週明けの放課後。
恋恋高校野球部一同は、グラウンドのベンチ前に集まっていた。普段の練習前と同じ見慣れた光景。ただ、ひとつだけ違うところがある。それは、練習着ではなく制服のまま集合していると言うこと。
「水着ってことは、やっぱりプールへ行くのよねー?」
スクールバッグ、スポーツバッグと一緒に持っている水泳バッグに目を向けながら
「そうだとは思うけど」
「まさか学校のプールじゃないでしょうね? 絶対、風邪引くわっ」
六月に入ったとは言え、まだ肌寒い日もある。特に今日は、最高気温20度と屋外プールで活動するにはツラい物がある。
「あはは......、そうだね。
「
「うん。ボクも、そう思うな」
「だといいけど~」
「でも私は、泳げと言われれば泳ぐわよ」
「いやいや、それはないでしょ。それにまだ、プール掃除だってしてないのよっ」
「もっと上手くなれるなら、そんな些細なこと気にしないわ」
「さすが
「それは、ちょっと引くわ」
あおい、
そして、程なくして
「みんな、水着は持ってきたかしら?」
「はい、全員持っています」
代表で答えた
「それじゃあみんな、野球道具は使わないから部室に置いて、水着とバッグを持って、ここへ戻ってきてね」
「はい!」と声を揃えて大きな返事をすると、駆け足でベンチ横の部室へ入っていく。各々自身のロッカーに荷物をしまい、キャプテンの
「部室のカギは、私が預かっておくわ」
「わかりました。お願いします」
「はい、確かに。それじゃあ移動するから、離れずに付いてきてね」
部室のカギを自動車のキーケースに保管し、
「あの、もしかしてプールへ行くんですか......?」
校舎裏の体育館付近で
「ええそうよ、あたりまえじゃない。そのために水着を持って来てもらったんだから」
「ですよね。ははは......」
「おっと。オイラ今日、塾の日だったぞ......!」
くるっと踵を返して逃げようと試みた
「ウソおっしゃいっ。あんた、塾なんて行ってないじゃないっ。それに勉強してるところなんて、テスト前でも見たことないわよっ」
「......きょ、今日から通うことになったんだよ」
「往生際が悪いっ、男なら覚悟を決めなさいって!」
「二人とも、仲が良いのはステキなことだけど、置いていくわよ」
体育館隣接の駐車場出入り口から
「あの、外へ出るんですか?」
「ええ、そうよ。学校のプールでいいのなら、それでもいいけど」
「い、いえ! それで、どこへ行くんですか?」
「それは、着いてからのお楽しみよ」
二人を待っている間に聞かれた
* * *
「さあ、着いたわ。ここよ」
整備された歩道を歩くこと二十分弱。ビルが建ち並ぶオフィス街。その一画、とあるスタイリッシュな建造物前で立ち止まり、上部に設置されている看板を、あおいが読み上げる。
「ミゾットスポーツクラブ? う~ん......」
小さく首を傾げると少し考え込み、大きく目を見開いた。
「......って! ここっ、すんごい高いところだよねっ?」
「あ、ああ......確か、諭吉さんと樋口さんが二人揃って旅に出るくらいの利用料って聞いたことがあるぞ」
「おいおい、マジかよっ。オレ、んな金持ってねーぞッ?」
「ボクもないよっ。
「あおいが持ってないのに、あたしが持ってるワケないじゃん」
ミゾットスポーツクラブは、日本が世界に誇るスポーツ専門企業、ミゾットスポーツが運営するスポーツクラブ。
ウェイトトレーニング器具各種はもちろんのこと、各分野特化の施設、最新の科学トレーニング機器、温水プール、食事や生活習慣の講座など開いており。一般利用客以外にも、野球を始めとしたアスリートたちが、キャンプ前になると自主トレに利用することも多い。
しかし、当然のことながら施設が充実しているぶん、施設利用料もそれに似合った金額。普通の高校生が、おいそれと出せる
「ふふっ、お金の心配は要らないわ。もう話は通っているから」
入り口の前で慌てふためくナインたちに、
そこへ施設の中からスーツ姿の男性が出てきた。彼は以前、恋恋高校にトレーニング機器の設営・説明をしたミゾットスポーツの社員、
「
「いいえ、ちょうど今来たところです」
「そうでしたか」
「今日から、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
お互い頭を下げる
「あの、監督。これはいったい......」
「
「え......えぇーッ! ほ、ホントですか!?」
「
「ええ、ミゾットスポーツさんのご厚意でね」
「うひょーっでやんすー!」
そして、「みなさん、よくお越しくださいました。こちらへどうぞ」と恋恋高校野球部一同を引き連れて施設内へ入る。
広いロビー、高い天井、清掃も隅々まで行き届いてる。
待っている間、
「スゴい......最先端のレーダー解析システム! こんなに充実した施設を無償で使わせてもらえるだなんて......!」
「バッセンにブルペン、それに屋内練習場もあるぜ」
「天然温泉もありますね。主な効能は、疲労回復と美肌効果みたいです」
「混浴でやんすかっ?」
「そんなワケないでしょ。けど広すぎ、あたし、迷子になる自信があるわ」
「あははっ、
「あおいちゃんもでしょ? 前、迷子になったし」
「迷子じゃないよっ。気分を変えて、ランニングコースを変えただけだよっ」
「ふーん、そうだっけ?」
「そうだよっ」
「お待たせしました」
「それではみなさん、今から入場パスをお配りします。この入場パスは各施設の入場券とロッカーのキーになっていますので、くれぐれも無くさないようお気をつけください。それではお名前を呼びますので、呼ばれたら私の方へ......」
「女の子のぶんは、私が配ります。同じように取りに来てね」
彼女はミゾットスポーツの経理部に所属の社員、
ネーム入りのパスを受け取ったナインたちは、彼らにロッカールームへ案内してもらう。ロッカールームで入場パスの番号と同じロッカーをパスでタッチすると、電子音が鳴りロックが解除された。荷物を収納してプールへ。
「みなさん、水着はお持ちですか? お忘れでしたら、レンタルもございますが」
「大丈夫です、みんな持ってきています」
「そうですか。では、更衣室で着替えとパスをカギに変えてから奥の扉へお進みください。プールへ直結しますので」
「わかりました、ありがとうございます」
「ありがとうございます!」と、男子部員たちは頭を下げてお礼を言い、着替えを済ませてプールへ出る。
「女子の水着姿楽しみでやんすねっ」
プールサイドのベンチに座って女子が出てくるのを待ちながら、
「むふふっ、好きでやんすねー。みんなは誰が気になるんでやんすかっ?」
「フッ......愚問だな、
「さすが
「おいおい、二人とも。いい加減にしておかないと......」
大声で話す二人を、
「そんなこと言って、
「そうでやんす、素直になるでやんすっ。男の
「いや、だから......うし――」
「悩むのはわかるぜ。まあ
「あんたら、ほんっとサイテーねッ!」
着替えを終えてプールに出てきた女子部員たちは、
「な、
「ええ、居たわ、全部聞かせてもらったわっ。あたしは置いておくってどう言う意味よっ!」
――え? そこなの? と、あおいと
「......おっと、ゴーグルを忘れてたぜ!」
「コラ、逃げるなっ。頭についてんでしょうがっ」
「二人ともプールサイドは走らないの」
「ちゃんと柔軟は済んだかしら?」
「はい!」
「はい、よろしい。それじゃあプールに入って」
「おっ、思ってたよりも温かい」
「ほんとだ。これなら風邪も引かないね」
「そうだね。監督」
「まず歩いて往復してらっしゃい。途中にある障害物は潜ってくぐるのよ、泳いじゃダメよ」
「障害物? はい、わかりました。みんな、行くよー」
25mプールをゆっくり歩き出したのを確認して
「ん? これが障害物かしら」
「
ナインが歩いているコースに張られたチューブ型のゴム。チューブゴムは、この一本だけではなく等間隔に幾つも張られ、彼らの行く手を阻んでいる。
「これを潜ってくぐればいいのね」
「なんだ、こんなの楽勝じゃん。障害物なんて言うから、もっとすんごいの想像してたわ」
「ふふっ、それはどうかしらね」と
* * *
「ふぅ......結構キツかったね」
「これ罠よ、罠! まさか、水中にもう一本あるなんて......!」
「ふふっ、お疲れさま。はるかさん」
「はい。みなさん、水分補給してくださいね」
はるかは、準備しておいたスポーツドリンクを注いだ紙コップを全員に配る。
「はい、あおい」
「ありがと。でもボクはいいよ、そんなに喉かわいてないから......」
「脱水症状を起こすぞ」
「へ? あっ、コーチっ」
出入り口から
「通常のプールでもそうだが、特に温水プールは体内の水分を奪う。風呂と同じで汗をかいていないように見えても、実際は水分を失っているのさ。まあぶっ倒れたいのなら、止めはしないけどな」
「の、飲みますっ。はるか、ありがとっ」
慌ててスポーツドリンクを飲むあおいに
「監督、コーチ、次は何をすればいいですか?」
「好きなようにすればいい」
「好きに、ですか?」
言葉足らずな
「プールに浸かってさえいれば、何をしてもいいってことよ。さっきと同じ水中スクワットでも、泳いでも、ビーチボールで遊んでもいいわ。ただ、そろそろ他のお客さんが来る時間帯みたいだから、迷惑にならないようにね」
「1から3コースまで恋恋高校さんの貸し切りとなっていますので、ご心配なく」
「わかりました、ありがとうございます」
丁寧に頭を下げた
「あの、ひとつお訊きしてもよろしいですか?」
練習を見ていた
「なんですか?」
「ちょっとな。触るぞ」
「フッ、この二ヶ月真面目にやってきたみたいだな」
「はいっ」
力強く頷く。
「あんたら、日本刀が何で出来ているか知っているか?」
「日本刀ですか?」
「いえ......」
二人は、わからないと首を横に振った。
「主に、玉鋼ね」
「そう。強度の異なる複数の玉鋼を掛け合わせ、強度と切れ味を両立させた。それは、人間の肉体も同じだ」
「選定した複数の玉鋼と砂鉄を高温で熱し、折り重ね、叩く工程を何度も繰り返し、鋼の中に残った不純物を取り除くことで極めて純度の高い高品質の鉄を造り出す。この工程を怠れば、刃物は脆く折れやすく、品質が落ちる。刀造りにおける重要な土台作り。アイツらは今まで、ウエイトトレーニングを中心に身体作りをしてきた。ウエイトトレーニングで造られた筋肉は固く力がある反面、間接可動域が狭くなりがちだ。ストレッチをさせてはいるが、自力では限度がある。そこで、このプールでの運動が重要になるのさ。極力関節に負担をかけず稼働域を広げ、尚且つしなやかで柔らかな筋肉を作ってきた土台に乗せてやる。力強さとしなやかなさ、その絶妙なバランスを両立させることにより最大限の力を生み出す」
「一番の理由は、ケガの予防でしょ。関節の稼働域が広ければおのずと故障のリスクは減るわ。特に肩と肘を酷使するピッチャーにはね」
「さてね」
「もう、素直じゃないわね」
クスッと笑う
「なるほど......もし――」
「どうかしました?」
「いや、
「ふふっ、そうですね。それでは私は失礼します」
魅力的な笑顔を見せた
「続きはいいのか?」
「と、申しますと?」
「神奈川県神楽坂大附属高校のエース、
「......ご存じでしたか。その通りです、ムリな投げ込みの結果この様です」
「そうだったんですね......」
「昔の話です、お気になさらずに。それに今の仕事はやりがいますから、全力でサポートさせていただきます!」
――ありがとうございます、と
「ですが東東京は激戦区でしょう。特に本命のあかつき。今年は、最強と言われた去年以上との評判ですが?」
「問題ねぇよ。ま、楽しみにしてな」
そう自信満々に言った