7Game   作:ナナシの新人

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game55 ~失投~

『六回裏、恋恋高校の攻撃。この回先頭の片倉(かたくら)阿畑(あばた)の初球甘く入ったストレートを見事に捉えツーベースヒットで出塁。ノーアウト二塁、同点のチャンス! そして、ここで四番に打席が回りますッ!』

 

 一打同点、ホームランで逆転で四番の近衛(このえ)を迎えるこの場面で、キャッチャーはマウンドへ声をかけに走った。

 

「すまん、すまん、ちょいとリキんでしもたわっ」

 

 悪びれもせず笑い飛ばす阿畑(あばた)に、キャッチャーはタメ息を漏らしつつ、ネクストバッターズサークルで準備している近衛(このえ)に顔を向ける。

 

「で、一塁が空いてるけど。どうする?」

「当然勝負や! 決まっとるやろ?」

「まあ、そうだよな」

 

 空いている一塁を埋めた方がフォースプレイで守りやすくなるとはいえ、ここで敬遠してわざわざ逆転のランナーは出したくはない。バッテリーとしては至極当然の判断。それに加えて、近衛(このえ)は二打席続けて抑えている。

 

「とりあえず、さっきみたいなのは無しで頼むぞ」

「言われんでもわかっとるわい。はよ戻らな、怒られるで」

「へいへい」

 

 キャッチャーがポジションに戻り、球審に一礼して近衛(このえ)は右のバッターボックスで構える。

 

「(抑えてるって言っても、見た目通り一発(デカイ)のあるバッターだからな。とにかく、長打だけは避けないと)」

 

 サインは、アバタボール。カウントが悪くなったら最悪歩かせることを頭に入れつつ、低めにミットを構えた。一回でサインに頷いた阿畑(あばた)は、セカンドランナーの片倉(かたくら)を目で牽制し、モーションを起こす。

 

阿畑(あばた)の足が上がった。四番近衛(このえ)に対しての第一球――あーっとッ!』

 

「な、なんやて......!」

「四番が、バント!?」

 

 阿畑(あばた)がボールを放られた直後、近衛(このえ)はバットを横に寝かせた。完全に不意を突かれたそよ風内野陣は、阿畑(あばた)も含めた全員が遅れてバントの処理に走る。が、近衛(このえ)はバットを引いて見送る。

 

「ボール! ボールワン」

 

 真ん中外寄りのアバタボールは横へ逃げながら変化して、ボールゾーンへ。カウント1-0。ボールを阿畑(あばた)に投げ返したキャッチャーは、近衛(このえ)に鋭い視線を向けて考えを巡らせる。

 

「(見送った。ボールだったからか? いや、それにしては見極めが早かったような。高速ナックルだったからかな? けど、このチームは四番でもバントをしてくるチームだから......ってことは、送ってワンナウト三塁の状況なら内野ゴロでホームに還られるし、ここでのバントは十分にあり得るぞ。頭に入れておかないと)」

 

 考え込むキャッチャーに、マウンドから阿畑(あばた)が声をかける。

 

「そない心配すなや! バントなんてそう簡単にやらせへんわッ!」

「オーケー!」

 

 キャッチャーのブロックサインで、内野の守備位置がバントやバスターにも対処できる陣形に変わる。

 

「ファーストが少し前に出てきたわ。三塁方向へのバントは、キャッチャーとピッチャーで処理する作戦のようね」

「サードで刺すためのごく普通の対応。ま、気にするまでもない」

 

 東亜(トーア)も、理香(りか)も、バッターボックスに立つ近衛(このえ)もまったく動じない。なぜなら最初から、送りバントなどするつもりは毛頭ない。思惑を知らないバッテリーは、二球目を投げる。これも低めのアバタボール。今度はバントの構えはせずに平然と見逃した。これもボールゾーンへ外れて、カウント2-0と打者有利のカウントになった。

 

「(コースを狙うとこれがあるからな。しゃーないちょい甘めに――)」

 

 初球、二球目よりもやや高めに来たアバタボール。近衛(このえ)は迷うことなく振り抜いた。引っ張ったライナー性の打球が、三塁線へ飛んでいく。

 

『打ったーッ! 痛烈な当たりがサードを襲う! しかし大きく切れていきました、ファウルです。バッテリー、ここは助かりましたー!』

 

「(あっぶな~、やっぱり高めはアカンわ。フェアなら確実に長打、同点にされとったでぇ。けど、さっきのバントはブラフやな。よっしゃ、ここは気合い入れ直さなな......!)」

 

 プレートを外し、ロジンバックを手に気を入れ直す阿畑(あばた)東亜(トーア)が、ここで動く。近くに座っている、あおいを呼ぶ

 

「さーて、仕上げと行くか。おい、あおい」

「なんですか?」

「ブルペン行ってこい」

「へっ?」

 

 突然のことにあおいは、きょとんとした表情(かお)をした。それもそのはず、瑠菜(るな)と一緒に決勝戦へ向けて調整してきた二人は当然、今日の登板予定はない。

 

「別に投げろなんて言ってないだろ。軽くストレッチでもして、それらしく立ってるだけでいい。おい、誰かついていってやれ」

「あ、あたし、行きますっ」

 

 八番と打順が遠い香月(こうづき)が手を上げ、グラブを持ってあおいと一緒にブルペンへゆっくりと歩いて行く。

 

「あのー、仕上げとはどう言うことでしょうか?」

「見りゃわかるさ。ほら、もう効果が出たぞ」

 

 はるかの疑問に軽く笑って答えた東亜(トーア)の視線の先は、気を入れ直し終えた阿畑(あばた)。その阿畑(あばた)が顔を上げた時、キャッチャーが見ていた方へ思わず釣られて見てしまった。

 

 それは――恋恋高校のブルペンだった。

 

「(なんや、エースが準備始めよった。次のイニングから投げるんか......? こら、マズイで――)」

 

 あおいがブルペンに入ったことで、マウンド上の阿畑(あばた)の顔色が明らかに変わった。

 

「あれ? あの方、なんだかすごく動揺してるような気がするのですが?」

「当然だ。相手の攻撃はあと三回、ここで本格派の片倉(かたくら)から、超変則型(アンダースロー)のあおいに交代されようものなら、もう簡単に得点は見込めない」

 

 そよ風高校は、全試合エース阿畑(あばた)のピッチングと虎の子の一点を守って僅差で勝ち上がって来たチーム。今ここで失点しようものなら勝利は確実に遠退く。そう意識してしまった。そして悔やむ、無駄な意地で不用意に先頭バッターをスコアリングポジションへ許してしまったことを。

 

「自らの驕りで招いたピンチ、もう失点は絶対に許されない。必ず探す、このピンチを乗り切れる道、必勝の策を。そして気づき、そこへ必ず逃げ込むのさ」

 

 ――そここそが破滅の地とも知らずにな。

 まるで獲物が罠にかかるまでの過程を楽しむかのように、東亜(トーア)は不気味に笑った。

 

 

           * * *

 

 

「よう、どうなってる?」

 

 あかつきナインたちが観戦しているスタンドへ、同じジャージを着て、藤色に白いラインが入ったバンダナを頭に巻いた眼光の鋭い男子が遅れてやって来た。

 

「ん? ああキミか、二宮(にのみや)

 

 彼の名は――二宮(にのみや)瑞穂(みずほ)。ハイレベルなバットコントロールで安打を量産し、持ち前の強肩と強気なリードで投手陣を引っ張る正捕手、あかつき大学付属の扇の要。

 彼が遅れてやって来たのは、控え室で監督、そして今日の先発投手を含めミーティング行い、軽くキャッチボールをしていたため。二宮(にのみや)は空いている席に座り、バックスクリーンのスコアに目を向けた。

 

「六回裏一点差無死二塁で四番か。試合を左右しそうな場面だな」

「ああ、正にここがターニングポイントとなるとオレは見ている」

「そうか。で、どっちが有利だと思ってんだ? お前は」

 

 二宮(にのみや)に訊かれた四条(よじょう)は少し考え、真剣な表情で自分の見解を述べる。

 

「オレは――そよ風が優勢と見ている」

「理由は?」

「まず第一に三振を奪える決め球を持っていること。五回に失点はしたが、決め球の高速ナックルを打ち込まれたワケではない。投手の方に分がある」

 

 眼鏡を指先で軽く触れ、「奪った三振も全て高速ナックルだ。コースに決まれば、そう簡単にタイムリーは打てないだろう」と言った四条(よじょう)に、二宮(にのみや)は眉を潜めた。

 

「ああ? おい、マネージャー、スコアブックを寄越せッ!」

「は、はいっ、どうぞ!」

 

 あかつきの女子マネージャーで、四条(よじょう)の妹の澄香(すみか)が、スコアブックを差し出す。

 

「オイ、貴様! 澄香(すみか)になんて態度を――」

「うっせーな、シスコン! ちょっと黙ってろッ!」

「――なッ!」

 

 苦虫を噛み潰したような表情(かお)で殺気を放つ四条(よじょう)のことは完全に無視して、スコアブックに目を通し、澄香(すみか)に訪ねる。

 

「全三振の内訳は?」

「高めの空振り三振が二つ。低めの見逃し三振が九つです」

「はぁ? 15個のアウトのうち11個が三振で、低めは全部見逃しだ......? あきらかに異常じゃねーか!」

 

 三振内容の異様さに怒鳴り声を上げた。

 

「いきなり大声を出すな。お前は最初から観ていないから疑問を抱いただけだ。オレも同じ立場だったら同じことを思っただろう。だが事実、この試合低めの高速ナックルは一貫して手を出していないんだ。140キロ前後のストレートと、高速ナックルとほぼ同じ球速のシュートに対応しつつ、高めに来たところを一球で仕留めると言う作戦なのだろう。現に前の回は、その形で得点を上げているからな」

「ってもな......」

 

 四条(よじょう)の話を聞いた二宮(にのみや)だったが、どこか納得いっていない様子で腕を組み、難しい表情(かお)でグラウンドへ目を戻した。

 

『カウント2-1、打者有利のバッティングカウント。そよ風バッテリー、このピンチを凌ぎきれるか? はたまた四番のバットで打ち砕くのか! ンンーン、まったく目が放せませんッ!』

 

 キャッチャーから、四球目のサインが出された。

 

「(アバタボール、まあ当然そうなるわな。一番抑えられる確率の高い球種やし)」

 

 阿畑(あばた)もサインに頷いて、セットポジションに入る。キャッチャーは歩かせることも念頭に置き、大ケガだけはしないようにと外角低めへミットを構えた。

 

「(――しもた!)」

 

 構えたミットよりも内よりに入り、あまり変化せずに真ん中やや低めへ来た。しかし近衛(このえ)は、この絶好球を平然と見逃す。判定はストライク。

 そして、この一球こそが、この試合を左右するターニングポイントとなる一球。

 

「(......なんや、あるやないか。この試合もろたで!)」

 

 ついさっきまで険しかった阿畑(あばた)の顔が和らぎ、いつものひょうひょうとした表情(かお)に戻った。その表情を見て、東亜(トーア)が笑う。

 

「クックック、食いついたな。撒いた(エサ)に――」

 

 東亜(トーア)は、この時を待っていた。

 

『カウントツーエンドツー、バッテリーのサインは一回で決まった。マウンド上の阿畑(あばた)やすし、セカンドランナー片倉(かたくら)を目で牽制してモーションに入った――』

 

 ツーツーから選択したのは、アバタボール。

 

『ボール、ボールです! アバタボールが内角低めへ外れた、これでフルカウント!』

 

「(ええ、ええ、ええんや。入らんかったのは偶然(たまたま)や。それにこれで確実や。しっかり()()へ投げきれば必ず抑えられるでぇ......!)」

 

 これが阿畑(あばた)がたどり着いた必勝の策。恋恋ナインはどんな状況(チャンス)であろうと、「低めのアバタボール」は必ず見逃すと言うこと。

 そして、この考えを植え付けることこそが11個の三振と引き換えにしてまで得たかったモノ。気づけば必ず踏み入れる甘い誘惑。その誘いにまんまんと嵌まった。

 

「はるか」

「はいっ」

 

 バッテリーがサイン交換を行う最中、恋恋ベンチからサインが伝達された。近衛(このえ)片倉(かたくら)は、「了解」とヘルメットのツバに軽く触れる。

 

『サインが決まりました。ピッチャー、セットポジションから......アアートッ!』

 

 片倉(かたくら)は、阿畑(あばた)が足を上げると同時にスタートを切った。

 

『セカンドランナー走った、ここで三盗(しかけた)ーッ!』

 

「うっそ!」

「なんやと......!」

 

 バッテリーが選択した球種は当然、アバタボール。

 特殊なナックルの握りのため狙って外すことは出来ない。変化が小さくなる高めならまだしも、捕球すらままならない低めへ投げればこの盗塁は確実に決まる。しかし、ちょっとでも甘く高めに入れば狙い打たれる。加えて低めで三振を奪ってもランナーは三塁、内野ゴロでも同点。ボールなら無死三塁一塁。キャッチャーが後ろへ逸らせば一気にホームを奪われ、同点にされ、更にフルカウントのため勝ち越しのランナーを一塁へ出塁させてしまう。安全エリアだと思っていた場所が一転、危険エリアへと変貌を遂げた。

 そんなネガティブな思考が一瞬の間に、逃げ場を失った阿畑(あばた)の頭の中を駆け巡る。この状況下において正常な心理など保てるワケがない。そんな時、得てして起こることがある。

 

「(な、なんやこれ......。なにしとんねん、なんでワイ――)」

 

 それは――失投。

 全ては、この一球を引き出すため。

 

「(――なんで、ここで()()にいっとんねん!)」

 

 アバタボールの投げ損ない、打ち頃の棒球が真ん中高めに来た。

 

「行け」

 

 そして近衛(このえ)は、この失投を逃さず迷いなく振り抜いた。

 

『打ったーッ! 高めへ来た半速球のボールを完璧に捉えたーッ! 打球が大空へ舞い上がるー! 行くのか? 行ってしまうのかーッ!』

 

 大きな放物線を描いた打球は、レフトスタンド中段で弾んだ。逆転のツーランホームラン。

 

 この逆転の一打で、この試合の勝敗は決した。

 


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