1940年12月19日
こないだの視察は、思いのほか有意義なものになった。
確かに……フィーネがわがまま言ってまで行きたがったのもわかる感じだ。
あそこでは……これからの世界で理想とされるであろう、過去を乗り越えて助け合って生きる、っていうあり方が、一足早く形作られていた。
戦争してるんだから、そりゃ敵対する感情もあるだろう。
けど、皆が平和に暮らすために、それを抑え、乗り越えて、協力して生きていく……そういう道を、彼らは選んで、歩んでいる。
その結果……敵対するばかりの世界にはなかった『余裕』が生まれ、彼らは少しずつ、平和な日常……戦前のそれとは形が少し違えど、同じように大切な平穏な世界を、自らの手で形作り、取り戻しつつあるのだ。
……それを、イゼッタ達もわかっていたんだろう。
最初、驚くばかりだった2人は……しかし、次第にその顔に笑みを浮かべるようになってきていたから。
戦争の世さえ乗り越えれば……ここと同じように、欧州が、世界全体が分かり合える、平和な世界になる……そう、感じたんだと思う。
現にその後、2人の目にはやる気が満ち満ちていた。
……こりゃ、ますます早くなったかもしれないな。戦争が終わるの。
もっとも……春になったら、速やかに攻略始めますけどね。
準備さえできれば、それより早く動くけど。
冬だろうがお構いなし。連邦やアルプス山麓と違って、ゲルマニアは降っても雪は少ない。冬だろうが戦う分には、ましてや攻め込む分には何も問題はないのだ。
ただ、準備期間が必要なのと、それに……ゲルマニア『が』攻めてくることができない『冬』が重なったことで、これ幸いとこっちが動いてるだけなので。
それが済んだなら……止まっている理由はない、ってわけ。
あの国には……こちらのためにも、向こうのためにも、最高のシチュエーションで負けてもら(日記はここで途切れている)
☆☆☆
「おや……このような時間までお仕事とは、精が出るね、首席補佐官」
場所は……エイルシュタット公国王宮、資料室。
不意に聞こえた声に、顔を上げたジーク首席補佐官。
見ると……入り口に立っているのは、個人的にあまり好きではない男だった。
丸メガネに、くすんだ茶髪。スーツを着こなし、容姿の整った渋みのある中年の男性。
しかし、その心中は……計算と謀略で、いかに自分のために周囲の状況を動かし、利用するか、いかに自分の身の安全を守るかを考えている男。
政治的な要件により、この城を訪れている彼の名は……アルノルト・ベルクマン。
元・ゲルマニア帝国軍の中佐であり……特務所属の切れ者だ。
どちらも、
知り合って間もなくして、互いに『こいつとは仲良くできない』と確信じみて思える程には。
「……ここに立ち入る許可は取得しているんだろうな?」
「もちろん。そんなくだらないことで国際問題を起こす気はない」
フィーネ大公の名で発行された、資料の閲覧許可証をひらひらと見せながら、ベルクマンは手近な本棚から数冊のファイルを抜き出し……ジークと同じ机、真向かいに座って読み始めた。
ちらりとジークが見た限りでは、特に問題のある資料というわけではない。国際条約等関係の、ベルクマンが任されている、外交関係の職務に必要な書類だった。
一方、ベルクマンもまた、ジークが開いている資料を見て……しかしこちらは、『ほぅ?』と、興味深そうに、少しだけ眼を見開いていた。
「それはひょっとして……ペンドラゴン君のかい?」
「……ああ、まあな。……貴様も知っていたのか?」
「少し前に聞かされてね。ゼートゥーア閣下らと一緒の時だったから……一応、私のことは信頼してくれたということなんだろう。少なくとも、ある程度は」
ジークが開いていたのは、警察組織の過去の犯罪データファイルである。
『○×教会孤児院 人身売買組織癒着摘発記録』
そこは……テオが入っていた、あの孤児院だった。
戦災孤児を引き取って育てている、教会つきの孤児院という表の顔。
その下で……その孤児を『商品』として扱い、優秀な子供を欲しがる客に、条件に合致する孤児を見繕って売り渡す『ブローカー』としての面を持っていた。
時期にして……テオが売り渡されてから、数か月後。その孤児院は、内部告発によってエイルシュタット公国の警察に摘発され、人身売買にかかわった職員は全員処分・投獄。孤児院は経営を続けることができなくなり、閉鎖となった。
テオがそこの出身……すなわち『エイルシュタット』の出身者であると知ったジークは、少しでも関係する情報を集めるべく、こうして当時の資料を片っ端から集めていた。
証拠品として押収した『孤児院』の経営記録や、人身売買の裏帳簿、顧客名簿など……何でもいい、テオの、本人さえも知らない『出生』にかかる秘密を、何か見つけられればと。
しかし、いくら探しても……当たり障りのない情報しか出てこなかった。
しいて言うなら……幼いころのテオは、今とは正反対に、あまり頭がよくなかった。
というよりも、何か生まれつき脳に問題を抱えているのではないか、と思えるほどに……ものを覚えない、頭の弱い子だった、という情報があるくらいか。
しかしそれは、ある時期を境に解消し、それどころか『神童』と呼ばれるまでの優れた力を発揮するまでにいたる。……そのせいでゲルマニアに目を付けられ、売られたのだが。
添付されているメモ書きや写真なども合わせて見ながら……しかし、役に立つような情報は発見できない。
ため息をつきながら、補佐官がまた1つページをめくると……その後ろで、自分の席に戻ろうと動くところだったベルクマンが、何かに気づいて『ん?』と声を上げた。
「……? どうかしたか?」
「ああ……少し。……この日付……」
ベルクマンが注目していたのは……資料の片隅に記された、テオが孤児院に入所した年月日。
その数日前に、イゼッタとフィーネによって、山の中で行き倒れになっているところを拾われた、というわけだが……
(……偶然、か?)
「……何か気づいたか、思い当たることでもあるのか? であるなら、参考までに聞かせてほしい」
身を乗り出して、その一点を凝視しているベルクマンに、ジークが問いかける。
一瞬考えた後、ベルクマンは言葉を選びながら口を開いた。
「ああ……いや、僕の気にしすぎかもしれないんだがな……。この、ペンドラゴン君が施設に入所した日付だが……この少し前に、帝国・帝都で、ちょっとした騒ぎがあったのを思い出した」
「騒ぎ?」
「ああ。といっても、完全に内部の内輪もめというか、何というか……少なくとも、新聞なんかに載っているような情報じゃない。ただ、小さくて気にするほどのことでもない、とも言いきれない案件でね……当時、まだ特務で下の階級だった僕の耳にも、噂程度に届いていた」
「……回りくどいな? 言いたくないのなら、そう言ってくれてもいいが?」
「そんなつもりはないんだがね……順序立てて説明しようと思っているだけさ。だがお望みなら、結論から述べるとしよう……皇室がらみで、あるスキャンダルがあったんだ」
「スキャンダル? ……何だ、皇帝に隠し子でも見つかったのか?」
「……冗談のつもりで言ったようだが……正解だ。半分ね」
「何?」
眉間にしわを寄せ、眉をひそめて聞き返すジーク補佐官。
ベルクマンは、懐から手帳を取り出し……ぱらぱらとめくって、お目当てのページを探し当てると、そこに目を走らせながら……
「もうずいぶん昔のことだから、記憶もおぼろげだが……ああ、そうだった。当時、陛下の『お手つき』ではないかと疑われていた、とある女性がいてね? その女性には、父親のいない子供が1人いた……しかし、それを調べていた特務が、いざ女の身柄を確保しようとした段階になって……彼女は、忽然とその姿を消してしまった」
「……それで? 見つけられなかったのか?」
「ああ。秘密裏の案件だから公開捜査するわけにもいかず、迷宮入りになったわけだ……そして……その、女が行方不明になった日付というのが……この日付の、2週間前なのさ」
自らのメモ帳のページに記載されている日付と、
ジークが覗き込んでいた捜査資料のページに記されている日付。
その2つを見比べると……確かに、年は同じで、月日も非常に近かった。
「……その、『父親のいない子』の、当時の年齢は?」
「不明だ、何せ戸籍登録がなかったからね。ただ……見てくれは、5歳かそこらだったそうだ」
「…………そうか」
ジークとベルクマンは……しばらくの間、2人とも同じように神妙な面持ちで、並べられた2つの資料を見つめていた。
「……計算は、合うな」
「……困ったことにね」
☆☆☆
同じ頃……テオは、基地の屋上にいた。
特に目的があったわけではなく、ただ夜風にあたって涼んでいるだけ。
風呂上りの体の火照りを冷ましながら、日記を書いていたところだ。
……その最中に、思いもよらない珍客があった。
いざという時は即座に外すため、左目の義眼を覆っている眼帯に意識をやったところで……来訪者は、逃げも隠れもせず、テオの眼前に舞い降りた。
「……久しぶりね、
「……何それ?」
微笑みと共に、よくわからない挨拶の仕方をしてきた、白い髪の少女……ゾフィーに、テオは、警戒を絶やさず……しかし、その笑みに違和感を感じながら、返した。
ゾフィーの浮かべている……嘲笑でも、蔑視でもない……本当に、慈愛に満ちたような笑み。
それが、一体何を意味するのか、わからずに。