三回裏の攻撃に向け、
「さて、どこを狙えばいいか、分かっているな?」
「手負いのライトです」
「その通り、“ドブに落ちた犬は沈めろ”――勝負の鉄則だ。しかしながら、手負いのライトを狙うにしても、あの投手を攻略しなければならない。何せまだ、一度しか外野へ打球を飛ばせていないのだからな」
タイムリー内野安打以降、ストレート一本のピッチングにも関わらずバットにかすりもしない現状に、やや
「まあ、そう深刻に受け止めるなよ。で、今のところ手も足も出ない相手に、どのような方法で対応するかが問題になるわけだが。何か、アイデアはあるか?」
「はい! 揺さぶるっ」
実際に対戦した
「あたしは、腰が引けて出来なかったけど......。バスターとか、セーフティとかっ」
「小技や足を使い、徹底的に揺さぶり、相手にプレッシャーを与えると。ありきたりな策ではあるが、試す価値は大いにある。と言うより、既に実行に移しているようだな」
「揺さぶりってのは、続けることに最大の価値がある。一度や二度のミスでブレてはならない、失敗しようと成果が出ずとも攻めの姿勢を貫き通して臨むこと。そして何より、威力のある高めには極力手を出さないこと」
――はい! と声を揃えて返事をし、各自個人の役割に戻っていく。
「揺さぶり、常套手段だけど通じるかしら?」
「それは、大した問題じゃない。揺さぶりの先にある、成果が本命だ」
「成果?」
「攻略の解釈、捉え方の話し。今回の攻略の意味は、成果であり、結果ではないのさ。まあ、そう遠くないうちに解る時が来る。しかし、その時までにやらなければならないことがある。むしろ、そっちの方が重要」
「三回三失点、上出来だ。何より、三番相手に逃げなかった。結果的に打たれはしたが、フェンスオーバーを許さずゼロで切り抜けた、お前の勝ちだ」
「――はい!」
「お疲れさま。アンダーシャツ替えてらっしゃい。アイシングとドリンクの用意しておくわね」
「ありがとうございます、失礼します」
「四回五回が、この試合の行方を左右する重要なイニングになる。理想は、現状の点差を保つこと。四点差が付いた時点でアウトだ」
「四点......」
「まだ余裕がある、なんて都合のいい考えは持つなよ。気を抜けば、一瞬で突き放される。なぜ、手負いの主砲を四番に据えているのか、ヤツが、チームの大黒柱だからだ。例え枷であろうとも、存在しているだけで、チーム全体の士気が上がる」
「......逆に、気を遣わせないように死に物狂いで勝ちに来る」
「そう。稀に現れるんだ、何年かに一人。作られた虚像の紛い物ではなく、自然と惹き付ける本物が。あの四番には、その資質がある。重い枷であることに間違いないが、手負いの獣は時に恐ろしくもある。頭に入れておけ」
試合の方は、
『ファウル! ストレートを捉え損ね、一塁側の客席へ飛び込みました。ややボール球だったでしょうか? カウント・ツーエンドワン。仕切り直し、次が四球目、そして、バスターの構えです!』
「選球眼のいい
「最初は、ストライクに見えるんです。だけど、実際にバットを振ってみると、予測よりもボールの下を振ってるんです」
着替えを済ませ、ベンチ裏から戻って来た
「そうそう、手元でグイって来る感じで。来た! って思って振ったら、もうミットに入ってるんですっ」
「よう。そもそも、“ノビ”と“キレ”の違いって知ってるか? 解説者が、よく言うだろ。ストレートのキレがいい、ストレートがノビてるってな」
「言われてみれば......何だろう?」
「どっちもスピードガンの数字よりも、速く感じるって時に使われる印象が多いわね」
首を傾げる
「ノビとキレには、決定的に違うことがある。キレは、ストレートと変化球の両方に使われるが。ノビという表現は、ストレートにしか使われない。スライダーが手元でキレるとは言うが、スライダーが手元でノビるとは言わないだろ」
「確かに、聞かないわね」
「キレは、ボールの回転数を示し。ノビは、ボールの回転軸を示す」
一般的にオーバースローで投げる選手のストレートの回転軸は、平均20~30度前後利き手側が下がる形で傾いているとされている。
「軸の傾きが大きいほど、傾いた横への影響も大きく作用する。シュート回転と表現されるストレートが分かりやすいだろう。逆に傾きが小さいほど、横への影響は小さくなり、縦へ向かう揚力が効率よく作用し、落下度の低い軌道のストレートになる」
※今年、現役引退を表明された藤川選手の全盛期の「火の玉ストレート」と評されたストレートは、約5度ほどしか傾いていなかったというデータもあり、実に三割強の奪空振り率を誇っていたそうです。
「加えて、初回外野の深くまで運んだ
「横へ作用する縦軸が小さな、限りなく真っ直ぐに近いストレート......」
ツーアウトのため、
「
「......無理よ。出来れば、理想だけど。私は、スリークウォーター。そもそも基本的なオーバースローでも、実際は、斜めから腕が出ているのよ。本当に真上から振り下ろす訳じゃないわ。野手の送球も同じだけど、サイドに近いスリークウォーターで投げた方が安定するでしょ。けど、回転軸の傾きを小さくしようと思ったら、身体の軸を逆手側へ傾けるか、可能な限り手首を内側へ立てるようにリリースするしかないわ」
「しかし、
「
「まあ、そんなところだろう。リラックスして投げられるキャッチボールとは、訳が違うからな。序盤に変化球が多いのも同じ理由だ」
天候、グラウンドコンディション、体調などで指の掛かり具合が変わる。そこで、リリースの感覚を掴めるまでの間、変化球を使いながら、腕の振りや指先の感覚の微調整を行っていた。
『おっと、ファウルチップ!
「本当に当たらなくなってきたわね......」
「フッ、チャンスは来るさ。必ずな」
ベンチ戻った壬生と入れ代わりで、恋恋ナインが守備位置に着き。投手の交代を告げらたあおいが、四回表のマウンドに立ち、投球練習を開始した。
* * *
あおいの投手練習を観察しつつ打席の準備を急ぐ、
「(たった一球の失投で、投手を代えてきた。しかも、違うタイプとは言え、同じ軟投派を持ってきた。並の指導者なら緩急を利用しようと、速球派を持ってくるだろうに。これが、伝説の勝負師の判断力と決断力――)」
アナウンスが流れ、
「(彼女には、決め球がある。ストレートと見分けのつかない縦の変化球。初見で長打を狙うことは至極困難。ここは、
打席で構えた姿を入念に観察し、サインを出す。
「(先頭バッターの入り方、大事だからね)」
「(うん、分かってるよっ)」
初球は、真ん中のストレートでストライク。二球目も、ストレートを続けて、見逃しのストライクを奪った。
「(考えを見透かしたように、甘いストレートでストライクを。これでは、見るも何も無いな。仕方ない)」
「(構えに力が入った。見るのは止めたみたいだ。なら――)」
第三球、外角のボールになる緩いカーブ。タイミングを外し、ライトへの浅いフライに打ち取った。
「あおいちゃん、ナイスピッチ!」
「ありがと! ワンナウトーっ!」
打ち損じた
「今のは、カーブか?」
「ああ。ストレートに近い同じ軌道から、緩やかに大きく逃げていった。球速差があるとは言えど、決め球以外の見極めも難しいな。厄介な投手だ、苦戦するぞ」
彼の予想は、的中した。当たり自体は良くなかったが、野手の間を抜けるヒットで
そして、四回裏。恋恋高校の攻撃は、四番
「(またバスターですか、懲りないですねー)」
「(気を抜くな。この揺さぶりには、意味がある。事実、こちらは常に構えざるを得ない)」
『
追い込まれてからのバント失敗で、ファウルアウトに倒れた
「フッフッフ......連続三振、止めてやったでやんす!」
「何得意気に言ってんのよっ」
「はっはっは、いいじゃねーか。とりあえず、止めたと言う事実は残る。当然、あちらさんも意識するさ」
タイムをかけた
「あれ? どうしたんですか?」
「少し間を取りに来た。一応、途切れたからな」
「ああ~、別に気にしてませんよ。狙ってた訳でもないですし」
「なら、構わないが。次の六番は、
「了解です」
『
「(確かに、もの凄いノビとキレだ、球速もある。だけど、オープンスタンスで構えるバスターだからか、ボールの出所自体は結構見える。
二球目は、その高めのストレート。思わず手が出かかるもギリギリで止め、ボールの判定。
「(ダメだって、これに反応したら。ボールに手を出したら、相手を助けるだけ。甘いボールも少なくない、粘ってミスショットしないように叩く......!)」
「(今の反応を見る限り、高めは捨てる意識を持っている。カウントを稼ぐ......いや、高めはあくまでも低めを意識させた上で空振りを誘うボール。甘く入れば、長打もある危険なコースであることに変わりはない。基本は、低めだ)」
壬生バッテリーは、低めでファウルを打たせ、狙い通り追い込んだ。しかし
『
「ふぅ~......」
球審から受け取った新しいボールを
「(くっ、しぶとい。球速は違えど、アンダースローの軌道に慣れているからなのか? これ以上は......変化球を使うか。だが――)」
「
「(しつこく食らい付いてくるなら......振らせなければいいんだから!)」
「(は、速い......!)」
真ん中の外寄りのストレート。手が出ずに見逃し、球審の手が上がった。
『――見逃し三振ッ! 最後は、手が出ませんでした。そして今の一球、なんとなんと150キロを計測! 場内騒然! 甲子園にまた一人、新星が現れましたーッ!』
どよめきが収まらないスタンドの空気は、恋恋高校のベンチにも連鎖反応を起こす。
「一年生が、150キロって......」
「動揺するな。今、焦らなければならないのは相手の方だ。見てみろよ」
「四回か。思ったより早く済みそうだな」
「何のこと?」
「くくく、さーてね」
小さく笑ってはぐらかし、戻ってきた
「おい、引きずるなよ。せっかく手繰り寄せたモノを手放すことになるぞ」
「あ、はい! あおいちゃん、すぐに行くから」
「うん!
「はい!」
この回先頭の八番
『伝家の宝刀、マリンボール! 膝下へ鋭く落ちるユニークな変化球に、バットが回りました! この回、三人で退けましたー!』
小さくガッツポーズを見せたあおいは、
「ナイスピッチ。下位打線からとは言え、トップバッターを含めよく三人で片付けた。さて、次の回だが......また揺さぶって来い。徹底的な。そして――」
――変化球を投げさせることが出来れば、
追伸――何だかんだで100話到達。
ここまで付き合ってくださり感謝感謝です!
ラストも近づいて来ましたが、あと少しお付き合いいただけると幸いです。