「みんな、今のうちに着替えとエネルギー補給を済ませちゃいなさい。手の空いてる人は、手伝ってあげてね」
「はい!」と
「あの、コーチ。さっきの伝令って結局何だったんですか?」
雨で濡れたアンダーシャツを着替えながら
「ただの時間稼ぎだ。文字通りな」
「時間稼ぎ......」
着替えの手を止めて、考え込む。
「(二死から連打で失点した悪い流れを切りたかった、もしくは、俺たちを落ち着かせるため。あるいは両方......。いや、そう言う理由なら、コーチはもっと考えさせるような助言を出す。今までもそうだった。となると別の理由があるはず――)」
「
「あ、はい」
「濡れたアンダーシャツを替えるだけでも全然違うね」
「ええ、気持ち動きやすくなった感じもするわ」
「スポーツドリンクですよー」
はるかに礼を言って、ベンチに腰を降ろす。
「で。
「たぶん、さっきの伝令のことじゃないかしら」
「正解」
「祝勝会の話しって言っていたわね」
「うん。球審が注意に来るまで話しとけって」
「球審が注意に来るまで、ね」
そこにヒントがある。
「悩んでるわよ」
「考えて悩めばいい。とことんな」
「もう、冷たいわね。ヒントくらいあげたら?」
「ヒントも何も、ほぼ答えを教えてやったじゃねぇーか」
小さくタメ息をつく
「ヒント、答え......時間稼ぎ......あっ、そうか、マリンボールだ!」
「ん? ボクのマリンボールがどうかしたの?」
「ほら。前に海で、あおいちゃんが言ったことだよ。湿度が高い海は、変化球がよく曲がる!」
「え、なに? あんたたち、海でデートしたの?」
「ち、違う違うよっ。マリンボールの開発に行き詰まってた時に、気分転換で行っただけだよ!」
「ふーん、へぇー、まっ、そう言うことにしといてあげるわ」
「ハァ、話しが脱線したわね。それで?」
「あ、うん。対マリナーズ戦の反則合戦の試合にヒントがあるんじゃないかってなって」
「豪雨の反則合戦......なるほど、天候がプレーに与える影響。コーチは、雨で空気中の湿度が上がるのを待ったんですね」
「まあ、70点ってところだな。雨の影響は、ピッチングやバッティングにだけではなく守備や走塁にも及ぶ」
雨で足下が泥濘めば体重が乗り切らないし、当然体勢もブレが生じる。晴れの日と比べると強い打球を飛ばすことも、思うような投球も格段に難しくなる。
「だけど、あたしもタイムの時マウンドに行きましたけど、それほど泥濘んでなかったですよ? むしろ気持ち締まって感じたって言うかー」
「だから70点なのさ。雨は何もグラウンドだけに降ってる訳じゃない。グラウンドに立つ、お前たちの身体にも降り注いでいるんだ。ユニフォームが雨を吸えば重くなるし、ボールやバットが濡れていればインパクトで多少は滑る」
湿度などの影響を受け、晴れよりも打球が飛ばない雨の中での試合。時間稼ぎで、雨に濡れたバット。一発逆転の場面で、前の打席にホームランを打ったコースとほぼ同じ内角低め投球。多少のボール球だろうと振りに行く。しかし、ファーストにランナーが居たことで盗塁やエンドランを警戒してのクイックモーション、変化球とストレートの真逆の軌道。雨の影響でスイングにも僅かな狂いが生じた。
「対戦経験の少ないアンダースローのストレートにバットが下から入った。一見派手に打ち上げた打球は、雨の影響をもろに受ける。だから届かない。単純な理屈だろ。だが向こうは困惑する、何せ確率の低い雨を想定した練習など通常はしない」
「でも、ボクたちは合宿の時に経験してるね!」
「ええ。波打ち際でノックも受けたし、水を撒いて泥濘んだブルペンで、水に浸したボールでピッチング練習もしたわ」
「あかつきは名門だから設備も充実しているから、雨の日は基本的に室内練習場でしょうしね」
「フッ。それが仇となり、今焦りとなって表面に現れた。見てみろよ」
「いくぞ、
「はい!」
大きく振りかぶって、
「なんだ、今のストレートは......!?」
「オレたちだけじゃなく、監督にまで隠してたってのかよ......!?」
「別に、隠していた訳じゃない」
「まだ、狙ったコースへコントロール出来ません。実戦で使えるレベルまで達していないんです」
「......なるほど。しかし、キャッチャーを
「
「オレじゃ逸らす心配があるってのかよ?」
「
あかつきの一軍投手は全員が高い制球力を誇っている。なぜならば、毎年中学時代にエースナンバーを背負っていた投手が何人も入部してくる名門あかつき大附属では、最悪でもストライクを狙って投げられなければ一軍へは上がれない。熾烈な競争に勝ち上がった者だけが一軍への切符を勝ち取り、三年間を二軍生活で終える選手もざらに居る。レベルの高い投手に加え、
チームメイトたちからも絶大な信頼感を誇る
* * *
時を同じくしてある人物が、雨を避けてるため席を離れて試合再開を待っている
「どうして、お前が居るんだ?」
「買い物のついでに寄っただけだ。どうせ明日は、オフだしな」
雨に濡れたビニール傘を閉じて、
「一点差で中盤か、どう見る?」
「さっきの攻撃のように、強力な打線を誇るあかつきに一点などあってないようなもの......と見るだろう」
「つまり、お前はそうは見ていない訳だ」
「ああ、僕は恋恋が優勢と見ている」
「理由は?」
「あかつきバッテリーだ。彼らにとっては思わぬ形で先制点を与えてしまったことで、必要以上に組み立てに慎重になりすぎている。それに加え、彼のピッチングの生命線を封じられたのは痛い」
スライダーはカーブやフォークと違い、ストレートとあまり握りを変えずに投げられ比較的コントロールしやすい変化球。決め球にも、カウントを整えるのにも重宝する。サウスポーの
「スライダーはコンビネーションの要だったと言っても過言じゃない。ボクシングで言うところのジャブのようなものだ」
「確かに、あれだけキレのあるスライダーを持っていながらカウントを稼げないのはキツいな。ストレートが強力なだけに」
「なんだ、観ていたんじゃないか」などと野暮なこと言わず、
『あかつき大附属高校、選手の交代をお知らせします。キャッチャー
悩み抜いた末
「ここで、キャッチャーを代えるのか。あのキャッチャー前の回にタイムリーも打ったし、悪くなかったよな?」
「ああ、文字通り攻守の要だった。それをここで代えると言うことは......」
兄弟バッテリーのサイン交換は行わずに球審のコールのあと、すかさず投球モーションに入った。
「(行くぞ......これがライジングショットの進化形――ライジングキャノンだ!)」
初球は、真ん中に構えたミットから大きく外れた、外角のボール球。
『おおっと! 高い制球力を持つ
「......変わった」
抜群の動体視力を誇る
「変わった? 何がだ?」
「彼のピッチングだよ。しかし、これは――」
グラウンドを見る
――見誤れば、一瞬で勝負が決まりかねないぞ。
* * *
「(......これはちょっとハンパじゃないぞ。だけど――)」
二球目、三球目も
「ボール! ボールフォア」
ストレートのフォアボールでノーアウトのランナーを出してしまった。
『さあ、ノーアウト一塁で四番バッター
ファーストランナー
引っかけた投球はベースの手前でバウンド。暴投を身体で止めた
「兄さん、気にしないで、もっと気楽に!」
新しいボールを受け取った
「(......速い。
打席を外した
「(
ヘルメットのツバを触り、指二本分バットを短く握り直して挑んだ三球目のストレートは、ボールの下面をかすめてファールチップ。追い込んでからの四球目、
しかし、このアウトは
「(外、きわどい)」
「――っ!」
アウトコース、きわどいところのライジングキャノンを見逃した。一瞬の間が開いたあと、球審は右手を上げた。
『ストライク! 指にかかったストレートがアウトコースへズバッと決まりましたーッ!』
「ふぅ、ナイスボール!」
ひとつ息を吐いた
「(......ストライクか、ギリギリいっぱいかな。偶然かもしれないけど、今のコースに決められたら厳しい。追い込まれる前に仕留めないと)」
二球目もストレート。
「(くそ、前に転がせなかった。だけど俺には......)」
「(......あ、そうだ!)」
打席を外して、球審にタイムを要求。速歩でベンチへ戻った。
「えーと......」
「どうしたの?」
「うん、ちょっと探し物......あった!」
不思議そうに首をかしげるあおいに答えつつ、目当ての物を見つけた
「借りてもいい?」
「あ、はい、どうぞ」
「ありがとう」
「お待たせしました。ありがとうございます」
「うむ。プレイ!」
試合再開と同時に
『ウーン、今度は最初からバントの構えです。ここはランナーを確実にスコアリングポジションへ送って、プレッシャーをかけにいくようです。そしてあかつきは当然、これを阻止すべくバントシフトを敷きます!』
「(今度は、最初からバント。でも、どうしてツーストライクからなんだろう? 監督に指示を仰いだ感じじゃなかったけど......)」
「
「――あっ!」
『おーと、これは浮いてしまった! 勢いを殺しきれなかったバントは、ファーストの
「走って!」
「――ッ!」
ダイレクトキャッチとワンバウンドの両方を想定し中間やや一塁よりの位置で足を止めていた
「よし、ワシに任せろ! ベースカバー!」
『あーっ、
「しまっ――」
「くっ......いかせるか!」
ベースカバーへ走っていた
「
がら空きになっていたファーストへ走りながら声を出した
『これは、きわどいタイミング! 塁審のジャッジは――』
「......アウトー!」
『アウト、アウトです! ここは、あかつきの連携が勝りましたー! しかし、恋恋も狙い通りランナーを進めた形! 正に互角の攻防! ンンーン、これはひとときも目が離せませんッ!』
やや肩を落として戻ってきた
「残念だったな。だが、発想は悪くなかった。雨の特性を利用した攻撃をした」
「あ、はい」
「えっ、今の狙ってやったのっ?」
あおいは驚いて目を丸くし、
「雨は、打球の勢いを殺す。バントも同様に目測より速く落ちる。天然芝ほどではないが、人工芝も雨でスリッピーな状態だ。もし仮に、今のプレーがサードで起こっていたのなら、
「あんた、そんなことまで考えてたのっ?」
「いやいや、さすがにそこまでは......。ただ、芯の広いバットの方がバントもしやすいと思って。ツーストライクだったから、ピッチャーの正面にさえ行かなければって感じで」
「フッ、それでいいさ。
グラウンドに目を戻した
――この攻撃は、のちに大きな意味を持つ。
次回、あかつき戦決着になる予定です。
今しばらくお待ちくださいませ。