五回裏一死二塁カウント1-0からレフトへ特大ファウルを打った
そんな
打席に戻った
「ファール!」
大飛球を打った一球前のストレートよりも低めに食い込んでくるボール球に手を出して、三塁線へ弱い当たりのファウル。カウント1-2と三球で追い込まれてしまった。
その様子をベンチからあおい、
「今のボール球だったんじゃない?」
「ええ、かなり低かったわ。いつもなら簡単に見送っているコースよ」
「なにしてんよ、あいつ。まさか、代打を出されたことをまだ引きずってんじゃないでしょうねっ?」
「さあ、どうかしら」
「(今のは、ボール球だったでやんす......。ここまで三球ともインコース、次は外でやんすか......? それとも裏をかいて四球続けてインコースでやんすか......? って、ダメでやんす......!)」
考えれば考えるほどドツボに嵌まる。それこそ相手の思うつぼ。それは普段のメンタルトレーニングや今日までの試合で嫌と言うほど経験していた。頭を振って必死に雑念を振り払おうと
「(
セカンドランナーの
「(......よし、狙うか。荒れてるし、上手く盗みゃ行ける......!)」
関願バッテリーはサイン交換を行っている最中、
「セ、セーフ!」
『スンバラシイ牽制球! 際どいタイミングでしたが判定はセーフ!
「あっぶねぇ~......」
「オッケー、ナイス牽制! おしいおしい!」
ベースカバーに入ったショートからボールをもらい小さく頷くと、まるで何事もなかったかのようにすまし顔でセットポジションに着いた。
「すごいタイミングの牽制球だったねっ」
「ええ、捕球と同時に滑り込んでくるところへタッチできる完璧な牽制だったわ」
「てゆーかリードが大きすぎなのよ。
「(今のショート、まったく動かなかった。まるであそこへ来るのがわかってたみたいだ......。それにセカンドも、センターもバックアップに来るのが遅かった。どういうことだろう......?)」
内野手としての視点、捕手のしての視点から今の一連の動きに疑問を持った
「どうしたの?」
神妙な面持ちでベンチへ帰ってきた
「うん、ちょっと気になることがあって。
「あ、はい、なんですか?」
「あのピッチャーだけど、牽制上手いの?」
「はい。ああいう投球スタイルなので、牽制とか、フィールディングには特に力を入れてました。投球と比べるとコントロールはかなり良いです」
「そっか......ありがとう。監督」
「なーに?」
「
「サイン?」
「はい。ちょっと調べたいことがあります......!」
「わかったわ」
「(おっ、
マネージャーのはるかが出した本当のサインは、思い切りリードを取って牽制を誘え。
「(マジか......さっきのも結構ヤベータイミングだったんだけどなー。けど、ここで答えなきゃ男が廃る、全力の帰塁を見せてやるぜ......!)」
――了解、と勇ましい
「(なにかサインが出たのか......? このチームのサインは何度ビデオを見返しても共通点を見つけられなかった。しかも今ままでの試合、四番だろうが平気でバントや右打ちをしてくるタイプのチーム。正直、ある程度決まった役割で仕事をこなす強豪校よりもやりづらい相手だ)」
セカンドランナーのの動きに細心の注意を払いつつサイン交換を行い、セットポジションで構えに入った。
「(行くぜ~?)」
「(あのランナー、調子乗り過ぎだろ?
その動きを見てキャッチャーは、
「(――来た! ってあれ......?)」
手から素早く滑り込んでセカンドベースへ帰塁した
『おや、どうしたのでしょうか? 握り直し損ねたのでしょうか? 大きく飛び出していた
「違う。今のは投げれなかったんじゃない、投げなかったんだ」
「どういう意味だ?」
「今一瞬だけど写ったんだ、誰もバックアップに来ていなかった」
「ホントだ。センターも、セカンドもショートのバックアップに間に合ってない」
「そのくせショートはキッチリ同じポジションで構え、一球前の牽制を受けた場所と同じとこにグラブを差し出している。牽制時における制球力には、それだけ信頼があるんだろう。だが、投げなかった。その
偽りの投球スタイルを悟られないため。
「なるほど、二球も続けて同じところへ投げば悟られかねないってワケだ」
「そう。故意に暴投や逆球を投げるという手段もあるけど、バックアップがないとなると暴投はリスクが高い。
「さっきのタッチアップが効いてるな」
「ああ。それとこれは僕の推測だけど、おそらくあのピッチャーは――」
「誰にも本来の制球力を教えてないだって?」
「監督は知っているだろうが、今ベンチ入りしてるヤツらには間違いなく伏せている」
「なぜだ? 制球力が良いと知っていればシフトも敷きやすいだろう」
「普通の関係性ならな」
「普通の......?」
「――フッ。まあ俺はないが、お前たちは経験してきたんじゃないのか?」
「俺と
「
学生の部活働、特に運動部における上下関係は重い。その証拠に実力で勝ち取ったレギュラーとはいえ、一年生でエースナンバーを背負うことを面白く想わない上級生も少なからずいた。
「なるほど。確かに、
「むしろ上級生にも“さん”付けで呼ばせてそうだ。俺は苦労したなぁ~、嫌がらせみたいに何度も首振られて球審に注意されたこともあったけ......。しかも結局は、最初に出したサインのボールを投げたんだよなぁ~。まあ打たれたんだけど」
学生時代の体験を遠い目で語る
「キャッチャーが構えていたコースをすべてチェックしていたが、あのキャッチャーは良くも悪くも長打を避ける無難なリードしかしない」
「一発勝負のトーナメント戦でそれは普通のことじゃないのか?」
「問題は、そのリードが得点圏内にランナーを背負った状況においても変わらないと言うことだ。打者に寄って多少差違はあるが大きく分けて三パターンほどしかない。つまり引き出しが少ない。そんなキャッチャーにコントロールが良いと知れて見ろよ、気づくチームなら試合中盤以降滅多打ちを喰らう」
運動部の部活働における主導権は大抵の場合上級生が握る。長い伝統のある古豪関願の場合も例外ではない。主導権は三年生のキャッチャーの方が握っている。コントロールが良いと知れれば自分のリード通り投げろと言われることは明白。そのため
「敵を騙すにはまず味方から、か。まさにペテン師」
「てか味方を信頼しないで自分でゲームメイクするだなんてどんだけ自信家なんだよ、コイツ」
「逆だ。自信がないからこそ今のスタイルになっているんだよ」
画面に映る
「どういうことだ?」
「どうもこうも見ての通りじゃねーか」
『おおっとまたしてもインコース!
「今ので四球連続インコース、進塁打は打たせないって配球だ」
「ふむ。しかし、今のは......」
「どうしたんですか?
「今の、あれほど大袈裟に避けるほどのボールだったか?」
確かに今のボールは、大袈裟に仰け反って避けなければならないほど厳しいコースではなかった。
そして今のボールこそが、
「フッ、それに気づいたのならもう分かるだろ」
「え......?」
「あんたが自分で言ったじゃないか、『両サイドの出し入れだけでも十分勝負できる』ってな。じゃあどうしてそうしない。なぜ過剰なまでに制球難を演じる必要がある。その答えが、今の一球だ」
そう。今の一球こそが敵味方を欺くためだけではなく、抜群の制球力を持ちながらも制球難を演じる本当の理由を物語っている。
「そしてそれが分かれば、次投げられる勝負球もおのずと読める――」
* * *
「(四球続けでインコースだったでやんす。ここまで攻められるとヒットはおろか右打ちも難しいでやんす......)」
「タイムお願いします!」
「
指摘されて足下を見る。だが、靴紐はしっかりと結ばれていた。
「(そのまま打席外して)」
「(......了解でやんす)」
「で、なんでやんすか?」
「ん? 別に、ただ少し間を取りに来ただけだよ。
「そ、そんなことないでやんす......!」
図星をつかれ、とても分かりやすく取り乱した。
「とりあえず落ち着きなよ」
「お、オイラは、常に冷静沈着でやんすよ......!」
「そう見えないから言ってるんだけどなぁ、まあいいや。あ、そうだ、
ネクストバッターズサークルに戻りかけた
「『一人でやってんじゃないわよっ。また同じことしたらひっぱたくわよ、根性見せなさい!』だってさ」
「――りょ、了解でやんすー!」
すくっと立ち上がって、ベンチに向かってビシッと敬礼した
「よかったの? 逆に萎縮しちゃうんじゃ......」
「いいのよ、あれくらい言わないと効かないんだから」
心配するあおいをよそに
「効果テキメンだったみたいね。
「はい」
バッターボックスへ戻る
「
「そうみたいねぇ。さてと、あたしも準備しよーっと」
次の打席に向けて
「(あれこれ考えてる場合じゃないでやんす......! オイラは、来たボールを打つだけでやんす!)」
「(
先ほどまでとは違う空気を感じ取った
キャッチャーのサインは、
しかし
二度目のサインに頷いてセットポジションに入る。セカンドランナーの
ボール1個分外した外角低めのストレート。
キャッチャーが構えたコースへ向かってまるで糸を引いたようにまっすぐ飛んでいく。
「(完璧だ、ナイスボール!)」
「(そんな腰の引けたスイングじゃ届かねぇよ......!)」
「――や・ん・すーッ!」
「な、なにッ!?」
「ウソだろ、当てやがった!」
『
とっさに右手を放し、左腕一本でボールの上っ面を叩いた打球は、ホームベースに当たりマウンド前方で大きく弾んだ。
『なかなか落ちてきません! その間にセカンドランナーはサードへ、バッターランナーの
「サードは無理だ、ファースト!」
「くっ......!」
マウンドを降りた
『
「......やんす、やんす、やんすっ、やんすーっ!」
『
二メートル以上手前からヘッドスライディング。その衝撃でファーストベース付近に舞い上がった砂ぼこりはしばらくして治まり、一塁塁審の判定に注目が集まる。
「......セ、セーフ!」
『セーフ、判定はセーフです!
「やんすー!」
ファーストベースを叩き喜びを噛み締める。
「
「なによあんた、やればできるじゃないっ」
チャンスに沸き上がる恋恋ベンチとは反対に、関願ベンチはすかさす伝令を送った。
「まさか片手で打って来るなんてな......」
「......すみません、スライダーで勝負すべきでした」
「今さら言っても遅いだろ。それで監督はなんて?」
「はい、『一点は仕方ない。次のバッターでひとつ確実にアウトを取れ』と」
「わかった。中間守備でホームアウトとセカンドゲッツーを狙う。ただ無茶な勝負はするな、基本近いアウト優先で行くぞ」
「オッケー!」
伝令は頭を下げベンチへ戻り、関願ナインは守備位置へ着く。打ち合わせ通りの中間守備。
『さあ恋恋高校は六番バッター、
「
「りょーかい。でも大丈夫、なんとなく見えてきたから」
「ん? なにがよ?」