五回裏の守備に向かう直前
「
「キャッチボールでは、異変は感じられません。しかし、実戦で受けてみないことには断定しかねます」
「そうか」
報告を受けた
現在のリードは、僅か二点。壬生の投手陣は、
「(
しかし、全国トップレベルの実力者の三人と比べると、下級生の力量は一段劣っていることも、また事実。試合中盤、競った場面での登板は荷が重い。
「(せめて、あと二点あれば......いや、言い訳でしかない。例え、主力を引き抜かれようとも、今の、
本来であれば、主力を担うはずだった選手たちを、御陵に引き抜かれてしまった。守備の負担を考え、センターラインの二遊間を除き、レギュラー陣を中心に急ごしらえで仕上げた、相手の戦意を喪失させるほどの超強力打線。半ば苦肉の策だったが思わぬ副産物として、打撃練習で打ち返される強烈な打球を受けつづけ、自然と鍛えられた鉄壁の守備。しかしここに来て、打撃重偏のあまり、コーチに任せっきりで直接手をかけられなかった投手陣の薄さが浮き彫りとなってしまった。
「監督。自分は、いつでも行けます」
「......
「利き腕ではありません。イニング間での遠投でも投球に影響はありませんでした。何より――今日勝たねば、決勝もありません!」
そこへ、ベンチ裏で着替えと軽くストレッチをしながら休息を取っていた
「あれ? お二人とも、まだ居たんですか? てっきり先に行ってるものだとばかり」
「ああ、水分補給をしていた。お前も、しっかり摂っておけ。夏のマウンドは、特に暑いからな」
「(この回をリードした状況で乗り切ることが出来れば、六回表は二番から中軸へ向かう攻撃。そこで、中押し点を奪えれば――)」
大きく息を吐き、吐いた息と一緒に都合のいい期待を吐き捨てた
『二点リードされて迎える五回裏恋恋高校の攻撃は、七番
一礼して打席に入った
「対応してきた」
「ええ。今、内野がバントシフトに動かなかったわ。セーフティバントの警戒を解いた、単打なら構わないということかしら?」
「おそらく」
セーフティバントの警戒を解除し、通常のシフトへ戻した主な理由は、二つ。疲労の軽減と打順の巡り合わせ。
恋恋高校の打線は一番
「ハーフスイングを取られ、判定は下されなかったが、完璧にモーションを盗んでギリギリのタイミングだった捕手の肩からして、単独の三盗は、まず不可能に近い。二盗成功から、
「一点を失っても、リードを保ったまま上位からの攻撃へ移れると計算した上での通常のシフト。守備での負担を軽減させて、攻撃へ専念させる狙いもあるわね」
「理由はどうあれ、大した問題ではない。こちらのテーマは、変化球を投げさせること。目的にだけ集中すればいい、得点の有無は関係ない」
「まともに当てられないストレートよりも、チャンスのある変化球。ウチの攻撃は下位打線、投げてくるかしら?」
「投げさせるんだ。そのために結果が出ずとも、ブレずに継続して来た。変化球を投げさせることが出来た時が、本当の意味での揺さぶりを成し遂げた時、必ず成果を獲られる」
――まあ、その結果、どちらへ転ぶかは分からないけどな。
* * *
「(念のためボールから入ったが、ひとまず、フォームや球質に影響はなさそうだ。六番を相手に力を入れて投げた時は、バランスに狂いが生じるのではないかと気になったが、下手にネクストや打席に立たず休憩を挟めたことが幸いしたか)」
打席外した
「(......一打席目とは比べ物にならないノビだ。相手の守備は定位置に戻ったみたいだけど、アンダースローみたいに浮き上がって来る感じの軌道のボールは、バントで転がすことも難しい。
――高めには極力、手を出さないこと。
不意に
「(......高めは、捨てる。
球審と
「ファールッ!」
バットの上っ面をかすめた打球は、両手を広げた球審の脇を抜けていった。悔しさに、コンっと軽くヘルメットを叩いて打席に戻り、時間をかけて足場を慣らす。
「(ダメだ、転がせなかった。そもそも、警戒していない相手にセーフティしたって......)」
――怖くないんだよ。
今度は、聖タチバナ学園戦で
「(そうだ、怖くないんだ、狙いが分かってるバッティングは。だから、シフトを戻した。だとしたら今、やるべきことは――)」
「(バスターではない、揺さぶりを止めたか? しかし、ここは力で押し切る場面であることに変わりはない)」
頷いた
『ファウル! セーフティから一転、真っ向勝負の強振、フルスイング! 何の因果か、同じシニア出身で親友である二人が、甲子園決勝進出を賭けた大舞台で、胸を熱くさせる勝負を繰り広げています! スタンドの歓声と共に、わたくし、
「また、強振!」
「良いんだ、これで。相手の想定外のことをする。正に揺さぶりではないか」
「それは、そうだけど......」
バッテリー有利のカウントからの五球目、空振りを誘う高めのストレート。出かかったバットを止め、ツーエンドツー平行カウント。
『あっと、良い当たりでしたが、三塁線を切れていきました。打ち直し、次が六球目!』
「(他の選手たちより見慣れているとは言え、徐々にアジャストしてきている。このまま流れで勝負に行くのは危険だ。間を――)」
間を取れ、と合図を出す前に
「(――空気が変わった。来る......!)」
『さあ、サインに頷きました。ゆったりと足を上げ、第七球を――投げました!』
アウトコース。今までとは、明らかに違う球威のストレート。
「(――は、速い! カット......いや、当てに行ったら当たらない、一発を狙うつもりで振り抜く!)」
長打を狙うつもりで、バットを思い切り振り抜いた。
しかし、快音は響かず――。
『空振り三振! 最後は、外角高め148キロのストレート! 全球ストレートの真っ向勝負は、
「ボール球だったな」
「はい。高めは手を出さないように気をつけていたんですけど......」
「気にするな。タイミングは、合っていた。カット出来れば満点だったが、当てに行かず狙いに行った姿勢は決して間違っちゃいない。さて、もう一押しってところか。
打席に向かおうとしていた、
「何ですかー?」
「高めを狙っていけ」
「へっ?」
キョトンとした
「えっと、高めですか? 低めじゃなくて?」
「ああ。それと、消極的にならないこと。行けると思ったら、初球からでも迷わず振り抜け」
「は、はい、分かりましたっ!」
返事をした
マウンドへ行っていた
「お待たせしました、お願いしますっ」
「うむ。プレイ!」
『ワンナウトから試合再開です。バッターボックスには、前の打席見逃し三振に倒れた、
『外角低めにストレートが決まりました! ワンストライク!』
構えたところへピシャリと来たストレートを、
「(よし、ストレートに狂いはない。バッターは、手を出して来なかった。それとも、手が出なかったのか。どちらにしても、当てに来ている間は問題ない。このままストレートで押し切る)」
二球目も、ほぼ同じコースのストレート。
「はぁ~......」
「(さすがに三球同じコースなら振ってくるか。しかし、当てるだけで精一杯な様子。低めに意識を向けた、ここを振らせる)」
「高めに構えたわ......!」
「ここまでは狙い通り。さて、どのような目が出るか」
「(――高い! 高めのストレートは、ノビて来てボール球になる。でも、“高めを狙っていけ”って......。もう、どうなったって知らないから!)」
一度引いたバットを、高めのストレートを狙って振り抜いた。
『おおっと! これは、打ち上げてしまった。キャッチャーへのファウルフライ!
指示通り高めを狙うも結局、ファウルフライに終わった
「ナイスバッティング」
「むっ、どこがですかっ」
ほっぺたを膨らませて抗議するも、
「はっはっは、当たったじゃねーか」
「えっ? あっ......」
「確かに、脅威的な空振り率を誇るストレートを二回振って、二回とも当てたわね」
「まあ、下位打線相手ということもあって、多少力を抑えたところもあるだろうが。少なくとも、三振はしなかった。これは、大きな成果だ」
「あおいさんに、何か伝えていたみたいだけど?」
「別に、特別なことは言っていない。三振しても構わないから、ストレート一本に的を絞って振ってこいと言っただけさ」
初球、ほぼ真ん中のストレートを見逃した。
「(うっ、殆ど真ん中だったのに振れなかった。みんな、こんな凄いストレートを粘ってたの......?)」
二球目は、初球よりも外寄りのストレート。今度はバットを振るも、完全に振り遅れて空振りのストライク。三球目は、ツーアウトということもあって、焦って三球勝負へは行かず、慎重に外角へ外し、カウントを整えた。
そして、バッテリー有利のカウントからの四球目――。
「あ!」
「なっ!」
「えっ?」
やや甘く入ってきた高めを、キレイに弾き返した。
『打ったーッ! やや弱い打球が、
このまさかの結果に一番驚いていたのは、ヒットを打った張本人である――あおいだった。