五番から始まる四回表の攻撃を、多少多くの球数を使いながらも三人で退け裏の攻撃。
「何を、指示したの?」
ベンチに座り直した
「なーに。行けると思ったら、迷わず狙っていけ、と言っただけさ」
「そう」
話しを聞いた
「(何か、指示が出たわ。どんな作戦を打ってくるか、常に警戒を怠らないように)」
降板後、采配を振るう
「(うむ。みずき)」
「(分かってるって。チャンスで四番に、送りバントさせてくる
「(――来た、自分の形で!)」
ストライクからボールになるスライダーを
『サードの後方、レフトの前へ落ちました!
この結果に驚いていたのは、タチバナナインよりも、
「今の、スライダーだったよね?」
「ええ、ストライクからボールになるスライダーよ。まるで、最初から狙っていたみたいだったわ」
まさかの初球打ちを疑問に思う、あおいと
「
「誰が、そんなことを言った? 俺はただ、『行けると思ったら、迷わず狙っていけ』と言っただけだ。当然、例の変化球も含めてな」
「......だけど今のは、ボール球だったわよ? フォームの歪みは?」
「それも言った。打たされずに、打てばいいと。自分の形で振れさえすれば、ボール球だろうと問題ない。ファウルなら打ち直し、上手く行けば今の様にヒットになる。特別問題はない。そしてこれで、お膳立ては調った」
七番
「警戒していたけど、素直に送らせてくれたわね、例の変化球も使わなかったし」
「二球様子を見て、強行策はないと断定した。シフトからみてもアレは、ゴロを打たせるための
ランナーが居ても、タメがやや長いフォームのため、
「あれ? じゃあ、送りバントは、相手の思惑通りってことですよね?」
「同時に、こちらの思惑通りでもある。
「あっ、バッターを打ち取りに来るんだ、例の変化球で!」
「そういうことだ」
「試合中はもちろん、練習、ベンチでの仕草や挙動を注意深く、神経を研ぎ澄ませ、観察していると。相手の思考や思惑、内情までもが透けて見えてくるような感覚を覚える。しかしそれはまだ、ほんの僅かな上澄み過ぎない。更に一歩、奥深くへと踏み込む。時に、己の首を差し出し、刺し違えてでも掬い取る。心理の奥底にあるモノを、根こそぎ、全て――」
不気味さと緊張感が入り混ざった妙な静けさが、ベンチ内を漂う。その空気を消し飛ばすかのように、不気味な雰囲気を醸し出していた張本人である
「そこまで踏み込めなんて言わねーよ。見えなくていいものまで、見えてしまうこともあるからな」
「そう言われると、逆に見てみたいような気が......」
「本当に、知りたいのか?」
「やっぱり、いいです!」
念を押され、慌てて首を横に振る
「フッ、まあ、観察力は何かと役に立つ。例えば、キャッチャーのリードから、相手投手陣の力量や台所事情を探ることも可能だ」
「キャッチャーのリードから、ですか?」
「分かりやすく行くか」と、
「
サインに頷いたみずきの三球目、初球よりもやや甘めのインコース。
「(――初球のストレートよりも緩い、スライダー? いや、違う。これは、スクリューだ......!)」
沈む変化球に、咄嗟に左手を離し、右手一本で辛うじて当てた。打ち損なった打球は高く上がり、一塁側の防護ネットに当たって、ファウルグラウンドへ跳ね返った。
「何とか食らいついたって感じね。でも、いいの?」
「アイツは、例外。好きに打てと伝えている。中ゼロ日の連戦での出場を回避させ、以降は調整に専念させる。多少崩れても、修正時間に余裕がある」
「なるほど、ね」
理由を聞いた
「でだ。今の一球で判明したことは、バッテリーは、早めの勝負を望んでいるということ。次は、例の変化球で来る。追い込んでいる訳だから、必ず手を出してくると計算した上で」
「なら、また調べさせる?
「いや、今回は、あえて打ちにいかせる。打ちにいくことで、二通目のメッセージを送る」
「二通目?」
「一通目は、既に送信済み。相手も受託している。それも、確認済み。正確には、“今も、送り続けている”か。一時的に寄り戻したが、意識の中には刻まれている。そいつを、より一層意識させるためのメッセージ」
はるかを通し、フリーとサインを受け取った
「(スクリューは、前の投手の方が大きく変化した。ストレートとスライダーは、少し速い。でも、基本的に両サイドの低めの出し入れで組み立てるところは共通してる。ストレート、スライダー、スクリュー、三つも見せて貰った。どれも決め球になる様なボールじゃなかった。となると――)」
読み通り、ピッチャー有利のカウントから、その変化球が放られた。
「(速い、ストレート......沈んで、曲がった!?)」
膝下へ沈みながら食い込むような独特の変化する、ストレートと球速差が小さい変化球を打たされてしまった。ファーストへの、平凡なフライ。セカンドランナー
「ナイスピッチだぞ、みずき!」
「ふふーん、当然の結果よね~! ツーアウトー!」
バックを盛り上げ、ラストバッターの
「どうだった?」
「
「利き腕の方向へ変化する速球系のボールなら......シュートか、ツーシームかしら?」
「いえ、シュートよりも速くて、ツーシームより変化は大きいです」
「ふたつの特徴をミックスしたボール? その上、手元で沈む変化球なんて聞いたことないけど......」
「そう、深く考え込むな。術中に嵌まるぞ」
目を落として、考え込んでいた
「まだツーアウト、チャンスは続いている。はるか、
「はいっ!」
『ベンチからのサインを受け取った
初球、内角低めいっぱいのストレート。
『クロスファイアー! 対角線上、膝下へズバッと来ました!
みずきは、先の
「(今のは、ボールだったかな? 追い込まれちゃったし、ゾーンを少し広めに意識していかないと......!)」
意識を新たに構え直す、
反対に
「(......追い込んだのは、追い込んだんだが)」
「(どうする? 三球勝負に行く? タイミングは、合ってなさそうだけど?)」
「(確かに、タイミングは合ってない。ただ、当ててきた。それに......)」
「(ここは先に、緩い変化球を見せておくべきだったか。ツーアウト、ランナーはスタートを切る。打球によってはワンヒットで、勝ち越されるぞ)」
今のは、腰を引かせるために要求したボール。そして、ボールにしておきたかった一球。初回の
「(いったん、間を取りたいところだが......今取ると、変化球を見せたい狙いが読まれるかも知れない。それなら――)」
みずきへ視線を戻した
『セカンド牽制! 判定は、セーフ。
ベースカバーに入ったショートから、みずきへボールが返される。集中していたところでの牽制球に
「(よし、ひとまず間を取れた。これで、外角の変化球も使えるし。もう一度、インコースを行けるぞ)」
「(そう、それでいいのよ。間を取る方法は、ひとつじゃないわ。他にも、こう言う方法もあるのよ。それに今ので、牽制があることをランナーに意識させられた)」
『三球目、外の変化球。これは外れて、ボール!』
スクリューを外角へ外し、四球目。 外から入ってくるスライダーをカットして、ファウル。カウント変わらず1-2。
「(やはり、あからさまなボール球以外は手を出しくる。だったら、振って貰うぞ)」
「(もう、待たせ過ぎよ!)」
「三球勝負で、よかったのに!」と、やや不満げな
「最後のボール、テイクバック時の握りは見えたか?」
ベンチへ戻ってきた
「はい。えっと、ストレートとスライダーと同じ握りでした」
「そうか、分かった」
「はい、グラブと帽子。防具は、片付けとくから」
「ありがと。行ってきまーすっ」
機嫌良く、ベンチでドリンクを飲んでいるみずきを見て、
「クックック......見えたな。あの変化球は、速球だ」
「速球......と言うと、ファストボールですか?」
「それって、ヒロぴーと同じ?」
「正確には、速球の亜種。原理で言えば、お前の“マリンボール”に近いと言った方が解りやすい」
「ボクの、“マリンボール”に近い、ファストボール?」
変化球と速球、相反するふたつの球種を複合させたボール。
「サイドスローの特性と背中を向けるフォームの遠心力をフルに活用した、ボール。あのボールの最大の特徴と言って差し支えない独特な軌道の正体は――回転軸にある」
一般的なストレートは、地面と平行に近い回転軸になるように投げる。
しかし、みずきが投げる、まるで三日月の様な変化をする変化球――“クレッセントムーン”は、回転軸がほぼ垂直に近い。そのため揚力が生まれず、重力と横回転の影響を受け、若干沈みながら利き手方向へと流れて行く。
「ストレートとスライダーをリリースで投げ分けられるほど器用。背中を見せるほどの長いタメ、おそらく、通常のストレートと同等以上の回転を掛けて放っている。元々シュート回転しがちなサイドスローのウイークポイントを逆手に取って、強力な武器へと変貌させた」
「それで、ストレートに近い球速で変化球の様に大きく曲がるのね......とんでもないボールね」
「あの、それで、あおいの“マリンボール”に近いと言うのは?」
感心している
「“マリンボール”も、球速と変化を両立させているだろ。方向性が違うというだけの話しさ」
「方向性、回転軸......そっか、あおいの“マリンボール”は、横ではなく、縦に作用させているんですね!」
「その通り。それが、“マリンボール”の正体」
「あーあ、バレちゃった~」
「くくく、しかも“マリンボール”は、ストレートと同じく、いったん浮くような軌道から急降下するため見極めは困難。まったく、タチの悪い変化球だ」
「それ、よろこんでいいんですか......?」
微妙な
「とにかく、決め球の秘密は判明した。次は、攻略だ」
視線の先には、バッターボックスへ向かうみずきの姿があった。