7Game   作:ナナシの新人

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Final game19 ~奇跡~

 試合終盤一点差、ツーアウト三塁一塁。一打同点、長打が出れば逆転の場面。打席に立つのは今日、読み打ちでヒットを放っている鳴海(なるみ)

 

「(ここで、六番か。前は、狙い打ちされた。歩かせる......)」

 

 土方(ひじかた)は、鳴海(なるみ)からネクストバッターズサークルの近衛(このえ)へと視線を移した。

 

「(ネクストバッターも、予選でホームランを打っている長打のある打者だ。どちらかで勝負するしかない)」

 

 どちらか一方を選ぶとなれば、未知数の近衛(このえ)よりも、三度対戦している鳴海(なるみ)との勝負を選択。初球は、慎重にボールから入った。しっかりと見極めて、ボールワン。

 

矢部(やべ)、もっと出ろ」

「これ以上でやんすか......?」

 

 強気な指示をするベースコーチの真田(さなだ)に、矢部(やべ)は若干不安げな表情(かお)で聞き返す。

 

「当たった瞬間スタートだ。ここで逆転出来なきゃマジでキツい。お前が、決勝点のランナーなんだからな」

「ホームを奪うために最大の援護を、でやんすね......!」

「そう言うこった」

 

 挑発するように思い切りリードを取る矢部(やべ)を、若干鬱陶しそうに見つめる沖田(おきた)は牽制球を投げるも、リード幅は変わらず。気を取り直して二球目、インコースのストレート。

 

『一塁牽制! 足から戻って、セーフ! 素早い牽制球を放った土方(ひじかた)ですが、矢部(やべ)も警戒していました。二球続けてのボール。ツーボール・ノーストライク、バッティングカウント!』

 

「(ブラフだ、走る気はない。プレッシャーをかけて、自滅狙い。バッターオンリーで行くぞ)」

 

 頷いた沖田(おきた)の三球目、ほぼ同じインコースからのカットボール。ボールの上を叩いて、一塁側へのファウル。バッテリーは狙い通りにストライクを奪い、仕留め損ねた鳴海(なるみ)は、しまったという表情。

 

『サイン交換が終わりました。ピッチャー、ランナーを目で牽制して足を上げた!』

 

 球種は、カーブ。

 構えとは真逆のインコース低めのボール球に手が出てしまい、ハーフスイングを取られてしまった。打者有利のバッティングカウントから、五分五分の平行カウントへ移行。

 しかし、今の一球が戦局を変えた。

 

「(マズい。失投かと思って、思わず手が出た。気付かれたか......?)」

「(結構なボール球にも関わらず反応してきた。それに気になるのは、一球前のカットボールをファウルにした時の様子......試す価値はある)」

 

 サインを出し、内角へミットを構える。

 

「(また、インコース。ボール気味だけど......)」

 

 今の沖田(おきた)のストレートは、左右のどちらかへナチュラルに変化してくる。甲斐(かい)の時と同様に、ストライクゾーンへ巻き込んで入ってきた。

 

『ファウル! 鳴海(なるみ)、辛うじてカットしました。カウント変わらず、ツーツー平行カウント!』

 

「(......危なかった。だけど――)」

「(なるほど、そう言うことか)」

 

 今の反応で、同じエリアを通過じてから変化させる“ピッチトンネル”の有効性に気がついた土方(ひじかた)は、険しい表情をしている鳴海(なるみ)に感服していた。

 

「(彼も捕手だ、的を絞らせないリードをしてはいたが、これほどまでの効果があるとは。いや、比にならないほど効果的かつ、高い精度だろう。そうでなければ、名だたる強豪校を相手に勝ち上がってなど来られるハズがない。打高投低の傾向にある昨今、投手にも、より高い球威が求められる中、致命的と思える球威不足の弱点を補って余りある武器として活路を見出し戦い抜いてきた。認めよう。間違いなく、最強の相手だ――!)」

 

 再びインコースへミットを構えたのを見て、東亜(トーア)たちも察した。

 

「完全にバレたな。偶然とはいえ、抜けずに引っかかったカーブが、ストレートとカットボールと同じ軌道に乗ってしまった」

「マズいわ。有効と判断された以上、必ず活用してくるわよっ」

「どうにかするしかねーよ。このままでは、勝機は薄い。詰めていくしかない。五分で勝負できる状況までな」

「よくて、五分......」

「三割で上等の打率より高いさ」

 

『ファウル! インコースの速球で押してきます! そして、またしてもインコースへ構えました!』

 

 二球とも、ギリギリでカットしてファウルに逃げる。

 

「(インコース攻め、それも全部ほぼ同じコースから微妙に動いてくる。ナチュラルに変化する速球とカットボールの組み合わせ、次は、どっちだ......?)」

 

 迷う鳴海(なるみ)に対し、バッテリーの選択したのは、頭になかったスローカーブ。完全に虚をつかれ、バットが出ない。大外から巻いてきたカーブが、土方(ひじかた)のミットに収まる。

 

「――ボ、ボール!」

 

 際どいコース、球審ジャッジは、ボール。

 

「(くっ、想定より曲がりが小さかった。抑えが利かなくなりつつあるのか。だが、これで――)」

「(助かった。でも、これで――)」

 

 ――両サイドを使える。

 二人の考えは、完全に一致。

 次の一球が、この勝負の行く末を決める重要な一球。

 

土方(ひじかた)、少し時間をかけてサインを出しました。沖田(おきた)、フルカウントから第九球を――投げました!』

 

 矢部(やべ)は、スタートを切る。投球は、外角のカットボール。コースに逆らわず流し打つも、振り遅れのファウル。

 

「(よし、これで戻せた)」

「(ヒットは捨て、カットに専念してきたか。これで、五分)」

 

 鳴海(なるみ)は打席を外して目を閉じ、心を落ち着かせる。

 

「(相手は、今の一球を最大限活用してくる。ここはもう、アウトコースのストレート一本しかない。問題は、左右のどちらへ変化してくるか。実際に対戦して見た感じ、操っている訳じゃない......だとしたら――)」

「(相当悩んでいる。おそらく、球種、コースともに読まれている。だが、信じきれるか? この場面で、己の導き出した答えを――)」

 

 球審に促された鳴海(なるみ)は、大きく深呼吸してから打席に戻った。左打席で構える、その眼に迷いはない。覚悟を決めた眼をしている。

 その眼に応える様に、バッテリーも真剣な面持ちで臨む。

 

『さあ、サイン交換が終わりました。ツーアウトです。ランナーは、バットに当たった瞬間スタートを切ります! 沖田(おきた)の足が上がった、矢部(やべ)、完璧なスタートを切った! 勝負の一球は、渾身のストレート!』

 

 一球前のカットボールと、同じ外角の軌道に入った。

 打者の感覚を狂わすピッチトンネルを通過したが、狙い通りのコースと球種に対し、迷わずに振りに行く。

 

「(やはり、狙われていた。だが、ここからが本当の勝負だ。右か左か――なっ!? まさか、ここで......!)」

 

 捕手土方(ひじかた)も、投げた沖田(おきた)本人すらも予想していないことが起きた。

 この場面で、左右へ変化することなく、回転軸の傾きゼロのベストピッチが、今日一番のストレートが来た。今まで誰ひとりとして、まともに捉えていないストレート。勝負は決した、そう思った瞬間――甲高い金属音が響き渡った。

 

『捉えたーッ! 沖田(おきた)、咄嗟に右手を伸ばすも届きません! 打球は、センターへ!』

 

「に、逃げる!?」

 

 センター方向ややレフト寄りへ飛んだ打球は、空中でスライスし、背走して追う山南(やまなみ)から遠ざかって行く。

 

「任せろ! 山南(やまなみ)、バックアップに回れ!」

永倉(ながくら)!? 了解!」

 

 声かけを受け、カバーに回る。そして、打球は――。

 

『落ちたーッ! 左中間、レフト前ヒット! 奥居(おくい)、今、生還! 同点! そして、逆転のランナー矢部(やべ)も、無駄のない走塁でサードを回った!』

 

 滑り込みながらワンバウンドで打球を抑えた永倉(ながくら)は、体勢が崩れたままバックハンドで、バックアップの山南(やまなみ)へトス。

 

『こちらも無駄のない完璧な連携プレー! トスを受けた強肩の山南(やまなみ)から素早く、カットマンへ返球!』

 

「バックホーム、間に合うぞー!」

 

 マスクを投げ捨てた土方(ひじかた)が、大声で叫ぶ。中継の尾形(おがた)から、バックホーム。

 

矢部(やべ)、スライッ! 回り込め!」

「やんすーっ!」

 

 先にホームインした奥居(おくい)の指示を受け、ベースの手前二メートルから、まるで滑空するかの様にホームベースへ向かって頭から飛び込んだ。ほぼ同時に、土方(ひじかた)へ返球が返って来る。追いタッチ。判定は――。

 

『セーフッ! タッチを掻い潜った矢部(やべ)の指先が、ほんの僅かにホームベースを触れていました! 恋恋高校、逆転! ついに、このゲーム、初めてリードを奪いましたーッ!』

 

「どやっ! でやんすー!」

「オッシャー! 最高だぜ!」

 

 両手でハイタッチを交わした矢部(やべ)奥居(おくい)は、二塁ベース上で息を整えている鳴海(なるみ)へ拳を向けた。同じ様に握った拳を向けて応える。

 

「そうか......」

 

 ――信じ切れなかったのは、オレの方か。

 疲労を考慮し、ベストピッチが来ると想定していなかった土方(ひじかた)と。ここ一番で、ベストピッチが来ると信じて振り抜いた鳴海(なるみ)。まったく正反対の考えが、勝負の明暗を分けた。

 

「何をしている? まだ勝負は終わっていないぞ」

近藤(こんどう)

 

 左腕を吊った状態で伝令に来た近藤(こんどう)は、球審に選手交代を告げて、マウンドに内野陣を集めた。

 

「お前たち、下を向くな。まだ二回も攻撃は残っているぞ。ここで切れば、充分逆転は可能な点差だ。沖田(おきた)、表の攻撃はお前からだ。頼むぞ、切り込み隊長」

「あ、はい!」

山南(やまなみ)、相手には長打があるが慎重になる必要はない。しっかり、コースをつけば抑えられない相手ではないぞ」

「ああ」

「さあ、みんな、あとひとつだ。しっかりと抑えて、攻撃へ繋げるぞ!」

 

 山南(やまなみ)にボールを渡した沖田(おきた)は、センターへ向かい。士気を取り戻した内野陣は気持ちを切り替え、各々ポジションへ戻っていく。

 

「前を向け。お前が、壬生(ウチ)の要だろ?」

 

 軽く背中を叩き、活を入れてベンチへ下がっていく近藤(こんどう)

 

「まったく、敵わないな。あんたには......」

 

 ひとつ大きく息を吐いた土方(ひじかた)は、顔を上げて真っ直ぐ前を向いた。

 

「ツーアウトだ! ここで切るぞ!」

 

『おおっと! 気落ちした様子は見受けられません!』

 

 空元気ではないことを証明するように七番近衛(このえ)を、持ち前の制球力と多彩な変化球を駆使し、危なげなく打ち取り、火消しの役目を果たした。

 逆転の一打を放ち、ベンチから盛大な出迎えを受ける鳴海(なるみ)だったが、浮き足立つことなく、瑠菜(るな)たちの手を借り、すぐに守備の準備に取りかかる。

 

「劣勢から、よく持ち直した。お前の読み勝ちだ」

「ありがとうございます」

「さて。あと二回。鬼門は、三番から始まるこの回の守備」

「......追いつかれたら、正直、厳しいと思います」

「フッ、判っているならいいさ」

 

 制球力と多彩な変化を操る山南(やまなみ)は、ピッチトンネルとの相性が抜群に良い。有効性を知られた以上、惜しみなく活用してくる。

 

「理想は、先頭を切ること。延長のことは考えなくていい。一打席目から積み上げてきたモノを、全て使って乗り切れ」

「――はい、行きます!」

 

 はっきり返事した鳴海(なるみ)は勢いよく、グラウンドへ駆け出して行った。

 

『さあ、早川(はやかわ)の投球練習が終わりました。逆転を許した壬生高校。八回表の攻撃は中軸、三番沖田(おきた)からの打順です!』

 

 打席の沖田(おきた)は今日、三打数三安打。一発が出ればたちまち同点。しかし、あおいは怯む様子もなく、しっかり見つめている。

 

早川(はやかわ)沖田(おきた)への初球は――インコース高めいっぱいのストレート! 打っていきましたが、大きく切れてファウルです!』

 

 二球目――やや甘いインコースからの緩いカーブ。タメを作って、緩急に惑わされず、膝下へ変化してくるボール球を掬い上げた。

 

『これも、大きい! 飛距離は十分......ですが、ライト上空、ポールを切れて行きました、これもファウル! バッテリー理想的な形で追い込みました!』

 

 小さく息を吐いて、ゆっくりと構え直した沖田(おきた)の表情には、焦りの色は一切見えない。

 

「(なんてバッターだ、本当に一年なのか? 追い詰められたこの状況で、まるでプレッシャーを感じていないなんて。だけど、しっかり効いてることは間違いない)」

 

 一球、外のストレートを外して四球目、隠し通したマリンボールで勝負に行った。ストライクからポールになる完璧なコースだったが――。

 

「上がらなかった? くっ......!」

「よし、サード!」

 

『ワンバウンドになろうかという変化球を捉えました! が、これは、サードの守備範囲か!?』

 

 痛烈な打球は、サードの真正面。葛城(かつらぎ)は一歩後ろに下がって、バウンドに合わせに行った。しかし――。

 

『あーっと、跳ねた! イレギュラーバウンド! サードの脇を抜けて行きました! 記録は、ヒット! ラッキーな形で先頭バッターが塁に出ましたー!』

 

「ここで、イレギュラー......!」

「フッ、そう簡単には勝たせてもえないな。今度は、こちらに悪い結果をもたらした」

 

 布石はあった。グラウンド整備が入っても、二試合目、序盤や矢部(やべ)の揺さぶりで、ダッシュが繰り返されたことで内野グラウンドは荒れていた。攻撃では、ファンブルを誘ったが、沖田(おきた)の打球が強かったことでより顕著に現れてしまった。

 

「伝令は?」

「二塁へ行ってからだ。瑠菜(るな)

「はいっ」

 

 指示を伝えている間に、沖田(おきた)の盗塁が決まり、ノーアウト二塁。瑠菜(るな)が、マウンドへ走った。これで、三回使えるタイムを全て使い果たした。

 

「悪い、逸らしちまった」

「いいえ、仕方ないわ。悔やんだって、戻らない。いい? サードへは絶対に送らせちゃダメよ。思い切ったバントシフトを敷くこと」

「バスターは?」

 

 甲斐(かい)から質問に、二つ返事で答えた。

 

「無いわ。わざわざ小技が上手いバッターを入れたのは、このシチュエーションで確実に送るタメよ」

「了解。ファースト側は俺、三塁側は、鳴海(なるみ)早川(はやかわ)の近い方だな」

「うんっ、任せて!」

「他に、指示はある?」

「サードへ進まれた時のことを想定しておくこと。でも、安易に塁を埋めることは厳禁、九回が大変になるだけよ。もし先頭に回るようなことがあれば、それこそ取り返しがつかないわ」

「判った。みんな、聞いて――」

 

 鳴海(なるみ)は、沖田(おきた)をサードで刺す、もしくはバント失敗を狙うことを前提に、送られてしまった場合の作戦を伝えた。

 

「マジか? ()()()と勝負するってことだろ?」

「勝算はある。と言うより、これで無理なら勝てない」

「ボクは、信じるよ」

「そうね。やれることは全力やるべきよ。勝算があるのならなおさらね」

「あおいちゃん、瑠菜(るな)ちゃん......」

「そうよ! あたし、後悔は絶対したくないしっ!」

「おうよ、やってやろうじゃねーか!」

「ああ」

「だな」

 

 注意に来る寸前、瑠菜(るな)は戻り。あおいと瑠菜(るな)の言葉に感化された内野陣も、気合いを入れ直して守備に戻って行った。

 

「どうだった?」

 

 戻ってきた瑠菜(るな)に、理香(りか)が尋ねる。

 

「大丈夫です。切り抜けてくれます、必ず......!」

「そう」

「心配したところで見守ることしか出来ねーよ」

 

 右打席に入っている尾形(おがた)は、さっそくバットを寝かせた。恋恋高校は、バントシフトを敷く。ワンストライクからの二球目、大きくウエスト。沖田(おきた)に、三盗の動きはない。

 

「(確実にバントだ。次で、決めに行くよ)」

「(うんっ)」

 

『平行カウントからの三球目――バント殺しのインハイ! いや、ここから急降下!』

 

 ストレートに見せかけた、マリンボール。尾形(おがた)は咄嗟に体を屈め、バットに当てた。若干浮いた打球が、鳴海(なるみ)の目の前に上がった。

 

「よし! うっ......!」

 

 浮いた打球と、走り出したバッターランナーが重なった。この一瞬の躊躇が判断を鈍らせた。アウトは、ファーストのひとつのみ。

 

『送りバントが決まりました! ワンナウト三塁で、頼れる五番土方(ひじかた)に回りました!』

 

「ごめん......」

「ううん、ボクも遅れちゃったし。やるしかなくなっちゃったね」

「頼んだよ」

「うんっ!」

 

 ポジションに戻った鳴海(なるみ)は、身振り手振りと声を張り上げて指示を出す。

 

「内外野前進! バッター勝負で行くぞ!」

 

 号令でシフトが変わった。内野はバックホーム体勢、外野も定位置よりも一歩前にポジションを取った。理香(りか)は戸惑い、東亜(トーア)はポーカーフェイスを崩さない。

 

土方(ひじかた)くんと勝負!?」

「フッ、じっくり見させて貰おうじゃねーか。何を成すのかを」

 

 そして、土方(ひじかた)がバッターボックスに入った。

 

「礼を言うぞ。オレに、リベンジの機会を与えてくれたことを」

「要らないよ。ここで終わらせるんだから!」

「来い、勝負だ」

 

 初球、外角低めのカーブを見逃して、ボール。

 

「(長打が怖いこの場面で、カーブから入るとは。やはり、いい心臓を持っている。しかし、例の変化球で三振を狙ってくることは間違いない)」

 

 ストレート、低めギリギリいっぱいに決まった。三球目も、外角のストレート。強引に引っ張り、三塁側の内野スタンドに飛び込むファウル。

 

「(全て外角の低め、例の目くらまし投球。しかし、ここは一球内角をつき、勝負は外角の変化球が定石だが――)」

「(頼んだよ、あおいちゃん!)」

「(うん!)」

 

『サインに頷いた早川(はやかわ)、足を上げます! 投手有利カウントから第四球――投げました! 四球続けて、アウトコースッ!』

 

 遊び球は使わず一気に勝負にいった、マリンボール。

 

「(やはり、勝負に来た。単純なセオリーなど使って来ない、読み通りだ!)」

 

 振り抜いた打球は、ライト上空へ高々と舞い上がった。

 

『打ったー! ライト近衛(このえ)、バーック!』

 

 打球を見た沖田(おきた)はスタートを切ったが、土方(ひじかた)が止めた。

 

沖田(おきた)、戻れ! タッチアップだ!」

「抜けない!?」

 

 声に急ブレーキ、全力でサードへ戻る。

 

「(くそ、狙いよりもボールの下に入った、崩されたか。打球はおそらく、外野の定位置――)」

 

 落下地点は、ライト定位置よりやや前。近衛(このえ)は、上空を見上げて助走を付けて捕球。同時に、沖田(おきた)がタッチアップ。

 

「(チッ、思った以上に伸びなかったか。だが、沖田(おきた)の足なら――なに!?)」

 

近衛(このえ)、バックホーム! いや、中継が入った!』

 

「バックホームッ!」

 

 文字通り、矢のような返球が中継に入った奥居(おくい)から返って来た。

 

沖田(おきた)、回り込めッ!」

「えっ!?」

 

 斎藤(さいとう)の声かけは、間に合わなかった。既にスライディングの体勢に入っていた沖田(おきた)の足にタッチした鳴海(なるみ)は、ミットを掲げる。

 

『ホームクロスプレー! 判定は――』

 

「アウトーッ!」

 

『アウト、アウトです! ホームタッチアウト・ダブルプレー! 一瞬でピンチを脱しましたーッ!』

 

 まさかの結果に場内は騒然としている。

 走って戻って来る鳴海(なるみ)たちを見ながら、東亜(トーア)は愉快げに笑った。

 

「クックック、やりやがったな、アイツら」

「まさか、狙ったのっ?」

「ああ。マリンボールは、強力なトップスピンがかかっている。武器であると同時に欠点でもある」

 

 バットがボールの下に入ると、自然と打球は上がる。近藤(こんどう)の時は、当てただけでヒットを打たれた。しかし、フライボールを狙う上位打線の中軸を担う土方(ひじかた)は、飛距離を伸ばすため角度を上げる打ち方をする。

 

「だが、甲子園には浜風がある。ライトへ高く上がった打球の結果は、定位置よりやや前。しかし、瞬足の沖田(おきた)には充分な飛距離。そこで、通常は芽衣香(めいか)が中継に入るところを、セオリーを無視して奥居(おくい)が入った。隠し通したマリンボールで狙い通りライトへ高いフライを打たせた上で浜風を利用し、チーム一・二の強肩二人で刺したのさ」

「どこか一カ所でも滞れば、成立しないプレーを、この場面で......」

 

 近藤(こんどう)は、ベンチへ戻ってきた土方(ひじかた)の肩に手を乗せた。

 

「やられたな」

「ああ、完敗だ。だが、最後まで貫く。オレたちの姿勢を――」

「おうとも! さあ、しっかり守って来い! 最後まで諦めるな!」

 

 逆転を許し、ダブルプレーで好機を逃した直後、嫌な流れだったが山南(やまなみ)は、八回表をきっちり三人で抑え迎えた九回表、壬生高校最後の攻撃。恋恋バッテリーは、先頭バッターを打ち取り、まずひとつアウトを取った。

 バックスクリーンのストライク表示のランプに明かりが灯る度に、大きくなる恋恋高校応援スタンドの歓声。それは、ベンチの選手たちも同じ、大声を張り上げている。

 その中で、唯一冷静に淡々と試合の行く末を見守っている人間が居た。彼は、隣で祈るように試合を見つめる女性、加藤(かとう)理香(りか)へ問いかけた。

 

「奇跡って、何だ?」

「奇跡......?」

「そうだな。例えば、ツーアウト満塁フルカウント一発が出れば逆転サヨナラの場面で、ど真ん中に来た失投を見事ホームランしたとしよう。果たしてそれは、奇跡と呼べるか?」

「一般的には、奇跡と表現させれるんじゃないかしら? 少なくとも、報道や各社の紙面の一面には、奇跡の逆転サヨナラホームランと見出しが踊るでしょうね」

「だろうな。だが、俺に言わせれば、それは奇跡などという抽象的なものではない。俺は、この世界に奇跡など存在しないと考えている。なぜなら、全ては行為の上の結果だからだ」

「......結果?」

 

 首をかしげる理香(りか)に、東亜(トーア)はグラウンドで行われている勝負を見守りながら話しを続けた。

 

「試験で山が当たった。それは、偶然なのかも知れない。しかし、それは少なくとも、教科書を開き、ページの内容を記憶したから残せた結果だ。それは、奇跡とは言えないだろ」

「......そうなのかも、知れないわね」

「宝くじも、馬券も、買わなければ当選することはない。前の走者が満塁のチャンスを作ったことも、バッターがフルカウントまで粘った上で、たった一球の失投を引き出したことも、ミスショットせずホームランを打ったことも紛れもない実力だ。決して奇跡などという簡単な言葉で片付けていいものではない」

 

 ツーアウトを取ったところで、東亜(トーア)は静に席を立った。

 

「どこへ行くの?」

「俺の役目は終わった。これ以上は、更なる高みへ向かおうとしているアイツらの邪魔になる」

 

 その言葉に理香(りか)は、全てを悟った。

 ベンチ裏へ下がって行く東亜(トーア)を見送ることはなく、しっかり前を向いて試合の行く末を見届けることを選んだ。

 

 そして――ラストバッターへラストボールが投げられた。

 

 球場の外まで聞こえるサイレンと、鳴り止まない歓声を聞きながら、愛車のボンネットに腰掛け、タバコに火を付けた東亜(トーア)は、どこか満足そうな表情をしていた。

 

 ――さて、こちらも終わらせるとするか。

 

 

           * * *

 

 

 休養日を挟んだ、決勝戦当日。

 春の覇者アンドロメダ学園を前に怯む様子もなく、恋恋高校ナインたちは堂々と対峙していた。

 

「練習試合では、後輩たちが世話になったそうだナ。決着は、オレたちが付けさせて貰うゾ」

「勝つのは、俺たちだよ」

「フッ、楽しみダ」

 

 整列していた両校の選手たちが、グラウンドへ散っていく。

 

『さあ、遂にやって参りました! 球児たちの夢舞台、甲子園大会決勝戦! 春夏連覇を狙う、アンドロメダ学園対初出場初優勝を狙う、恋恋高校との一戦! 戦いの火蓋が今、切られましたー!』

 

 この時、恋恋高校ベンチに中に東亜(トーア)の姿は無かった。


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