7Game   作:ナナシの新人

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game30 ~予見~

 チリひとつない清掃の行き届いた部屋。床に敷かれたカーペットは歩く度に足が沈むほど柔らかく、部屋の中央には豪華なソファーと透明のガラステーブル。部屋の奥の大きな一枚ガラスの窓の外は、高層ビルが立ち並ぶコンクリートで覆われた大都会が広がっている。

 この部屋のソファーに東亜(トーア)は腰をかけていた。

 

『では、こちらの書類にサインをお願いします』

 

 ガラステーブルを挟んで東亜(トーア)の向いに座るスーツ姿の初老の男性。彼の斜め後ろに立っていた秘書が、全文英語の書類と万年筆を東亜(トーア)の前に差し出す。東亜(トーア)は書類には一切目を通さず、万年筆を手に取り署名をした。

 男性も、秘書もそのあり得ない行為に驚き、 呆気にとられた。通常、契約書などにサインする前は必ず目を通すもの、特に数字と数字の前後の文章には気を使うものだ。何故ならば、口頭の交渉など所詮は口約束、物証の書類では全然違うことを表記し、詐欺紛いの行為を行う輩もいるからだ。

 

『なにを驚いている』

『い、いや......』

『どうだっていいのさ。こんな契約書(モノ)

『と、申されますと......?』

 

 たじろぐ男性を見て笑みを浮かべた東亜(トーア)は、ライターでタバコに火をともし、口から煙を高い天井へ向かって吐き出す。

 

契約書(コイツ)が本物だろうが偽物だろうが俺にとっては大した問題じゃない。小者が考える姑息な手段などどうと言うことはない。俺は、そう言った連中を全て蹴散らして来た』

『(......恐ろしい。この男の目からは迷いなど微塵も感じない。私は、とんでもない男とビジネスをしているのだな......)』

『全て契約通りです、ご安心を。会長』

『うむ』

 

 秘書に促された男性は席を立ち、東亜(トーア)に向かって右手を差し出した。

 

『Mr.トクチ。我々は、あなたを歓迎します』

『フッ......、堅苦しいのは苦手でね。書面の契約は果たしてやる』

 

 そう言いながらも立ち上がった東亜(トーア)だったが、手を伸ばす直前テーブルに置いてある彼の携帯が振動した。スマホのディスプレイに映る発信者の名前は、加藤(かとう)理香(りか)だった。

 

 東京湾を埋め立て作られた国際空港。

 恋恋高校の養護教諭加藤(かとう)理香(りか)は、ベンチにも座らず立ったまま、腕時計と伝言掲示板の到着時刻を照らし合わせ、落ち着かない様子で待ち人が現れるのを待っていた。

 到着時刻から遅れることなく長い滑走路に着陸した大型旅客機の乗客が、次々と、国際線の発着ロビーに出てくる。

 その中に待ち人の姿を見つけた。理香(りか)は、手をまっすぐ上に伸ばす。

 

「こっちよ!」

 

 彼女の前に現れた待ち人は、渡久地(とくち)東亜(トーア)だった。

 タクシーを拾った二人は、いつものバーへと移動し、いつもの席でアルコールを頼んだ。

 

「で? わざわざ空港で待ち伏せした理由はなんだ」

 

 東亜(トーア)は、ひとくちグラスを口へ運んでから話を切り出す。理香(りか)は、少し間を開けて、言い難そうに重い口を開いた。

 

「......あおいさんのことよ。あの子、野球を辞めてしまうかも知れないわ」

 

 

           * * *

 

 

「じゃあスターティングメンバーを発表するわよ」

 

 聖ジャスミン学園グラウンド三塁側ベンチ。事前に東亜(トーア)に指示されたバッテリー以外は、全て理香(りか)が決めたメンバー。東亜(トーア)との契約が六月末で切れるため、今日の試合は理香(りか)の実戦感覚を養うための試合でもある。

 

「一番、ライト、真田(さなだ)くん」

「うっす!」

「二番、サード、葛城(かつらぎ)くん」

 

 今日の試合も覇堂高校戦と同じく、真田(さなだ)葛城(かつらぎ)の一・二番。やってやろうぜと二人は、拳をコツンッと軽く合わせた。

 

「三番、センター、矢部(やべ)くん」

「オ、オイラがクリーンアップでやんすかっ?」

「あら、不満なら他の子に......」

「やりますでやんす! 慎んで引き受けさせていただくでやんすー!」

 

 必死の矢部(やべ)にベンチ内で笑いが漏れる。理香(りか)は、パンパンっと手を叩いて落ち着かせてスタメン発表の続きを行う。

 

「次行くわよ。四番、ファースト、甲斐(かい)くん」

「はい」

「それで、あのボールのサインだけど」

「うんっ」

鳴海(なるみ)くん! あおいさん!」

「あっ、はい! なんでしょうかっ?」

 

 新変化球について話し合っていた鳴海(なるみ)とあおいは突然、理香(りか)に大声で呼ばれてかしこまった。

 

「バッテリー同士仲睦ましいのは素晴らしいことだけど、聞くときはしっかり聞きなさい」

「す、すみません......」

 

 声を揃えて謝罪した二人に奥居(おくい)が、ちゃかすようにヤジを飛ばす。

 

「ちちくりあってんじゃねぇぞ~」

「そうでやんすッ、羨ましいでやんすッ、妬ましいでやんすッ、オイラも女の子とちちくりあいたいでやんスーッ!」

矢部(やべ)、うっさいっ」

「はぁ、まったくこの子たちは......」

 

 ひとつ大きなタメ息をついた理香(りか)は、無視してスターティングメンバーの発表を続けた。残りのスタメンは以下のメンバー。

 五番、キャッチャー、鳴海(なるみ)

 六番、ショート、片倉(かたくら)

 七番、ライト、藤堂(とうどう)

 八番、ピッチャー、早川(はやかわ)

 九番、セカンド、香月(こうづき)

 覇堂高校戦とは、ガラリと替わった一年生を多く使ったメンバー。7月から始まる甲子園大会予選大会まであと一月半。その大会を見据えた控えメンバーの実戦経験を養うことを目的としたメンバー編成。特に二遊間、奥居(おくい)芽衣香(めいか)のサブは長い大会期間中必須になると理香(りか)は考えていた。

 

新海(しんかい)くん、あなたには試合後半からマスクを被ってもらう。六条(ろくじょう)くんも終盤、代打のまま守備に着いてもらうわ。二人とも準備を怠らないでね」

「はいッ!」

「いい返事ね。鳴海(なるみ)くん」

「はい。集まって円陣」

 

 スタメン、ベンチメンバー全員で円陣を組んで、中心の鳴海(なるみ)の掛け声と共に声を揃えて気合いを入れる。

 

「相手は女の子だけだから楽勝楽勝、なんてこと考えるなよ?」

「当たり前でやんす! 手加減なんてしないでやんす!」

矢部(やべ)の言う通りだ。オレら男同等、それ以上の女子がウチにはいるもんな」

「当然ね。負ける気なんてさらさらないわ」

真田(さなだ)あんた、わかってんじゃないっ」

「イテェッ! ちょっとは手加減しろよ......」

 

 背中を思いきり叩かれた真田(さなだ)が、抗議の目線を向けると「手加減しないって、矢部(やべ)が言ったばかりでしょ?」と芽衣香(めいか)は笑った。

 

「飛んだとばっちりだッ!?」

「アハハ。さあ行こうか、監督に采配に初勝利を......! 恋恋行くぞーッ!」

「オオーッ!!」

 

「おお~っ、スゴい気合いッスね!」

「何を関心してるのだ、ほむほむ。アイツらは敵なんだぞ」

「いやー、恋恋高校と試合できると思ったらつい」

 

 美藤(びとう)に叱られたほむらは、頭をかきながら笑ってごまかした。

 

「あたしは、ほむほむと同じ気持ちだけどね。あおいと投げ合えるのが楽しみで、いつもより二時間も早く起きちゃったし」

「ちょっとヒロ。夜はちゃんと寝たんでしょうね?」

「うん、いつもより二時間も早く寝たよ」

「それただの早寝早起きじゃないっ」

「へっ?」

 

 キョトンとしている太刀川(たちかわ)に、ジャスミン学園野球部主将を務める小鷹(こたか)は呆れ顔でタメ息をついた。

 

「さすがヒロぴーッスね」

「ほら、さっさと準備済ませて整列するわよ!」

 

 ジャスミンも支度が整い両校グラウンドへ整列。主催のジャスミンがホームの後攻、恋恋高校は先攻と云う形だ。主審が手を上げて両校挨拶を交わし試合が始まった。

『先攻恋恋高校の攻撃は、一番レフト、真田(さなだ)くん』校舎とベンチ内のスピーカーから、ジャスミン学園の女子生徒の声でアナウンスが流れる。

 

「おっ、スゲー。ウグイス付きだ」

「ほむらが放送部の子に頼んだのよ。『恋恋高校の皆さんを迎えるのに粗相は出来ないッス!』ってね」

 

 セカンドのポジションでグッと親指を立てるほむらに、真田(さなだ)は金属バット握り直して気合いを入れる。

 

「そりゃ無様なプレーは出来ねぇな......!」

「ええ、楽しみにしてるわ。覇堂を破ったあなたたちの力をね......! ヒロ!」

 

 マウンドの太刀川(たちかわ)は力強く頷き、投球モーションに入る。左のセットポジションから放たれた初球は、アウトコースのストレート。

 

「ストライク!」

「チッ......」

「オッケー、ナイスボール! 完全に振り遅れてたわ、この調子でどんどん攻めて行くわよ!」

 

 わざとらしく挑発染みた発言で、真田(さなだ)を煽る。バットでヘルメットの鍔を軽く叩いて、真田(さなだ)はバットを構える。構えからは、明らかに力んでいる様子が見られる。

 

「(いい感じに熱くなってる、これならボール球でも振るわ。次は、これで外のカーブを振らせてっと)」

 

 しかし、小鷹(こだか)の読みとは裏腹に真田(さなだ)は平常心だった。外のボール球のカーブを平然と見逃して、カウント1-1。

 

「(......振らなかった。今のは演技?)」

「(挑発したって無駄だぜ。なんてたってオレたちは、毎日グラウンド整備を賭けた真剣勝負でメンタルを鍛えてるんだからな......!)」

 

 ここから真田(さなだ)は、出来るだけ多くの球数を投げさせて、太刀川(たちかわ)の球種とキャッチャーの配球を探るため、一番バッターの仕事を果たすことに専念した。

 際どいコースはファールで逃げ、明らかなボール球を見極める。そしてフルカウントになってからの3球目、合計11球目のストレートを空振り三振に打ち取られた。

 

「どう?」

「変化球は偵察通りだな。だけど、ストレートは感じたより来る。ちょい高めに狙い定めないと空振っちまう」

「了解。じゃあ作戦通りに行ってくる」

「おう。頼んだぜ、葛城(かつらぎ)

 

 ハイタッチをして二人は、ベンチとバッターボックスへ、それぞれ向かう。

 打席立った葛城(かつらぎ)は、たったの二球で追い込まれてしまった。しかし、葛城(かつらぎ)真田(さなだ)と同様にここから驚異的な粘りを発揮した。

 

「ファ、ファール!」

「ふぅ、危ない危ない」

 

 二球で追い込まれたにも関わらず、フルカウントまで持っていき、次が15球目。端から見たら、捉えきれず何とか食らい付いているように見えるが、キャッチャーの小鷹(こだか)は焦っていた。

 

「(一・二番だけでもう30球近くも、マズイわ......。ヒロ、甘いコースのストレートを打たせましょう!)」

「うんっ」

 

 サインに頷いてモーションを起こす。太刀川(たちかわ)葛城(かつらぎ)へ対する15球目。

 

「(......外れたっ!?)」

「(外だ)」

 

 パーンッ! と、小気味良い音を小鷹(こだか)のミットが響かせる。だが捕球した場所は、ストライクゾーンからボールひとつ外れたコース。葛城(かつらぎ)は、自信を持って見送り、バットを持ったまま一塁方向へ歩き出した。

 しかし――。

 

「......ストライク! バッターアウッ!」

「っ!?」

「......え?」

 

 球審のジャッジはストライク、見逃しの三振。

 この判定に、確実にボールと確信して歩いたバッター葛城(かつらぎ)だけでは無く。ジャスミンのキャッチャー小鷹(こだか)も驚き戸惑いを隠せない。

 

「マズイな」

「はい......!」

 

 恋恋高校ベンチでは、近衛(このえ)新海(しんかい)が険しい顔でグラウンドを見つめている。この一球が、後の試合展開に大きな意味をもたらすことを。この時、この二人だけは予見していたのだ――。

 


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