五回裏ツーアウトから、ピッチャーのあおいがヒットで出塁。驚きと歓声がベンチ内で木霊する。
「驚いたわ。今までの苦労が嘘だったみたいに、キレイに打ち返したわね」
そう言って
「特別遅い訳じゃないけど、チェンジアップかしら?」
「いや、違うな。あれだけストレートに振り遅れていたんだ、わざわざ変化球を使う理由はない。指に掛からなかったんだ、真っ直ぐが」
「キレイな真っ直ぐの......失投?」
まったく癖のない理想的なバッティングピッチャーのようなストレートが、見やすい目の高さ、腕の延びる、やや外角高めの甘いコースに来て、本来のストレートであれば振り遅れていたハズだったあおいのスイングと偶然合ってしまった結果の一打。
「ようやく、揺さぶりの成果が“カタチ”として現れたってことだ」
「こうなることを予期していたってこと?」
「予期も何も最初からそう出ていたじゃないか。お前とはるかが集めたデータにな」
失点傾向は、序盤が多く、中盤は殆どヒットも打たれず、終盤になると若干増える。
「そして、失点には?」
「変化球が絡むことが多い、だったわね」
「序盤の変化球は、指先の感覚を掴むまでのもの。試合後半の変化球は、ストレートが利かなくなってきた証拠。どうやら、変化球の中でも特に割合の少ないチェンジアップは、意図して投げたボールではなく、今のストレートの様な投げ損ないの失投のことだったようだな。そりゃあそうだろう。人間の集中力ってのは、そう長く持続させることは出来ない。必ず限界がある」
「疲れが溜まれば、どこかしらに歪みが生じる。俺は、操れる球速・緩急の幅と制球力に影響が出た」
「
「さて、どうだろうな。本当に集中力が切れかかっているのならあり得るが、ツーアウトでバッターが投手のあおいだったから、一時的に気が抜けて失投が来たとも考えられる。まあ、まだ、スタートラインに立つ権利さえ得ていないことは確かだ」
「スタートライン?」
「成果の先、“結果”の話しさ」
そう言うと
「どこか違和感を覚えたか......?」
「いえ、ちょっと浮きました。少し簡単に行きすぎました。いいスイングでしたし、気をつけないとですね」
念のため
「(異常は無し、山場を越え一時的に気が抜けたか。しかし、楽観視する訳にはいかない。連続するようであれば、早急に手を打つ必要がある。
頭を悩ませる
『ツーアウトですが、打順は先頭に返って、一番
ファーストランナーのあおいは、
「(あの投手が、走っただと!? まさか、初球スチール......いや、あり得ない。となると――)」
「(よし、指示通り外角低め! 球種は、真っ直ぐ一本、コースは分かってるんだ、当てることぐらいは出来る!)」
思い切り踏み込んで、狙い球の外角のボール球を上から叩きつけて強引に引っ張った。
「(やはり、エンドランか......!)」
当てただけの打球は、セカンド
「
あおいは、セカンドベースを蹴ったところでサードコーチャーに入っている
『も、もの凄い送球が、ライトの
突然の轟音にあおいは「えっ!?」と声を上げて、音の出所の三塁を反射的に見る。それは、恋恋高校のベンチも同じだった。
「な、なんて肩してんのよ? あのライト......てか、ケガしてたんじゃないのっ?」
驚きと戸惑いの声を上げる
「投げるには問題ないって、
「権利? あっ......!」
そして、ライトの
「これが、成果の先の“結果”」
「そう。
本来、
「ただ、予期せぬことが起きていた」
「
「ああ」
順当に行けば、
「すみません、
「いや、ナイスピッチングだ。あとは任せろ」
「はい、お願いします」
小さく会釈をして
「本当に問題ないんだな?」
「ああ。そもそもが、俺の責任だ。後始末は自分でつける」
「そうか。じゃあ、次のバッターはいいんだな?」
「そうだ」
軽く拳を合わせ、
二番バッターの
「(オレのところで、エース登板か。確かストレートは、常時150キロ近く出るんだっけ。ケガの影響は、どうなんだろう? 俺の役目は、それを調べて一球でも多く投げさせて引き出すこと......)」
「(今のエンドランは間違いなく、オレのミスだ。走者が投手だったことで、足を絡めた攻撃はないと決めつけてしまった。今の策は、おそらく――)」
「(――ストレートの調子を大怪我をしない外角で確かめることが多い、
『ライトから緊急登板の壬生不動のエース
「(......速い。
しかし、グッと握り返して臨んだ二球目も、ボール。三球目も、ボール。これで、スリーボール。ボールなら満塁、バッターが圧倒的に有利なカウント。ここで一球、緩いチェンジアップでストライクを取りに来た。
『おおっと。これは、ハッキリそれと分かるボール球。
バッターボックスで構えた
「
「いや、わざとだ」
「わざと? 一打同点、逆転もあり得る状況にしてまで満塁策を取ったと言うの......?」
「責任を背負ったのさ。自らの故障の影響で、ピッチャーであるにも関わらず無茶な走塁を余儀なくさせてしまった
例え、四球で満塁にしても失点すれば記録上は
「次の一点が重要になる場面で、そんな大胆なことを......」
「そいつを躊躇無く出来る。だから、付いてくるのさ。そして、袂を分かった理由もこれだ」
合理的な采配を振るう御陵の監督
「指導者と同等......いえ、同等以上に強力で絶対的な信頼感。壬生は、
「少し違うな。
前の席に座って、守備に向けた準備をしながら勝負の行方を注視している
「この場面、どうリードしてくるか、解るな?」
「はい。決め球は、ストレートです。間違いありません」
ハッキリした答えに、小さく笑みを見せた。
「フッ、そうだ。わざわざ満塁にしたのに変化球でかわすような無粋なマネはしない。ここは必ず、チカラでねじ伏せに来る。そうでなければ、意味がない。それを踏まえて、まず何から入る?」
「......
「キャッチャーの構えより、やや中へ入って来たが高さが良かったな。しかし、若干差し込まれながらも芯で捉えた鋭い打球だった。
「ストレート、スライダー、フォーク、チェンジアップです」
はるかから情報を聞いて、
「もう一度外、スライダーを見せます」
『ボール! 手が出かかりましたが、ストライクからボールになる140キロ近いスライダーを見極めました。ワンエンドワンの平行カウント!』
「次」
「スライダーを続けます。今度は、もっとしっかり外します」
三球目、一球前よりもボール球のスライダー。今度は、眼だけで見送った。
「これで
「手を出しやすい高めのストレートでファウルを打たせて、カウントを稼ぎたいですけど。決め球に持っていきたいので、フォークかチェンジアップを振らせます」
「要求は?」
「プレート上の低めにさえ来てくれれば、どこでも構いません。欲を言えば、両サイドに散るよりも真ん中寄りの方が選択肢は拡がりますけど――」
四球目、内角低めへ落ちるフォークボール。
『上手く拾いましたが、三塁側のスタンドへ飛び込みました! ファウルボール。ツーエンドツー、さあ次が勝負の一球となるでしょう! バッテリー、ピンチを切り抜けられるか? それとも
「フォークというよりは、スプリットに近い感じか」
「はい。
「ちょっとちょっと何で断言出来るのよっ? てゆーか、今までの配球も全部当たってるし!」
近くでやり取りを聞いていた
「別に驚くようなことじゃねーよ。決め球に何が来るか解っているんだ、そこへ向かって理想を逆算すればいいだけのこと」
「ストレートとスライダーに付いて来られたから、一番遅い球種のチェンジアップは、相当度胸がいる。決め球に出来るほどの精度があるなら話しは別だけど。それは今、投げなかったから本人が信用していないんだと思う」
「ねじ伏せたいから変化球でかわせないし、フルカウントにもしたくないから、勝負に来ると読んだのね。外角の理由は、スプリットが内角へ来たから?」
「ファウルだったけど、厳しいコースを上手く拾われた。同じコースを狙って、少しでも甘く入ると怖い。初球の振りまけていないスイングを見ると、高めは要求出来ない。もし、外野の間を抜けたら走者一掃で逆転だよ」
「だから、スプリットは真ん中寄りが良かった。少なくとも内外を選択出来る自由を得られたから」
「そう。
「フッ、答え合わせだ」
意味深に笑みを見せた
「(この一球は、勝負に重要な一球になる。頼むぞ)」
「(おう、分かっているさ......!)」
頷いた
『チェンジアップ! ワンバウンドに近いボール。
「ここで、チェンジアップを外した!?」
読みが外れ、
「くくく、相手の方が一枚上手だったな。ニブイチどころか、どこでも行ける。ストレート一本とは言え、コースにヤマを張れるか?」
問いかけに、誰も頷けなかった。
「勝負球は、ストレートであることは間違いない。だったら、緩急を最大に活用して当然、一番遅いチェンジアップを投げない理由はない。事実、
選球眼とミート力を兼ね備える
「(一点もやれない状況で、フルベース・フルカウントからの勝負。俺に、同じ
「まあ、そう辛気臭い
「縛り、ですか?」
「チカラ勝負。しかし、左腕の故障の影響でバランスが崩れているのか、ストレートが若干シュート回転して甘く入っている。初球も、低かったからファウルになった。なら、どこを要求する?」
「......インサイドです。仮にシュート回転しなければ、球威で押せる」
「ほら、読めたじゃないか。勝負球は、インコースのストレート」
バッターボックスの
「(今の、チェンジアップの見逃し方。おそらく、インコースの真っ直ぐ一本に絞って待っている。ならば外角――と行きたいところだが、真ん中に入ってくると持っていかれる。それだけの能力がある打者だ)」
『ツーアウト、フルベース・フルカウント! ランナーは、一斉にスタートを切った!
150キロ中盤のストレートが、ミットを構えたインコースへ来た。
「(よし、シュート回転していない。その分コースは甘いが、球威で押し切れる――!)」
「(速い! けどよ、
『捉えた! ピッチャー返し! 痛烈な打球が、ピッチャーの右を襲う!』
「くそっ、上がらなかった! 抜けろーッ!」
肘を畳んで弾き返した打球は、
「――
「フッ!」
『セカンドベースの後方、
懸命に走る
「しまっ――」
「くっ......!」
『あーっと、トスが一塁側へ逸れたー!
二塁塁審は、拳を力強く掲げて判定を下した。
『アウト、アウトですッ! 鉄壁の二遊間が、チームのピンチを救います! エース
抜けていれば同点。しかし、もらった満塁のチャンスを活かせず無得点。
「な、なんて守備なの。それ以前に、セカンドで封殺されるなんて......」
「偶然ではない、しっかり気を配っていた」
二死満塁のフルカウントでは、必要ないハズの一塁への牽制からのクイックモーションが、
「そこまで計算尽くのプレー......」
「さすがは前大会の覇者、経験の差を見せつけてくれる。だが、支払った代償も大きい」
「代償?」
「いくつかあるが、一番は――アイツ」
「まさか、どこか痛めたのかしら?」
「無理に伸びたからな。足は引きずっていない、脇か、指だろう。さて、ようやく――」
――風が吹いて来たぞ。