞ。
当然エプロンなんてこの部屋にはないのでそれも優が持参したものだが、青色の無地のエプロンが優の清廉さと合わさって良く似合っている。先ほどエプロン姿をお披露目された時などしばらく無言で凝視してしまったほどだ。だって目の前に天使がいるんだもん。その天使がエプロン着て手料理作るっていうんだよ。夢心地になったっていいじゃない。だから苦笑いを浮かべた優がキッチンへと消えるまでガン見し続けた僕は悪くない。
出来上がった料理はオムライスだった。
出来栄えは控えめに言って……最高である。
弟が作ったというだけで最高なのに、それに加えてケチャップで綺麗に「チハヤ」と書いてくれているのだ。これは神だね。さらにハートマークが書いてあったならば、某大航海海賊漫画の最後に手に入るであろうお宝がこれであったとしても僕は一向に構わないよ。
「食べないの?」
おっと、あまりの感動にトリップしていたようだ。せっかくの優の手料理が冷めたらまったいない。
両手を合わせていただきます。
「うん、どうぞ召し上がれ」
コンビニ弁当の余ったプラスチックスプーンを手に取りオムライスへ突き刺す。ふんわり卵がとろっと溶けていき、中の真っ赤なケチャップライスが顔を出した。
慎重にライスと卵を掬って万が一にもこぼさない様に慎重に口へと運ぶ。
一口食べる。途端に卵の甘さとケチャップライスの甘辛さが口の中で広がる。想像を絶する美味さだぞ。多分に弟補正が掛かっているのは自覚しているけど、それを抜きにしてもこれは美味い。
いつの間にこんなスキルを手に入れたんだ優よ。ちょっとお姉ちゃんと同棲して毎日料理作ってくれないかな?
……などとは二重の意味で言えないので静かに続きのオムライスを口へと運ぶ。
やっぱり美味しい。幸せ過ぎて心がぴょんぴょんしそうなんじゃー。しないけどー。
「美味しい?」
優の質問にオムライスを咀嚼しながら勢い良く頷く。同時にテーブルをコツコツとリズムよく叩く。良い意味の肯定の意味だ。
本気で美味しい。これを不味いと言う奴なんているのだろうか、いや居ない。て言うか仮にそんな奴がいたら僕が許さないわ。たとえお天道様が許したとしても、この桜吹雪が許さない。
僕は美味しいと声を出して言えないのがもどかしい。代わりに何度もコツコツすることしかできない。
優を見れば何やら微笑ましい物を見る目でこちらを見ている。何だか無性に恥ずかしくなってしまった。
汚く見えないように丁寧にオムライスを食べ進める。どうしよう、いくら食べても飽きが来ないぞコレ。はっ、まさかこれは魔法のオムライス!?
うまうま。
もぐもぐ。
「あ、あのさ、お姉ちゃん……」
んぐんぐ……おん?
躊躇いがちに声を掛け来た優の声に食べる手を止める。
そう言えば、いつもはお弁当を貰ったらそのまま学校に向かう優がいつまでも部屋に留まるのは珍しい。てっきり手料理を作るために早く来たと思っていたのだが、どうやらここからが本題のようだ。
何となく嫌な予感を覚える。脳裏に過るのはキョウの就職報告についてだ。あれからまだ数時間しか経っていないため鮮明に思い返すことができる。
まさか、優も就職を!
……んなわけないか。優はまだ中学一年生だ。少卒で就職とかどこの骨の超越者だよ。
でも似た報告かも知れないし油断はできない。彼女ができたよとか、部活始めたんだとか、親にここに来るなとか。……最後のを言われたとか報告されたらやばい。死ぬ。
自然と呼吸が荒くなるのを感じる。
「実はお姉ちゃんに渡そうと思うものがあって」
あ、な、なーんだ。そっちかー!
も~そうならそうと言ってよね。アレでしょ、一足早いクリスマスプレゼントとかでしょ。
ほっと安堵の息を吐く。無意識に力んでいた肩から力を抜いた。
手料理だけではなくプレゼントまで用意してくれるなんて本当にできた弟だよ。お姉ちゃん嬉しさで今なら空も飛べそうだよ。飛べるけど。
「……ちょっと待っててね、今出すから」
そう言って優はオムライスの材料を入れていたバッグを漁り始めた。どうでもいいけど食材とプレゼントを全部同じ袋に入れるのは感心しないぞ。これ今日の料理が青魚系の物だったら大変なことになってたって。まあ、プレゼントの方も生ものだって言うなら問題ないけども。
そんなことを考えている間に優は贈り物を袋から取り出した。
「喜んでくれたら良いんだけど」
優から贈られた物なら何だって嬉しいよ。例えそれが蜜柑の皮だって額縁に飾っちゃうよん。
しかし、ハードルを下げに下げた僕の目に映ったのは、限界まで下がったハードルをさらに潜るような物だった。
『346プロダクション シンデレラオーディション 二次選考概要』
……え?
「いや、さ。この間ネットとか見てたら広告バナーに書いてあって調べてみたんだ。今度346プロでアイドルのオーディションがあるんだって」
待って。
「それで、お姉ちゃんの写真を送ってみたんだ。写真は今のじゃなくて中学時代のになっちゃったけど」
え?
え、え?
何、優、それ、私、初耳。初耳だから。新しく聞いたやつだから。新聞だから。
「一次選考は写真だけなんだって。二次選考までは時間があって、この書類に課題が書かれているから好きなものを選ぶらしいよ」
笑顔で事情と書類の説明を続ける優だが、今の僕はそれどころではなくなっていた。
唐突に自分の体調が悪くなっているのに気づいたのだ。
僕の表情に出ないのと説明に夢中のため優がそれに気付くことはない。
決して物理的な影響で起きた症状ではない。精神的にダメージが入っている。
「今のままだと難しいかも知れないけど、これを良い機会だと思って色々と練習してみるとか……」
優は無邪気に信じ込んでいる。優がまだ僕がアイドルを目指していると思っていたのだ。僕はとっくにアイドルになることを諦めているのに。終わっているのに、そのことに気づいてない。
いや、優が僕の気持ちに気づいていない以上に重要なことを僕が気付いてしまった。
これまで僕は優はどんな僕でも大切にしてくれていると思っていた。アイドルを目指さなくなって、駄目人間になっても変わらず接してくれているのだと。
それが嬉しくて僕も無邪気に優に甘えていた部分があった。どんな僕でも優は受け入れてくれると信じていた。
でも今回優はアイドルのオーディション話を持って来た。何も伝えていないということは、優にとって僕は二年前から何も変わっていないということ。そういう僕だと認識しているのならば。
それは、つまり、優は……。
「お姉ちゃん?」
アイドルである
「──ぅっ!?」
「お姉ちゃん!?」
突然込み上げて来た吐き気に口を押える。
先程と同じく心配そうに声を掛けてくる弟を無視してトイレへと駆け込んだ。
「っ……ぅぇぇ!」
ぎりぎりでトイレに覆いかぶさるようにしながら胃の中の物をぶちまけた。
一回では楽にならず、何度も吐いてしまう。
先程食べた弟作のオムライスが便器の中へとぶちまけられる。「ああ、もったいない」と思ってしまうのは日本人的感情というよりは弟作だからだろう。
せっかく作ってくれたのに。初めての弟の手料理だったのに。
「大丈夫……?」
気遣わしげな弟の声が背後に聞こえる。心配してくれるのは嬉しいけど、今の姿はあまり見られたくない。ゲロゲロだし。
それ以上近づかない様に後ろ手に扉を閉める。
「お姉ちゃん……」
さすがに意図は伝わったのか扉を開けてくることはなかったけども、トイレの前で陣取られるのはやめてほしい。
これからもうしばらくゲロゲロするのであんまり聞かれたくない。それが弟相手であったとしても。
「ねぇ、背中摩ろうか?」
優しい弟の声に何も返せない自分が情けなかった。
そしていきなり嘔吐する姉相手にこんな優しく接せられる弟はやはり天使に違いない。
天使の羽が生えた弟を想像して一瞬だけ幸せになる。が、すぐに吐き気を思い出し嘔吐する。
天使が駄目だったのかも知れない。天使は吐き気の使いなんだ。ならばここはひとつ新たに小悪魔的弟というジャンルを開拓すべじゃないか。
「ぉぇ……」
駄目でした。オロロロロ……。
すでに食べた分は全て出し切ってしまった。しかし吐き気は精神的な物が原因のため楽にはならない。胃液混じりの何かをえずき続ける。
「お姉ちゃん、本当に大丈夫? もしかして卵が痛んでたとか……」
いやそれは無い。て言うか卵が腐っていた程度で僕の胃がおかしくなることはない。
この身は鋼にも劣らぬ頑強さゆえに。心は硝子だけども。
大丈夫という意味を込めて軽く扉を叩く。これを機にモールス信号でも覚えようかと真剣に検討中。
「まだ苦しい? お母さん呼んだ方が──」
「っ!」
衝動的に扉を叩いてしまった。
本当は大丈夫って意味で叩いたつもりなんだけど、思ったよりも力が入りすぎたらしく「ドガン!」と凄い音が鳴った。
すまぬ弟よ、手加減は苦手なんだ。そして親はもっと苦手。一度疎遠になってしまって以来直接顔を見せるのが辛い。
「ごめんねお姉ちゃん。僕良かれと思って……お姉ちゃんがこうなるって知ってれば」
しばらく自分を責めるようなことを言う弟に居た堪れなくなる。必要のない自責の念を弟に抱かせてしまった。
弟は悪くないのに。悪いのはこの程度でゲロる精神紙装甲の僕だ。だから気にしなくていい。
そういう意味で扉を数度叩くと弟は自分を責めることはやめてくれた。扉越しにこちらを窺う気配は残っているが。
少しのことで動揺して心を痛める自分が情けなかった。弟に心配される自分が嫌いだった。弟が大好きな自分は好きだ。
しばらくゲロゲロし続ける。もうすぐ優が学校に向かわなければいけない時間になる。それまでに落ち着いて、しっかりと先程の態度を謝りたい。
「ごめんね……僕帰るね」
しかし無情。時間切れとなってしまった。
帰ると言う優を咄嗟に引き止めてしまいそうになるが僕の口から静止の声は当然出ない。
待って。
行かないで。
そんな一言すらこのポンコツな喉からは出ない。まあ、言ったところで真面目に学校に通っている弟を本気で止められるわけがないのだが。
しばらくして部屋の扉が閉まる音が聞こえた。優が出て行ったのだ。
声が出ない。
笑えない。
泣けない。
あの日失った物はどれもアイドルとして必須の物だ。
歌えない上に愛嬌すら振り撒けない人間にアイドルなんでできっこない。
優が僕のそんな症状を治すきっかけになるようにとオーディションの話を持って来てくれたのはわかっていた。「今もアイドルになろうとしている」姉に何か目標でもあればまともになるのではないかと考えての行動だろう。
あまりの馬鹿馬鹿しい考えに違う意味で反吐が出そうだった。
結局のところ優にとっての如月千早はアイドルを目指している人間ってことじゃないか。意識的にしろ無意識的にしろ結論は変わらない。
ならば、アイドルを諦めた今の僕は、優にとって大切にする価値はあるのだろうか?
「ぅ……っ」
涙は出ない。どんなに悲しくても情動から涙する機能は僕から無くなっている。
だからこれは嘔吐による反射行動なのだ。決して哀しくて泣いているんじゃない。
────────────
しばらくして落ち着いたのでトイレから出ると当然ながら優の姿は無かった。
ラップをされた食べかけのオムライスがテーブルの上に置かれている。
せっかく優が作ってくれたオムライスだったのに、最後まで食べてあげられなかった。しかも食べた分は全部嘔吐しちゃったし。
今からでも残りを食べて、後でメールで感想を言おうと思いテーブルへと向かうとそれが視界へと入った。
優は律儀(?)にもオムライスの横に横に例のブツを置いて行ったらしい。持って帰ってくれればよかったのに……。
それだけで完全に食欲が失せてしまった。
テーブルに向かいかけた足を止め、逆方向へと向かう。
向かった先はあまり使わないソファだった。
乱暴に体を預けるように座り込む。こんな雑な扱い方をしてもこの身体が痛むことはかった。この程度の揺らぎでは”如月千早”に変化はないという証左だった。
壁掛けの時計を見ると針は八時過ぎを指していた。そう言えばすっかり緊急クエストを逃していたことを思い出す。今更ゲームをする気にもなれなかったのでどうでも良かったが。
代わりにソファに置きっぱなしだった埃が被ったリモコンを手に取り珍しく、本当に珍しいことに久しぶりにテレビを点けた。
少しの間をあけてテレビに朝のニュースが流れ始める。ちょうどアイドルを取り扱ったニュースが始まるところだった。
適当にチャンネルを回すもどれもこれもアイドルの話題ばかり。人々の関心も、世の中の中心も全てアイドルと言っても過言ではないくらいだ。
少なくとも前世ではここまでアイドルというものが重要視されることはなかった。精々有名なアイドル事務所のトップメンバーが週に一回程度何かしらネタを提供する程度だった。
しかしこの世の中はずっと前からアイドルブーム真っ最中のため、どの番組も一日一回はアイドルについて報道する。さらに765プロの台頭により最近はさらにアイドルブームに拍車がかかっているらしい。
「……」
ふと目に映る番組や広告に765プロの話題が入ることは多い。その度に取り扱うメディアを切って行った。
街の電子掲示板。電車の中吊り広告。雑誌。テレビ。
そうやって切り捨てて切り捨てて、逃げて逃げて逃げて逃げて、逃げ続けて、最後に辿り着いたのがゲームの世界だった。
それも完全ではなく、たまにゲーム内で765プロの話をしているプレイヤーを見かけるとその場から立ち去った。
それが未練がましい行為であることは知っていた。意識しない様にして逆に意識している。矛盾した心が悲鳴をあげている。
だがその悲鳴は自分にしか聞こえていない。いや自分にすらさほど聞こえてはいないのだろう。本当に聞こえてしまっていたら、きっと自分は正気ではいられない。
僕が如月千早である限り、この身体は”如月千早”であり続ける。だから僕は狂うことすらできないでいる。
それだけだ。
そんな風に、諦観にも似た考えを続けていると番組は一周し、最初のチャンネルへと戻った。
テレビから一つのニュースが聞こえて来る。
『765主催のミニライブでアイドル同士が接触し転倒事故が発生したそうですね』
何、だと──。
慌ててテレビに集中する。
画面では丁度ミニライブ中らしき映像が流れており、そこではよく知った顔が映っていた。……765プロのメンバー。実は春香以外この世界でまともに顔を見るのは初めてだったりする。
今の765プロならばもう少し大きなステージでやっていてもおかしくないと思うのだが、今映っている会場は少し小さく思えた。それに反してメンバーが浮かべる表情は少し強張っていた。アイドルになりたての頃ならともかく、今の皆ならミニライブ程度どうってこと……。
「?」
そこで気づいた。765プロのメンバー以外にも画面に映っていることに。
明らかに765プロ以外の人間が同じステージで踊っている。どこかの事務所とコラボでもしたのか?
『今765プロの皆さんの後ろで踊っているのがアイドルスクールの子達だそうです』
なるほど、このバックダンサー達はスクール生なのか。スクールのアイドルだからスクールアイドルとでも呼べばいいのかな?
何かの企画でスクール生が765プロとミニライブでアイドル体験とか、そんな企画だろうか。ま、関係ないか。
で、そのアイドルの卵とでも言う子達の表情は765メンバー以上に強張っていた。
明らかにライブ慣れしていない……。いや慣れていないとかのレベルじゃないぞこれ。初ライブと言われてもいいくらいだ。
ステップもずれているし、位置取りもおかしい。プロデューサーか秋月律子か知らないけど、このライブの配置をあの二人のどちらかが考えたとしたらこの位置取りは間違っている。
バックダンサー同士が近すぎるのだ。このままではぶつかるんじゃないか。
そう思った瞬間、オレンジ色っぽい明るい髪色の子と薄灰色のツインテールの子が接触し、オレンジ髪の子が転倒した。息が詰まる。
『ああっと、危ないですね。怪我とかなかったんですか?』
『幸い怪我はなかったようですが、ステージは一時中断になったそうです』
ほっと息を吐いた。
ステージ中断は残念だが、怪我がないのは良かった。失敗は挽回できるけれど、怪我はそこでアイドル人生が終わる可能性すらあるから。
などと、見知らぬアイドル候補生を心配している自分に気づき顔が熱くなるのを感じた。
何本気で心配しているんだよ。相手はモブキャラだろ。765プロの誰かが怪我したわけでもないんだから。
仮に765プロの誰かが似たようなことになったら、もっと僕は取り乱していたかも知れない。逆に何も思わないかも知れない。
どちらにせよ、ミニライブの失敗を喜ぶ自分が居なかったことに怪我人が出なかったこと以上に安堵していた。
だが、次のニュースキャスターの言葉に再び呼吸が止まった。
『765プロは近いうちにアリーナライブも控えていますから、これからスクールの子ともども踏ん張って欲しいところです』
……え?
……アリーナ?
ナニソレ。
アリーナ、ライブ?
聞イタコトガナイ場所ダ。
『今回バックダンサーを務めた子達もアリーナライブに参加するそうですね』
アリーナライブに出る?
誰が?
765プロの皆が。
それは良い。
良いよ。きっとそういう”お話”があるのだろうから。
それは、イイ。でも。
でも……、なんでスクールの子達が?
『はい、そのために今は765プロの事務所に仮所属しているそうですよ』
『なるほどー。では彼女たちは将来の765プロアイドルの候補生でもあるわけですね』
何で765プロじゃない子達が皆と一緒に居るの?
765プロにいるの?
何で──。
……。
『次のニュースです。346プロダクションでアイドルの──』
リモコンをテレビに向け画面を消す。
そこまでが限界で、手から力が抜けた。そのままリモコンは自由落下を始め、やがて床へと落ちて硬い音を響かせる。
重力に従う様にリモコンを持っていた手も下がる。だが下がるだけでそれ以上体が動くことはない。
目は開けているはずなのに何も見えてないように目の前が暗い。
耳の奥でゴーゴーと音が鳴り響いて他の音が聞こえない。
喉が酷く乾く。
どこかで、自分の価値に誰かが気付いてくれるんじゃないかって期待していたのだろう。
如月千早という重要人物が存在しない765プロなんてありえないのだから。そんな自惚れで思考が止まっていたらしい。
自分の居ない765プロなんて765プロじゃない。自分の価値と千早の価値を混同していた。
自分の居ない765プロが成功するわけがない。自分の存在が成功の鍵だと思っていた。
自分の居ない765プロは失敗するに決まっている。彼女達の力を一段下に見ていた。
だからアリーナライブと聞いて、彼女達の成功を知って、心乱しているのだ。
自分なんていなくても彼女達だけの力で未来を作り出せたことが受け入れられないため動揺している。
そして、スクールの子達の存在だ。
765プロはあの狭い事務所の中であれだけのアイドルを育てた。大手事務所に比べたら圧倒的に小さい事務所と少ないアイドルだ。それ故に結束力があった。それはゲームでもアニメでも描写されていた。
そこに誰かが加わるなんて想像していなかった。その可能性を完全に意識から消し去っていた。
結局自分は諦めてしまっていたのだ。
皆と同期で居られないから、と。そこで終わっていたのだ。
メンバーの増員がある可能性に気づいていれば、落ちた後もチャンスを窺っておけば。そんなもしもを考える。
あのミニライブでバックダンサーをしていたのは自分だったかも知れない。皆と一緒にアリーナライブに出られたかも知れない。
いや、それは無理だとすぐに思考を改めた。あの時の僕に後輩でもいいから皆と一緒にいたいという気持ちは持てなかっただろう。
どんなコミィニティでも少なからず存在する上下関係を765プロの皆と持ちだしたく無かったなんてのは言い訳でしかなく、結局のこところ自分が一番だという自信と傲慢さがあっただけだった。
原作知識というありもしない正解を信じて、全てを知っているつもりになって、現実を不正解と否定した。
僕は知らない。
アニメ後の世界なんて知らない。アリーナライブなんて知らない。後輩なんて知らない。
リアルの765プロメンバーなんて知らない。
もうこの世界は僕の知っているアイドルマスターの世界じゃない。
いや、そもそも最初から「僕が知っている世界」なんて存在しなかったのだ。
世界に決まりなんて無いから。僕が765プロに入らなければいけない決まりだって無かった。それに気づくのが遅かった。
二年だ。二年も経っている。原作の千早がアイドルを始めた歳が十五歳。今の僕はもうすぐ十七歳になる。
この二年間、僕は何をしていたのだろうか……?
いや、分かりきっている。
”何もしてこなかった。”
何も。何もしていない。
歌っていない。
踊っていない。
笑っていない。
泣けていない。
何も無い。何も残っていない。
「……ぅ、ぅ」
泣けない。涙が出ないから。
「ぅぅ……っ」
涙が出ない。心が止まっているから。
「ぁ、ぁ、ア──」
心が動かない。諦めているから。
「ア──」
諦めている。声が出ないから。
声が出ない。出ない。出ない。出ない。出ない。
誰か──。
「ぁー……」
助けて。
2年間ニート生活。
765プロに落ちたことでアイデンティティを喪失して廃人一歩手前。
一人暮らしで部屋に閉じこもってゲームして弟に介護されている状態。
ほとんど人生の崖っぷちである。もうあと数年で自殺しそう。弟に見捨てられたらその瞬間死にそう。
本気でぎりぎりの人生の中、最悪のタイミングで自分の間違いに気づいてしまった。取り返しのつかない無駄な時間。
2年間で765プロは無名からトップになれたのに、自分は2年間何もしていなかったという事実に心ぶっ壊れ状態。
次回、765プロ編最後。千早は輝きの向こう側に行けるのだろうか。765プロ編といいつつまったく765と絡んでないけども。
※このお話はサクセスストーリーです。
補足
本作の千早はアニメ版アイドルマスターまでしか知りません。映画発表前に転生済みのため、アニメ26話以降の話は無し。デレアニも知識にないです。時期的にミリオンライブは知っている可能性はありましたが無いとしました。