対聖タチバナ学園戦、完結編です。
五回表聖タチバナ学園の攻撃は、一死からみずきがフォアボールで出塁、打順は先頭へ戻り、手堅く送りバントを決めて、スコアリングポジションへランナーを進めた。そして、
『ツーアウトランナー一塁から、
ラストバッターみずきへ与えた四球をきっかけに一点を献上してしまったものの、追加点は与えず三つ目のアウトを取って戻ってきた
「ショートへ打たせたつもりが、上手く拾われました。防げた失点です」
「フッ、求めすぎだな。五回二失点、上出来じゃねーか。結果的に、いい役目も果たしてくれた」
五回まで試合を作った
「さて。先頭から始まるこのイニングは、この試合を左右する重要なイニングになる。そこでだ――揺さぶれ、徹底的に。その結果、三者凡退でも構わない。ただし、自身の形は崩すな。それだけは、頭に入れて臨め」
――はい! と力強く返事をした二人は、ネクストバッターズサークル付近で会話をしながら、打席に備える。聖タチバナ学園の方も準備が出来た選手たちが、ベンチからグラウンドへ駆けていく。
「
「うむ......!」
「(確かに、勝ち越せたのは、大きい。だけど、取り方としては最悪に近い......)」
四球、送りバント、タイムリーヒット。相手のミスからの得点、流れとしては最高の形だが。しかし、ホームへ還ってきたランナーが、投手のみずきであったことが、彼女にとって想定していた中で最悪のシナリオだった。
ツーアウトのため、バットに当たった瞬間にスタートを切る。例え、ファウルであろうとも。事実、タイムリーヒットが生まれるまでの間に、セカンドランナーのみずきは、二度スタートを切った。そして、ホームまで全力疾走。
「(送りバントでも走らされたし。そもそも、セカンドで封殺を狙えたかもしれないピッチャーの正面へ転がったのに、みずきには目もくれなかった。
嫌な点の取られ方をし、流れを変えたかったとはいえ、イニングの途中でマウンドを降りてしまったことを悔やんだ。外野、もしくはファーストへ付く選択肢もあったのではないかと。しかし、そんな考えはすぐに改める。投手へ専念し、みずきと
「(――まさか、わざと......? だとしても今、点を取りに行ったことは決して間違いじゃない。ウチが勝つには、リードを保ってロースコアの展開へ持っていくしかないんだもの。この五回裏を乗り切ることが出来れば、グラウンド整備が入る。身体を休める時間を幾分取れるわ。この裏さえ乗り切れば――)」
「(でも、あの人が、都合の良いことを許してくれるハズはないわ。だから
イニング間の投球練習が終わり、先頭バッターの
『
「(やはり、走塁の疲労が抜け切れていないところ狙って揺さぶって来たぞ)」
「(言われなくても、分かってるわよ。てゆーか、これって、本気ってことでしょ? 潰しに来てる、私を、本気で!)」
「(まったく、そんな嬉しそうな顔をするな。とにかく、守備は
「(はいはい、りょーかい)」
サインに頷き、二球目。外角のスライダー。
「(――際どい、ボールか? けど、そこは届くぜ!)」
バット引いて、ヒッティング。三塁線を切れて、ファウル。
「(むっ、バスターでも、しっかり振り抜いてくる。中途半端な誘い球は、逆に危険か......?)」
受け取った新しいボールのキズを確かめつつ、休ませる時間を作る。その姿に、
「意外と“したたか”ね。予選大会、甲子園も三回戦まで勝ち上がってきてるんだから当然なのかも知れないけど」
「フッ、全然あめぇーよ。俺なら、送りバントが決まった直後、滑り込んだ時に足首捻ったとか、テキトーな理由をでっち上げて、臨時代走を出させている」
「......そもそも、休ませざるを得ない機会を作らないのね」
「まーな。でだ、
「はい」
「何か、変化はあったか?」
ベンチの奥で、水分補給と汗を拭っている
「いえ、正直コレと言っては。むしろ、ボールは走っています。帝王戦より腕も振れてますし」
聞かれた
「......まあ、何かあれば、実際に受けているお前にしか気づけない予兆があるハズ。何でも構わない、すぐに知らせろ。不測の事態に備えて準備は進めておく」
「――はい!」
真剣な
『さあ、フルカウント。次が、六球目。膝下へ切れ込むユニークな高速の変化球!
「(ファーストゴロ!? 最悪だ!)」
「(任せろって言われても、行くしかないじゃんっ)」
ファーストは打球の処理へ向かい、投げ終えたみずきはマウンドを降りて、一塁のベースカバーへ走る。
「
「あ、お願いしまーす!」
みずきを制し、一塁ベースカバーにはセカンドが入った。
逆シングルで捕球したファーストからの送球は、やや際どいタイミングになるも、先ずはしっかりワンナウトを奪った。
『アウト!
「(このバッターは、こういう場面では一番厄介な相手なのかも知れないぞ。先ずは、これで――)」
「(二打席目は、自分でもビックリするくらいインコースを上手く打てた。キャッチャーにも残っているハズ、なら――)」
アウトコースボール球のストレートに対し、踏み込んで狙い打ち、逆方向へ上手く押っ付けた。元々悪球打ちを苦にしない
「(――初球打ち、しまった、待球策だと決めつけすぎた......)」
「タイム、お願いします」
「あ、
『聖タチバナ学園、守備のタイムを取りました。ここで、伝令が出ます』
「切り替えなさい。三番は、敬遠気味のフォアボールで歩かせる手もあるけど、一点を惜しんで大量失点なんてことになれば最悪よ。それこそ、もう取り返しがつかなくなるわ。三番、四番でひとつアウトを取れれば、今日当たっていない五番で切れる確率も高い。逆に、当たっている六番へチャンスで回さないことが重要よ」
「では、ここはバッター勝負に集中ということだな」
「ええ、その通り」
「まっ、最初から、そのつもりだし」
「では私たちは、無理にダブルプレーは狙わず定位置で守りましょう。
「おっけー」
審判が注意を促しに来る前に、再度確認を行い各々戻っていく。ポジションに付いて、一死一塁から試合再開。三番
「(多少のボール球であろうと、タイミングさえ合えばお構いなしに狙って来る。ならば、ここからは全球勝負球のつもりで挑むぞ......!)」
頷いたみずきの、
「(握りは、真っ直ぐ――)」
「(――緩い)」
内角低めいっぱいに、スライダーが決まった。
「(いいコースだな~。前の二人には、そこそこ甘いボールもあったし、ちょっと粘ってみるか)」
二球目、アウトコースのクレッセントムーンをカット、同じボールを続けた三球目を見極め、カウント1-2。
「(......簡単に見られた。やはり、このバッターは別格だ。この打者を打ち取れる配球――)」
「すんません、タイムお願いします」
なかなかサインが決まらないことに
「(結構、時間掛けるな。たぶん、スゲー悩んでる。けど、投手有利のカウントだし、まともなストライクはまず来ない。落ちる変化球は、スクリューだけだ。さっき当てられたけど、使ってくるか? とりあえず、頭に入れておくとして。さて、どうすっかな?)」
「(シフトは、定位置に近いぞ。となると......コレとか、面白いんじゃね?)」
「(えっ? マジか。けど確かに、頭にないかもな。オッケー)」
「(スクリューだ!)」
「なー!」
テイクバックの握りで球種を読んだ
『なんと!
守備位置が定位置だったため、セカンドは間に合わないと判断した
「くっ、みずき!」
「まっかせなさいっ!」
『打球を処理したファースト、一塁へ送球! しかし、
ベースカバーに入ったみずきのグラブに送球が収まる寸前、
「サードです!」
「え......うっそでしょ!?」
バットに当たる前のタイミングでスタートを切っていた
「(まさか、こんな手を使って来るだなんて――だけど、一番厄介な三番をアウトに取れたのは大きい。
気持ちを切り替え、マスクを被り直した
「みずき、ツーアウトだぞ!」
「――分かってるって、ちゃっちゃと終わらせるわよっ」
みずきも、
しかし
「おや、勝ち気な
「強がりってこと? けど、ちょっとくらい動揺しても仕方ないと思うけど」
「くくく、予め想定してしかるべきだろ。何せ、自分たちが同じ策を講じていたのだからな」
「確かに、ね」
しかも、タチバナ学園の奇襲は不発に終わり、恋恋高校の奇襲は成功。この事実は、現時点でリードしているとはいえ、重く残る。更に、三イニング続けてのピンチを背負った場面での投球、身体の疲労に加え、精神的疲労も相当なモノ。
『ボール! 二球続けて、はっきりと分かるボール球!
「(マズい。みずきは、打たれ強い方じゃない。いっそのこと歩かせて、プレッシャーに強い
冷えないようにタオルを肩にかけて、ベンチの奥で涼んでいる
「(......無理ね。今ここで代えたら、九回を戦い抜けない。
選手交代を思い止まった
「さあ、来ーいでやんす!」
『ツーアウト三塁一塁、一打同点、長打が出れば逆転の場面で迎えるは、魅惑のメガネボーイ
「(フォアボールで歩かせた直後の初球は、危険だ。だが、またボール先行になれば後手に回る。ここで切らなければ――)」
『さあ、サインが決まりました。
「(盗塁、ディレイドか!? いや、違うっ)」
「(――初球でやんす!)」
『
「ライト!
「くっ......!」
懸命にグラブを伸ばすも、
『落ちたー!
「アウトー!」
『おっと、これは、セカンドのナイス判断! 送球をカットし、先の塁を狙った
しかし、
逆転の一打を浴びたみずきは、肩を落としてベンチへ戻る。
「すみません、絶対に打たれちゃいけない場面で......」
「いや、みずきのせいではない。私の責任だ。クレッセントムーンなら空振りを、あわよくば打ち取れると安易にいきすぎた。しっかり外さなければ、狙い打ってくる相手だと分かっていながら......」
「悔やんでも仕方ないわ。みずき、次の回に備えて、しっかり休息を取りなさい」
「えっ? 交代じゃないんですか?」
「なぜ? しっかり打ち取っていたわ。相手が、エンドランを仕掛けていなければ、ね」
今の一打は、ファーストランナーの
「相手はまだ、捉えきれていないわ。結果的に、得点に繋がっただけ。それに――」
「どうする? 降りるのなら望み通り、
「投げます!」
あおいの姿を見て、みずきの眼に力が戻った。
「なら、アンダーシャツを着替えて、水分補給も済ませておきなさい。野手は、集合」
野手陣を集めた
ネクストバッターズサークルから戻ってきた
「見ての通り、保険は掛けた」
「はい、受けてきます。
「問題、なさそうよ。ここから見ている限りは」
「だといいがな」
グラウンド整備が終わり、試合は六回の攻防へ。
四番から始まる聖タチバナ学園の攻撃は、セーフティバント、バスター、カット打ちと、五回裏の恋恋高校の攻撃を彷彿とさせる大胆な揺さぶりを仕掛けてきた。
その意図は――。
「(エースがキャッチボールを始めた。つまり、何か特別な事情があるはず。いえ、もし何もなく、明日の準々決勝へ向けた肩慣らしだとしたら、私たちの勝ち目は完全に消滅。あると信じて向かっていくしかない......!)」
フルカウントから粘って、次が八球目。
「(明らかに当てに来てる。なら、ここは球威で勝負!)」
「(――はい!)」
頷いた
『空振り三振! 真ん中高めのストレート! そして、なんと今の一球――144キロを計測! 自己最速を大幅に更新しましたー!』
「タイム。
「はい!」
『何か、アクシデントでしょうか? 大ごとでなければいいのですが......』
しばらくして、ベンチから選手が出てきた。
それは、自己最速をマークした
『あーと、
投球練習の最中、ダグアウトから戻ってきた
「関節や靭帯に、異常は無かったわ。症状は、少し張っているくらいよ」
「負担が掛かりすぎた、と言ったところか」
「ええ、肘の付近に小さな青アザが出来てた。140キロ中盤のストレートの反動に耐えられる筋力が伴っていなかったのよ」
「それで?」
「本人は、痛みもないし、行けると言っていたけど......」
「しっかり治せ、と伝えておけ。つーか、戻ってきても無駄だ」
「あら、もう、交代を告げていたのね。さすがの判断力ね」
「間に合うんだろ?」
「ええ、決勝戦には間に合うわ。十分ね」
「そうか」
「緊急登板だけど、肩はどう? 足りなかったら、肩慣らしも兼ねて歩かせてもいいけど」
「ううん、大丈夫だよ。それに、安心させてあげなきゃっ!」
「だね。じゃあ頼んだよ」
「うん!」
その言葉通り、あおいは後続を退けた。
そして、彼女のピッチングに感化されたみずきも、ランナーを許したもののゼロで抑えた。七回、あおいは続投。タチバナ学園は、みずきから
試合は、終盤八回へ。ツーアウトから
そして、八回裏二点リードで迎える恋恋高校の攻撃。三番手の
「投げられる?」
「も、もうダメでぇ~す......メイクが落ちちゃいました~」
「おおっ!? 汗がドス黒いぞ?」
「夜道ですれ違ったら、逃げ出す自信があるな」
「ヒドいでぇすっ!」
眉をつり上げて怒りながらも、肩で息をしている
「ハァ、無理みたいね。この炎天下の中、二回途中で七十球近くか、ずいぶんと投げさせられたわね」
「姉さん」
「ええ、頼むわ。
『なんとなんと、聖タチバナ学園は
「分かっただろ?」
「ええ、これが、ウチとの共通の弱点――」
投手陣の駒不足。
変則投手を相手に、例えファウルになろうとも、形を崩さずにきっちり振るという行為の本命、
それは、後半戦へ進むにつれて顕著に現れた。六回以降のフォアボール、そして、この回二つのフォアボールも、明らかなボール球。元々速い部類の投手ではないため、判断がつきやすくなれば、必然的に球数もかさむ。
「パワーピッチャーの
「本来なら明日以降の試合、
「別の方法を模索するまでだ。さて、あとは任せる」
「任せるって、まだ九回が残っているわよ?」
「フッ、もう決まりさ。アイツも、座っているだろ?」
降板して以降は、殆ど座らずに采配を振るっていた
『バッターは、
ピンチの場面、セットポジションからの投球。
「(ふーん、結構いい球放るな。おっ、120キロ出てるし。スゲーな)」
二球目もストレート、三球目もストレート。全て120キロ前後のストレート。
「(カウント・ツーエンドワンのバッティングカウントか。狙うなら、ここだ。真っ直ぐなら狙い打つぞ?)」
「(......苦しいが、
「(分かりました。私も、全力で臨みます)」
「(インハイ――ナイスボール!)」
快音を残した打球は、レフトの上空へ舞い上がった。
バットを放り投げた
『入りましたーッ!
打球を見届けた
「
いつも無表情の
「完璧でしたね。あれほど飛ばされてしまうとは思いませんでした。秋の大会までに、変化球を覚えなければいけません。お手伝いしていただけますか?」
「――ああ、もちろんだぞ。来年は、私と
「もちろん、そのつもりです」
聖タチバナ学園を破り、ベストエイトへと駒を進めた恋恋高校の次の相手は、覇堂高校に決まった。
そして、プロ球界においても歴史を揺るがすような、大きな決断が下されようとしていた――。
次回は、